カテゴリー: 医療関係あれこれ

  • あのころの未来に

    暗いニュースリンク: ポール・クルーグマン:「私達の病める社会」
    こういう未来を私たちは目指しているのか?日本がこういう状況になった時に、この2006年を振り返って、「あの頃の未来に僕らは立っているのかな?」なんて呟くのも間が抜けている。コイズミ流に突っ走る先の、これが必然的な未来だ。これこそが、「2006年の未来」だ。

  • 患者とロマンチックに向き合ってきた

    What’s ALS for me ?

    今、尊厳死などという言説がこんなにも蔓延ってしまっているのは、医師が科学者としての態度を取れずに患者とロマンチックに向き合ってきたことにこそ責任あるわけで、医者の科学者としての姿勢は大変に大事だと思います。

    この一文にかなり応えた。むろん全体としてかなり応える文章だけど、この一文は自分に向けて書かれたように思えた。私も赤ちゃんに対してけっこうロマンチックに向き合ってるし。

  • 適切に蘇生を始める

    Neonatal Resuscitation Textbook
    American Heart Association American Academy of Pediatrics Committee on Fetus and Newborn Dana Braner / Amer Academy of Pediatrics
    ISBN : 1581100566

    “At every delivery, there should be at least one person whose primary resposibility is the baby and who is capable of initiating resuscitation.”(P.1-14)

    新生児の蘇生でもっとも大事なことは、「適切に開始すること」である。挿管が出来るとか点滴が入るとかは、いわば些末な手先の問題である。より大事なことは、この子には気道確保が要るとか点滴が要るとかいう判断が、的確かつ迅速にできることである。むろん、要ると判断したが実技は出来ないでは話にならんから、些末な手先の問題は確実にこなせねばならぬ。しかし、要る状況だとすら判断できないようでは、話にならなさのレベルが違う。
    挿管挿管と研修医は血眼になるが、気道確保の手技は経口挿管が最も簡単である。バッグ&マスクのほうがよほど難しい。これは大方の新生児科医あるいは麻酔科医の諸先生方には御同意頂ける見解だと思う。
    で、この判断であるが、けっこう奥が深いと思う。私も、新生児科を勉強して、完璧に理解できたような気になった時期もあり、また分からなくなった時期もあり。けっこうきつい状態から、見る間に回復してくる赤ちゃんもある。そういう子に立ち会うと、要らぬ手出しをせず赤ちゃんの自己回復を待つのが名医なような気になる。一方で、最初の30秒に下すべき決断を、うだうだと2分3分迷ったあげく、回復不十分で後手後手の蘇生になって、かっこうわるい立ち会いだったなあと、後から激しく悔やむこともある。いや、それでも赤ちゃんは見事に回復してこられるから、大事には至らなくて済んでるんですけどね。でも、幸運が味方したよね、とは思う。
    すべての分娩には赤ちゃんに専心するスタッフが最低1名以上立ち会うこと。このスタッフは赤ちゃんの蘇生を適切に開始できる人物であること。この、最新の新生児蘇生テキストに記載された要請が、今後のスタンダードになっていくのだろうと思う。そうなったら、お産の時に、「赤ちゃんの処置をして下さる方は誰ですか?」と聞かれて、お母さん自身のお世話をする助産師や産科医師が「私らが一緒に診ますよ」と答えるのでは不足だし(だって母子ともに危ない状態ってのもあり得ますからね)、重ねて「赤ちゃんが仮死だったらその人は蘇生がきちんと出来ますか?」という質問をされるとしたら、看護師さんを一人増配するくらいでは信用されないだろう。
    でもそういう時代になるのは必然だと思うのだ。分娩時事故で産科医が訴えられるたび、「世間ではお産が100%安全で当たり前だと思いこんでるのか」と、医療側はいらだち混じりにぼやいてる訳だし。ゼロでない確率で分娩時事故は起こるものだと世間に啓蒙するのなら、「そしたら先生のところで/私の分娩でその事故が起きるとしたらどういう対策が打てますか」という質問が返るのは当然のことだろうと思う。

  • そんな少ない?

