beautiful name

私の受け持つ患者は受け持ち時点ではたいてい名がない。姓だけ。
生まれてきたばかりの、○○ベビーとか、多胎なら○○Aベビーと○○Bベビーとか。
初日の嵐のような処置を乗り越え、排尿と体重減少が始まり哺乳も増量しはじめた生後2~3日頃に、保育器の名前シールが埋められる。看護師の筆跡の姓の隣に、違った筆跡で、いつの間にか親御さんが名を書き込んでおられる。それで最後の空白が埋まる。
名が付くと、保育器の中の数百グラムが、急に「個人」になる。
それまで自分はこの子を何だと思ってお世話していたのだろう、と思うこともある。常にだいじに接してきたつもりで、しかし名前がついた時にはいつも我に返る感がある。この感触があるかぎりには、至らぬところがあるということかもしれない。物体と思ってなかったか?受け持ち患児に名前が付いたときのこの新鮮な感覚には反省するべき点があるんじゃないか、とは思う。
生まれたばかりの赤ちゃんをNICUに預けることになった親御さんの思いが、名に籠められている。すこやかに生き延びてくれとの祈りのこもった、立身出世上昇系ではなくて健康安定志向の名が多くなる。極めてありふれた名が多い。しかし有り難くないということではない。その名をカルテ表紙に書き込み、養育医療意見書を仕上げる。字画を一画一画、書き飛ばさず丁寧に書く。
beautiful name. ひとりずつひとつ。NICUで脳裏にリフレインする。あれは真実を歌った歌だと思う。世界中の全ての人に、こうした願いを込めて命名した誰かがいるのだと思うと、一瞬、気が遠くなる。