研修医が「静止衛星」とは何かを知らなかった。常識だろそんなもんと思っていたので驚いて、助産師さんに聞いてみたが、やはり知らなかった。帰って妻に聞いてみたがぼんやりとしか答えられなかった(空に止まってるんだよね、とか何とか)。娘も知らなかった(まだ小学生だけど)。
彼女らの名誉のために明記しておけば研修医は熱心に勉強する子だし助産師さんはNICUの主力だ。小児科的には静止衛星を知らないからって何ら不足を言われる筋合いではないのだが。
部屋に引っ込んでbogusnewsを見たら実に久々に櫻井よしこさんに当たってしまった。単に私の巡り合わせが悪かっただけかも知れない。
カテゴリー: 日記
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君は静止衛星を知っているか
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卒業式と分娩立ち会い
先日、息子の小学校の卒業式があって出席してきた。半日だけ休みをもらった。午後から極低出生体重児が双胎で分娩の予定であったから、全日の休みは無理だった。
息子は無事に壇上へ上がって卒業証書をもらって降りてきた。証書を折りたたみはしないかと冷や冷やしたが無事だった。本人は淡々としたもので、「卒業」ということに関して特別な感慨がなんらかあったのかどうか、よく分からなかった。おそらく、単に小学校へ行く最後の日だという事実認識があるばかりで、最後だからどうだという意義付けはとくにないのだろうと思った。散々お世話になった幼稚園の担任(ちなみにすごい美人)に数年ぶりに出会ったときも、彼女が当時と同じ腕時計をしているかどうかしか感心がなかった人だし。
式の最中もなんとなく午後の分娩が気になっていた。校長先生やPTA会長が訓辞で生命の大切さとか云々されたが、具体的な生き死にのかかる予定を午後に控えていると、命が大切な理由というのを力説する必然性が今ひとつぴんと来なかった。震災の年の2月に神戸から京都に出てきた折に、ここは何故にこんなに平穏なんだと戸惑ったことを思い出した。
仮にも1000gあるんだから生きるの死ぬの大袈裟なことを言わず淡々と救えよと、仰られたらもう返す言葉もないのだけれど、でも12年したら今日の子らも卒業式に出てるんだよなと思うと、その連続性がちょっと意外な発見であるような気がした。
保護者代表謝辞というのを読む役割を仰せつかっていた。妻がPTAの仕事で卒業対策委員とやらをやってて(特殊学級で生徒数少ないからやたらと役をこなさねばならない)、学校のことは妻に任せきりでなにもしてなかった罪滅ぼしにと思って引き受けてみた。人選の苦労なと多少は減るだろうし。
せっかく特殊学級の保護者が読むんだからと、障害のある子なのに全くいじめを受けることもなく過ごせたことを強調した。時節柄、来賓のあいだでは小学校の先生達の株が上がったんじゃないかと思う。
実際、この6年間、学校でのいじめを問題にすることは全くなかった。長女に言わせれば、妹としては「見てるこっちがむかつく」ことが無いわけでもなかったらしいのだが、言葉の当てこすりは当人まったく理解できないんで、いじめとしてカウントするほどでもなかろうと思った。
自分の息子が平穏に過ごせたから良かったというばかりではなく、障害をもった友人をいじめない6年間の生活というのは、他のこどもたちにとっても、またとなく貴重な経験であったと思う。弱みをもった人間はいじめられるしかないんだという認識を人生の初期に刷り込まれると、後々の生き方がかなり貧困でナイーブなものに限局されてしまいそうな気がする。親しくしていただいて、級友達には感謝至極なのだが、そう言う意味ではうちの息子もけっして一方的に恩を受けてばかりというわけではなかったと思う。 -
小児科にとっての2007年問題とは
団塊の世代の方々がお孫さんをつれて小児科に来られることが増えるのだろうなと、ふと思った。
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沖縄旅行がいやな理由
娘が「沖縄美ら海水族館」に行きたいと軽口を叩いたら、
息子が言うには
「沖縄には、鉄道が、モノレールしか、ありません」
彼のテツぶりにも筋金が入ってきた。 -
