• くたびれた

    この3日間ほど外来が私の許容限度を超えている。19日は連休明けでもの凄い多人数の受診。20日は当直明けでまるでペースが上がらず。二日間ペースを乱すと、それだけで本日21日もペースがつかめない。明日はどうなることか。
    でも半日1コマの外来で、だいたい私が担当するコマのほうが受診の人数は多い。人数だけの単純計算ならそろそろ私はうちの小児科の主力になりつつある。・・・まあ、そうとでも思って偉くなった気分でいた方が忙しいなか気張って働けるから宜しい。他人に言われると煽てられている気もして厭な感じがするが。
    当院でも医師や管理職の給与が年俸制になるとのこと。年俸の1割前後が実績で変動するらしい。何を評価するかという項目は各人に提示されるが、私に提示された分は、病院上層部に評価して欲しいと思っている項目とだいたい一致していて、なるほど今の方向性で間違っていないんだなとは思った。
    小児科部長が言うことには、小児科は一丸となって小児患者を診ているのだから小児科医師の評価は小児科全体の実績に基づいて全員そろって上下するとのこと。小児科内部でなら仕事を他人に押しつけてもかまわんということだろうか。何故にNICUの入院数が上がったら新生児の担当を構造的に免除されている人の給料まで上がるのか、私は世間知らずなこどものおいしゃさんだから今ひとつよく分からない。定時に帰って自宅待機してくれる人があるから安心して当直ができるんだということだろうか。まあ、お陰様という言葉を忘れてはいけないねとは思う。
    当直や時間外勤務の手当こそ働いた日数や時間数で変動はしてきたが、しかし仕事の内容に噛み込んだ勤務評価を受けるのは初めてのことである。たぶん、私より年長の医師たちも初めての経験なのだろうと思う。小児科部長が部下の各人を分けて評価するのをびびってるのも分からんことはない。それにまあ各人が内心は自分こそ当院小児科ではいちばん働いてるんだと思ってるに決まってるから(それくらい自分で信じ込める程度には働かなきゃまずいよね)、そのあたりの評価はなあなあにしておくほうが無難なのかもしれない。本式に各人別個の評価を始めたらとたんに小児科全体の実績ががた落ちしそうな気もする。医者ってそういうところはけっこうヘタレな人種だし。

  • 真相を解明することこそ

    医療過誤にまつわる訴訟で、原告の方々には、訴えたのは真相を知りたいからだと仰る人がいらっしゃる。いらっしゃるどころかかなりの割合に上ったはずだ。
    何が起きたかすら分からない。それを解明しようにも今の日本には責任の所在を問い損害賠償を求めるという文脈でしか真相解明に至る道筋がない。従って訴訟を起こす以外に道がない。そういう声を聞いたことがある。
    真相解明こそ関係者の皆が希求していることなのではないだろうか。責任を追及される立場にある医師や関係者にとっても、いったい此奴は麻疹と蕁麻疹の区別が付くんだろうかと訝しくさえ思えるような素人すじからあることないこと言い立てられ書き立てられるのよりは、相応の知識を持った権威が中立の立場で調査に当たってくれるほうが善いに決まっている。この権威を否定するのは自らの権威を否定することになるような、斯界のメインストリームによる調査が、もっとも望ましい。
    そして心ある医師にとっては、医学的に否定のできない形で、今回の一件は君の行動がこうであったら患者さんの予後はこうなっていたという指摘を受けること、これ以上に「応える」処罰はないようにも思う。いや、そういう医師でありたいと思う、と申すべきだろうか。

  • 望まれているのは迅速な処分なのか

    医療事故を強制調査、医師を迅速処分…厚労省、法改正へ

    国交省の事故調が原因究明と再発防止を目的とするのに対し、厚労省の調査権は行政処分を前提とした事実確認が目的となる。

    厭な方向に話が流れていく。厚生労働省は「原因究明と再発防止」には興味がないのだろうか。

  • てのひらの闇 藤原伊織 文春文庫

    藤原 伊織 / 文芸春秋(2002/11)
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  • テロリストのパラソル

