カテゴリー: 医療関係あれこれ

  • なぜ今日は休みなのか

    「勤労感謝の日」でしたっけ。でも、どうして日曜祝日に医療機関はそろって休むのだろう。
    水曜を休診にして日曜を通常診療でやればすげえ流行る病院にならんかな。
    日曜を通常診療にしてしまうと日曜日の受診に割り増しを頂けなくなるのはそんなデメリットだろうか。
    余所が休んでるときにがんばって診療してたら平日の受診も多くなるような気がするが。
    いや、混合診療とか、株式会社の参入とか、いろいろ医療に市場経済の導入云々言われてて、医師会は株式会社が参入してきたらとんでもない儲け主義病院が乱立するとか言ってますけどね。
    たとえば大規模なスーパーマーケットが旧来の商店街の近隣に開店しようとしているときに、その商店街の店が一律に日曜祝日をそろって休んでたりしたら、反対運動にはあんまりお客さんの支持を得られないんじゃないかなって思います。
    商売には取引先にあわせて休まないと能率の上がらない商売もあるんだろうけど、別に日曜祝日だから病気が悪くならないってわけでもないんだし。君は火曜休み、君は水曜休み、とか相談して休診の日をばらしてしまえば、けっこう便利なんじゃないかなと思います。俺はもう借金も返したしリタイア間近だから日曜祝日休みでいいやって人は日曜祝日に休めばよいのだし。

  • 医師の適性は「リスクを取る」能力と意思に尽きる

    医師としての適性
    私自身が周囲の医師を仕事の仲間と認めるかどうかは、「リスクを取るかどうか」ということに尽きる。
    現時点でどれだけのリスクを取る能力があるか。どれだけのリスクをとる覚悟があるか。今後どれだけリスクを取ろうと志しているか。この現在将来をトータルしての「リスクの取り方」の高低のどこかに、仲間の内外を分ける境界線がある。

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  • 医師としての適性

    「医師としての適性」がよく話題になる。昨日から、当直の合間に、それを巡る議論(医学生の書いたブログ記事を巡ってお前なんか適性ないから医者になるなと言う罵倒が投げかけられたもの)を読んでいた。
     一般的にも論じられるし、このブログも私自身の医師としての適性の検討を主要なテーマの一つとしている(実はそうだったのですよ)。胆力というのも、あるいは、その適性のうちかもしれない。
     しかし、医師ってそんな大層なものかとも思う。
     誤解しないで頂きたい。どんな愚か者でも医師がつとまると主張したいわけではない。他の職業だってそれほど甘くないでしょうと言いたいのだ。つまり、こう問いたいのである。
    「あなたのご職業は、医者がつとまらなかった人間でもやっていけるお仕事ですか?」
     無前提にイエスと答える人が果たしてどれくらいおられるだろう。皆が皆ノーと仰る訳でもなかろうが(寛容な人も世の中にはおられることだろうし)しかし、大抵の方は、イエスと仰って頂くにも一瞬の躊躇はあるのではないかと思う。いかにも適性を欠いた医者を一人思い浮かべて頂きたい。そして、ご自身の職業が、彼または彼女に勤まるかどうか、ご一考頂きたい。
    「舐めるな」というのが一般的な御意見ではなかろうか。
     私には、医者が勤まらない人間が他の職業で大成できるとは、にわかには考えがたい。
     むろん、挫折の後でご苦労されて他の道で大成された方も居られるだろうから、一概に全否定はしない。
     ただ、実感としては、「医者も勤まらない人間に何が出来るの?」というのが偽らざるところである。医師不適格とされるような人に、他に適した職業があるとは思えないのである。私自身にしても、医師の適性が豊かだとは決して思っていないのだが、他に出来る仕事がありそうにないので、医師の末席を汚させて頂いている。医者は無理だけどこれなら出来ますなんて今の私に言われたら該当の職業の人に大変に失礼なようにも思う。
    「医師としての適性」が問題とされる文脈で、問題とされている「適性」は、基礎学力とか徹夜に耐える体力とかではなくて、もっと人格の根源に由来する種々の事柄だと思う。
    おそらく「医師としての適性」の無さを指摘されるのは、人格に欠陥があると指摘されるに等しい打撃だと思う。例えば音痴だからピアノの調律師の適性はないよと言われるのとは意味合いが違うと思う。適性に欠けるから医師以外の仕事を探せと勧告されるのは、勧告される当人にとって医師以外に適職があるはずだからというよりも、これ以上周囲に迷惑を掛けないよう医師だけは辞めてくれと言う懇請である場合が多いのだろうと思う。
    しかしこの「医師としての適性」として要請される種々の要素とは、恐らくは他の職業でも必須とされる項目ではないかと思う。それを備えていないと他の職業でも到底やっていけないとか、それを備えていれば医者でも大成するけれど他の職業でも立派にやっていけますとか。多分、適性を欠くとして医師を辞めた人間に、他で再起する道はかなり細いのではないかと思う。
     こう考えてきたら、医者って凄い仕事だなとも思えてきた。他の職業と全く同等に。大層なものか?という前言はある意味不完全な考えのようだ。撤回しては話の発端が分からなくなるので、まあ、発句として消さずに置くことにする。
     

