「最長片道切符の旅」が終わった。昨日はその総集編が放送された。諫早駅が出た。不覚にも涙が出た。もう何年帰っていないかという町。母の故郷。
稚内から肥前山口までの最長片道切符の旅。その肥前山口の終着一歩手前のこの町で私は産まれた。
いきなり死にかけて。ついでに母も殺しかけて。
身長175cm体重59kgの骨格標本のような今の体型からは想像できないと誰もが言うが、私は産まれたとき4kgの巨大児だった。1968年当時、産科医は超音波装置など持っていない。推定体重という今では妊婦の年齢並に当たり前に手にすることのできる数字を、当時の産科医は手にできなかった。
当然のごとく、小柄な女性の膣をとおって産まれるには私は大きすぎた。とんでもない難産だった。危うく母を殺すところだった。私自身も危なかった。当時母が入院していた産院の婦長さんは強引に鉗子だか吸引だかで引き出すことを主張したという。婦長さんの言うとおりにしていたら私は助からなかったと、後で母に耳打ちした助産師が居たという。婦長さんにしてみれば母親だけでも救えと言う心境だったのだろう。
緊急母体搬送のうえ緊急帝王切開で私は分娩された。出生体重4085g。相撲取りにしろというのが母の聞いた第一声だった。母は出血が多くて輸血が必要だった。まだ血液の供給不足で献血手帳を集めてこないと日赤が血液を供給してくれなかった時代だった。
現在ならこんな分娩で母児に何かあったら訴訟ものだ。胎児の体重は分娩までにとっくに分かっているはずだし、身長150cmそこそこの女性が4kgを越える児を初産で出生しようとしているのなら、初めから帝王切開しろよとは言わないまでも、いつでも緊急帝王切開に切り替えられる態勢を取っておくのが当然だろう。血液は当然のごとく同型血の濃厚赤血球が十分量供給できることだろう。今どきこんなことで母児に何かあったら私は産科医の胸ぐらを掴みますよ。
しかし30年以上も前の西の果ての地方都市でのことだ。私と母が受けた医療は奇跡的とも言えるほど充実したものであった。
母方の祖父は裕福ではないにせよその高潔な人格で(とうていこんな日記を書く私の祖父とは思えないが)土地の人望を集めた人であった。母と父が職場結婚した職場は産院のすぐ近所にあり供血者も間に合うタイミングで得られた。多くのことが上手く噛み合った。どの鎖の環が切れても私は死んでいたか重度の心身障害を得ていたか、それとも母の顔も知らずに育っていたかだった。
その祖父も最近世を去った。祖父の死に際しては私も悔いるところがあるしそのうち書くとして、その葬儀で母は私をその当時供血してくださった方に引き合わせた。まだ碌々挨拶もできない若造であった私は無言で頭を下げるばかりだった。
その後いろいろとご縁を得てNICUに勤務することになった。何人かは救ったような気がする。それでも自分の受けた恩を世間に向けて返せた気はしない。総和ではまだ自分の受けた方の恩が大きい。
私が老いる頃には私が分娩に立ち会った子たちが大人になる。私はこの子たちにお願いする立場である。どうか、立派に生きて欲しい。胸を張って生きて欲しい。君たちの人生が充実したものとなりますように。その充実した人生に些かでも関与したものとして私も誇りのお相伴に預からせて欲しい。威張ろうとは思っていないんだ。ただ、諫早に在住の恩人たちに、あのときの赤ん坊が今は他の赤ん坊を救ってますよと、ちょっとばかりいい顔をさせては貰えないだろうか。
むろん、命がけで私を産んでくれた母にも。
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懐かしの諫早
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暇なので保育器とオレオレ詐欺について考える
深刻に暇です。けっこう危機的。
重症3軽症3と空床情報にオファーしてあります。普通は1-1とか0-1ですよ。強気の時は重症1軽症1,手一杯で弱気の時は重症0軽症1,暇を自覚し始めたら重症2軽症2です。3-3ってのはひどい数字です。
当直明けにその日のNICU担当業務を9時から初めて10時にはもう暇を託ってますからね。今日は土曜日だから12時には帰り支度を始めますが。
うちはNICU認可病床6床、回復期6床で運用しています。今はNICU2人回復期3人の入院です。一人は長期の人工呼吸管理中ですが他の子らは大抵の医学的問題をクリアしてしまって後は体重が増えるのを待つだけです。看護師さんはそれなりに仕事もするけれど医師としては何にもすることがありません。この状況が続くと大赤字なんで部長は青くなってます。
