パズルとミステリー 緊張とパニック

パズルというのはデータが足りずに問題が解決できないこと。オサマ・ビンラディンの居場所とか。ミステリーというのはデータが溢れかえっていて問題が解決できないこと。エンロンの崩壊とか。公開された財務関係の資料を読めば、この企業の業績なんてまるでスカだということは分かったはずなのに、その公開されていた資料というのがあまりにも膨大で、内部で責任ある地位にいた人間すらほとんど理解できていなかったとのこと。

パズルである問題を解決するためには資料の収集が重要であるが、ミステリーを解決するにはその方針ではよろしくないんだそうだ。それはまあ臨床でもそうだよなと思う。脈絡無く検査出しまくるのは臨床でも愚かな行為だ。ましてその結論が「時間をおいてこの検査を再度行わなければならない」というのではなおさら。

緊張のあまり失敗するときには、熟練していて無意識にできることまでいちいち初心者のように意識に上らせてしまっている。パニックになっているときには些細な問題の一点に注意が集中してしまっていて、ほんとうなら意識するべきさまざまな問題に意識が回っていない。

なるほど。

そのほかもろもろ、重要な考察が随所にあり、賢い本だと思う。原書は1冊だったのかな。勝間先生が翻訳して3分冊で売り出した邦訳を図書館に予約しておいたら、2冊目が先に来たので読んだ。文庫化されたら買うかな。厚めの文庫本1冊に納まるんじゃないかと思うし。

年末の大雪

本日から明日にかけて、京都では雪が降り続くとの予報である。じっさい医局の窓から見える景色は一面の雪景色である。眺めているだけなら風情があっていいが、この中を新生児搬送に呼ばれたら苦労するだろう。眺めの良い土地というのは遊ぶにはよいが住むには向かないことが多い。

ひっそりと一年をふりかえっているわけだが、じつにいろいろなものが壊れた一年だった。テレビも壊れた。風呂のガス給湯器も壊れた。あまり暑くて数年来使っていなかったエアコンを動かしてみたらこれも壊れていたことが判明した。息子のベッドも壊れた。浴室の排水路も詰まって溢れていた。そのほか諸々。大学NICUに研修に行って鼻っ柱を折られたなどという抽象的なものもある。

こうして書き並べてみるとつくづく大変な一年だったと思う。この不景気にこのようなトラブル続きのなかで、なんとか経済的には困窮することなく切り抜けられたのは幸せだった。それになにより、家族や周囲の人々の健康が損なわれなかったことが良かった。実のところは全く無傷というわけでもなく色々奔走したこともあったのだが、一段落してみると一病息災の範囲にぎりぎり納まった。ありがたいことだと思う。不運だったという感覚はほとんどない。むしろこれだけ色々あったのに平穏な年末を迎えることができて幸運だったと思う。本当にありがたいことである。