  • 感染防止の勉強会(3)

    感染対策のみ、と称したが、感染対策は単体でも十分に大きなテーマである。
    スライドに、ディスポ手袋の箱が各辺1mはあろうかという巨大な立方体に積み上げられ、その上に注射薬が一瓶ちょこんと載った写真が映し出された。
    曰く、この薬(品名は出されなかったが塩酸バンコマイシンだろうと推測される)とディスポ手袋7800枚とが同じ値段、とのこと。
    ディスポ手袋を活用して医療従事者が患者さんの皮膚に直接触れることを極力減らし、医療従事者の手指を介する院内感染を防ごうと主張するスライドである。

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  • 院内感染防止(2)

    土曜午後は病院職員一同が集まっての、エビデンスに基づく院内感染予防の勉強会。
    CDCのガイドラインに沿って、エビデンス基づく院内感染予防対策が詳細に解説される。
    どちらかと言えば、新しいものを始めるよりも、無駄なものを削る話が多い。効果のある対策へ費用を振り向けて費用対効果を上げることを力説される。
    院長が最前列で食い入るように聞き入っていた。
    経営者にとっては、こういう感染対策の専門家に、新たに経済的負担を増加させるような話をされると頭が痛いだろう。逆に、今回のように、費用は節減できしかも効果は高くなるというお話は素晴らしく魅力的に違いない。
    効果のない対策に使える金はない。幾ら私が世間知らずの「こどものおいしゃさん」でも、それくらいは分かる。
    効果のない対策を廃止して簡素化すると経済的利点以外にも種々の利点があるらしい。
    なにより、業務の通りがよくなる。
    たとえば、手術室へも着替え不要履き替え不要とすれば、病棟の看護師が手術室まで患者さんに付き添って入れるのである。要らん手間を省いた上に患者さんの取り違えも予防できるのだ。
    感染対策に理屈を通すのは感染対策のみに止まらぬメリットをもつことらしい。

