奈良の搬送中事故のような症例の、緊急入院を要請されたら、NICUを預かる身としてはじっさい辛いなと思う。
妊婦健診を受けておられない妊婦さんで、在胎週数すらわからない。当然他のリスク因子も不明。急激な腹痛というとどうしても胎盤早期剥離の可能性が頭をよぎるわけだが、早剥合併だと生命予後も発達予後もがくんと悪くなる。早産児であればなおのこと。考えれば考えるだに、受け側のNICUにとって気分が楽になる要素がない。
これまで産前訪問して直接の御面識をいただくなり、自施設の産科スタッフが存じ上げるなりして、お相手の人柄を幾分かでも把握できていればまだしも、このような危機的な状況にあって、どのようなお方か全く分からないでは、おたがいに危機に対処する同志意識が立ち上がりにくいようにも思う。ものすごく身も蓋もない言い方で読者諸賢には恐縮だが、「重篤な赤ちゃんを突然にお引き受けせざるを得なくなり、情報の乏しさから十分な治療もままならず、結果としての予後の悪さを良好な人間関係の得られていないご家族から一方的に責められる」という悲痛な状況がどうしても脳裏をよぎる。
改めてこんなことをお断りするのはかえって読者諸賢をバカにしているようで、なお恐縮ながら、私は今回の奈良県の妊婦さんがそんな人だと中傷しているわけではない。現場にいるとどうしてもこんな情けないことを考えてしまうということだ。世間の人たちは日本の医療を信用しておられないように思えるが、おそらくそれ以上に、日本の医療関係者は日本の世間を信用していない。医療関係者の一人として、こういうことがあると、それを如実に自覚する。
だからといって逃げ出すわけにもいくまい。他の大人がこの子に対して責任を負っていないというのは、我々がこの子に対する責任を回避できる理由にはならない。誰かがこの子に責任をとらねばならない。奈良県がどうとか医療費削減が何とか医療崩壊がどうとか、この子こそ、知ったことではない。いや、他の誰がそんなこと言っても私は許しませんけどね、この子に「そんなこと僕の(私の?)知ったことじゃないや」と言われても私は頭を垂れるしかない。誰か言い返せる人居ます?私にじゃなくて、この子に。
おそらく京都でこういう症例があったら私らにも声がかかる。というか、高槻で止まらなかったら次は京都に来てたんだよね。そしてその夜に京都で最多の空床を公開していたのはうちなんだ。たぶん、現実にうちに声がかかったんだろうなと思う。こういう症例で無視されるようでは、うちはもう社会的な役目を終えたということになるし。我々のNICUはそういう成り立ちかたのNICUではあるのだ。難儀なことに。
これからも我々は受けると思う。むろん空床があればですけどね。それが崇高な理念なのか商売を続けるための必然なのか分からないけれども。矜持というのか痩せ我慢というのか私には判然としないけれども。
でも、辛いには、違いない。
日: 2007年9月4日
1年という時間は十分な時間なのか
奈良の搬送中事故は残念な結末であった。赤ちゃんの冥福を祈るものである。
報道に大きく取り上げられたのはこれが奈良県であったからだろう。「また奈良だ!」といった論調で叩かれている。1年間何をしていたのかと、怠慢を責める声が大きい。しかし、これが奈良でなければニュースにもならなかったんじゃないかな。奈良県だけの特殊状況ならむしろ安心なんだけれどもねと私は思う。京都府庁には心胆寒からしめられるべき方々がおられるようにも思う。
しかしたった1年なのである。むしろ、本腰入れてみたら1年で立派なシステムができました等ということになったら、それこそ、気張ればたった1年でできることを今まで何故に放置していたのかと、怠慢を問われるべきであろう。
それにしても1年あればこのくらいの作業は進んでいるはずだよという声には、真摯に耳を傾けていただくにしても。
1年でなにができよう。医学部志望の高校3年生が浪人生なり教養課程1回生なりになる。臨床実習中の6回生が1年目のスーパーローテート研修医になる。2年目のスーパーローテート研修医が1年目の産科医員になる。うん、結構な進歩だよね。でもそれで奈良県の産科医は何人増える?
こういう症例を遅滞なく受け入れられる救急態勢を作り上げる時間としては、あまりに短い。
たくましいシステムは微々たるものの積み重ねでできあがっていくものだ。崩壊させるのは一瞬かもしれないけれど。今回の一件で救急隊員から「大淀病院の○○先生さえ居ていただけたら」とかいう声が、もしあがったとしたら空しいだろうなと思った。ベテランの先生に診ていただいて状況把握がもっと迅速に行われてさえいれば行く先がもうちょっと早く決まったのにとか。