NICUは看護師さんの忙しさと医師の忙しさのピークがずれる事がよくあります。軽症の子がずらっと揃ってると哺乳のおむつ替えの入浴のと看護師さんは目が回るほど忙しいですがそんな子には医師の手間は一日5分とかかりません。逆に人工呼吸管理・動脈ライン確保して血圧管理・中心静脈からドーパミンとドブタミン投与・末梢静脈から抗生物質とステロイド投与・輸血オーダー中・・・云々と来たら医師は保育器を離れられません。
今は保育器に入っているだけの子すら一人もいない体たらく。
保育器に入ってるだけ・・・そうそう、私らはそう言って済ましてますけどね。せいぜい数日も頂ければ観察期間も終わってコットに出て頂けます、そしたらご入院中のお母様のベッドサイドへも移って頂けます云々、私たちはそんなことを申し上げて親御さんに安心して頂こうとしがちです。でも親の立場では保育器に入っているだけって言われても結構応えますよね。
私は長女が分娩直後に保育器に入れられてるのを見ただけで膝が震えましたよ。
当時の勤務先でほぼ全例の帝王切開に立ち会い新生児入院の全員の主治医をやってた私がですよ、娘が保育器に入っている姿を見ただけでもう立ってられない気分でしたよ。そりゃ素人じゃなし、中に入っている娘が基本的には元気で深刻な心配は要らないってのは分かりましたけどね。でも膝は理性だけでは固定できない関節のようです。
まして「素人」さんがね。
例えば、その状況の親御さんに挨拶もそこそこに何か喋って同意を取り付けようなんて、世間ではそういうのをオレオレ詐欺と呼んで糾弾してますね。医療業界ではインフォームド・コンセントと呼ぶようですが。 -
「レヴィナス序説」コリン・デイヴィス著 内田樹訳 国文社
読了しました。難しかった。やっと最後のページにたどり着いたという心境でして、最初の所に何が書いてあったかかなり朧気です。原著者の論の立て方は平明だし訳者の内田先生の力量も周知のことですが、なにせレヴィナスという人の難解さはただ事ではないらしい。明快な論調を平易な日本語に訳してあるのに内容はついて行くのがやっとです。著者も「レヴィナスは何故このように難解なのか」を再々問題にしています。あんまり難解なので読者はみんな自分の分かったところだけを継ぎ接ぎして読むものだからレヴィナスの思想は読者のスタンスによっていかようにも読めるとのこと。いかようって漢字で書くと如何様ですがこの語をイカサマとも読みますね。普通そんないい加減なやつ相手にしないもんじゃないかなと思うのですが、それでも無視できないというのは確かにレヴィナスという人は凄い人なんでしょうね。
レヴィナスという人は「他者は他者なんだからあんまり他者のことを分かったような気になってはいかんのよ」ということを説いた人らしいと、私は理解しました。この「他者」という概念を出発点にして奥深い倫理的考察を積み重ねた人らしいです。って筆が滑って簡単に書いてしまったんだけど、「他者という概念を扱う」のは「他者は分からない」という彼のテーゼに矛盾しますわな。他者は分かりようが無いと言いながらその他者に関する論を軸にものを考えるんだから、考えるものも難解になるはずです。ちょっとクリアカットになろうとすると、すぐ、分からないはずの他者の内部に踏み込んでしまって自己矛盾に陥る。やれやれですね。
内田樹先生の書物でレヴィナスの紹介を読み、自分がかねてから考えていた疑問についてこの人なら答えてくれるかもしれないと思っていました。
その疑問とは、重症新生児の治療方針に関してうちのNICU部長が常々申しますところの「この子が自分の愛する家族と思って考える」という方針がはたして妥当であるかどうかです。
この場合の「重症」とは治癒を目指すことの善悪を問う生命倫理が前面に出てくるレベルの重症さだとお考え下さい。
この重症の子を我が子と思って自分を親の立場に重ねることが可能なのかどうか。
無理でしょ。レヴィナス先生のお陰で確信しましたよ。
親御さんは私たち医療者にとって「他者」であり、赤ちゃんは私たち大人にとって「他者」です。いや、ここで医療者として括るとき、私は「他者」である部長や看護師たちを自分の内部に引き入れて理解可能な存在として扱っていますが、彼らとて「他者」には違いありません。互いの点滴の上手さとか観察の確かさとかといった医療者としての技量こそ分かり合っている積もりですけど、例えば5年ほど一緒に仕事をしているNICU主任について看護師以外の面を私がどれだけ知っているか。凄い美人だし知りたくなくもないのですけどさ、赤ちゃんの生き死にに関わる倫理観を共有するのには互いの職業生活に止まらずそれなりに深い相互理解を必要とするのではないかな。それが私生活まで突っ込んで知り合うってことなのかどうかはまた別論が要るだろうけれども。あるいは私たちを大人として一括するとき、赤ちゃんを介しての関係でしかない親御さんまでを自分の仲間うちに取り込むことになります。ある時は他者。ある時は身内。それってご都合主義と言わないか?