今年のインフルエンザシーズン開始
日曜日の日当直。外来でインフルエンザの患者さんが突然増えた。
毎冬まだシーズンの始まる前は、今年は流行しないのかな等と甘っちょろいことを考える。特に今年は、第一号の患者さんを拝見してから「シーズン開始」まで長かった。今年こそはインフルエンザに煩わされずに済むんじゃないかと半ばまじめに期待したのだが、やはり甘かったようだ。
タミフルと異常行動の関連が報道されてから、処方前にはいちおう言及することにした。異常行動の確率がかなり少ないこともあって、大半の親御さんは処方をご希望になるが、なかにはそれならばと処方を断られる親御さんもある。今シーズンはタミフル無しを選択される親御さんがじわっと増えたような気もする。タミフルを飲むか飲まないかは、それぞれの子の年齢とか基礎体力とか基礎疾患の有無に基づいての個別の判断でいいように思う。大抵の子はアセトアミノフェンさえあれば乗り切れるようにも思える。一方で、たとえタミフルが症状改善を早めるのはたった1~2日であるとはいえ、看病する立場になればその1~2日がたいそう有り難いということもあろう。
日本は世界に冠たるタミフル大消費国である。それを非常識で国辱的な話のように言う向きもあるが、しかしインフルエンザの発症後48時間以内に受診できる医療環境があればこそ、しかもこの高価な薬を処方できる国民皆保険があってこその話なのだから、諸外国に比べて多いというだけで全面的に悪く言うのは、それこそ自虐的なものの見方だと思う(注)。特に受診の迅速さに関して言うならば、「発症後あまりに早期だと迅速検査に偽陰性が多くなる」ということが実用上の問題となりうるのは本邦特有の贅沢な悩みとさえ言えよう。このタミフル大消費の適切さを論じるのは、タミフルの投与が、患者さん1人1人に対して、あるいは集団に対して公衆衛生的に、どれほどの費用対効果があるのかを論じた上でのことだろう(費用というのは金銭のみならず副作用とかも含めて)。
新薬登場時によくある話なのかもしれないが、タミフル登場後しばらくは、「タミフルを飲まないとインフルエンザは治らない」という誤解が蔓延した。救急外来はまさに狂奔とも言うべき状況で、小松左京「復活の日」をリドリー・スコットが映画化したような有様だった。メリット・デメリットを比較する余地が生じてきたという点で、タミフルもようやく普通の薬になりつつあるように思える。H5N1の新型インフルエンザがヒトに流行するようになった時には、また状況が変わるのだろうけれども。 -
大臣はどのような機械をお考えで?
柳沢厚生労働相が女性を機械・装置に喩えた一件。ときおり報道される老人の姿がだんだん小さくなってるような気がする。体重落ちてるだろうなと思う。ちょっと気の毒になってきた。続投もならず辞任もならずとなると、体調を崩したとかいう幕の引き方になるのかもしれんけども。あんまり本格的に体調を崩される前に、なんとか身の置き所を見つけてほしいもんだと思う。
喜び勇んで審議拒否している野党諸氏の、普段はあんまり仲が良さそうでもない面々が寄り集まっている姿も報じられた。彼らの品性もまただんだんと落ちているように思える。他者の決定的な弱みを握ったときの得意げな目笑ってのは、傍目には下卑ててよろしくない。宮崎県の新知事が意外なさわやかさ・ひたむきさで仕事に取り組んでいる姿が連日報道されることもあって、なおのこと、彼らが対照的に卑屈に見えてくる。
それにしても、いったい何故にこの老人はこんな余計なことを言ったのだろう。報道される発言の文脈で、こういう比喩をなぜ使わなければならなかったのかが全く分からない。人倫やポリティカル・コレクトネス云々に言及するまでもなく、純粋に作文の技術レベルで、この比喩は全く蛇足であったと、私には思える。
しかしわざわざ失敬を謝りながらもこの比喩を使ったんだから、柳沢氏にとってはこの比喩は必然的なものだったんだろう。彼にとっての必然性ってどのようなものだったのだろうか。私にはそれが引っ掛かっている。機械装置の比喩について、この数日ああだこうだとつつき回して考えている。
