当院は傾斜地に建っている。とくに旧館はもともとは旧財閥の別荘だったもので、相応に高いところにある。昭和初期にお抱え運転手つきの自家用車を運用できた人々向けの建物である。眺めは良いが徒歩で到達するのはかなり辛い(それとも昔の人はこの程度の坂は普通に登ってたのだろうか)。少なくとも、旧館まで歩いて登れた人なら、心臓にも肺にも足腰にもそれほどたいした病気はなかったはずだ。
敷地は表側が一番低く、奥へ向かうにつれ急勾配に高くなる。新館は最も表側の、敷地のいちばん低いところに建てられた。しかし旧館と渡り廊下で繋いだ際に、互いの階の呼称を強引にそろえたものだから、新館は地上3階地下3階の建物ということになり、新館の玄関は「地下2階」になってしまった。地下1階の外来には広々とした窓があり、大文字山麓の眺めがとてもよろしい。奇妙な感じはするのだが、たぶん、この近在に5階建ての建物を建ててはまずいとかいった、こどものおいしゃさんには分からない事情でもあるんだろう。
カテゴリー: 日記
-
新館は3階建て
-
なかなか満床にならない、と、スケールメリット実感中
NICU認可病床数が6床から9床になったら、なんだか入院を引き受けても引き受けてもなかなか満床にならない。片端から入院を引き受けても、次々と赤ちゃんたちは回復して保育器を出てしまい、回復室へ母児同室へと移ってゆく。6床だった頃は毎日の空床数にずいぶん敏感だったが、新館では二つ返事で引き受けている感じ。入院依頼の外線が入ったら、センターテーブルから周りをぐるっと見回して、あ、あの保育器あいてるじゃないか、あそこ行こう、てなもので。
医師数も増えたので、NICU入院中の赤ちゃんが増えても仕事の分担が増えたような気はしない。むしろ、当直明けでぼさっとしてたら自分の知らないうちに受け持ち患者さんの仕事が進んでいたりする。各々の患者さんにそれぞれの医師が気を配ってるので、診る目が二重三重になっている。私がくたびれている間も、誰かが私の患者さんを診ているということだ。安心でよろしい。年中無休24時間営業の集中治療室なんだからそれが当たり前のことなんだけれども、昔は私がくたびれた時点でNICUのスピードが全体に落ちてたもんだがねえ。遠い目になったりしている。 -
偽装を知らなかったってのは案外本当なんじゃなかろうか
ヒューザー・小嶋社長ら詐欺容疑で逮捕 耐震偽装事件
2006年05月17日20時20分
耐震強度偽装事件で、警視庁と千葉、神奈川県警の捜査本部は17日、強度不足と知りながらマンションを販売したとする詐欺容疑で、マンション販売会社「ヒューザー」(東京都大田区、破産手続き中)社長の小嶋進容疑者(52)を逮捕した。同様の事情を認識しながら建設したホテルの工事代金を受け取ったとして、同容疑で「木村建設」(熊本県八代市、同)社長の木村盛好(74)、元専務の森下三男(51)の両容疑者を再逮捕した。捜査は欠陥建築物に対する刑事責任追及の核心に入った。3人は容疑を否認しているという。小嶋氏にせよ木村氏にせよ、偽装を知らなかったってのは案外と本当のことなんじゃないだろうかと私には思える。だから免罪しろとかいう価値判断を絡めるわけではない。知ってたか知らなかったかという事実関係を単純に問うた場合、案外と、本当に彼らは知らなかったんじゃないかと。
たぶんに彼らは、根性論で部下を締め上げただけではないかと思う(だけって言っても、免責されるわけではないと再度言っておく)。たたき上げで会社を興して上り詰めた云々の自負を、お二人とも各々強烈にお持ちなのだろうと推察する。そこから「根性据えたらカラスも白い」みたいな無根拠な精神論に飛躍してしまって、建設のコストを際限なく削ろうとした「だけ」なんじゃないかと思える。