    昨日の朝日新聞夕刊の記事から

    小児救急の拠点病院で、宿直や夜勤の小児科医が一晩に診る患者は平均で約13人にのぼることが、厚生労働省の実態調査でわかった。「宿直が月15回」「36時間働き通し」といったケースもあった。厚労省ではこうしたデータを参考に、小児救急医の待遇改善などに向けた検討を進める方針だ。

    一晩13人って、大変に少ないような印象を持ってしまいました。一晩13人ごときでやいやい言ってたら、世間様にはもちろん、他科の諸先生方にも申し訳がないような気がします。
    最近の当院の時間外外来の状況は、これよりは少し多いかな(20人程度かな)と思ってます。だから実感としては、一晩に13人なら楽な夜だよなと思いますが、それは当院が専ら1次救急の楽なケースばかり拝見しているからかも知れません。例えば今日は午前9時から休日日直に入っててこれまでの4時間で既に10人は診てますが、通常の診察で終えられる方ばかりで、忙しいとは全然思えません。そういう私らのような場末とは違って、13人の中に到着時心肺停止とかもあり得るような「拠点」病院なら、13人は結構な数字なのかも知れません。
    悪意に取れば、厚労省のお墨付きのついた「拠点」病院と、実質的な拠点を担う病院とは別物なのかもしれません。例えば京都で第一あるいは第二赤十字病院をさしおいて、国立京都医療センターを拠点と見なしてたとしたら、今回の調査での受診数が現場の体感より低いのも、納得できるような気がします。
    まあ深夜帯5人って言っても、午前1時2時3時4時5時と一人ずつお出でになったら、とても仮眠なんて出来ないわけで(でも寝ないと生きていけないんですがね)、たった5人と他から言われたらムカッときますがね。

  • 英語での症例提示について内田先生の記事から再び考える

    当科ではスーパーローテート研修医に英語で症例提示させるらしいが考え物だよというエントリーを書いたのと相前後して、御大内田樹先生が内田樹の研究室: 母語運用能力と『国家の品格』をお書きになった。英語教育に関して示唆に富む文章であった。最近内田先生には楯突くことが多いのだけれども、今回は「それそれ、まさに私はそれを言いたかったのですよ」という御高説であった。
    そりゃまあ、内田先生の記事を読むまではそんな深遠な水準までは思い至らなかったのが正直なところだけれども。
    臨床の所見は言葉にしないと他者と共有できない。臨床での言葉は繊細であればあるだけよい。内田先生曰く『「梅の香りが・・・」という主語の次のリストに「する」という動詞しか書かれていない話者と、「薫ずる」、「聞こえる」という動詞を含んだリストが続く話者では、そのあとに展開する文脈の多様性に有意な差が出る。』ということである。臨床の言葉でもこれは全く同じである。一人として全く同じ患者さんはないと、指導医なら必ず言う。ならば患者さんの容態を語る言語はなるだけ多様であったほうがよい。難解な詩じみた理解困難な言葉をつかえというのでもなく、平易で、互いに理解可能で、しかも千差万別の病状をそこそこ的確に表現できるような、そういう言語運用能力が欲しい。
    貧困な言語で自分の得た所見を叙述していると、そのうち、その貧困な言語能力に見合った所見の取り方しかしなくなるものだ。それはすなわち杜撰な診療しかできなくなるということだ。風邪の外来診療一つとっても、咽頭所見に関してカルテに”throat: injected”としか書かないでいると、そのうち咽頭をみるのに赤いかどうかしか気にしなくなる。問題意識をもって見ないものは、大概、認識できないものだ。特に、想定外の事象に注意を払うゆとりのない駆け出し時代には。
    むろん言葉にならないものの意義を否定するわけではない。何とはなく立ち去りがたい気分があってNICUにうだうだ居残ってたら急変したという経験も、長年やってると確かにある。でも、多分に、そういう非言語的な「勘」は、自分の見たもの聴いたものを事細かに考え抜く習慣の産物ではないかと思う。考え抜くために周囲に神経を張り巡らしていてこその勘働きではないかと思う。それに、そういう経験には、自分の言語運用能力が臨床医としての必要を満たし得なかったという一面もあるのではないかと思う。言葉が達者なら自分の感じた警戒信号を他スタッフと共有できたのではないか?チームで動くべき現代のNICUスタッフにとって、勘働きによる独走的行動ってのは決して手放しで自慢できるものではない。
    さらに内田先生は続けてこう仰る。

