• オーストラリアに負けてるじゃないか こら

    オリンピックの野球は準決勝で日本がオーストラリアに負けているじゃないか。
    予選リーグで負けたときは何かの余興かと思ったんですけどね。まさか決勝トーナメントでも負けるとは思いませんでした。ほんとに強かったんですねオーストラリアは。日本は嘗めてかかってませんでしたかね。私は嘗めてましたね。勝つものと決めてかかって観戦しなかったし。
    ウイリアムスって怖いピッチャーだったんだなあ、とため息が出る。予選リーグでのオーストラリア戦は観てたんですが、ピッチャーがウイリアムスって聞いておいおい俺はどっちを応援すりゃいいんだって思いましたね。まあ他で沢山勝ってるしって、関西圏にはオーストラリアを応援した人もけっこう居たんじゃないかな。
    予選リーグに限ればですよ。阪神からは中継ぎの安藤さんも出てるんだし。
    こんな凄い抑えを擁してて何でそんなに不甲斐ないんだ?帰ってみればチームは最下位目指して沈降中。安藤と苦笑いってとこでしょうね。阪神2軍は快進撃中。阪神の選手って一軍以外では凄く強くなるような事情があるのでしょうか。

  • 当直中

    平穏。
    ほんとは忙しかったはずなんだけどな。ちょっと寂しい。
    亡くなった子の退院レポートを書いて一区切り。
    発達外来で参照するってこともなし、簡潔に。
    入院カルテが一過性多呼吸の4日間入院の子のカルテ並みに薄い。
    やっぱ超未熟児のカルテは重量が本人の体重を超えてなんぼだね。
    ライフログに挙げてある「赤ちゃんの死を前にして」をこういうときは読む。
    俺ってお定まりで分かりやすい医者だなと少し自嘲する。
    この本は、凄い語弊のある言い方をすれば、「赤ちゃんの死の取り扱いマニュアル」である。
    赤ちゃんの死に対応するマニュアルがある時代。
    良い時代だ。皮肉じゃないよ。
    そりゃマニュアルに縛られてちゃ一流選手にはなれないさ。でもマニュアル読んでなきゃボール投げてくるのが一塁手だか投手だかってのも分からない。撃ったら1塁方向へ走るのかバックネットをよじ登るのかの区別もたぶんわからない。撃つ前から、そもそもバッターボックスが識別できるかどうかも分からない。バット持って構えたら、君そこは3塁コーチボックスだよなんて言われたりして。あるいは、君それは卓球のラケットだよって言われたりして。その場で言ってくれる誰かが居たらまだ良い。あれー何か変だなーなんてとぼけた事を言っているうちに試合が終わって自分1人間抜け扱いになっているってのは願い下げだ。思い切りバットを強振したらそこは観客席で、お客さんの頭蓋骨陥没の責任を負う羽目になるなんてアホなことになったらなお厭だ。
    このマニュアルについて論じれば、必読書である。一読後に、今までこれを読まないままNICUに居たのかと背筋が寒くなるほどの書物である。値段に0が一つ増えてても黙って買って読め。0二つ増えてたら黙ってなくてもよいから、それでも読め。そういう書物。
    分野が分野だけに、これはエビデンス云々というよりも物語医療の範疇に入る書物である。物語医療には、いつ覆されるか分からん危うさは常に付きまとう。「母性本能」という語がいまどういう扱われかたをしているか考えてみると良い。でも現時点ではこの書物は必読。あとでこれを否定するにせよ肯定するにせよ、この分野にはこれしかないのだから、読まないと始まらない。スタートラインの本である。