無理だと上申する部下は根性無しと罵倒し(鉄拳さえ飛んだかも知れぬ)、逆らえぬ立場の面々がついに要求通りの数字を出してきたら、「今までのお前たちには根性が足りなかったのだ」「俺が言うとおり根性据えたら不可能は無いじゃないか」云々とご満悦だったのではないか。得意になって「経済設計」などという造語までしてしまったんじゃないか。
その設計がルールに則ったものかどうかと気遣う発想は、たぶん、彼らの思考には縁遠いものだったのだろう。それに、ルール違反の設計を出してしまった下々の面々が、いまさらそんな上司に「実はこれルール無視でして」などと上申する訳も無いし。
そんなこんなで、偽装が発覚した時に彼らは確かに、自分たちこそ裏切られたのだという思いに駆られたのだと思う。足元を掬われたような気分なのだろう。自分こそが被害者だと小嶋氏は語っていると伝え聞くが、その台詞は今後の法廷論争の布石をしているわけではなく、案外と本心なんだろうなと思う。さきの戦争に負けた後の旧軍上層部の面々も、あんな感じだったんじゃなかろうか。
上層部が論理を弁えぬ精神論をもって実現不可能なスペックを要求し、技術的に不可能だという当然の反論を強権で抑え、怯えた部下は技術者の倫理を捨てて単に数字あわせの空虚な設計をする、その結果としてその製品を運用する現場が大迷惑する、挙げ句にぼろが出て総倒れする。「旧日本軍弱小列伝」で語られた、旧軍の戦車や零戦の開発時に起きた悲喜劇が、今回もまた繰り返されたというように、私には見える。
結局彼らは、ずる賢かったんじゃなくて、単に無知無思慮なわりに強欲の度が過ぎただけだったんだろうと思う。罪深いことには変わりないんだけれどもね。彼らが思ってたほどには世の中は精神論で動くもんじゃなく、さらに言えば、自分で思ってたほどには彼らは賢くなかったってことだろう。自分の無知に責任をとるかどうか、それは本人の倫理観の上品さ次第なんだろうけど。
それにしても、いま日本では医療費を削減するのに政府与党が躍起になってるけど、「経済医療」なんじゃないだろうねと思う。根性据えたら医療費は安くなるとか思ってないだろうね。「経済医療」だったとして、だ、小嶋氏らみたいな、責任とって詰め腹を切る立場の人は居るのかね。「経済医療」にはたぶん私ら臨床の医師も詰め腹切ることになるんだろうけどさ、それは建築士の姉葉氏的な立場でだよ。「経済医療」の小嶋氏の立場で、腹を切るのは誰かね。誰も居そうにないと思うのは、私の僻みかね? -
医師志望の10歳男子に君は何を語れるだろうか
昨日は外来の新人歓迎会があって、私も出席してきた。
外来には子持ちのスタッフが多い。裏を返せば当院の病棟は子どもがいるスタッフには勤務困難であるということで悲しいんだが。今回の宴会もお子さんをお連れのスタッフが多かった。鉄板焼きで朝鮮料理を食わせるという趣向の店だったが、予算の関係でか、焼きそばとかもんじゃ焼きとか、みょうに炭水化物ばかりが多かった。こどもたちにはタンパク質も喰わせてやりたいものだと思った。
中に10歳の男の子が来ていて、喋ってみると愉快であった。頭のよい子がタフな両親の元で真っ直ぐ育った、実に気味の良い少年であった。医者志望なんだそうだが、今はサッカーやブラスバンドやと、いろいろ勉強以外に熱中しているらしい。その語り口を聞いていると、日常を心から楽しんでいる様子で、斜に構えたところがない。普通に喋れる10歳男子と語るってのはこういう気分なのかと新鮮な気分であった。些か羨ましくもあったことも白状しなければならぬ。
医師志望の彼に、何か動機付けとか強化因子になるような面白い話をしてやれれば良かったのだが、やっぱりそういう話は普段からやり付けていないとなかなか難しい。情けないことに医者の話はほとんどできなくて、ブラス小僧の彼に、誰のなんという交響曲であったか、長大な交響曲にたった1発の出番をじっと待つシンバル奏者の話なんてしてしまった。やれやれである。10歳の子に自分の職業の魅力を話して尽きないようでなければ、なかなか新人を小児科に勧誘するなどという大それたこともできまい。