    藤原 伊織 / 講談社(1998/07)
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    「あんた、ちゃんと大学を卒業しなかったのは悔いちゃいないのか」
     とまどった。そんな質問を受けた経験ははじめてだったからだ。浅井は私の顔をじっと見つめていた。
     私はいままでの時間を考えた。二十二年のあいだにやった仕事を思いうかべた。建築現場の作業がいちばん多かった。それにビルのガラス清掃、旋盤工場。店員も多かった。ゲームセンター、パブ、パチンコ屋。事務職では、運転免許証のないことがネックになった。すべて肉体労働だ。そこになにか意味があったのだろうか、と思った。いや、意味があって私はそういう仕事を続けたのではない。逃亡を続けたのでもない。そんなことは考えもしなかった。私はそういう仕事が好きだった。アル中の中年になっても好きだった。バーテンの仕事も気にいっていた。
    「悔いてはいないな」私はいった。「まったく悔いてはいない。私がやってきたのは、私にいちばん向いた生活だったと思う」

    おそらく本書のテーマからはかなり外れているのだろうが、私の印象に最も残ったのはこの一節であった。主人公は苦難の人生を送りながら、それを怨嗟しない。自分の選択の結果だから等の理由で堪え忍んでいるわけでもない。避けられなかった運命を従容と受け入れるというのでもない。ごく自然に、あたかも何の強制もなく自分自身の自由意思で選択した人生であるかのように、私にいちばん向いた生活だったと語ってしまう。
    無理にそう自分に言い聞かせているような自己欺瞞の様子もない。他の可能性を考えられないほど想像力に欠けた人物でもないのに、自己憐憫の様子も見せない。自分に酔っている風でもない。
    格好良い男である。かくありたいものだと思う。
    ただし私も、小児科医ではあるが、いちおう医者である。医者として語らせていただければ、ここまでアルコールにどっぷり浸かった人間に、ここまでの明晰な知性など残っちゃいないんじゃないかと思う。特に彼は逃亡生活の中でいっさいメモの類を残さず電話番号から住所から何から全て記憶してしまうのだが、アルコールが真っ先に潰すのは飲んだ(飲まれた)人間の記銘力じゃあなかったかと思うが。アルコールに関してだけは、この主人公の人物造型はSFにちかい。まだ彼がプレコグだとかテレパスだとかいわれた方が現実感があるように思う。

  • 書類送検って

    ちりんのblog
    警察って、たしか、いったん捜査を始めた「事件」については捜査が終結(あるいは一段落?)した時点で必ず「送検」はするもんじゃなかったかな。警察の判断が入るのは「事件性があるかどうか」つまりは「捜査に取りかかるかどうか」であって、警察はいったん捜査を始めた件は必ず送検しなければならない。検察は送検されてきたら必ず受理するけれど、内容によって起訴したり不起訴にしたりもう少し捜査を加えたりする。法律的な手筈はそうなってなかったかな。
    マスコミの報道を眺めていると「書類送検されるからには警察はこの件を悪質と考えているに違いない:捜査して悪いところがなかったら書類送検はされないに違いない」という考え方で書いてるんかなと思うこともあるけれど、書類送検しましたってのは要は警察の捜査は一段落しましたよってことに過ぎないんだよね。たしか。
    だからマスコミも書類送検の段階ではあんまり鬼の首を取ったような断罪的な記事は書かない方が上品だと思う。ついでに正論を申し上げるなら検察が起訴した段階でもまだ被告人は有罪じゃない。裁判を経て有罪との判決が出るまでは無罪を推定されるんだから、無罪と推定される相手に書くような報道記事の書き方をしたほうがいいんじゃないだろうか。

  • エリ・エリ 

    平谷 美樹 / 角川春樹事務所(2005/05)
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    長い長いお話の最後に、神についてどのような考察が待っているのかと思ったら、まるで当てが外れた。一人前の神父がアル中寸前まで思い詰めた挙げ句の結論がこの程度かよ。あんまり陳腐で神父が可哀想だ。この程度はユニテリアンの本一冊読めば書いてあるんじゃないかい?
    キリスト教の神に言及するならキリスト教の文献はもう少し真面目に読むべきだと思う。本作で著者が提起した問題ってのは歴代のキリスト教の神学者たちが考え抜いてきた疑問ではないか?例えば次作で永久機関について書こうと思ったら、熱力学の法則をいかに突破するかを真面目に考える位には、物理学の文献を真面目に読むよね。読むよね? 
    これじゃこの神父はまともなキリスト教学の基礎知識さえ持ってなかったってことになるんではないかい?勉強さえしてれば道を外れずに済みました。おしまい。いかにも学校の先生が副業で書きそうな小説。