    外国語を学ぶときに、私たちはまず「ストックフレーズ丸暗記」から入る。
    それは外国語の運用の最初の実践的目標が「もうわかったよ、キミの言いたいことは」と相手に言わせて、コミュニケーションを「打ち切る」ことだからである(ホテルのレセプションや航空会社のカウンターや税関の窓口で)。
    「理解される」というのは「それ以上言葉を続ける必要がなくなる」ということだからである。
    自分が何を言いたいのかあらかじめわかっていて、相手がそれをできるだけ早い段階で察知できるコミュニケーションが外国語のオーラル・コミュニケーションの理想的なかたちである。
    それは母語のコミュニケーションが理想とするものとは違う。

    『「もうわかったよ、キミの言いたいことは」と相手に言わせて、コミュニケーションを「打ち切る」こと』というのは回診において研修医が一様に念じることである。教授回診みたいな高圧的なイベントなら尚のこと。英語であろうが日本語であろうが、研修医はたいがい、上手に症例呈示するために、その疾患の「ポイント」となるストックフレーズを文献やアンチョコや先輩の台詞から収集してくる。外国語なら尚のことそのストックフレーズ蒐集に拍車がかかるであろう。外国語学習の構造と、回診の構造とが、共通して、研修医にストックフレーズ丸暗記を勧めているのだから。研修医たちは善意にせよ点取り根性にせよ『自分が何を言いたいのかあらかじめわかっていて、相手がそれをできるだけ早い段階で察知できるコミュニケーション』を理想的な形としてもとめるのであろうから。
    しかし内田先生の仰るとおり、そんなプレゼンを聞かされ続ける回診は『継続したいという欲望を致命的に殺がれる』ものである。研修医がどっかで聞いたような読んだような台詞を棒読みしている光景は想像するだけで気恥ずかしい。そんな点取り回診が何の役に立つのだろう。そんな回診で交わされる議論にどれほどの豊穣さが期待できるのだろう。豊穣な回診が求めるのは恐らくは『母語のコミュニケーションが理想とするもの』に近いものであって、決して『外国語のオーラル・コミュニケーションの理想的なかたち』ではないはずなのだ。

  • それはネットに限らず医療でも

    アンカテ(Uncategorizable Blog) – 退却戦としての治安維持(ネットに関わる領域における)のあり方より

    とにかく、その時点での世論の動向に乗っかってグレーゾーンに手を出すとヤケドする、というのは、もはや法則として確定している。
    だから、こういうことの善悪を裁定する機関は、次のような性質の別の機関(「情報なんとか委員会」みたいなもの)にまかせた方がいいと思う。
    * どうやっても権威が失墜し批判が多いことを想定して、警察や検察本体から切り離す
    * 多少拙速でもいいから状況の変化にすばやく対応できる身軽さが必要
    * 対象領域や原理原則を明確化して、その原理原則はきちんと政治的な承認を得る
    * その機関の運用自体の透明性、公平性を警察、検察が外からチェックする
    そのようにして、警察や検察は、狭い分野の治安維持できちっとした仕事をしてほしい。それが国民にとってもいいし、彼ら自身にとっても結局はいい結果をもたらすと思う。

