• 開院おめでとうございます・・・新生児集中治療室から

    エキブロ総合病院ほんとにできました。
    exciteにブログを作っておられる医療関係者を集めたブログが本格的に動き始めています。物事がうまく動き始める現場を見ているのは幸せな気分です。医療関係者のブログへのリンク集は便利さも格別です。あろうことか不肖「こども」のおいしゃさんである私でさえ有り難くもお誘いを頂きました。目に留めて頂くのは嬉しいことです。
    仕事の不満をぐちぐちとウエブ日記やブログに綴る私のような小僧など相手にしない方が物事は上手く行くとは思うのですが・・・開設についての感想を書かせて頂きます。滑り出し前に書かれるといきなり腰が砕けるような内容ですが、これだけ順調に出発された後ならば私が少々水を差したところで動きが止まる事は無いでしょう。物理には慣性の法則というものもありますし。

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  • 犬文字

    京都に出てきて間もなく寮の先輩から聞きました。ほとんど伝説化していて具体的に何時の時代に誰がやったのかは先輩も知らなかったのですが(本当にあったことなのかほら話なのかも分からない)。その後複数の筋から同じ話を聞きましたし割と有名なことかもしれません。
    大文字山の火床に強力な光源を(電灯という説もあり焚き火という説もあり)学生が持って登って、大文字を犬文字にしてしまったというもの。
    後の顛末も、大文字山じゅうを追いかけ回されたとか笑って済まされたとか色々な説があります。昔から京大生は「学生はん」と呼ばれて少々の羽目外しは笑って済ますのが京都の伝統ですから案外と笑って済まされたのかもしれません。ものが何であれ血相を変えて怒るのは何か京都らしくないような気もします。
    大文字はうちの病院から間近です。ゴルゴ13なら大文字の火床から病室の入院患者を狙撃できると思います。
    うちの隣の幼稚園は年長組の遠足で大文字に登ります。さすがに、割と剛毅な幼稚園だなと思います。

  • 戦争に負ける手続きすら知らなかった

    半藤一利さんの「昭和史」を読んで色々と勉強になりました。その一つが、太平洋戦争は始める手続きも失敗したけど終わるときの手続きも阿呆だったってことです。
    8月15日は本来「終戦の日」と呼ぶべき日ではなさそうです。あくまでもこの日は無条件降伏の意向を日本が表明した日です。戦艦ミズーリの船上で降伏文書に調印したのは9月2日です。例えば8月20日あたりに旧連合国の一国がとつぜん本土に上陸侵攻していたとしたら、それは国際法違反だと言えたのでしょうか。「まだ日本は正式には降伏してないんだから我が国と日本は交戦状態にある。内部的にどんなラジオ放送していようが当方の関心事ではない」って言い張られたら辛かったんじゃないかな。

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  • ふたごふたごふたごみつご

    多胎児だらけ。
    1200・1800双胎の分娩があった日の準夜に29週品胎1児死亡の母体搬送オファーがある。先だっての超未熟児双胎もまだNasal-CPAPとれていないのに。その前の双胎もまだ未熟児無呼吸発作が落ち着かなくて保育器からでられないのに。その前の双胎がようやっと週末帰るところまでこぎ着けたところなのに。まだ生まれていない双胎も産科に待機中なのに。
    ふたご・ふたご・ふたご・ふたご・みつご。うちはもう保育器一つも空いてませんよ。
    着床させるだけの不妊治療ならNICUを持たない産科施設でも可能です。でもねえ・・・・・周産期のNICU病床数の保証もない京都の現状で不妊治療が先走るあまり多胎が連続するってのは思慮が浅いような気がするんですがね。人間の不妊治療は鮭の人工孵化じゃ無いんだから数ばかりたくさん妊娠させて後は勝手にねって放流するのはお門違いですよ。
    29週品胎1児死亡(2児生存ね)の赤ちゃんは別々のNICUに一人ずつ入院されたそうです。品胎(三つ子のことね)なんてNICUに縁なく過ごすのはまず無理なんだからNICUのない施設で作っちゃいけませんよ。一人1500gずつでも合計4500gですよ。小学校で算数を習ってきたんなら分かるはずだよ。そりゃ医師国家試験では算数の計算問題は出題されないけどさ。暗算が出来ないなら四条寺町で500円出して電卓買っておいでよ。でも暗算できない産科って語呂が悪いね。安産できません・・・・はは。
    それにしても毎年この時期は早産児がむちゃくちゃ多いような気がするんですが。昨年暮れの冬のボーナスの札束を握りしめて念願の不妊治療に取りかかった人たちが一斉にいま未熟児を産んでおられるのではないかとも思えてきます。邪推でしょうね。むろん患者さんを責めてる訳じゃないですよ。責める訳じゃないですけどね・・・むしろ我々周産期医療組の不手際でご迷惑おかけしてるんだから・・・でも一度調べてみるのもためになるかもしれないな。

  • 「影武者徳川家康」 隆慶一郎  新潮文庫

    帰省中に父の書棚に見かけて読みふけってました。世の中にはとんでもないことを思いつく人があるものですな。虚実を越えて面白い本でした。関ヶ原の戦いの時に徳川家康は実は死んでおり、その後の家康はじつは影武者だったというもの。それが全く虚構というわけでもなくて、そう考えたほうが辻褄が合う史実が数多くあるらしいです。
    時代劇に人生の教訓を読むオヤジにはなりたくないなと思うのですがね。でもこの影武者は恰好良いです。

