
- 作者: スティーヴン・ジェイ・グールド,新妻昭夫
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2007/10/18
- メディア: 単行本
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宗教と科学は互いに異なる問いに答える体系であるから、宗教では言及できない問題があるのと同様に、科学では言及できない問題もある。著者の認識はそういうことだと思う。私もまたまったく妥当な認識だと思う。
医学が純粋に科学であった場合、NICUでときになされる「どうしてうちの子がこんなことにならなければならないのですか」という問いには、医学では答えられない。「それはB群溶連菌という細菌の感染症で・・・」云々とか言っても、たぶん、親御さんはそういうことを聞きたいんじゃない。この手の質問をしたときに親御さんが本当に聞きたい種類の答えを、現代の医学は準備していないし、将来もおそらく、この質問に答えるような発展の仕方はしない。もしこの質問にダイレクトに答えるようになったとき、医学はたぶん科学ではなくなる。
その互いの領分があるということについて大多数の宗教者は分かっているし、大多数かどうかはともかく科学者も分かっている。分かろうとしない宗教者が公立学校で進化論を教えるのを禁じようなどという愚行をはたらく。それは愚行なのだが、科学が答えられないことに答えようとする科学者の越権もまた愚行であると、著者はやんわりと批判しているように見える。
そもそも宗教と科学の対立という構図そのものすら、近代になって作られた歴史だと著者は言う。中世にも大多数のキリスト教神学者は地球が丸いとは分かっていた。コロンブスがきつく質問されたのは、地球が丸いと彼が言ったためではない。そんなことは当時から共通認識だった。彼への質問は、コロンブスの見積もりでは地球のサイズは小さすぎるのではないかという点に集中していた。そしてその指摘は当たっていた。
著者自身のそういう論はまったく妥当なものだと思うのだが、本書には訳者が妙に長い自説をくっつけていて、その説は「それ見ろ俺も言ったろう、科学が万能なんだよ宗教なんて引っ込んでりゃあいいんだよ」という論であって、自己顕示と誤読が二重に痛々しく、途中で読むのを切り上げて京都市図書館の返却ポストに放り込んできた。これだけの本を理解せずに翻訳するなんてある意味すごい芸当だとは思った。