  • それでも私は患者を治すのだ 自分が生きるために

    不幸になれる権利 あるいは病気になる権利 死ぬ権利
    一昨日に突然母体搬送されてきてその日に出生した22週の超早産の赤ちゃんに、2日間付き添っていました。昨日の午後に大量の肺出血をおこし、この未明に亡くなりました。
    この子の誕生から死まで約37時間のうち、33時間ほどをNICUで共に過ごしました。人の一生を通しで最初から最後まで見届けました。つくづく因業な商売です。
    この子の一生は何だったのだろう。私は問わねばなりません。私は傍観者ではないから。私がこの子を生かすと決めたのですから。分娩に立ち会い、分娩の衝撃で止まりかけたこの子の心臓を動かしたのは私ですから。自分が神だとか人だとか言ってられません。私にはこの子の生に責任があります。
    自分は何のためにこの子を生かしたのだろうと、私は問わねばなりません。集中治療というのは決して痛くも痒くもないものではありません。耐え抜けば良い結果が待っているという前提があってこその母子分離であり気管内挿管であり動脈静脈ラインであり経管栄養です。孤独な保育器の中での集中治療しか経験しない生というのが、果たしてこの子にとって最善の生であったのかどうか、私は問わねばなりません。
    代替案としてどのような生があったか。蘇生を最初から試みないという選択肢があったかもしれません。分娩後、そのままお母様に抱いて頂き、お父様やお兄さんお姉さん(1人ずついらっしゃいました)の見守る中で、ひっそりと数時間、ご家族で静かに過ごして頂くという選択肢があったかもしれません。私もそれなりに悪党ですから、それが刑事事件に発展するようなヘマはしません。それなりの経験を積んだ新生児科医としての私には、蘇生は不可能と判断しましたと証言する権威があるはずです。そもそも、22週というのはそれくらい厳しい週数なのです。
    この子に挿管したとき、長期生存し退院してご両親の元で楽しく暮らせるようになると言う見込みを私はどれくらい持っていたのでしょう。正直申し上げれば、うちのNICUで生き延びた子のうち最も早産の子でさえも24週です。22週はおろか、23週でも生存退院した子はありません。傍観者の立場で冷徹に(幾分かシニカルに)考えるなら私如きが手を出すべき週数ではありませんでした。でも京都のNICUに人工呼吸管理可能な空床を持っていたのは私らだけでした。京都府外へこの母体搬送を送り出すのは無理でした。途中で墜落分娩してそのまま亡くなるのが目に見えていましたから。
    立場上、分娩に立ち会う小児科医は赤ちゃんを生かしに来るのです。母体搬送の紹介元の産科開業医の先生も、赤ちゃんのご両親も、搬送を受けた当院の産科勤務医も、みんな、私が赤ちゃんを生かしに来るものと思っています。それが当然であると思っています。このシステムの流れに乗ってしまうなら、私にとって一番楽なのは、蘇生して全力を挙げて集中治療を施し、結果は赤ちゃんと天に任せるという、まさに今回私らがとった方針でした。
    私に何ができたでしょう?
    ひょっとしたら、分娩前に産科医に断ってちょっとご両親とお話させて頂けたかも知れません。うちの病院のNICUでの在胎週数別での生存率をお話ししたうえで、蘇生を控えるという選択肢があると提案させて頂けたかも知れません。おそらくご両親はそのような選択肢があるとは思いつきさえしておられなかったことでしょう。その選択肢を提示してこそのインフォームド・コンセントというものでしょう。
    しかしそれで私の責任が軽減されるのか?
    それは虫の良すぎる話です。
    ちょうどクリスマスの頃に生まれる予定であったこの子が、いきなりこの夏の暑い盛りに超早産児として生まれてくると、ご両親が予期していたはずがありません。母体搬送の当日まで、今日中に分娩することになるとは思いもつかなかったはずです。
    それに、親として、我が子を蘇生するかしないかの選択を迫られるという状況を、そんな過酷な選択がこの世にあり得るという可能性すら、医療関係者でもない若いご夫婦が今日の今日まで想像すらしたことがあったかどうか。
    あるわけがありません。
    この状況のご両親に、後々までそれが最善だったと納得できるような選択ができるほどに、冷静な判断力や余裕が残っていたわけがありません。そのご両親に、この、いずれを選んでも辛い選択を強いるのが、そして子の生死に責任を取らせるのが、先進的な医療倫理と称する代物なのでしょうか。それは単に私が何も知らないご両親に責任を投げているだけではないでしょうか。
    どのみち、この責任を私が肩から降ろすことはあり得ないのです。私は傲岸に虚勢を張って、自分達は(親御さんも含めて)最善の選択をし最善の医療をこの子に施したとの、物語を語ったつもりです。せめてその物語がご両親を癒やしてほしいと思います。
    研修医時代の師匠が、ワシは大嘘つきやからなあ、と笑っておられた意味が、最近分かってきたように思います。