    元記事はネットに捜査機関が関わることへの警鐘であったが、医療に捜査機関が関わることにも同様の問題があるよなと思った。で、essa氏が記事のまとめとされた上記提言の「別の機関」は我々の業界にこそ切実に求められていることだろうと思った。
    医療に警察や検察が絡むことのデメリットは警察・検察側にもあるわけで、「警察のご厄介にならないように」という言葉は比喩ではなく、実際に医療紛争は本当に厄介なのだ。医者が偉そうな人種で捜査機関の言うことを聞かないから厄介だというのではなくて、現代の医療の水準ってのが猛烈に高度で精緻になってしまったから。今回の福島県の大野病院事件では、全国の医師がこぞって検察を批判する側にまわっちゃったわけだが、そしてその批判は感情的反感ばかりではなく専門的な知識に立脚したプロとしての批判だったわけだが、それだけで警察や検察の権威はある程度は失墜したんじゃないかと思う。
    医療に関わるトラブルの内容を分析する、専門的知識と中立性を確保された第三者機関の設立が、医療の業界内部からも切望されている。でもその機関は、できあがってみればessa氏の分析どおり、「どうやっても権威が失墜し批判が多い」、まるで検非違使のような不浄職になるんだろうなと思う。その機関の権威を今の医療業界が本当に尊敬することになるだろうかと一抹の疑問はある。よほど構造的にその権威を上手に担保しておく必要がある。
    その汚れ役を買って出る人物が医療の業界内部にあるんだろうかと思う。私自身にもその覚悟があるかどうか、今ひとつよくわからない。でもまあ、今回の不当逮捕事件の教訓として、専門的知識を有さない外部の捜査機関が介入してくることの不条理さをしっかり記憶しておかねばならないと思う。

  • 医療ミスで給付の傷病手当、主治医に負担請求

    医療ミスで脳に重い障害を負い、民事訴訟で勝訴した大阪市内の元開業医の男性(79)が加入する「大阪府医師国民健康保険組合」が、男性に給付した傷病手当約240万円を「加害者が負担すべきだ」として、当時の主治医に求償手続きを取ったことがわかった。(2006年3月16日14時45分 読売新聞)


    そういうもの、なんでしょうか。そういうものと納得するのが、現代に求められる医師の覚悟というものなんでしょうね。厳しいです。むろん、交通事故の加害者は被害者の医療費を負担するじゃないかと言われると、返す言葉もないように思えます。交通事故や傷害事件やと医療過誤とが同列なのか?とも思えて釈然ともしませんけど。
    福島県の産婦人科医が逮捕起訴された事件以来、治療の結果が思わしくないときは医学的考察を抜きに医者の責任とする風潮が強まる中で、今度は医療過誤の治療費は主治医もちということになれば(全額負担となればものすごく大きい額です)、医師として生きていくことが今後ほんとうに可能なのかどうかと思えてしまいます。疑心暗鬼とは思いますけれど、例えばの話、あと10年もしたらNICU退院後の極低出生体重児に生じた脳性麻痺の治療費は全額NICU担当医負担という時代が来るかもと、一抹の不安を覚えます。そうなった時に、若い医師を新生児科に勧誘できるかどうか。あるいは、例えば娘が医者になりたいといってくれたときに、激励してやれるかどうか。かなり気弱になってしまいます。
    自動車を運転する人がみな自賠責に強制加入になっているように、今後は医師も医療過誤対策の保険に加入することが必須となるでしょう。私も実は入ってはいるのですが。しかし今後の風潮次第では今の自分の設定で足りるかどうか分かりません。保険料はどんどん上がるんだろうな。家のローンの一軒二軒ではすまない額を入れることになるでしょう。収入の大半を保険に持って行かれるかも知れない。米国では年間数百万円相当の保険料もざらだと聞きますし。
    一昨日にウインドウズがアップデートしてたんですね。どうりで日本語変換が馬鹿になったと思った。例の如くにATOKからMS-IMEに勝手に変更されてたんです。それで、この原稿を書く時にも、いしゃと入力したら医者じゃなくて慰謝と変換してきました。お慰謝さん、か。ゲイツさんの冗談はきついぜ。

