別に治療を止めろと強制しているわけじゃないんだよ

重篤な疾患を持つ子供の治療方針決定のあり方の公開フォーラム(2月26日) – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

 朝日新聞の記事が引用してあるわけだが、この記事を書いた朝日新聞の記者さんはガイドラインの内容を多少誤解なさっておられるんじゃないだろうか。今回のガイドラインは終末期医療の具体的内容自体を限定するガイドラインじゃなくて、終末期医療の方針を決める際の「話し合いのしかた」に関するガイドラインなのだと私は認識しているのだが。この記事がほのめかしているよりも一段メタレベルの話なんだけどな。

 だからガイドラインのなかには、この疾患なら救命不要とか、これくらいの重症度なら延命不要とか、そういう実も蓋もないお話は出てこないように思う。思う、というのは、正直なところ一読して新生児医療において先行したガイドラインとどこが違うのか、その差異を見つけ出せなくているので、なんか私も誤読してるんじゃないかという留保をつけての表現。と言いますか、学会の偉い人にポンと肩をたたかれて「君も若いね」と言われるような可能性もちょっと考えてます。そんな二枚舌の学会に居続けるのはごめんだけれども。と言うわけで、以下も私の個人的解釈とご承知いただきたい。

新生児医療現場の生命倫理―「話し合いのガイドライン」をめぐって

新生児医療現場の生命倫理―「話し合いのガイドライン」をめぐって

新生児業界のはこちら。

 避けられない終末の迎え方に関しては、朝日新聞の記事にあるように、延命一辺倒ではないありかたも現実にあるわけなのだが、公的にはそれはないことになっているから、無いものは無いんだっつうことで公式の延命一辺倒になったり、何とはなくなあなあのうちに終末を迎えてしまったりしている。非公式な方針は後ろめたいんで、事前にせよ事後にせよ口に出すのが憚られる。それが証拠に、私自身は自分のNICUでそういうことがあるとか無いとかこの場ではいっさい言わない。読者諸賢には重々ご承知いただきたいが、私はこの場ではあるともないともいっさい言ってませんからね。

 でもそれじゃまずいだろうよと、そんな大事なことはせめてしっかり話し合いをして方針を決めようよということで、その話し合いにはせめてこれくらいの手続きと水準を踏もうよと、提唱したのが今回のガイドラインだ。違いますかね、朝日新聞の大岩ゆり記者さん。ガイドラインをご高覧いただいて(当然読んでますよね、ね!)、新聞記者の目にはどのように解釈できるものなんでしょうかね。

 たしかこの小児科学会版のガイドラインでも、新生児のと同じく、冒頭に、話し合いに際してはまず子どもの利益を最優先に考えましょうと明記してあったはず。病院の入院期間が長くなるからとか、介護の負担が大変だからとか、そういう諸事情を第一に考えてないかと各々しっかり自省しましょうよと。各々の大人の事情は置いといて、まずこの子の利益を最優先に考えたらどうするべきなんだろうと、それを話し合って考えていきましょうというのが今回のガイドライン基本的な精神じゃないかと私は解釈したのだが。その精神に基づいてしっかり話し合いをするさいには、せめてこれくらいの手順・水準の話し合いをせにゃならんよと、むしろ安易な延命中止には歯止めを掛ける可能性すらあるガイドラインだと思うのだがね。

 とはいえそういう話をする段になると、やっぱり家族に署名を求めるのは辛くて、というか家族の前で説明しながら紙に内容をかいてゆくのさえ、冷酷な事実を突きつける形になるんでやっぱり辛くて、その点では朝日新聞の記事に書かれた豊島先生のコメントに私もおおいに同感なのだけれども・・・・おっと私自身にそういう経験があるとか無いとかこの場では一切申し上げてませんよ・・・記事中の豊島先生のコメントを「迷う家族に書面を突きつけて治療中止の同意署名を取るのは辛い」という意味に取るとしたらそれは誤解です。そうとしか取れないような記事になってるんで、朝日新聞の大岩記者らがガイドラインを誤読したうえで豊島先生のコメントも誤読に沿った構成をしたんだなあと私は思ってるんだがね。

 そりゃそうと実名ブログってすごいよね、と豊島先生のブログを拝読して思った。このブログも読む人が読めば私が誰かは分かるんだろうし、分からない人には分からない方がいいですという小心さで書いている訳なんだけれども。たまに勤務先や上司やの悪口を書いたりするから、読まされる方もこれは誰が誰のことを書いているのかと公式には特定できない形をとったほうが宜しかろうという思惑もあって。でも知った人が知った分野で実名で書いてるとやっぱり迫力が違うなと思う。むろん業績も違うんだけれどもね。