医局の片付け

医局の机とかレターボックスとかに山積みになった書類を片付けた。さきの記事を書いてから今までごそごそと始末していた。浪費癖の一環として医局にCanonのDR-2050C IIをもっているので(御手洗とかいう人のフトコロを一文でも潤したかと思うと業腹だが)、捨てられる書類は捨てる、迷う書類は電子化してから捨てる、の方針で対処したところ、驚いたことにほとんどすべての書類がごみ箱行きとなった。一部シュレッダー行きになった書類もあるけど。ファイリングしたのは退院サマリーだけ。
今日は娘が進学塾の入試だとかで外出しているので、家に帰っても徒然ないから雑用をかたづけようと思った。山の半分も崩せれば上出来と思っていたが、まさか全部片付くとは思わなかった。こんなに早く片付くならもっと早く取りかかっておけばよかった。
しかし娘も公文では中学2年くらいのレベルをやってるくせに、いまさら中学入試の準備でもなかろうと思うのだが。入試でうっかり方程式とか使わないようにとかいったテクニックを学ぶんだろうか。そのあたりは色々と不可解だ。
息子もひとりで留守番にはしのびないので、連れて行くとのことだった。鉄道関係のポッドキャストをたっぷりダウンロードしたiPodを持たせておいてみると、妻は言っていた。なるほどあの機械も色々と使い道があるものだ。うまくいったろうか。

イカの哲学 時代はすでに追い越してしまった

イカの哲学 (集英社新書 (0430)) (集英社新書 (0430))
中沢 新一 / / 集英社
スコア選択: ★★★
 書店で目を引かれて購入し一読した。
 1950年年代に書かれたものとしては、イカの哲学なる論考の原文は読ませるものがある。しかし、もう時代に追い越された感は否めない。流行のエコロジーやらなにやら、いまどういう作文を書けば先生や世間の受けがいいかという風向きにちょっと敏感な高校生なら、これくらいのものは書くように思える。
 はっきり言って陳腐なのだが、2008年の現在にこの文章が陳腐に感じられるのは、けっして著者の波多野一郎氏をくさすものではない。1950年代においてはこの論考は斬新なものだったのだろうと推察する。彼の思想を、その後になって、時代が追いかけ、追い越してしまったのだと思う。あまりにメインストリーム過ぎる思想であった故に、あまりに正鵠を射すぎてしまったために、今となっては陳腐に感じられるのだろうと思う。
 中沢新一さんはずいぶん手放しでの推薦ぶりなのだが、オウム真理教に肯定的にコミットした識者の最右翼みたいな人なので、波多野さんも草葉の陰で困惑してるんじゃなかろうか。松本智津夫と同列あつかいかよ・・・とか。