カテゴリー: 読書

  • 新生児医療現場の生命倫理 田村正徳・玉井真理子編著 メディカ出版

    「新生児医療現場の生命倫理 『話し合いのガイドライン』をめぐって」 田村正徳・玉井真理子編著 メディカ出版
    ついに出ました。

  • 広いらしい

    歴史群像7月号別冊「鉄道でゆく北海道の旅」を垂涎の思いで繰り返し読んでいます。風光明媚な写真がおいでおいでと誘っています。何せ私は長崎のリアス式海岸のちまちました入り江で育ったものでね。雄大な風景ってのにあこがれます。
    中に「北海道はこんなに広い」という警告記事がありました。実際の広さをわきまえてないと思わぬ無理を生じますとのこと。函館から稚内までの距離は大阪から牛津までの距離と同じだそうだ。牛津って長崎本線の駅ですがな。佐賀県内ですわ。しかもその間はほとんど単線非電化区間だとのこと。大阪から牛津なんてスケールの距離ををキハで動くのか。すごいな。
    だからこそ行ってみる価値がある、とも思えるのですけれど。

  • 蚊トンボ白鬚の冒険

    藤原 伊織 / 講談社(2005/04)
    Amazonランキング:47,381位
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    藤原 伊織 / 講談社(2005/04)
    Amazonランキング:42,426位
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  • てのひらの闇 藤原伊織 文春文庫

    藤原 伊織 / 文芸春秋(2002/11)
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  • テロリストのパラソル

    藤原 伊織 / 講談社(1998/07)
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    「あんた、ちゃんと大学を卒業しなかったのは悔いちゃいないのか」
     とまどった。そんな質問を受けた経験ははじめてだったからだ。浅井は私の顔をじっと見つめていた。
     私はいままでの時間を考えた。二十二年のあいだにやった仕事を思いうかべた。建築現場の作業がいちばん多かった。それにビルのガラス清掃、旋盤工場。店員も多かった。ゲームセンター、パブ、パチンコ屋。事務職では、運転免許証のないことがネックになった。すべて肉体労働だ。そこになにか意味があったのだろうか、と思った。いや、意味があって私はそういう仕事を続けたのではない。逃亡を続けたのでもない。そんなことは考えもしなかった。私はそういう仕事が好きだった。アル中の中年になっても好きだった。バーテンの仕事も気にいっていた。
    「悔いてはいないな」私はいった。「まったく悔いてはいない。私がやってきたのは、私にいちばん向いた生活だったと思う」

    おそらく本書のテーマからはかなり外れているのだろうが、私の印象に最も残ったのはこの一節であった。主人公は苦難の人生を送りながら、それを怨嗟しない。自分の選択の結果だから等の理由で堪え忍んでいるわけでもない。避けられなかった運命を従容と受け入れるというのでもない。ごく自然に、あたかも何の強制もなく自分自身の自由意思で選択した人生であるかのように、私にいちばん向いた生活だったと語ってしまう。
    無理にそう自分に言い聞かせているような自己欺瞞の様子もない。他の可能性を考えられないほど想像力に欠けた人物でもないのに、自己憐憫の様子も見せない。自分に酔っている風でもない。
    格好良い男である。かくありたいものだと思う。
    ただし私も、小児科医ではあるが、いちおう医者である。医者として語らせていただければ、ここまでアルコールにどっぷり浸かった人間に、ここまでの明晰な知性など残っちゃいないんじゃないかと思う。特に彼は逃亡生活の中でいっさいメモの類を残さず電話番号から住所から何から全て記憶してしまうのだが、アルコールが真っ先に潰すのは飲んだ(飲まれた)人間の記銘力じゃあなかったかと思うが。アルコールに関してだけは、この主人公の人物造型はSFにちかい。まだ彼がプレコグだとかテレパスだとかいわれた方が現実感があるように思う。

  • エリ・エリ 

    平谷 美樹 / 角川春樹事務所(2005/05)
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    長い長いお話の最後に、神についてどのような考察が待っているのかと思ったら、まるで当てが外れた。一人前の神父がアル中寸前まで思い詰めた挙げ句の結論がこの程度かよ。あんまり陳腐で神父が可哀想だ。この程度はユニテリアンの本一冊読めば書いてあるんじゃないかい?
    キリスト教の神に言及するならキリスト教の文献はもう少し真面目に読むべきだと思う。本作で著者が提起した問題ってのは歴代のキリスト教の神学者たちが考え抜いてきた疑問ではないか?例えば次作で永久機関について書こうと思ったら、熱力学の法則をいかに突破するかを真面目に考える位には、物理学の文献を真面目に読むよね。読むよね? 
    これじゃこの神父はまともなキリスト教学の基礎知識さえ持ってなかったってことになるんではないかい?勉強さえしてれば道を外れずに済みました。おしまい。いかにも学校の先生が副業で書きそうな小説。

