特攻とは何か
森 史朗 / 文藝春秋
ISBN : 4166605151
特攻を命じられた側の記録は多くあるが、本書は「命じた側」であるところの大西瀧治郎氏の評伝を中心に、そもそも特攻とは何であったのかを丹念に解説してある。
大西は海軍特攻の創始者とされた人物である。
カテゴリー: 読書
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「特攻とは何か」 森史朗著 文芸春秋
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買ったーーーーー
「日本沈没」の第2部が出ました。
朝刊の広告で見て、仕事が引けたら本屋に直行して買ってきました。
アマゾンからライフログ引こうと思ったんだけどまだアマゾンにも登録してませんね。
もうアマゾンから送り届けられるのにかかる時間すら惜しいと思いました。
まあ、著者のペンネームのもとになった土地に住んでる訳ですし、
その土地で大学生相手に商売してる本屋に置いてなかったら世も末だと
(いや本当に日本は沈むんじゃないかと)
思いましたが、平積みの最後の一冊で残ってました。
入手の状況としては最善ですね。やっぱりそれなりの土地に住んでるんだね。
大学のころ古本屋で見つけた「日本沈没」を読んでかなりな衝撃を受けました。
普段に当たり前と思っている、ものを考える際に無条件に前提にするような事柄が、崩壊していく。
田舎の高校から京都に出てきたばかりの無邪気な医学生にはもう贅沢すぎるような本でした。
第1部がすでに地元でも古本屋でしか入手できなくなっていた時代から、幾ら待っても第二部が世に問われる様子はなく、ときおり報じられる近影はどんどん年を召されていき、これはもう絶筆かなと失礼ながら思ってましたが。
その間に私は医者になり、阪神大震災を経験し、いまは医療崩壊のまっただ中に居るわけですが。
実はまだ読み出していません。
読み出したら徹夜になるに決まってるんで。
週末に心を落ち着けて読み始めます。 -
上達の法則
上達の法則―効率のよい努力を科学する
岡本 浩一 / PHP研究所
先回に書いた上達云々の話のネタ本。というか、なんか自分で考えたことのように勘違いしてたけど。そういえばそんな本もあったと思って読み返してみたら、先回記事は全然オリジナリティが無いことが判明した。でも自分が書いたものででもあるかのように、本書には違和感がない。読むだに、そうだよなそうだよなと頷かされる。
まあ私とて多少は上達したけれども、小児科診療の上にはまだ上があるはずだし。世界が変わったかのように感じられて、ああ俺も上達したなと思っても、また次の段階で世界が変わって見えたりすると、以前の「悟り」はまだ幼いものだったなと自嘲することになったり。いやもう昔の退院サマリーなんてこっぱずかしくて読めたもんじゃないですからね。本書にも、「脱皮を重ねるようにして上達していく」という表現があるが、そういうことなんだろうなと思う。 -
「誤診列島」と三枚摺り
誤診列島―ニッポンの医師はなぜミスを犯すのか
中野 次郎 / 集英社
ISBN : 4087474275
スコア選択: ※
医療問題を扱っておられる弁護士さんがブログで激賞しておられたので一読した。この弁護士さんは文体に関して私よりも寛容であられるようだというのが第1印象。語り口は読むに耐えない。真面目な話題は真面目に話すものだと思う。編集者は何をしてたんだろう。語り口が全てだと喝破した構造主義者は誰だったか。でもまあ著者の人格を腐したところでその著書の誤謬を指摘したことにはならない。上品な私はこの問題をこれ以上は追求しない。
本書を通じて、「ニッポンではこうだと聞く。じっさい私が教えた医学生はこうだった。翻ってアメリカではこういう制度になっている。じっさい私が若い頃はこうだった。(だからアメリカの医療はすばらしい。ニッポンはダメだ)」という論調であった。じっさい、この人が伝聞された「ニッポン」と呼ばれる地域の医療情勢は悲惨だ。いったいこのニッポンという地域は地球の何処にあるんだろう。近寄りたくないものだ。私は日本国で医師をしてて本当に良かった。でもアメリカでも、そんな素晴らしい医療を行えてる国から漏れ伝わる悲惨な状況ってのはどうなのよと思うけど。