  • 崩壊は突然に訪れる

    文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
    ジャレド・ダイアモンド 楡井 浩一 / 草思社
    ISBN : 4794214642
    文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
    ジャレド・ダイアモンド 楡井 浩一 / 草思社
    ISBN : 4794214650
    福島県で逮捕・起訴された産科医師については内科でも大きな話題になっている由、医局で内科の医師から聞いた。普段は消化器内科で内視鏡やってる先生ですら大きな関心を持っておられる模様。たとえ生涯に一度遭遇するかしないかの稀な疾患でも、結果が悪ければ刑事訴追されるという前例ができてしまったのだから、今回の一件は、どの医師にとっても他人事でない。
    このまま日本の医療は崩壊していくんじゃないかという危惧を多くの医師が表明している。私もその危惧を共有している。あたかも本書「文明崩壊」で描写されたイースター島の文明のように日本の医療は崩壊して行くように思える。イースター島の人びとが貴重な樹木を次々と切り倒していったように、かつては豊かに見えた医療資源が次々と刈り取られている。そして気がつけば島中に灌木以上の樹木はなくなり、木材を使い尽くして漁労用のカヌーが建造できなくなった。そしてイースター島民は作りかけのモアイも放り出して食料の争奪戦を繰り広げることになった。文明崩壊にお定まりの人肉食も経て、島の人口は激減した。
    時を経てヨーロッパの船がイースター島に接近した時、住民は粗末なカヌーで船に漕ぎ寄せ、口々に「木を」と所望したと伝えられる。
    医師でない皆様にはあまりこの危機感が共有されているように感じられない。でも本書によると文明の崩壊は突如として訪れるものらしい。イースター島しかり、ノルウェー領グリーンランドしかり、マヤ文明しかり。こんな劇的な崩壊が忍び寄ってくるのに、渦中の人びとは本当に気付いてなかったのか、気付いてて何の対策も打たなかったのかと不思議になるほどに。島中に茂っていた木々が刻々切り倒されていくイースター島で、このまま木が減ったらどうなるかと人びとは考えなかったのか。最後の一本の木を切り倒した人間の胸中に、何か湧き上がるものはなかったのか。しゃあねえや俺が気張って木が生えるもんでなしと、そう呟くことで彼は気が済んだのだろうか。彼もまたその後は飢えることになるのに。
    多分、崩壊間際の文明の渦中にあった人びとが崩壊の予兆に気付いてなかったのかどうかについては、1944年当時の日本の状況も考察の一助になるんじゃないかと思う。って、勝手な想像でしかないんだけど、軍の内部に居れば、問答無用でこれはもうダメだと多くの人が感じていた事だろう。例えば私ら医者が医療界内部にあってもうダメだと考えているようにさ。市民も、身のまわりを見渡せば、生活がますます窮乏してゆくことに、出征してゆく兵士が老年兵や少年兵ばかりになってゆくことに、空襲されたと噂される町がつぎつぎ増えていくことに、何らかの徴候を薄々と感じ取っていただろう。ご近所の病院でまた産科が閉鎖されたとのニュースを聞いてる貴方のように。しかし翌年8月15日の玉音放送を、そういう形で呆気なく突然の終わりが来ることを、誰か予見していただろうかと思う。私も貴方も、崩壊がどのようにやってくるか想像できてない。でも、それは決して、崩壊が明日起こらないと保証するものではない。
    折しも、今回の診療報酬改訂で病院の収益がどうなるかという説明を、医事課職員から聞けた。何でもうちの病院の2月分で試算してみると2.8%の減収だそうだ。それでもまだ他所よりはマシなんだと。小児科は増額だなんて呑気なことは言ってられない。赤字の幅が減っただけだ。道楽息子が手すさびに描いた書画の価格が少々上がったとて、傾いた家業を立て直すには至らんものだ。普通はね。

  • 産科医師が捜査に協力中

    ある産婦人科医のひとりごと: 福島立大野病院の医師起訴についての報道
    本件についてはあれやこれやの想念が渦巻いて何から書きだしたものか分からない。
    取り敢えずいま考えていることを断章的に書き出してみる。

    (さらに…)

  • 水痘にカチリ処方しますか?