  • 医療過誤の本 2冊

    貞友 義典 / 光文社(2005/06/17)
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    毎日新聞医療問題取材班 / 集英社(2003/12)
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    自分を無垢な立場に置いて医療を語ることの出来る人々を羨ましく思う。

  • 子どもを選ばないことを選ぶ ー いのちの現場から出生前診断を問う 大野明子 メディカ出版

    大野 明子 / メディカ出版(2003/05)
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    覚悟が決まった
    命の尊さを再認識
    未来のパパとママに読んでもらいたい。


    現在、出生前診断といえば事実上ダウン症の診断であるとのこと。市井の産科医院で説明不足のままに何となく検査が行われ、安易な中絶に結びついていると、著者は警鐘を鳴らしている。著者は自らの臨床経験から、自分の外来ではダウン症の出生前診断はしないと宣言している。その著者の実践にもとづいた考察や、臨床遺伝学の先達との対話・親御さんとの対話から、本書は構成されている。
    中でも白眉は、ダウン症の子の父親となった医師へのインタビューであると私は思う。語られる内容は決して倫理学の最先端を切り開くような大仰なものではなく、平易で真っ当な淡々とした言葉なのだけれども、それでも胸を打つものがあった。まあ、私も同志ではあり、個人的な思い入れはどうしても入りますね。生まれたその場で判明するダウン症と、じわじわとベールを脱いでくる自閉症とでは、受容の過程は異なるものになるのですが、その点もまた興味深く拝読しました。
    著者の大野先生は、ご自身の医院で生まれた赤ちゃんがダウン症であったとしても、危急の合併症が無い限りはお手元でお世話なさっているとのこと。この臨床実践には、小児科医として頭が下がる思いである。ここまで気合いを入れて自らリスクを取ろうとするお医者さんは滅多にいない。NICUにいるとダウン症の新生児が搬送されてくることもある。心臓病など危急の状態である子もあり、中にはNICU入院は無用の母児分離だったなあと総括したくなるほどに元気に帰る子もあり。先生今後とも赤ちゃんが例えダウン症でなかったとしても何か問題が生じたら今回みたいに迅速にご連絡下さいねと慇懃無礼な嫌みを、産科へ送る退院報告書に一筆付け加えてやりたくなることもあり。でも小児科医もけええっして誉められたものではない。かく言う私自身も怪しいものだし。
    しかし私は職業は小児科医・家庭では自閉症児の父と、二面性の人であるから、誉めるばかりでは終わらないのである。
    ダウン症に関する一般向けの文献には、彼らの気だての良さとか対人関係の良さとかが力説されがちである。本書でも著者の出会ったダウン症の子たちやその親御さんたちがどれほど素晴らしい人々であるかが力説されている。魂のレベルが高いなどという表現まである。すぐれた魂は周囲を圧倒する、のだそうだ。
    ある意味、悲しい主張だよなと思う。誰かが出生前診断の結果として中絶されてしまわないようにする、その根拠としてその誰かの美点を挙げるというのは、案外と、当の相手の土俵に乗ってしまってるんじゃないかと思う。生きるのに理由は要らないはずだ。読者諸賢はご自身が生きていくことを正当化する理由を述べよと言われたら、そんなことを問題にされるだけでも不愉快になるのではないだろうか。生命について深く考えもしないまま何となく出生前診断をしてダウン症の可能性が示唆されたら即刻妊娠中絶という流れに抗するのに、ダウン症の人にはこういう美点があるのだからという理由付けをするのは、理由付けしてしまったというその点において、批判しようとしている相手と同レベルの議論なんじゃないかと思う。
    しかしある程度は確信犯的にそのレベルまで降りてでも主張を通すのが実践的な道徳なのかもしれない。ダウン症だろうが自閉症だろうが「それが何か?」というのが真っ当な感覚だろうと私は思うのだが、それで澄ました顔をしていては、ダウン症は即刻中絶という考え方の人たちとの差は埋まりそうにない。それが戦略というものだと仰るのなら、それはそれで理解できるお話ではある。
    しかしダウン症の人たちの対人関係能力の良さを褒め称えた、その返す刀で「人間関係調節能力の決して高くない人も少なくない現実や、こころもすさむような事件の数々を思い・・・」とやられると、正直、「またかよ」と溜め息をついてしまう。どうしてダウン症の関係者は自閉症をネガティブコントロール扱いにするかね。こちとらその「人間関係調節能力」が「決して高くない」どころかもう障害レベルに低い息子を育ててるんですけど。じゃあ大野先生は「こころもすさむような事件」を起こすような人格障害が出生前診断できるようになったらそういう胎児は人工妊娠中絶しはるのですか?と意地悪くも尋ねてみたくなりますね。
    意地悪い気分にさせられる要素としてもう一つ、「そうは言ってもあんたが育てる訳じゃない」って、言っちゃって良いかな。これを言っちゃうと私の人格が疑われるんだろうな。書いてる本人でさえ、ああ俺は卑しいことを書いてるなと思ってますから。でもねえ、あんまり大野先生の論調の首尾一貫ぶりと言いますか、迷い無さぶりというか、そこに一種のナイーブさを感じ取ってしまいます。つくづく卑しいね俺は。
    自閉症児の親として思うことだが、障害児を育てるのは人生にとってそれほど悪い選択ではない。まさに「胸躍る一生があなたを待っている」というものである。しかしその良さを分かるのにはそれなりの苦労が要る。まるで実体験のない、例えば身内に障害者なんて居ない(実はたいてい探せば居るもんだが)初産のご夫婦に、障害児を育てることの奥深さを語ってもなかなか分からんだろうと思う。世の中の真実には、教科書に書いてあることを読めば分かるものもあれば、座学よりももう少し深い体験をしないと分からないものもある。やっぱり当事者は苦労するものですよ。当事者ではない人に障害児のすばらしさを手放しに喜ばれても、その人から視線をちょっと逸らして寂しげにふっと笑う程度の応対しかできないような、そういう苦労はやっぱりあります。現実にはね。いろいろと。