  • 医療過誤の本 2冊

    貞友 義典 / 光文社(2005/06/17)
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    毎日新聞医療問題取材班 / 集英社(2003/12)
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    自分を無垢な立場に置いて医療を語ることの出来る人々を羨ましく思う。

  • 「ひまわりの祝祭」 藤原伊織 講談社

    藤原 伊織 / 講談社(2000/06)
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    日直の日曜日に病棟の本棚から失敬してきて読み始めたが止まらなくなった。
    大事なものも呆気なく失われ、失われたものは取り戻せず、代償や癒やしなどありはしない。この「喪失の峻厳な不可逆性」がこの小説に一貫する主題である。確かに、掛け替えの無いものとは、そういうものである。
    主人公はその優れた洞察力ゆえに、おそらく過ぎるほどにこのことを理解している。であればこそ最愛の人を失って後、喪失の中に沈潜するが如き無為な生活を希求し、挙げ句に愛する人への送り火として蕩尽とも言うべき新たな喪失を重ねる。主人公に限らず、登場人物は皆がなにがしかの喪失を抱えている。他より悲劇的な登場人物はあっても、喪失が埋め合わされる人は誰もいない。
    しかし、読み終えてみれば、この物語にこれ以外の結末は考えられないと思う。主人公をはじめとする登場人物の造形が極めて緻密に完成されている。この人物ならこの場面ではこの行動しかとるはずがないじゃないかという、強固な説得力を持った必然が、一歩一歩積み重なるようにして、物語を進捗させていく。こう書けば本作はいかにも「キャラの立った」登場人物が場当たり的に演じるスラップスティックのようだが、ストーリー自体も緻密かつ重厚で、登場人物造形を受け止めてなお破綻がない。何より、人物造形にもストーリーにも、前述の峻厳な主題が一貫しているから、緻密であっても些末ではなく、無理や無駄あるいは「せこさ」が全く感じられない。
    最近、ここまで完成度の高い小説を読んだ記憶はない。著者の作品を今まで読んだことがなかったとは私も惜しいことをしてきたものだと思う。

  • 子どもを選ばないことを選ぶ ー いのちの現場から出生前診断を問う 大野明子 メディカ出版

    大野 明子 / メディカ出版(2003/05)
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    覚悟が決まった
    命の尊さを再認識
    未来のパパとママに読んでもらいたい。