それにしてもね、医者が激務だとか医療が崩壊だとか色々言うけれどもさ、医者という仕事の魅力を語れないのにそういうマイナスな話ばっかりだなんて、この子に恥ずかしいやね。もっと、このブログを読んで下さる方々が新生児科を羨んでくださるような、ポジティブな話をもっとしたいもんだねと思った。
相手が10歳男児じゃなくて25歳研修医だったにしてもね。帰れねえ寝られねえ系の「生活の質」とやらの苦労は駆け出しでも理解できるだろうけれど、じっと2ヶ月NICUで診てきた超未熟児がいよいよ退院間際になった時に、むずかっていたのを抱き上げたら自分の懐の中でふっとくつろいでくれたときの気持とか、何科でもその科に特有の「報われる瞬間」ってのは必ずあるはずなんだけど、その感動の深さはたぶん駆け出しにはわからない。そういう仕事の魅力を知った医師がそれでも激務故に辞めざるを得ない無念さと、駆け出しが単に「生活の質」を求めて易きに流れるのとは、決して同一の話じゃない。でも、そういう仕事の魅力を、経験積まんとわからんだろう等と言って照れ半分で語らずに済ませていては、産科なんて小児科なんてきついばっかりだぜと他科へ流れる研修医たちに、私たちの仕事がよほど干涸らびたやっつけ仕事なんだろうぜ等と詰まらぬ誤解を与えることにもなるんだろう。 -
働くヒーローとしての機関車トーマス
息子は朝からBSフジで機関車トーマスを観ている。たぶん、ようやく機関車トーマスのストーリーを鑑賞できるようになったのだと思う。昔からトーマスは嫌いではなかったが、それは機関車の蒐集を楽しむ鑑賞だった。プラレールのトーマスシリーズを集め、「トーマス大百科」を眺めるたぐいの。何にしても世の中に楽しめるものが増えるのは幸せなことだし、トーマスを観るためにきっぱりと早起きする習慣がついてくれて親としても便利で嬉しい。私も出勤前にお相伴して観ている。「じこはおこるさ」という挿入歌には参るが、総じてとても楽しい。
機関車トーマスは、子どものヒーローとしては稀な、「よく働くヒーロー」である。「役に立つ機関車」であることを誇りにしている。失敗もするが励まし合って再起する。「悪い奴らをやっつけるヒーロー」ではないのがとてもよい。悪役も出るには出るが、トーマスシリーズの悪役はレギュラー陣に退治られるのではなく、仕事が甘かったり態度が悪かったりして居場所を無くした結果として退場してゆく。
彼らは日々の仕事をおのおの勤勉に働く。高出力のテンダー機関車が急行を引き、小回りのきくタンク機関車が支線を走り、入れ替え作業もする。古くなった機関車も、豊富な経験を生かして扱いにくい貨車たちを上手に扱う。それぞれがそれぞれの仕事に誇りを持ちながら、違う仕事をする仲間をお互い尊敬しているのが、とてもよい。「働く」ということがどういうことか、子どもたちに教えるのに、機関車トーマスシリーズは優れた資料である。
寡聞にして、トーマスとその仲間たち以外に、「勤勉」を最大の徳とするヒーローを知らない。たぶん、色々なヒーロー思想があっていいのだろう。子どもたちのヒーローの皆が皆、勤労を徳義とするヒーローだったりしたら、それはそれで随分と息苦しい状況だろうと思う。そういう状況では息子はどちらかといえば肩身の狭い思いをすることになるだろうし。しかし一方で、トーマスたちくらいは、自分が役に立つ機関車であることを単純に尊ぶヒーローがあってもいいと思う。