むろん、本書のニッポン医療批判を、われわれ日本国の医師も、他山の石として参考にするべき点は多々ある。特に、アメリカの開業医は病院に患者を入院させた後も自分が主治医として治療を続行するというが、この制度が医療の水準を維持するのに一役買っているという。この点が最も興味深かった。病院もどの開業医からでも引き受けるというのではなく、ある一定水準の診療能力を持った開業医と認めない限り入院特権を与えない。どこの病院に入院特権を持ってるってのが開業医のステータスなんだそうだ。
リスクマネージメントな面もある。病院としては、ヤブな開業医のヘボい外来診療のツケを払わされてはたまらない。開業医もまた、自分の患者を入院させた病院で事故を起こされては堪らない。互いに外部の眼で監視することになる。実際に何かあったら、その責任の所在を明らかにしないと自分に火の粉が降り掛かるのだし。
ようは「三枚摺り」なんだよな、これ。完璧な平面を作る方法ってやつ。平面を作るには素材をすり合わせて凹凸を取り除けばよいのだが、二枚ですり合わせると片方が凹・他方が凸の曲面になるかもしれない。でも素材を3枚用意して、どの二枚を選択してすり合わせてもきれいにすり合うように加工したら、そのすり合わされた平面は完全な平面になる。 -
終末のフール
終末のフール
伊坂 幸太郎 / 集英社
ISBN : 4087748030
あと3年で世界が滅ぶという状況で、それでも幸せだと言い切る人として、重い病気のお子さんを持った父親が登場する。「小惑星が降ってきて、あと三年で終わるんだ。みんな一緒だ。そうだろ? そりゃ、怖いぜ。でも、俺たちの不安は消えた。俺たちはたぶん、リキと一緒に死ぬだろ。っつうかさ、みんな一緒だろ。そう思ったら、すげえ楽になったんだ。」
もしも3年後に世界が滅ぶとなったら、息子に将来の就労とか自立とか言うことを考える必然性がなくなる。そうなったら息子にどうするだろうかと自問してみる。育成学級にやるのを止めるだろうか。好きな折り紙や工作や機関車に没頭させて過ごさせるだろうか。
障害児教育は将来の就労のために現在を犠牲にするばかりのものではなかろう。その子が成人するまでに世界が滅亡するとなったら継続する意味を失うような、そういう、現在のその子に対して意味を持たない療育なら、たとえ世界が滅びなくとも、あんまり価値が高くはなさそうな気がする。
実際には自閉症児への教育は、そのまま現在の生活への支援であって欲しいものだと思う。定型発達の多数派が運営する文化の中で、現在を暮らしやすくすることが、そのまま将来にも繋がるようなもの。 TEACCHにはそういう理想があるんだと思っている。だから、例えば3年後に世界が滅ぶとなっても、その3年間のためにTEACCHプログラムは続くんだろうと思う。そして、もしかして滅亡が誤報であって世界が存続するというどんでん返しがあったとしても、それほど大きなぶれは生じないだろうと思う。
そうは言っても、やっぱり将来の就労を考えなくて済むってのは気楽だろうなと思う。一種の麻薬的な誘惑を感じてしまう。生活を覆うもやもやのかなりの部分が拭い去れそうに思う。シンプルに現在の息子の良さだけを見て生活できそうな気がする。案外とそれは幸せで貴重な日々になりそうな気がする。自分も案外とこの(土屋さんという)お父さんと同じような幸せな気分を味わうかもしれない。自己憐憫で潰れさえしなければ。そして、もしも小惑星衝突が誤報だったとして、その結果息子の就労の問題が現実の懸案事項として復活してきても、そうした幸せな日々を過ごしてこられたら、それを糧に十分に対処できるような気がする。 -
創傷治療の常識非常識
創傷治療の常識非常識―〈消毒とガーゼ〉撲滅宣言
夏井 睦 / 三輪書店
ISBN : 4895902021
創傷治療の常識非常識〈2〉熱傷と創感染
夏井 睦 / 三輪書店
ISBN : 4895902412
これからの創傷治療