    現在、出生前診断といえば事実上ダウン症の診断であるとのこと。市井の産科医院で説明不足のままに何となく検査が行われ、安易な中絶に結びついていると、著者は警鐘を鳴らしている。著者は自らの臨床経験から、自分の外来ではダウン症の出生前診断はしないと宣言している。その著者の実践にもとづいた考察や、臨床遺伝学の先達との対話・親御さんとの対話から、本書は構成されている。
    中でも白眉は、ダウン症の子の父親となった医師へのインタビューであると私は思う。語られる内容は決して倫理学の最先端を切り開くような大仰なものではなく、平易で真っ当な淡々とした言葉なのだけれども、それでも胸を打つものがあった。まあ、私も同志ではあり、個人的な思い入れはどうしても入りますね。生まれたその場で判明するダウン症と、じわじわとベールを脱いでくる自閉症とでは、受容の過程は異なるものになるのですが、その点もまた興味深く拝読しました。
    著者の大野先生は、ご自身の医院で生まれた赤ちゃんがダウン症であったとしても、危急の合併症が無い限りはお手元でお世話なさっているとのこと。この臨床実践には、小児科医として頭が下がる思いである。ここまで気合いを入れて自らリスクを取ろうとするお医者さんは滅多にいない。NICUにいるとダウン症の新生児が搬送されてくることもある。心臓病など危急の状態である子もあり、中にはNICU入院は無用の母児分離だったなあと総括したくなるほどに元気に帰る子もあり。先生今後とも赤ちゃんが例えダウン症でなかったとしても何か問題が生じたら今回みたいに迅速にご連絡下さいねと慇懃無礼な嫌みを、産科へ送る退院報告書に一筆付け加えてやりたくなることもあり。でも小児科医もけええっして誉められたものではない。かく言う私自身も怪しいものだし。
    しかし私は職業は小児科医・家庭では自閉症児の父と、二面性の人であるから、誉めるばかりでは終わらないのである。
    ダウン症に関する一般向けの文献には、彼らの気だての良さとか対人関係の良さとかが力説されがちである。本書でも著者の出会ったダウン症の子たちやその親御さんたちがどれほど素晴らしい人々であるかが力説されている。魂のレベルが高いなどという表現まである。すぐれた魂は周囲を圧倒する、のだそうだ。
    ある意味、悲しい主張だよなと思う。誰かが出生前診断の結果として中絶されてしまわないようにする、その根拠としてその誰かの美点を挙げるというのは、案外と、当の相手の土俵に乗ってしまってるんじゃないかと思う。生きるのに理由は要らないはずだ。読者諸賢はご自身が生きていくことを正当化する理由を述べよと言われたら、そんなことを問題にされるだけでも不愉快になるのではないだろうか。生命について深く考えもしないまま何となく出生前診断をしてダウン症の可能性が示唆されたら即刻妊娠中絶という流れに抗するのに、ダウン症の人にはこういう美点があるのだからという理由付けをするのは、理由付けしてしまったというその点において、批判しようとしている相手と同レベルの議論なんじゃないかと思う。
    しかしある程度は確信犯的にそのレベルまで降りてでも主張を通すのが実践的な道徳なのかもしれない。ダウン症だろうが自閉症だろうが「それが何か?」というのが真っ当な感覚だろうと私は思うのだが、それで澄ました顔をしていては、ダウン症は即刻中絶という考え方の人たちとの差は埋まりそうにない。それが戦略というものだと仰るのなら、それはそれで理解できるお話ではある。
    しかしダウン症の人たちの対人関係能力の良さを褒め称えた、その返す刀で「人間関係調節能力の決して高くない人も少なくない現実や、こころもすさむような事件の数々を思い・・・」とやられると、正直、「またかよ」と溜め息をついてしまう。どうしてダウン症の関係者は自閉症をネガティブコントロール扱いにするかね。こちとらその「人間関係調節能力」が「決して高くない」どころかもう障害レベルに低い息子を育ててるんですけど。じゃあ大野先生は「こころもすさむような事件」を起こすような人格障害が出生前診断できるようになったらそういう胎児は人工妊娠中絶しはるのですか?と意地悪くも尋ねてみたくなりますね。
    意地悪い気分にさせられる要素としてもう一つ、「そうは言ってもあんたが育てる訳じゃない」って、言っちゃって良いかな。これを言っちゃうと私の人格が疑われるんだろうな。書いてる本人でさえ、ああ俺は卑しいことを書いてるなと思ってますから。でもねえ、あんまり大野先生の論調の首尾一貫ぶりと言いますか、迷い無さぶりというか、そこに一種のナイーブさを感じ取ってしまいます。つくづく卑しいね俺は。
    自閉症児の親として思うことだが、障害児を育てるのは人生にとってそれほど悪い選択ではない。まさに「胸躍る一生があなたを待っている」というものである。しかしその良さを分かるのにはそれなりの苦労が要る。まるで実体験のない、例えば身内に障害者なんて居ない(実はたいてい探せば居るもんだが)初産のご夫婦に、障害児を育てることの奥深さを語ってもなかなか分からんだろうと思う。世の中の真実には、教科書に書いてあることを読めば分かるものもあれば、座学よりももう少し深い体験をしないと分からないものもある。やっぱり当事者は苦労するものですよ。当事者ではない人に障害児のすばらしさを手放しに喜ばれても、その人から視線をちょっと逸らして寂しげにふっと笑う程度の応対しかできないような、そういう苦労はやっぱりあります。現実にはね。いろいろと。