むろん負の教訓もある。「仕事の機械には半端な人工知能を載せてはいけない」というのが機関車トーマスシリーズの教訓である。(ちなみに「間違って押してしまう位置には自爆スイッチをつけてはいけない」というのがタイムボカンシリーズの教訓である)。でもまあ蒸気機関なんて、操作する側から見れば、まるで何か考えてるんじゃなかろうかと思えるくらいに不安定な機械なんだろうなと思う。石炭投入の技術ひとつで出力が変動するとも聞いたことがある。蒸気機関車を擬人化するのは案外と、昔の機関士たちには日常的な発想だったのかもしれない。 -
全国138病院が分娩休止だそうだ
土曜朝から勤務に入り、土曜午前中の通常勤務、午後からの日直、夜間の当直を経て、日曜午前中の休日外来を済ませて帰宅。計28時間の拘束だった。拘束といえば今も自宅待機中だから、結局は明日の朝まで自由じゃないんだけれども。明日の朝にはまた出勤して通常の勤務。ビールの一本も飲もうかというのが可能になるのは早くても明日の夜。
まあ、けいれん重積2件連続は痛かったし、痙攣後の意識障害が回復するまでと思って入院して頂いたら成人患者さんから「うるさい」とクレームを頂いたりして悲しかったりもしたけれども、それでも一応それなりに睡眠もとれた。帰ったら妻が子どもたちを連れて図書館に行ったが、たぶんそれは「昼寝しておきなさい」という彼女なりの配慮なんだろうとも思った。
しかし、産科にせよ小児科にせよ病院に一人しかその専門科の医者が居ない、いわゆる「一人医長」の諸先生ならば、そのビールも飲めずに明日の夜も当直または自宅待機に入るのである。医者の激務ってのはそういうことである。そういう先生には無期限に、解放の日は来ない。とりあえず明日の朝までは起こされずにぐっすり眠ろうという、そういう日が来るのは退職の日である。
当直が明けて帰宅してから読んだ朝日新聞の朝刊には、分娩を取り扱う病院が全国で急激に減少していると報道されていた。04年秋に産婦人科・産科を掲げていた全国の1665病院のうち、8.3%にあたる138カ所が4月末までに分娩(ぶんべん)の取り扱いをやめていることが、朝日新聞の全都道府県調査でわかった。深刻な医師不足を理由に、大学の医局が派遣している医師を引き揚げたり、地域の拠点病院に複数の医師を集める「集約化」を独自に進めたりしているのが主な理由とみられる。出産の場が急速に失われている実態が浮かび上がった。
出産の場が急速に失われてる、って、一人医長の産科とか二人しかいない産科とか、そもそも「出産の場」と呼んでいいもんですかね。うちも産科常勤は二人だけど無数の非常勤医に支えられてなんとかやってるって具合ですがね。難産で赤ちゃんもハイリスクってときには、とりあえず娩出後の赤ちゃんは新生児科が引き受けるから褥婦さんに集中してなさいよという態勢をとってますが、それでもやっぱり常勤二人じゃあ辛いだろうなと思います。大学からも車で数時間はかかる、非常勤医の手助けもままならない病院産科に一人医長でご勤務の先生で、しかも小児科はNICUを持ってない、そういう病院産科を、安心して出産できる場所とカウントするのは、現場からしてみると、なんだか思慮が足りないというか、おめでたいというか、奇跡に対する感謝とか謙虚さが足りないというか、色々と言いたい気分にはなりますね。
たぶん、「今まで分娩を取り扱うって言ってたけど実は無理だったんです。すみません」と誰かが謝ることが必要なんだろうと思う。誰が謝るのって聞かれても、適任者が誰だか分からないけど、その「謝るべき状況ではあるのに謝る立場として適当な人が誰もいない」っていう状況もまた、産科をはじめとした医療の崩壊に拍車をかける要因なんだろうと思う。「済まない。現状は私の責任だ。今後は私が立て直す」と、とりあえず我が身に引き受ける人が要るんじゃないかな。 -
分娩立ち会い2件
分娩立ち会いが今日は2件。