    カチリといったりフェノール・亜鉛華リニメントと呼ばれたりする、水痘(みずぼうそう、ですな)の子によく処方される白い塗り薬のお話。お子さんが水痘に罹られた際、発疹に白いポスターカラーじみた塗り薬を1個1個塗るようにと言われた親御さん、多いんじゃないでしょうか。逆に、水痘以外でカチリが処方されているのは、とんと見たことがありません。
    小児科医の修行を始めたらかなり早い段階で、「水痘にはカチリ塗布」と先輩に習います。ちょっとよくできた先輩なら「アスピリンは禁忌」と教えてくれます。バカな先輩は「ゾビラックス全例処方」などと阿呆な事も教えます。いずれにしても水痘はたいていの小児科医にとってまだ卵から顔を出したばかりのヒヨコのうちに遭遇する疾患ですから、その対処法も有無を言わさぬ擦り込み方式で身につけてしまいます。
    でも、今日つつき回していた「日本医薬品集」にはカチリについて「 禁忌:びらん、潰瘍、結痂、損傷皮膚および粘膜」とありました。赤字で強調してあるんです。
    これじゃあ水痘は禁忌じゃないかと思います。水痘なら、痒がって引っ掻いて水疱が破れて小さなびらんになることはよくあります。びらんにはカチリは禁忌。あるいは、水痘の発疹は痂皮化するものですが、あれと「結痂」とは違う現象なのかな。結痂ならカチリは禁忌。
    でも水痘にカチリが処方できないと困るかというと、そうでもなくて、私は水痘にカチリってあんまり意味がないように思います。いちおう、「防腐、消毒、鎮痒作用のある“フェノール”と、患部を保護し炎症をやわらげる“酸化亜鉛”が含まれています。また、添加物のトラガントは、水分が蒸発後に薄膜を残し、皮膚を保護する働きをします。」というのがカチリの効能らしいです。でもかゆみ止めなら抗ヒスタミン剤(商標をあげればムヒとかレスタミンとかベナパスタとか)のほうがよほど効きそうに思います。適度に入浴させて優しく洗ってあげて、それと爪を切って、痒がるところに抗ヒスタミン剤を塗って、それで解決しそうに思います。そもそも、掻き壊す子の皮膚にカチリが薄膜張ってても、そこまで強靱なわけじゃなし、最初の一掻きで爪の垢じゃないかな。それに最近はみなさんスキンケアを上手になさっているためか、水痘から二次感染を起こして伝染性膿痂疹(とびひ)を作った子ってほとんど見ませんから、掻き壊さすなってのがそこまでこだわるべき指導項目なのか私には分かりません。
    カチリが便利なのは「この子は水痘だ」というマーキングになるってことかもしれません。坊主頭にカチリ塗ってるとサッカーのフーリガン並みに目立ちますから、必要時は迅速に隔離できますしね。でもそれを便利と言ってしまうことに倫理的なためらいを些か感じます。なんだかそれって、旧約聖書で皮膚病の患者さんに「自分は汚れている」旨を明示するように義務づけたのとおなじ臭いがする。なんか、カチリを処方する目的に挙げてはいけないような気がします。
    なんだかんだで最近はほとんど私自身はカチリを処方してません。もとよりひねくれ者なので特に理由のない慣習ってやつを目の敵にしてまして、「水痘にカチリ」もいつのころからか馬鹿馬鹿しくなって止めてしまいました。周りの先生方は皆さん処方なさいます。多分に水痘なんて患者さんにとっては生涯に1度きりの病気だから、あっという間に過ぎてしまって(兄弟が何人か居てもいっぺんに済みますからね)、親御さんからの質問やクレームが入りにくいということかもしれません。薬価もけっこう安いから保険からのクレームも入らないし。拝見してると、止めるきっかけがなくてだらだら続けておられるだけのようにも思えます。
    読者の小児科の諸先生はカチリはどうしておられますでしょうか。
    カチリ処方の根拠についても、私が見落としている面がありましたら、ご教示賜れれば幸甚です。