彼は機械・装置と口に出しながら、いったい具体的にどのような機械・装置を想像していたのだろうか。むろん何らかの生産に用いられる機械なんだろうけれども、全台数と稼働率のかけ算で生産高が決まるような機械である。なんだかずいぶん単純な機械のような気がする。顧客のニーズに合わせて知恵を絞って多種多様な製品を作るんじゃなくて、単一の製品で膨大な量を生産して市場を席巻することを狙うような類の機械。その製品は品質を買われて高価に売れるというより、どちらかと言えばダンピング輸出むきの製品のような気がする。生産する機械装置そのものもまた、製品と同じく、単純単一で個別性に欠けるような。いや、乏しい歴史の知識をもとに勝手な想像をしてますけどね、彼の発言の報道に接して、私の頭に浮かんだ機械ってのが、女工哀史時代の製糸工場でしてね。
いやもう赤ちゃんってそういう大量生産・ダンピング輸出向きの製品とは違いますし。子育てにかかる金銭的負担だけでも、現代のトヨタや日産のクルマ以上ですし。子ども1人大学まで出すお金だとフェラーリ買えるんと違いますか。いったい柳沢氏はフェラーリの工場へ行く機会があったとして、生産ラインの数は決まってるから稼働率を上げることで生産台数を増やすんだ!とかまじめに言いますかね。いやフェラーリの工場がかの名車群をどんなふうに生産してるんだか私は知らないんですけれどもさ。ただまあ、そんな檄を飛ばされても、職人さんら、「はあ?」と目が点になるだけではないかというのは、そう外れた想像でもないと思いますがね。いやフェラーリのクルマってそういうもんと違いますし、と彼らは言うでしょうね。
私もまた、子どもってそういうものとは違いますし、と言いたいですね。もちろんフェラーリのクルマよりもさらに高次元な存在ですしね。なおのこと。
それとも、ひょっとして元大蔵官僚の柳沢氏には、具体的なイメージなど無かったのかもしれない。彼の念頭にあったのは、書類に記載された「子供製造機」の台数と稼働率の、文字と数字だけだったのかもしれない。その子供製造機にも個別の顔があり人格があり生活があるなどということは思いつかなかったのかもしれない。金融担当大臣当時に日本の銀行は健全そのものだと言ったそうだし、今でもホワイトカラーエグゼンプションを強力に推進してると言うし、書類の上が世界の全てな人なのかも。そういうバーチャルリアリティの弊害を一掃することは安倍内閣の教育改革の重要な目標だったように、私は思っていたのだが。思い違いか? -
三日三晩働く医者が理想なのか
朝日新聞の「患者を生きる」という企画で、現在NICUが特集されている。関東地方のNICUが舞台なのだが、例によっての朝日新聞の医療記事である。ネットではまだ公開されていない。
そのNICUでは「完全主治医制」で、記事に登場する女医さんは「三日三晩」不眠不休で赤ちゃんの診療に当たったと、書かれてあった。主治医以外の医者は手を貸さずに三日三晩孤軍奮闘させるのかよ、今日日ずいぶんと非情なNICUだなと、呆れて読んだのだが、どうやらこれは誤報だという業界内の情報が伝わってきた。周囲も手を貸してるし主治医も休む時間はあった(そりゃあ9時5時とはいかんにしても)とのことだ。極端に休日が少ないような書き方をされていたが、実際は休暇もちゃんと配慮してあるとのこと。そりゃそうだよな。
まず三日三晩という表現がいかにも陳腐で、こりゃあ紋切り型の表現が先にあってそれに当てはまるような具体例を後から探したなというのは見え見えだ。そういうことをしてはいけませんよと著書「日本語の作文技術」に書いた本多勝一氏はどこの記者だったと、ちと問いつめてみたい気もした。
三日三晩不眠不休と報じても、その記事を書いた朝日新聞の記者さんには、それはあくまで美談と認識されていたようだ。「こんなに休み無く働かせては過労からの医療事故が生じるかもしれない」というような問題意識はその記事には感じられなかった。医療事故そのものはあれほど叩く癖にね。「完全主治医制って医師間の相互批判が無いってことかい?独善的な医師の独走をどう防ぐの?うっかりミスを防ぐようなフェールセーフは働くの?」みたいな疑問も持ってなさそうだった。「三日三晩不眠不休だよ、医者の鑑だね、そういう医者が働くNICUって凄いね」という認識のようだった。