夏井 睦 / 医学書院
ISBN : 4260122533
夏井先生の仰るとおりに外傷治療を閉鎖療法で行うと、ものすごくよく治る。実際に外傷の診療にあたる立場の臨床家には、最近はスタンダードになりつつあるんじゃないかと思う。むろん消毒とガーゼを頑迷に使い続ける人らもあるけれども、閉鎖療法の治りの良さを知ってそれでもなお意識的に消毒薬とガーゼにこだわる向きってのは少数派になりつつあるんじゃないかと思う。
実はNICUでも閉鎖療法の考え方は重宝する。極低出生体重児の皮膚はサージカルテープを剥がすだけで表皮剥離を起こしかねないほど弱い。夏井先生の本を読んだら、彼らの皮膚の処置に消毒薬やガーゼを使うのが恐くなった。彼らの脆弱な皮膚でも、よく洗浄したうえでフィルムドレッシングなどを駆使すると、傷の治る速さが全然違う。今までなにしてたんだろうと思うくらいに。リバノールなんてもうお払い箱である。
閉鎖療法に今さらケチをつける向きがあるんだろうかとも思うのだが、夏井先生の著書を拝読すると、EBMに対して先生は過剰なほどに攻撃的である。よほどエビデンス云々と陰口をたたかれてるんだろうかとご心労が偲ばれる。なに言われてもほっておけばいいのにと思う。そんな陰口をたたく奴らなんて、自分では外傷の治療なんてしないようなお偉い大先生ばかりなんだろうから。読者としては淡々と閉鎖療法の解説が述べられてあるだけで十分である。 -
赤ちゃんがピタリ泣きやむ魔法のスイッチ

ハーヴェイ・カープ 土屋 京子 / 講談社
ISBN : 406211576X
生後2週間から3ヶ月くらいまでの赤ちゃんの、突然の大泣き。それまでは全く機嫌良さそうにしていたくせに、泣き出すと何をしても泣きやまない。一晩だって勢いよく泣き続けかねない勢い。この泣き方に悩まされる親御さんは多いと思う。魔法のスイッチのオンオフでこの悪夢のような大啼泣が収まってくれたらと、お思いになった親御さんもまた多いはずである。
本書は、そういう赤ちゃんを泣き止ませる方法を、具体的に解説してある。まるで魔法のスイッチを操作したかのように、泣き狂う赤ちゃんがぴたっと泣き止むという。
あまりに夢のような出来過ぎたお話で、タイトルには胡散臭い印象が拭えない。しかし内容は真っ当なものであった。決して、秘孔の突き方を解説する書物でもなく、自作の機器類や薬品を宣伝する書物でもない。代わりに、おくるみとか、適度の「騒音」とかといった、古来からの知恵を上手に解説してある。洗練されたオーソドックスという感がある。失敗しやすいポイントも丁寧に解説してあるので、独学で実習せざるを得ない新米のお母さんやお父さんにも親切な本である。
昔から、老練の小児科医や保育士には、抱くだけで赤ちゃんが泣き止むという「魔法の腕」伝説が言い伝えられる人があるが、恐らくは本書に記載された内容を長年の経験で会得し実行されておられるのだろうと思う。監修の仁志田博司先生はご自身でそう仰ってる。
無論、赤ちゃんは病気で泣き止まないこともある。さすがに腸重積で泣いている子に本書の「魔法のスイッチ」で対応していては致命的だ。本書では、本書の「魔法のスイッチ」に頼らず小児科を受診するべきなのはどういう状況であるかが簡潔かつ的確に解説してある。この解説を読むと著者は小児科医として優秀な人なのだろうなと思える。とかく「訳もなく泣き止まない」という主訴には、夜間の小児救急担当医もまた悩まされるものだが、この主訴に関するまとめとして、本書は小児科医にも勉強になる。
本書の根底には、人類の赤ちゃんは理想よりも3ヶ月早く生まれてくるという発想がある。脳が大きくなりすぎて、それ以上待つと頭が産道を通らないのだ。とりあえず下界に出てみただけの、この生後3ヶ月くらいまでの赤ちゃんは、子宮内の環境を模倣してやれば落ち着くということではないかと著者は言う。これは、普段から私たちがNICUで「ディベロップメンタルケア」とか称してあれこれ工夫している活動とも共通する。新生児科のスタッフや発達心理学の研究者には、首肯する人が多い考え方ではないかと思う。