  • 院内感染防止

    23日土曜日午前中、感染対策の専門家にNICUにお出でいただき、感染防止の観点から種々のご指摘を頂いた。
    費用対効果を重視する姿勢が斬新な印象であった。有効性が立証されていない「無駄な」対策を廃し、エビデンス付きの真に有効な対策に費用を集中させよとの方針であった。
    例えば、入室時にガウンを着たり帽子をかぶったりイソジンでうがいしたり履き物を換えたりといった手順は、一切無駄であるとのこと。
    入室時の手順からしてこの有様だ。入室後の指摘事項が如何に多かったかは読者諸賢のご想像の通りである。
    総じて、かけなくても良いところに無駄金を投じている割には赤ちゃんのために本当に必要な費用を掛けていないという、辛い評価であった。
    しかし言われることは一々正当なことばかりであった。例えば沐浴槽を消毒剤で掃除するなんて全く無駄でバスマジックリン使った方がよほど綺麗になるなんて言われたら全くその通りである。洗った後をきれいな(医学的に「清潔な」ではなくあくまで洗濯済みできれいな)布で拭きあげてから次の湯を張れとのこと。
    自分達の慣れ親しんだ状況に潜む問題点を理詰めに細かく具体的に指摘されると、万全とは言わないまでもそこそこ上手く行っているとばかり思っていた自分達の感染対策が、ひどくお粗末であったと思えてくる。
    その一方で、指摘された内容は、「そうだよね僕も(私も)変だと思ってたんだ」ということばかりのようにも思える。実際、先生が他の部署を視察するためにNICUを出られた後は、スタッフの間でひとしきり、いま指摘されたことは内心自分も疑問に思ってたのだという話が続く。
    誰かに言われないと変だという声が纏まらないのもお恥ずかしい話ではある。でも、こうして外部からの指摘があって、普段から心の底に蟠っていた疑問や不満が表に出ると、そこから状況が一気に変わり得る。まるで過冷却の水に氷を放り込んで一気に氷結させるかのような、相転移が起こるのである。

  • やっぱり「母胎搬送」ですよね

    駆け出しの頃は「ぼたいはんそう」は漢字で「母胎搬送」と書くものだとばかり思っていた。確かに搬送で紹介されて来られる患者さんはお母さんお一人なのだが、実質的には、患者さんはお母さんと胎児の両者である。母と胎児の搬送だから母胎搬送。
    新生児科医である私は、本音のところで、お母さんは「殻」であり実は胎児なのだとさえ思っているかも知れない。
    しかし公用語は「母体搬送」である。
    何年使ってもこの語はしっくり来ない。「ぼたいはんそう」を語るときに脳裏に「母体搬送」の漢字が浮かぶと、何だか、魂の入っていないお母さんの身体だけが送られているような、非人間的な舌触りを感じる。P・K・ディックの小説みたいだ。
    もとより、「母胎」という語を辞書で引くと、

    ぼたい【母胎】《国》
    〈名〉(1)[妊娠(にんしん)している]母親の胎内(たいない)。 (2)あるものごとを生み出すもとになったものごと。「西洋文化の―」

    ということではあるのだ。母と胎児を並べて書く語ではない。しかしそれは、母と胎児を二人(あるいはそれ以上)の独立した個人の一組として考える概念がこれまで無かったからではないかと思う。たとえば親子とか兄弟などという語のように、母と胎児をまとめて「母胎」と呼ぶという概念があってもよいはずだ。いやしくも母と赤ちゃんのケアを専門と名乗る我々の領域では既に人口に膾炙された概念となっているはずなのだ。
    今のところ、母胎搬送と書くと、漢字を知らない無教養者か、かな漢字変換結果をしっかり確認しない粗忽者か、という扱いを受けるように思う。被害妄想だろうか。
    そう言うところからも改善の余地があると言うことか。

  • 母体搬送ではダメなのか

    昨日の新生児搬送は双胎だった。依頼元は隣の区で開業の産科医院。帝王切開立ち会いのうえで新生児搬送という依頼であった。

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  • 犬や猫なら65万件

    先日、子猫が死んだ折りに、「虹の橋」という物語をご紹介頂いた。心温まる物語だった。
    そのHPに、「我が国では年間約65万頭もの捨て犬や捨て猫が、安楽死され「処分」されている現実があります。」との記述があった。
    現実。
    我が国での人工妊娠中絶は年間に約33万件、という数字を思い出した。

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  • 麻疹の罹患児が激減しているそうな

    はしか=麻疹(ましん)=に感染する子供が急減し、今年の患者数は過去最低となる見通しであることが、厚生労働省の調査で16日、分かった。予防接種を受けた子供が増えた効果、と同省はみている。さらに患者を減らし国内からはしかをなくすため、同省は乳児期とその後の2回接種を導入する方針。
     全国約3000カ所の定点観測病院の集計によると、17歳以下のはしかの患者数は今年1月から8月末までで計約1400人。昨年同時期の約7800人と比べ、80%以上の減少となっている。
    記事:共同通信社

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