うちで生まれる全員に小児科医が立ち会ってるわけではなくて、ハイリスクと予想された子にだけ立ち会う仕組みである。しかし今後はやっぱり「赤ちゃん専属スタッフ」が全ての分娩に立ち会うことが要請されてくるのだろうと思う。うちの病院だけじゃなくて、世の中一般の趨勢として、適切に蘇生を始めることのできるよう訓練された人間が全ての分娩に立ち会うようにと。
別に小児科医の縄張りを増やそうと画策してる訳じゃないですよ。だってそういう「赤ちゃん専属スタッフ」が小児科外来診療なんて出来ても仕方ないわけだし。周産期専門看護師とかいうような、新しい職種ができてくるんじゃないでしょうかね。
ただ今日は2件とも、正規には私の担当ではなくて、「他が忙しくて手が離せない」正規の担当者の代わりに立ち会いに入ったわけだが。ハイリスク分娩の立ち会いよりも優先するような業務をNICU担当と並行するなよと腹をたてながら。でもそうやって分娩に立ち会った赤ちゃんが、少々呻吟してるけど大丈夫かなと冷や冷やしながら、それでも羊水を拭き上げた直後からお母さんの胸元に赤ちゃんを入れる early kangaroo を始めたら、とたんに呻吟がすこんと止まってSpO2も保ってたりして、なんだか大人のはずの俺がつまんねえことで不平たらたらしてる時に生まれたての赤ちゃんのほうがよっぽど賢いじゃないかとも思ったりして。
でもまあ私も今では下っ端じゃなくなってきてて、とりあえずうちの周産期部門にいささかでもご縁のあった赤ちゃんのそれぞれに対して、幾ばくか責任とやらを持った立場にあるわけで。俺は知らんよとは言える立場じゃ段々となくなってきている。とは言いながらしょっちゅうこの台詞言ってるような気もするけど。 -
NICUが広くなって
新館への引っ越しに伴って、NICU認可病床数が6床から9床に増えた。
実質的には3倍程度に増えたような実感がある。四畳半一間とかの無茶苦茶狭いアパートから、ちょっとは広いDKくらいに引っ越したような感触である。何と言っても机の上でカルテが書けるのである。旧館のNICUは狭すぎて机を置くゆとりもなかったのだ。
昨日は午前中に搬送入院してきた子の交換輸血と午後早くに搬送入院の子の入院後処置を並行して行い、さらに自院の産科では早産の分娩待機中であった。ふと気付くとずいぶんタフに沢山の仕事を並べて進めている。むろん認可病床数の増加に伴って医師や看護師の増数があったのが最大の利点なのだろうが、加えて、やはり、広さが与える心理的なゆとりも大きいと思う。旧館NICUで交換輸血など始めてしまうと、回路やポンプ一式で面積が埋まってしまった。立錐の余地もない光景に、うわあこれ以上の仕事はとうてい無理だぞという暗示をかけられていたように思う。
居住環境としても快適になった。同じ常温26℃でも新館のNICUでは暑いという感じがしない。旧館のNICUでは手が届くほどに天井が低かったが、さすがに新館NICUでは背伸びしても天井ははるか上である。熱気の籠もり方も違うのだろう。さらには当直室の寝心地など考えても外壁の断熱がかなり良くなっているはずだ。となると低出生体重児を保育器から出すのも、従来よりも早い時期から挑戦できるってことだろうか。赤ちゃんも体温調整にそれほど消耗せずにすむだろうし。 -
運転免許が失効していた
何とも間抜けなことに運転免許が失効していた。昨年の10月の誕生日で有効期限が切れてたので、半年とちょっと経っている。まるで使わないから忘れていた。田舎から母が上洛してきていて、話のついでに免許をみたら失効しているのに気付いた。
調べてみると、6ヶ月以内なら学科試験も技能試験も免除で(適性試験だけでってことらしい)再取得できるんだそうだが、6ヶ月以上1年以内だと試験免除で取得できるのは仮免許止まりらしい。本試験は受け直すことになる。
やむを得ない理由があれば斟酌して頂けるらしい。「傷病、海外旅行、法令による身体拘束等」なんだそうだが、小児科の勤務医なものでっつうのは、たぶん、やむを得ない理由のうちには入らないだろうなと思う。身体拘束も同然なような気はするのだが、しかし法令によるもんじゃないし。小児科医ならダメで懲役ならOKというのも何か釈然としないが。