あるいは、「愛する家族」すら他人ですやん。
私は妻を愛してる積もりですが初めて会って20年から経ってる彼女が臨死になったとしても治療方針なんて私の一存では決められないでしょう。生涯の半分以上、母親と一緒にいた期間よりも長いこと付き合ってるんですけどね、でも隅々まで理解して身代わりに何か判断するなんて到底無理だ。付き合えば付き合うほど分からんところが出てきますよ。
その「無理」はこのレヴィナスの概説を読んでほぼ確信しました。
で、その「無理」で諦めて放り出すのかどうか、放り出さないとしたらどういうスタンスがあり得るか、レヴィナスの思想はその方面で結構豊穣であるように思えます。
放り出してしまうようなら只の世捨て人ですね。レヴィナスが徹底して倫理に拘っているというのは必然的なことだと思います。でも彼の思想から生命倫理の体系を立てることが出来るかどうか。
そもそも、生命倫理といえばカントの定言命法とミルの功利主義から時代が進まんようでは生命倫理も怠慢甚だしいですよ。でもレヴィナス的生命倫理ってのがあり得るか。あり得ないでしょうね。他人は他人だって言う人ですから自分も他人も総括する倫理体系なんて興味ないのでしょうね。 -
「個人的な体験」大江健三郎 新潮社
午後8児頃から読み始めて、いま読み終えたところです。
読むのは2度目になります。やはり、引き込まれます。
障害児の父の心を描いてこの小説は一流です(って大江健三郎を相手になに生意気を書いてるんでしょう)。書かれるべき事が書かれるべきタイミングで書いてあります。饒舌でもなく言葉足らずでもなく。むかし息子が自閉症だと言うことをじわじわと受け止めていた頃の自分の気持ちを私にかわって回想してくれているかのような感がありました。この時はこういう気分だったなあ、という場面で先回りするかのように、その「気分」を私自身よりも巧みに言語化してありました。
自閉症は脳瘤とは違って生後すぐに明らかになる状態ではありませんから、時間的な経過には事情の違うところもありました。障害が確定する頃にはこの子は我が子だという認識はしっかりしてますから。でも基本路線は変わりませんね。自分の周りに何が起きても薄皮一枚隔たった向こうで生じている事のような気分になります。一方で、世の中の正義と平和のために闘う人々に対して感じる懸隔、そういう人々が直接の利害の及ぶ事になるととたんに見せる小市民的な保身への驚き。
大江は医者の姿もよく見てますね。最初に出てくる産院の院長や若い医者はとんでもなく無神経な、いまどきの読売新聞や朝日新聞の特集記事では患者の気持ちを考えないと真っ先に論われるようなタイプの医者なのですが、しかし俺もこうだよなあと思ってしまいます。こういう予想だにしなかった状況に出くわして奮闘した後って妙な高揚感に襲われるんです。だんだんと年を経ると赤ちゃんのご両親が大抵私よりも年下になってきてますからね。重症入院の初期処置後のご両親への説明に妙なため口きいちゃったりして。普段は私は赤ちゃんを主語にしてさえ敬語を使いますよ。彼らが特別悪い医者だと私には言えません。
この本を読み出したのは実はJohn D. Lantos の”The Lazarus Case : Life-and-Death Issues in Neonatal Intensive Care”なる書物に引用されていたからです。で、Lantos先生が引用なさっておられる小説がもう一つありまして、読むかどうかちょっと迷っています。「カラマーゾフの兄弟」なんですわ。はは。気軽に読み始めるには目方が重い。 -
移行?
こどものおいしゃさん日記革新です。
さるさる日記から移行してきました。しばらく運用してみてさるさる並みか以下かの使い勝手ならまたさるさるに戻ります。
ポイントは見た目のかっこよさとサーバの軽さ。
さるさるはサーバは軽いのですが見た目がねえ・・・派手でない。
テキスト内容だけで勝負かけられるほど(って小児科医が何勝負してるん?)強くないんだわ私は。
他のブログサイトにも行き当たっては見たんだけど
そこはサーバがちょっと重かった。
exciteでサーバが重かったりしたら笑っちゃうよね。
真面目な話としてさるさるで日記書いてて一番の不満はトラックバックがないことね。
自分としてはけっこう重大で他の人にも読んで欲しいことを書いてる積もりじゃないですか。
それに対して他の人が何を考えているか是非知りたいんですね。
個人宛には時々メールで感想を頂いてたんですけど
私信って公開するもんではないから話が発展しないじゃないですか。
ある程度は自分でもあれこれお書きで世の中に対するスタンスをあらかじめ公開しておられるような立場から
私が世の中に対して吐き出す愚痴あり挑発ありのごたごたをご評価いただきたいんですね。
所詮は先生商売なんだ。どこかで他人様の目を意識してないと無制限に腐っていくような気がする。
スキンの絵はまあ・・・大学時代がサイバーパンク(ちょっと恥ずかしい)の全盛期でしてね。
仕事でやってる集中治療って分野もこんなイメージかなって思いますし。
