診療レベルはむしろ上がっているのに

今日もNICU日直で出てきたが、閑散としたNICUから病状の回復した子を母児同室に出したりしてさらに閑散としてしまっている。朝から緊急帝王切開の立ち会いはしたが、着々と蘇生して元気に産科病棟管理となった。というかまあ、あの元気な子のどこをどう間違えばNICU入院になるんだろう。

正期産児の入院期間がとみに短縮しているような印象がある。印象、というのは、このあいだ統計をとってみたら意外に有意差がなかったので印象としか言えないんだけれど。同じ重症度でも昔はもっと長くかかっていたような気がするのだが。気管内挿管して人工呼吸管理したような子でも、翌日抜管して日齢3くらいには母児同室に出していたりする。

診療レベルが向上しているということだろうし、良いことと考えるべきなのだろうが、何が良かったのか今ひとつ分からんと言うのは、何が悪かったのか今ひとつ分からないままに悪くなっていくほど悪いことではないにせよ、けっして、手放しにめでたいことではない。

今では正期産児のNICU入院症例では半数以上が母児同室経由で帰宅する。多くの症例で、赤ちゃんの退院許可を出す時点でまだお母さんが入院中だったりするからであり、また、母児同室を経由したほうが何かと不安が少ないだろうという配慮からでもある。だらだらと入院を長引かせるよりはレベルの高い医療なのだろうけれど、診療報酬が1日いくらで計算されるNICUでは、経済的な実入りは減るのが悩ましいところではある。

しかしそこで小ずるいことをすると、信用が失われる。世間様に言えない小ずるいことというのは、いくら隠そうとしてもどこかの経由で露見するものではある。明示的に露見しなくとも、なんとなく胡散臭いなどといったぼんやりした印象レベルで、施設全体に影を落としてくるものだと思う。

とくに誰からの信用が失われると言って、自分達自身からの信用が失われるというのが最大に痛い。自分のやることは自分がいちばんよく分かっているものだ。いくら隠そうとしてもね。「汚れっちまった悲しみ」ってのが仕事に与える悪影響は大きいと思う。そう思うのは私が経理屋の息子だからか?

周産期医療がサービス業になったのかもしれない

NICUの入院数が減ったまま回復しない。毎年、春先から初夏にかけて減り、夏から回復する緩やかな波はあったのだけれど、この1〜2年の減り方は尋常じゃない。なにか、新たな時代に入った感がある。昨年の入院症例総数は例年の3分の2だ。

今では当地のNICU病床は、需要に対して限られた供給量を分配するといったものではなくなった。需要に対して供給が潤沢にある状況である。こういうときに需要側の便利もシステム全体の効率もいちばん宜しくなるのは「市場経済」と言われるものだろう。ようするにだ、いまの京都の周産期医療は、文字通りのサービス業になっている。病的新生児入院を施設間で押しつけあう時代は過去のものとなり、奪い合う時代になっている。

それはかつて目指した状況ではある。京都中のNICUを見回しても1床も空床がないという状況は過去のものとなった。赤ちゃんにとっては慶賀の至りである。いまお産するなら京都ですよ。

前任者がいよいよ退職し、自分が文字通りのトップになった状況で、さてと思うと、周辺状況がずいぶん変わっている。身も蓋も無い話だが、昔の「入れ食い」時代の感覚では経営的に苦しい。3対1看護をささえる看護師の人件費もたぶん現状では稼ぎ出せてない。どうやったらうちのNICUを生き残らせていけるのか、頭が痛い。

しかし現状を作った責任は自分たちにあるんだと思う。さいきんの診療報酬やなんかが新生児医療に関して手厚くなり、病院経営にとっては新生児は稼げる分野という認識になってるんじゃないか。特に当地では当院のような総病床数200にも満たない小規模病院が、ホスピスやらNICUやら特殊な分野を運営して、それなりにやっていけることを示してしまったわけで。それならうちの病院でもやってみようやと、他の病院の院長先生や事務長クラスが考えてみても不思議じゃあない。要するにビジネスモデルってやつになってしまったんじゃないかと。