べつに1人で喧嘩をしている訳じゃないのですが

天国の特別な子ども
些か卑怯かとは思うけど私は小児科医の顔と障害者の親の顔とを使い分けてるのね。
今回のは自閉症児の親が言うこと。
この詩を必要とする時期があると言うことと、
君にはこの詩が必要だよって言われることとは、全く別です。
この詩のテーマは、
君たちは特別な親だから特別な子を授かったのでそれは崇高な意義がある、ってことじゃないのです。
この詩を語る僕らは特別じゃないから僕らには障害児は生まれないはずだよって言うことなのです。
障害児が生まれるなんて他人事さって、ね。
君ら大変だけどこんな風に考えたら我慢の一つも出来るでしょ、まあ頑張って現実を受け入れてね、そいじゃ、って。
この詩を提示されるとねえ、そういわれたような気になるんです。私はね。
邪推じゃないかそんなもの、って言われて私の評判が落ちるだけかも知れないけどさ、
善意に溢れる詩は裏を読んじゃいけませんなんて言い草はナイーブに過ぎるわ。
あいにく私はそんなにスナオな心を持った聖人君子じゃなくてね。
息子の障害を受け入れるだけで精一杯なんだわ。
どうして君らの「善意」まで受け入れにゃあならんの。
障害児が生まれることに形而上的な意義を与えようとする試みには、みな、
その試みが親の因果を讃えようが蔑もうが、全部に、多かれ少なかれ、
「何故私自身には障害を持った子が生まれないか」を論考しようとする意思が
潜んでいるように私には感じられますね。
そらまあそんな論考が完成すれば君らは安心なんだろうけどね。
我が子に障害があるということの衝撃から立ち上がれずにいるような、
ごく初期のころでさえ、
この胡散臭さは過敏になった鼻を突いてたでしょうね。
当時は知らずに済んでたから良かったと思うけど。
この詩を読むよう他人に勧めるのが許されるのは、自分も障害をもった子どもの親である人だけですわ。
お医者さんに勧められてもね・・・患児の親の受容過程が進まないのはそりゃあご心配でしょうけどこちとら親としては自分の問題で手一杯なんだからご自分の不安は自分で解決してくださいね、ってのが偽らざるところで。

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