NICUが閑散としている

昼間からブログの更新なんてしていて、まあそれは今日の午後は週休だからってこともあるけど、読者諸賢にはご賢察の通り、たいへんに暇である。

入院が長期になる極低出生体重児が入院しない。切迫早産で母体搬送で来られる方々もことごとく産科管理が奏功して危機を切り抜けてゆかれる。ときに正期産児の新生児搬送依頼もあるが、正期産児はそれほど入院が長くならない。さっさと元気になって退院してゆく。

それは大変にめでたいことなんだろうと思う。反語や皮肉抜きで。もとよりトラブルシューティングを生業としているものにとって、トラブルが未然に防がれているのは理想的状態だし、それで自分らの仕事が無くなっていったとしても、それはそれとして淡々と受け止める話なんだろうと思う。

京都のNICUの空床状況を見ても、どの施設もいつになく多くの空床数を提示している。どこも閑散としているのだろうと思う。むろんどこもかしこも空床0のときに自分のところだけ空床1と提示するのと、どこもかしこも空床1とか2とかのときに自分のところも空床1というのとでは、必要とする度胸の程度が違うだろうとは思うけれど。私らの施設が空床3でコメント欄に「超未熟児歓迎」云々と入れているのだから、他の施設にはそうそう手に余る赤ちゃんをお願いすることはないはずだし。

少子化は進んでいるがそう簡単にNICUが余るわけがなし、とは思うのだけれど、あるいは奈良や滋賀でもNICUの整備が進んで京都へ越境してくる搬送が少なくなっているのかもしれず、あるいは妊婦健診の公費負担の回数が増えたためかもしれず、なにさま現在のところは新生児以外の一般小児科の仕事をしながら、忙しいときには読めない文献など読みながら、状況の推移を見守っている。

もちろんみんな元気にトラブルなく分娩にいたり、NICUなんぞとは縁無く育ってゆかれるのが最善ではあるのだ。私らが他に職を探さなければならなくなっても、世の中全体としては良いことなんだと思う。

オホーツク街道

オホーツク街道 (街道をゆく)

オホーツク街道 (街道をゆく)

この人の書くものはどれもこれもどうしてこんなに面白いんだろうと思う。そんなに凝った文体や表現でもないし、題材もなんとはなく見聞きしたことを淡々と書かれているだけのように思えるのだが。

こういう、筆力がすごくて強制的な説得力をもつレベルに至った人は、多少の創作をまじえても読者はそのまま信じ込んでしまうと思うので危険だ。その最たるものが坂本龍馬だと思うけど。

本書で語られるのは北海道のオホーツク海沿岸の歴史である。とくにアイヌ以前、樺太から南下してきて宗谷から知床にかけてのオホーツク海沿岸に住み、主に漁労など採取生活をしていたウィルタ(オロッコ)の歴史が本書の中心となる。彼らが残した多くの遺跡について、それを発掘してきた人間的魅力にあふれる研究者達について。また大事なこととして、幕末から戦後にかけて日本とロシアの間で翻弄されたウィルタの現代史について。

彼らの文化と続縄文文化が融合してアイヌの文化が形成されたとのこと。その時期は意外に新しく鎌倉時代あたりだとのことだった。アイヌの歴史は意外に新しいと本書では何回か語られるのだが、それはアイヌを軽視しようとして反復強調したのではなく、たんにもともと週刊誌の連載記事だったからというだけだろう。それはともかく、鎌倉時代というと12世紀から13世紀あたり、中世の温暖期がだんだん終わる頃だよなと思って興味深く読んだ。オホーツク海沿岸でのウィルタの文化の衰退と、たとえばグリーンランドのバイキング植民地の衰退とはほぼ同時期である。