  • ご出産おめでとうございます。

    「萌える」ナース とは?
    超未熟児の分娩は緊急のことが多いです。ちょっと出血したかな?と思って産科を受診したらその足でNICUのある病院へ送り込まれ当日中に緊急帝王切開になるというのが、よくあるコース。お母さんも予定外ならお父さんもなお予定外。仕事先にいきなり連絡があって「奥さんが産科に入院していまから緊急帝王切開です。」なんて言われた日には驚愕でしょうね。おいおい今日産科に行くって言ってたか?ってなものでしょうね。
    数年前うちのNICUで緊急帝王切開で26週898gの超未熟児が出生した折、まだ驚きから覚めやらぬままにNICUに入室されたお父さんに、開口一番、「ご出産おめでとうございます」と挨拶したナースがおりました。超未熟児の入室直後の常で、人工呼吸器を調整してサーファクタント使って静脈ライン2本(末梢と中心と)と動脈ラインを確保して、と、準夜の大忙しの時間帯に私と彼女で奮闘して、彼女もへろへろに疲れていました。
    後々まで、お父さんはそのときの感動を語っておられました。お父さんにとって、この赤ちゃんがこの瞬間に我が子になり、降って湧いた災難の源ではなくなったということでした。この子の病状はこの後も難渋を極め、今も歩くときにはすこし足を引きずりますが、元気に育っています。

  • うちの病院はもうダメなんじゃないだろうか

    生まれたての超未熟児を夜通し診ていた当直明けの早朝、困り果てた感じの当直看護師さんから電話が入った。「大人の患者さんなんですけど・・・・」救急へ行ってみたら男性が発汗だらだらで寝ておられた。うちの病院の改装工事の作業中に倒れられた作業員の方だと言うことだった。
    看護師曰く「内科当直医が引き継ぎ時間前に帰っちゃったんです。」
    はあ?と絶句しながらも、いかにもしんどそうな作業員の方や心配げな同僚の方たちの前では、その糞医者の舐めた態度に悪態をつくわけにもいかず、いかにも私が救急担当医ですって顔をして診察にかかった。バイタルサインを確かめて、それから何するんだっけ・・・ここまで本格的な成人救急を診るのは何年ぶりだろう。血糖が70だし正常だね、と考え初めて我に返る。成人で70はそりゃ汗の一つもかくわな。70が正常なのは新生児だわ。ああだこうだと時間を稼いでいるうちに、知らせを受けて急いで駆けつけてきてくれた外科の日直医に引き継ぐことができて、なんとか病院の面目は保った。
    それにしても・・・当直の上がりの時間を待たず引き継ぎも無しに帰るなんて、そんないい加減な医者に一般当直を任せなければならないほどうちの病院は逼迫した状況にあるのだろうか。当直看護師はできた人で、非常勤の先生ですからと庇っておられたが、非常勤だろうが研修医だろうが関係ない。当直したら後任者に引き継ぎをするのが責任じゃないか。
    なにより患者さんにご迷惑をかけた。俺たちはこんなヘボ病院のために京都の暑い夏の盛りに汗水流して(おそらくは患者さんは熱射病だった)しんどい工事をやっているのかと見せつけられたら仕事の気力も萎えるのではないか。やってられないですよね。
    まあ、そんな糞医者の診療能力なんてたかが知れているし、NICUからたまに出てくるだけの私よりヘボかもしれんけどさ。

  • まるっきり縁のなさそうな業界で仕事にこだわりのある人のブログ

    包装
    このブログはしょっちゅう読みに行っています。
    きっちりした仕事にプライドを持っておられるのが快いです。その仕事の内容がまるで訳が分からんと言うのもまた面白いです。
    でも細かな工夫を色々されているのが行間から(ってしっかり本文にも明記してあるけど)読み取れてよいです。あんまり他業種の業種ならではの工夫に変な教訓を読みこむとビジネス説教雑誌の記事みたいになって美しくないので、面白いなでとどめます。
    このブログには、変な言い方だけど、素人向けの解説に走らず今の路線を維持して欲しいです。
    医学雑誌ってのも世の中にはあるし病院内では大量の伝票が出回っているしで、印刷とか製本とかの業界に全くお世話になっていないってわけではないのですが、印刷製本って、機械の取り込み口に紙をどさっと重ねて置いて機械の上の大きい漏斗からインクをどぼどぼと流し込んで小さい漏斗からは糊をたらたらと入れてボタン一発押したら真っ白な紙が本になって出てくるものだと漠然と思ってました。失礼しました。それって未熟児を保育器に入れて3ヶ月じっと待ったら太って出てくると言うのと一緒。

  • 医療関係者は今日の内田先生の記事をすぐに読みに行こう

    急変に際して頭が真っ白になった経験のある医療関係者は内田先生の記事を早速読みに行くべきです。今日の「旅行代理店哀話」と、過去の「ゼミが始まったのだが・・・」の二つを。一部引用しますよ。