  • 自閉症児の移動

    移動に関しては息子はあまり困らせません。多動や衝動性はほとんど無いので迷子や飛び出し飛び降り系の事故を起こしたことがありません。むしろ1人で行動できなくて単独通学が難しいくらいです。一度行ったところは大抵憶えているらしい様子が見えますが、初めてのところでもパニックに至ることはほとんどありません。
    今回の長崎行きは寝台特急「あかつき」を使ってみました。息子はB寝台の枕元のランプなどの設備を一通り確認して、トイレの行き方も確認して、あとは窓からひたすら外を眺めていました。真っ暗な夜の眺めの何が面白いのだろうと思いましたが、彼は電気機関車のマニアなので、貨物列車が頻繁に通る夜間の眺めはたいそう気に入ったようです。ついでに鉄道用の信号について系統的な知識を何処からか仕入れていて、4燈式だの5燈式だの中継信号だのと、信号を見るたびに喜んでいました。注意とか徐行とかと言っていたところをみると、どうも鉄道信号を読めるようです。
    ふと夜中に目を覚ましてみると、午前3時でしたが、先に寝入ったはずの息子がいつの間にか目を覚ましていて窓の外を見ているので、寝ろと命じてブラインドを下ろしました。少々開けておいたのが失策でした。でもまあ、ここでパニックを起こさず素直に寝るのは、自閉症児としても扱いやすいほうなのだろうなと有り難くはありました。
    諫早駅で下車したあと、改札とは反対方向を指さして「赤」と言うので、何かとおもったら、機関車を間近で見たいというのでした。客車は青塗りですが機関車はEF何とかいう赤い色の電気機関車でした。娘と3人でぞろぞろと機関車を見に行きました。車掌さんが怪訝そうにこちらを見ておられました。近くに寄るとさすがに大きくて強力そうですね。でもこんなものの何が嬉しくてマニアになったのだか、今ひとつ理解できません。
    帰りは兄妹二人で飛行機を使って帰ってくる予定です。「ジュニアパイロット」とかいうのを利用します。伊丹長崎間は乗り換えもなく1時間ですし搭乗口で送り出してしまえば迷う余地無く目的地へ着きます。

  • 帰省

    2日間休みを貰って長崎の実家に帰省してきました。それ以上留守にすると後の当直日程がどんな詰み方するか空恐ろしい。来月には重度心身障害学会でまた留守にしなければいけないし。
    JR長崎本線のディーゼル車はついに乗るときに整理券を取るシステムになっていた。なんか汽車がバスみたいだ。本川内駅はスイッチバックではなくなっていた。通っていた高校はサブバッグが自由化されていた。いろいろ変わってますね。
    汽車と電車について–長崎の人間に、電車で京都へ帰ると言ったら、電車は赤迫までしか行かんとに・・・と無用の心配を掛ける。彼の地では電車とは路面電車のこと。この汽車と電車の区別も今は曖昧になってきているのだろうか。
    長崎の陽射しは夕暮れ時に洗って干したTシャツが翌朝には綺麗に乾いている。お天道様だけは変わらないね。こうでなくちゃ。京都は照りもしない癖に無駄に暑い。

  • 妊娠中絶に関して

    あちこちのブログを読ませていただくうち妊娠中絶に関して論じておられる牧師さんのサイトを拝見しました(トラックバックすればいいんでしょうけど、トラックバックURLが正しくないとかいってサーバが受け付けてくれませんのでリンク)。普段心の底にわだかまっている問題に関しては、不思議に吸い寄せられるようにその問題を扱うサイトに行き着きます。
    我が心の善くて殺さぬにはあらず、を座右の銘としています。中絶を選ぶ当事者のモラルを問題にするのは現時点では有効な解決策ではありません。単純に中絶を禁止したらどうなるかはルーマニアという国に惨憺たる実例があります。
    単純規制はもっとも愚な対策です。堕胎しなくてもすむシステム作りってのが不可欠です。中絶の大半が経済的理由をもって行われている現在、解決策のもっとも有効な道は「お金をかけること」じゃないかなと思います。

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  • サッカー勝ちました

    アジアカップって言われても、え、バレーボール?卓球?ってレベルで、あんまりサッカーには興味がなかったのですが、内田樹先生のサイトで騒ぎが起きていたり、読売新聞や石原慎太郎さんがあまりに期待通りのコメントを出してくれたり、いろいろと周辺事態が五月蠅くてだんだん無視できなくなってきてました。で、今日は9時から一部始終を拝見しました。

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  • 法医学教室の思い出

    高校の頃は、名の売れた学者になる、と思ってたんですけどね。
    一流の研究もして留学もして、って。青雲の志ってやつ。
    着々と勉強して、一流と言われる(京大って一流だよな?)医学部に入りました。
    4回生の時、自主研究というカリキュラムがありました。
    2ヶ月間の時間を与えるから好き放題なことをやってこいっていうもの。
    夏休みに引き続く時期でしたので、休暇を返上したら4ヶ月の時間になります。
    どこの研究室でも(臨床でも基礎でも)迎え入れてくれる。留学に生きたきゃ旅費は出さないまでも紹介状くらいは書いてやる、なにもしたくなければ無銭旅行してでもかまわない。何をしたとて特に成績に反映する訳じゃないけど・・・というもの。今もやってるのかな。

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