京都に来てからもう8年目になる。平成10年からこのかた、全く運転をしていない。それ以前も決して活発に運転していた訳じゃないので、今の私では技能試験に受かる見込みがほとんどない。皮肉なことに全く運転をしないから違反もしないわけで、私は優良運転者ではある。更新のサイクルも5年までのびていた。
車に乗る機会ならよくある。今日も新生児搬送に行ってきた。例によって反対車線を走ったりした。自分では運転しない癖に、本来はやってはいけない走行の経験だけは多い。
このさいペーパードライバー講習でも受けるか。このままでは、たとえ免許を維持していても、いざ本当に乗らなければならない時が来てさえ、危なくて運転なんてできたものじゃない。しかし、仮免許のペーパードライバー講習なんて引き受けてくれる教習所あるのか?それに京都に住んでる限りは運転免許なんて要らない。放り出してしまおうか。
しかし、いつなんどき教授や院長の意向が変わって、どこか僻地の病院へ出向なんてことにならんとも限らない。またこのご時世では、いつなんどき医師免許のほうが危なくならんとも限らない。タクシー業界に拾って頂ける可能性は残しておかんと。 -
新館での初回当直は全く暇で平穏である
新館への移転後、初めての当直である。
しかしこれほど楽で暇な当直は初めてだ。移転後で救急外来も新生児搬送も止めてある。既に入院中のこどもたちもみんな落ち着いている。全く呼ばれない。ときどきNICUに顔を出すが、しかし全く医師の仕事はなくて徒然無い。たぶん連休が明けて新館での診療を始めた途端に、いま休んでるツケが噴き上がってくるんだろうけれど、今それを考えて汲々としてても詮無いので、休める時には休むことにする。
でも本来、当直というのはこういうものであるはずなのだ。当直時間帯に救急外来をやるとか24時間営業でNICUをやるとか、そういう事をしたいならシフト制で勤務できる人数を寄せなければならんのだ。ちなみに厚生労働省の「労働」の側の人たちはそう仰るが、また仰るだけでなく医療界にも労働基準法による監督を強化なさっておられるようだが、しかし「厚生」の側の人たちには当直医師に時間外救急を担わせる現状を変える意思はあんまりなさそうである。半分に分かれて違うことを言うとはまるであしゅら男爵である。マジンガーZに退治して貰う必要がありそうだ。しかし兜甲児君も24時間呼び出し態勢でご活躍であったから私の思うような形に話が納まる保証はない。やれやれ。
NICUでは看護師長やナースたちが業務がてら色々と片づけものをしている。日常の細々としたことは大抵はナースがやるんだからナースのやりたいように片づけてればいいと思う。私が動きやすいように片づけたらたいがい不評を買うことになるし、そもそも私には片づけという類の作業が全くできないし。引っ越しの当日はそれでも何とかなったのですがね。引っ越し段ボール箱を片端から空にして分解するという、一種の構造化した作業を自らに課してたもので。しかし今日のように、いったんそれなりに納まるところに納まったかに見えるものをまた引っ張り出しては配置換えするような作業には、とうてい手が出ません。手が出せない人が口ばかり出すのも癪だろうと思って、遠巻きに眺めるだけにしてました。
新しい当直室は出入り口がNICUから丸見えである。呼んで何秒あるいは何分で出てくるか、NICUのナースに丸わかりである。それと周産期病棟をほぼ全室個室化して、手洗いを個室にも総室にも各部屋に付けたものだから、当直中に使える便所が遠い。善いことか悪いことか、新しい病棟にもいろいろ評価はあるけれど、しかし当面はこれで運用しなければならない。そういうものだ。