読者諸賢には、どうしてもっと早くに本書を紹介しなかったのかと恨めしくお思いになる方もいらっしゃるのではないかと、それだけが危惧される。ご勘弁賜りたい。 -
切腹
切腹
山本 博文 / 光文社
ISBN : 4334031994
スコア選択: ※※※
「切腹」には切腹の事例が多数記載されている。一読して、些細なことで腹を切ってたものだと思った。ずいぶんと微罪で切腹している。他藩とのいざこざで面子を立てるために腹を切らされた武士もある。侮辱されて憤懣やるかたなく切腹してしまう武士もある。命も腹も一つしかなかろうに粗末に扱うものだと思った。
切腹はある意味で名誉であった。そもそも不届きな罪人なら斬罪その他の刑罰があり、その際は遺骸は埋葬も許されず、家も断絶であった。切腹の場合は埋葬も許され、家も潰されなかった。だから赤穂浪士は切腹を命じられて、他の処刑方法でなかったことに喜んだという。しかし切腹すべき時に本人が臆病で腹を切れなかったら、毒殺など他の手段で死刑になり、その際は家禄も没収だった。従って家禄を維持する目的で親戚に無理矢理切腹させられる武士もあったとのこと。
旗本の場合など念が入っていて、落ち度があった場合、調査の担当者から直々に被疑者に問い合わせが入る。直属の上司も通さず、極く内々の質問である。この段階で被疑者が腹を切れば、事件についてはもちろん、切腹の事実すら公式記録には残らず、病死として処理される。問題は表に出ず、無論、家禄は安泰である。このタイミングを逃して切腹し損ねたら、後には不名誉な取り調べと処罰が待っている。家は取りつぶしで妻子は路頭に迷う。
私もまた妻子を人質に取られたら、口を閉ざしたまま、無い度胸を振り絞って腹を切るかも知れない。自分ばかりが腹を切るのは不当だという思いがあったとしても、大抵は自分一人に責任をかぶせるスキーマが出来上がってるものだ。抵抗したとて結局は自分一人が腹を切らされるのは変わらず、家族を路頭に迷わすだけ余計である。そういう家禄云々を考えると、腹を切る武士の気持ちが少しは推し量れるような気もする。報道関係の皆様にご指摘頂くまでもなく、これでは巨悪が笑うのだけれど、家族が生きていくのが優先だ。
こういう処理法の裏には、旗本にはもともと悪事をはたらくような人間はいないという建前があったという。構成員についての性善説を標榜し、対外的には処罰の事実はもちろん事件の存在すら揉み消し、処罰される当人には残される家族の安堵と引き替えに一人で責任を背負い込むことを強要し、従って対内的にも事件の教訓が生かされず、本来責任を負うべき人間には咎めもなく・・・なんだか過去のお話ではないような気がする。随分と身近な業界のことのように思えて汗顔の至り。 -
小児の「うつ」について大変勉強になった一冊
子どもの心がうつになるとき
デービッド・G・ファスラー リン・S・デュマ 品川 裕香 / エクスナレッジ
ISBN : 4767803519
一読して感動したので再読中である。大変に勉強になる。対象読者を主に親御さんにおいて書かれているが、小児プライマリ・ケア担当者(医師にせよ看護師にせよ保健師にせよ)にも必読書である。
小児にも成人同様の「うつ」が独立した疾患として存在する。対して、健康な子もときには「落ち込む」こともある。そういう健康な心理の反応としての「落ち込み」と疾患としての「うつ」をどう見分けるかに始まって、小児のうつについて症状・診断・治療を詳しく解説してある。
小児科医として本書を読むと、いわゆる「不定愁訴」として対応に苦慮していたこどもたちを拝見する際の視野が広がったように思える。小児のうつは必ずしも精神症状ばかりではなく、肉体的な症状として現れることも多いようであるから、尚のこと、診察の際には診療側で鑑別診断に挙げる必要がある。今後はその目で診ることも心掛けてみようと思う。
また、うつの話題を離れて一臨床家として拝読するに、著者の臨床の姿勢は素晴らしいものだと思う。決して薬物のみに頼らず、家族間の関係や社会的事情など子どもを取り巻く周辺事情まで包括的に勘案していく。これはまさに小児科臨床の理想である。うつに限らずどういう分野を拝見するにしてもこういう姿勢でありたいものだと思う。臨床のモデルとして、特に自分のスタイルを模索中の若い臨床家には、著者のスタイルをぜひ参考にして欲しいと思う。私もまたかくありたいと思うのだが・・・「それによアーロン・・・もう無限の可能性を信じるってトシでもねえんだ俺は」。