  • 悪について  中島義道 岩波書店

    中島 義道 / 岩波書店(2005/02)
    Amazonランキング:8,128位
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    市民の限界と哲学者の凄さを教えてくれる一書
    「悪」概念の相対化の導入として
    カント倫理学 最良の入門書


    内田樹先生を尊敬しますとは堂々と言えるかも知れんが
    就職の面接で中島義道先生の愛読者ですなんて言った日には
    その場で不採用決定になりそうな気がします。

  • プラネテスと自閉症関連

    「プラネテス」には幾人か「それっぽい」人が登場します。
    コミック第4巻に登場する「男爵」はAsperger症候群なんだろうなと思います。デブリ回収員として宇宙に出てくるレベルの知性を持ちながら対人関係がまったくダメで、「ともだち手帳」を携帯して『教訓361 相手の目を見ながら話す』『名前を覚える』『女性に年齢を尋ねない』『食べかけを他人にあげてはいけない』などなどの「教訓」を書き込んで覚えようとしています。「友達ひとりもいないの」ときかれて「わからない・・・口頭でさえ今まで確認をとれた事がないんだ」と答えてしまいます。
    男爵は自分を、もともとは地球外の「レティクル人」だったと自称しています。レティクル人はテレパシー器官をもっているので、同じ器官を持つもの同士なら意思や感情を表に出さなくとも相手に伝わるのだそうです。彼は銀河連邦調査局辺境文明監察隊の一員として、宇宙進出を始めた地球人たちを軌道上から監視するべく地球にやってきたのですが、長い任期の退屈しのぎにミステリーサークルとかキャトルミューテーションだとかの悪戯をしすぎて、体を地球人に作り替えられ地球に置き去りにされたとのこと。
    その彼が言うには「この星系はまだ銀河連邦の一員じゃない。だから他星人や銀河共通文化に対する免疫がない。つまり、僕のような者がこの星系で友愛を育むためには、まず君たちのコモンセンスやモラルを学び受け入れないといけないって思うんだ」とのこと。
    そういう彼がデブリ回収員として宇宙船乗りになれてるってことは、現代は就労にも苦労しておられるAsperger症候群のひとたちもこの時代にはそれなりにやっていけてるってことかと思います。宇宙船乗りになって以降も社会の基本的なルールを「覚える」のに独り手帳に書き込んで勉強をつづけているのには、もうちっと何かこう上手くできるようなデバイスが開発されていないものかなとも思いますが・・・
    もうひとかた、田名部愛という極めて重要な登場人物は、幼少期に全く言葉がでていませんでした。
    公式ガイドブックには、このことを指して「彼女は捨て子で、幼少期は自閉症だった。」とさらっと解説しています。「自閉症だった」とあたかも自閉症が完治するかのような過去形の表現はカチンと来ます(例えばドナ・ウイリアムスの著書の邦題が「自閉症だった私へ」というのはかなり物議を醸しています)。これはガイドブックの独走かと思います。原作には養父母が「医者はなにも異常がないといっている」云々の会話をしていますが、まさか2070年代に自閉症の診断がつかんということはないでしょうよと思います。症状もなんか違うような気がする。