これはいかにもお目出度い認識だ。新生児医療はそんなに甘くない。三日三晩で解決するような短期決戦はNICUではむしろ少ない。26週0日の超早産児は三日三晩経っても26週3日の超早産児なのだ。それに1人退院するまで新規入院が無いというわけでもない(テレビの医者番組では1人治るまで次の患者は来ないけれどもさ)。NICUでは三日三晩不眠不休で働いたところで4日目に休める保証は何もない。それよりは延々無期限に重症患者の集中治療が続く中で新規患者も続々入ってくることを前提として、それでも持続可能な態勢を作り上げるほうがよほど本質的である。どこのNICUでもそれを目指しているし、あちこちでその態勢が崩れつつあるからこそ医療崩壊が懸念されているのだし。
いやむしろお目出度いを通り越して、この一連の記事は新生児医療にとって褒め殺しと言うべきかもしれない。いったいこの記事を読んで、いまスーパーローテート中の若い医者達が「おお凄い!俺もNICUへ言って三日三晩不眠不休で孤軍奮闘するぞ!」と奮い立つだろうか。そんな非常識な職場へ行って過労由来の医療ミスをした挙げ句に朝日新聞に載るのは御免だと、若手に言われても返す言葉があろうはずもない。
先日の奈良の「6時間放置」の報道はこの認識の延長上にあるものだろう。三日三晩不眠不休なのが偉い医者で、重症患者が居るのに仮眠を取るのは唾棄すべき怠け医者で。さらにその延長上にあるのが「爆弾3勇士」とか「突撃ラッパを離しませんでした」の記事なんだろう。そういう戦場美談に、泥沼に嵌りつつある戦争の実態が塗り隠されていく。それでいよいよ医療が困窮してくると「欲しがりません勝つまでは」と来るんだろうから、銃後のみなさんもよくよくご用心されたがよろしい。まあ、それでも新聞は売れるわな。それで良いんだろうけれどもさ。彼らにはね。 -
認めたくないものだな 自分自身の若さ故の過ちというものを
年末の帰省は高校の同窓会に出るのが主目的だった。成人式のついでの同窓会に出たっきりだったのでもう20年近くになる。懐かしさに勇んで出かけたのだが、終わった今の感想は表題のとおりである。ガンダムの次回予告そのままの、思い込みの激しい美文調の心境で、待ちに待った会ではあったのだが、自分をシャアに喩える恥ずかしさまで含めて、今はこの台詞がすべてのような気がする。
むろん、どのみち同窓会の恥ずかしさなんてのは、高校時代の行いであらかた決まっている。私の場合は、自尊心を保ちたければ当時の旧友たちとは縁を切るに如くはないほどに、高校時代の賢しらさが後を引いている。実際、自分が賢いとか特別だとか勘違いしている凡庸で馬鹿なガキほど相手にしたくないものはないし、それが自分自身だったりするとなおさらだし。だからこんな文章を書いているとしても、決して同窓生や幹事を腐す意図はないのである。腐すのは我が身だ。
はてなの解説にいわく、「自分自身がまだ若く、管理能力に不備がある事への自虐の台詞だと思われるが、パロディでこの台詞が使われる場合は、なぜかある程度の年齢に達していて若いころの間違いを回顧するようなシーンで使われる場合が多い」 のだそうだが、自分の高校時代を回顧するという意味でも、同窓会での振舞いを省みる意味でも、その若さゆえの(この年齢になっては「未熟さゆえの」とより否定的な表現を使うべきであろうが)間違いを認めたくないものだなと思う。
同窓生たちはみんな大人になっていた。そしてタフな職場でタフな仕事をしていた。いろいろと他業種のタフな話を聞いた。いろいろ言っても医者なんて甘いもんだよねとつくづく思った。彼らに比べて私はずいぶんとアマチュア気分が抜けずにいるような気がする。医者の中でも小児内科はけっこうナイーブな感があるし(俺だけか?)。
恩師に会ったのは卒業以来だ。私を京都へ送り出してくださった恩人である。当時の口調そのままに、仕事に邁進して頑張れと檄が飛ばされた。それを聞いてると、「おおきくなりたいね」などという副題に象徴されるような、自分に未開発な成長の余地が潜在しているかの如き幻想は、たしかにもう捨てる頃合かなという気がした。「もう無限の可能性なんて信じるトシじゃあねえんだ俺は」ってなものでね。今の等身大の自分でフル回転する年齢なんだよな。副題かえなきゃいけませんね。
医者になった者が多い。満遍なく各科揃っている。まさか高校の同窓会で眼科医と未熟児網膜症の話をすることになろうとは思わなかった。対して、教師になったものが一人も居ない。わりと「偏差値の高い」高校の「偏差値の高い」クラスで、担任だった恩師もその後に県の教育行政の頂点近くまで出世したエリートだったのだが。このクラスの卒業生に教師になった人間が一人も居ないということに、現代社会が教育者に与えている尊敬の程度が現れているかに思えた。