なにより著者からは「もう手遅れ」というメッセージが全く発せられない。あくまでも著者は子どもを支えようとする親に語りかける。本書では著者は、本書に登場するこどもたちや親御さんと目を逸らさずに語り合うことができるはずだ。重篤な症状に苦しむ子や親を指さして肩をすくめ「こうなっちまったらお終いなんですよ」みたいなことをまだ軽症の人びとに向かって語るという姿勢ではない。あるいは「こんな非生産的なことに人生を費やしてるなんて情けないよね」とか「こんな奴らが増えたら社会は困るよね」みたいなことを社会に向かって告発するわけでもない。最近そういう本を読んで暗澹としていただけに、児童精神科も捨てたもんじゃないなと見直した次第である。
発達障害児の親として拝読すると、種々の発達障害にうつが合併していることが意外に多いという指摘が興味深かった。これは本邦の横山浩之先生も「軽度発達障害の臨床」で紙数を割いて解説されていることである。発達障害の症状かと思ってたらじつは合併するうつの症状であったという事例が両書に挙げてあった。うちは大丈夫かなと思った。これから思春期で一波乱あるはずだし。
気がかりな点もある。子どものうつを治療するのにどのような治療者を選べばよいかということまで解説してあるが、著者の眼鏡に適う臨床家がいったい本邦には何人あることだろうか。母校の精神科教室には申し訳ないが、京都にはなかなか本書の記載を満足するような臨床家が思い当たらない(私自身も含めてのことであるから、これは他を責める言説とは取らないでいただきたい)。本書をお読みになった親御さんが相談にお出でになったら私はどうしたらよいのかというのが目下最大の難問である。
本書のタイトルには一言申しあげたい。このタイトルでは、子どものうつが本格的な疾患ではなくて一時的な気分の落ち込みであるかのような誤解を招くのではないだろうか。そうではない、子どものうつは深刻な疾患なのだというのが著者のメッセージであるのに。ちなみに原書のタイトルは “Help me, I’m sad” である。 -
「私の嫌いな10の人びと」中島義道著・新潮社刊 真っ当で狭量な主張
「私の嫌いな10の人びと」中島義道著・新潮社刊を読了した。
中島先生の仰ることは本作でも至極真っ当である。方向性としては決して間違ってない。単に了見が極端に狭いだけだ。その狭い了見の依って立つところを至極明瞭に言語化できるのが先生の異能なのだ。
本作で先生は嫌いな人間のタイプを列挙しておられるが、総括すれば、考えるということに関して怠惰な人ということなのだそうだ。これは内田樹先生が常々仰る、「身体で考える」ということにも通底するのかと思った。この2人の考えていることはかなり近いように思う。
この中島先生の極端な狭量さには、一種の嗅ぎ慣れた臭いがある。息子に、あるいは多少なりとも自覚もしている、独特の臭いである。妻もまた同意見のようで、中島先生の著書は新刊が出るたびに夫婦のどちらかが買い求めてくる。読みながら、息子が満足にものを言えたらこういう事を言いたいんだろうなと妻は言う。ことに、どの著書でであったか、先生が灰谷健次郎さんの著書を評して、灰谷さんの言うこの「やさしさ」が理解できない人間はどうすればよいのか云々と書かれているのを読んで、私もその感を強くした。先生これが分かりませんと仰るなんてそれだけでウイングの三つ組みの一画が埋まりますぜと思った。
蛇足ではあろうが、本書に中島先生と小谷野敦さんとが論争された顛末が記されてあり、濃い組み合わせの論争であるなと思った。中島先生は小谷野さんに人格を攻撃され、カント研究者とも思えぬと評された。中島先生は、いやカントもまた人格的には低劣な人間であったと私は常々主張してきたのだから、私の人格を腐すのは勝手だがカント同様に低劣な人格であると言って貰いたいと答えられた由。