    こういうときに、どうふるまうかで人間の「器」というものはよくわかる。
    私が知る限り、ほとんどの人はこういう状況に追い込まれたときに、「誰の責任だ?」という他罰的な文型で問題を「処理」しようとする。
    でも、こういう局面で「責任者」を探しても、そんなのまるで時間の無駄である。
    「はい、私が責任者です。今回の件は私が悪うございました。すべて私が責任をもって後始末をぜんぶしますから、ごめんなさいね」
    というような人間が「責任者出てこい!」と言ったらすぐに出てくるようなきっちりしたシステムであれば、そもそもこういうトラブルが起こるはずがない。
    だから、海外でトラブルに巻き込まれたときは、「誰のせいだ?」というような後ろ向きな問いをいくら繰り返してもまるで時間の無駄なのである。
    それより「この窮状からどう脱出するか?」という前向きの問いにシフトしないといけない。
    この「他罰的問い」から「遂行的問い」へのシフトができるかできないかにリスクマネジメントの要諦はある。
    人間の生存能力の高さは、このような局面において、どれほどすばやくかつ快活にこのシフトを果たせるかによって計測できる。

  • 井上康生さんの敗戦に

    今後の井上さんの復活に注目したい。
    スポーツ柔道のメダルを再び勝ち取ることだけが復活だとは思わない。具体的なことには想像力が及ばなくて恐縮だが、本当の復活の姿を見せるのはもっと難しい事じゃないかと思う。単に次の試合に勝つだけなら自らを「強い柔道選手」であると証明するのみなのだが、「真の柔道家」がすむ世界はもう少し次元が高いところじゃないかと思う。
    その道で頂点を極め最強と言われた男がただ1回の敗戦で脆くも潰れてしまうようなら、柔道など高の知れた余興だということになろう。いくら日本柔道の競技レベルが高くてメダルを何枚取れていたとしても、皆が皆オリンピックを目指すわけじゃなし、それだけでは子供たちに柔道を学ばせる根拠にはならない。むしろこの敗北から井上が立ち上がって見せ、なるほど柔道を学べば人生において少々の躓きがあっても強靱に立ち上がれるらしいぞと証明して見せたら、父親としては息子に柔道を学ばせておくのもよいかもしれないと思えてくる。自閉症さえなければね。
    多くの子供たちが柔道を学ぶ。中には学業も遊びも全て犠牲にして柔道に打ち込む子供たちもある。しかし当然ながらその大多数はスポーツ柔道の実績を残すほどの選手にはなれない。いずれかの時点で己の限界を悟って道場を去ってゆく。彼らに柔道の勝ち方を教えるのは他の金メダリストでもできるだろう。しかし負け方を教えられるのは井上さんだけだろう。
    結局、負けてもなお井上さんは柔道界を背負って立つ最強の柔道家なのだ。

  • エキブロ総合病院での提言に

    提案です
    昨日はエキブロ総合病院の運営に関して、量が多い割に具体性に欠けるくだごとを書かせて頂きました。その後、真意をご理解頂いたばかりではなく私では及ばなかった具体的な提言へ止揚していただいています。「まさにこれが言いたかったのよ」って感じですか。
    問題解決能力の高いチームだなと感心しきりです。エキブロ総合病院の実力は相当高いですよ。今後に期待します。
    私自身はあんまり華々しくは参加しないと思います・・・まあNICUは病院の奥まった一角で人知れず独自の道を行き一般病棟や外来の目に付くところには滅多に出てこないものですから・・・トラックバックやコメントでの発言(口出し?)はさせていただくかもしれません。ただし医療相談への回答は自粛します。・・・現役で臨床にいる小児科医でしかも自閉症児の親なんて立場でいざ医療相談に乗りだしたらもう他のことが一切できなくなるに決まってますから。

  • いろいろ変更

    検索機能が付いたのを機にいろいろ変更しました。
    一目瞭然でしょうけど、一応覚え書き的に。
    スキン変更:テキストの分量が「メタルレィディ」には重すぎるようなので。
    医療関係者のexciteブログへのリンクを一気に削除:代わりにエキブロ総合病院追加。
    大抵はここから行けるでしょ。「しんぞうのおんな」は別格ね。
    メモに「われわれの存在を嘆くな」へのリンク追加。必読文献。
    それでは今後ともよろしくお願いします。