今さらそんなこと言うんならお前自身が教職に就けば良かったんじゃないかというツッコミは無しで願います。定型発達じゃない私に教職は過酷でして。
翌日京都に帰って息子を自宅に送りとどけ、自分はその足でNICUに顔を出した。いや勤務先も徒歩数分なんでそれほど大層な話じゃないんですがね。家では妻と娘がまったり過ごしていた。そういえば高校時代からこの人の前では自然体で居たよなと思う。
NICUでは新しく超低出生体重児が産まれていた。ちょうど、私が同窓会でへらへらしていた時分に、若手はこの子の出生後処置で孤軍奮闘していたらしい。有能な後進に恵まれるのは有り難いことである。彼女がいなければ私は今回の同窓会には出られなかった。
帰ってから振り返って、同窓会の会場でさえ「高校生時代の自分」の鋳型に我が身をはめていたのに、改めて気づいた。そういうことが無意識にやっちまえるんだねと自分の社会性を少々見直しもしたが。あのころの仕立ての悪い学生服同様、あのころはずいぶんと身動きのしにくい「型」にはまっていたようだ。
ここでは肩肘張らずに済む。卒業後色々あったが、私は公私両面でright placeを見つけたようだ。結局、それを再確認したのがこの同窓会の一番の収穫だったか。それならそれで大きな収穫だよなと思う。幹事さんには再度感謝を。ありがとう。 -
今年もインフルエンザが
今シーズン初めてインフルエンザAに陽性が出た。いちおう記録。
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故郷の山は常緑であったはず
2泊3日で、息子を連れて故郷に帰っていた。
たちの悪いウイルスのように、魯迅の「故郷」が頭に居着いていて、帰省というといたずらに物憂い気分になる。「厳しい寒さをおかして、二千余里をへだて、二十余年間無沙汰をしていた故郷へ、私は帰った。」とか何とか。実際には、冬とはいえ長崎の陽光はさすがに強く、魯迅というより中島敦の南洋譚のような光景ではあったのだが。そして中島の南洋譚よろしく、強い陽光の下でじりじりと故郷は衰退しつつあった。
大村湾に突出した小さな岬のたもとに実家がある。実家の前は海、実家の裏山の向こうもまた海である。その岬に植わった木々が褐色に変色していた。一見して紅葉かと思ったが、しかし本来ここの山は常緑のはずだ。紅葉する木もあるにはあるが少数派だ。大多数の木は緑のままで年を越す山であったはずだった。
昨年の台風の影響だという。風ばかりで雨の降らない「風台風」だった。例年の台風なら塩をかぶっても雨で片端から洗い流されるのに、昨年は塩をかぶったままその後の2ヶ月ほど渇水に堪えねばならなかった。そのために例年になく山が枯れたのだと母は言う。
とくに岬の突端付近の変色が激しい。かつて子どもの頃に遊んだ道を登って岬の尾根に立ってみる。ここはまさに「二十余年間無沙汰をしていた」場所である。
海岸から登り詰めるとすぐ向こうに海が見える。向こう側は崖になってまっすぐ海へ落ち込んでいる。この尾根はこんなに細かったかとまず思う。それは私がもう小学生ではないからだろう。しかしこの尾根はここまで砂地ではなかったはずだとも思う。昔はクッション代わりに出来るほどに落ち葉が積もっていたような記憶がある。今は、植物が腐敗してできる系統の土がほとんど無くなっていて、岩石が砕かれてできる系統の砂地になっている。まるで黄河流域だ。
たぶん風がきれいに林の土壌を剥ぎ取っていったのだろうと思う。昔は木々が密生して風を遮り、尾根の土を保持していたのだろう。そう言えば、昔はこの尾根に登っても、岬の向こうの海は今ほどには見晴らせなかった。おそらく木々の防壁を破るほどの激しい風台風だったのだ。そして土を奪われた林は瘠せ、ますます風通しが良くなり、瘠せに拍車が掛かってしまっているのである。
こういうのを温暖化と言うんだろうか。国破れて山河ありと漢文で習ったような記憶がある。そんな漢文の授業を受けていた子供時代には、たしかに、この山が枯れるとは思ってもいなかったのだが。
そういえば今は「国勝って産科なし」の状況ですが。まあそれはさすがに温暖化とは関係なさそうですがね
