1.
「地域周産期母子医療センター長」と称して、自施設の小児科と産科をあわせた周産期部門の長ということになっているので、産科病室の面会制限にも容喙する立場にある。だいたいは産科部長の決定を追認する方針でいるのだが。
コロナ禍に厳しく制限した面会をどのていどまで緩めるか、思案している。現状は病室外、詰所の前にある「デイルーム」と称する応接セットを何組か置いた空間で、人数を限って面会していただいている。スペースに限りがあるので時間を限って予約制である。
制限緩和はもうこの程度でよいのではないかと、自分としては思っている。これ以上の緩和となると、病室内まで面会者を入れるかどうかの問題になる。
それは実質的には、マスク無しの面会を許容するかどうかという問題であると、私は認識している。面会者も病院入り口から廊下まではマスクをして下さるだろう。マスク無しで病院内を歩いている人を見かけることはない。しかし病室に入ったらどうだろうか。総室ならまだしも、個室である病室に入ったら、ああやれやれ到着したとばかりに、反射的にマスクを外してしまうのが人情ではないかと思う。
むろん個室内での面会を許容したとしても、面会中もマスク着用をお願いするところではある。しかし人間というもの一般に、どれほど慣習の誘引力に打ち克ってマスクの着用を励行していただけるかというと、正直諦めている。根拠は小児科入院の患児とその付き添い者の行動である。回診に行ってマスクを着けておられる患児家族ともに少数派である。きちんとマスクを着けているのは付き添い無しで入院している中学生程度である。人間そんなものなのだろうなと思う。ルールが存在することと、そのルールが自分にも適用されるか否かということとは、多くの人間にとって別問題であるらしい。怠慢や非道徳の結果では無く、人間の自然な本性の結果として。
面会をデイルームに限っているのは、ある程度の他人の目、とくに詰所からの視線を意識していただくことで、マスクの着用など感染予防策の励行をはかることを主目的としている。
しかしいかほどマスク着用にこだわることの意義があるか。たとえば産後3日目からとか、褥婦さんの体調があるていど面会に耐えられるころあいから解禁すれば、たとえCOVID-19を持ち込まれ感染させられたにせよ、潜伏期が過ぎて感染力を持つころには退院なさっておられるのではないか、従って院内で水平感染を起こすリスクは上がらないのではないかという発想もある。
老人の多い病棟なら、潜伏期のうちにさっさと帰してしまうという選択肢はおそらく取りようがない。面会者からの感染が院内で広がる可能性は大きい。しかし退院してしまわれるのなら、あるいはどうか。私見としてはこれは悪魔のささやきである。耳を貸すには躊躇する。実際問題、発症が退院後としても、退院の直後に褥婦が発熱しついで新生児も発熱すれば、どこで移されたかは一目瞭然であるし、それで病院を恨む恨まないとは別に、うちは大学病院でもなければ産科診療所でもないのだら、感染症は他所へ行けとは言えない。自院で診なければならないし、新生児発熱は原則入院という旧来の常識に従うなら再入院ともなるし、そのさいには陰圧個室を準備しなければならない。そこまでを一貫して考えた場合に、退院後発症ならべつに構わないという理屈は、母子にはもちろん自分たち自身に対してさえ無責任であるように思われる。
2.
分娩なさる女性にとってはどうなのかと思う。
医師として、とくに男性医師として回診していると、小児科患者に親御さんの付き添いで入院している個室と、褥婦さんが新生児とともに入院している個室では、雰囲気が全く異なる。小児科患者の個室は子供部屋だが、褥婦さんの個室は成人女性の寝室である。それもベッドメイキングが整った、チェックイン直後のホテルの一室ではなく、寝乱れた寝具が生々しく残る、使用中の寝室である。
基本的にそのような部屋では、自分が闖入者であることを強く意識されられる。小児科医であるからむろん新生児の要件で訪室しているのであるし、褥婦さんも礼儀正しく応対してくださるのであるが、しかしどうしようもなく取り払えない、基本的に自分はそこに居るべきではないという雰囲気がある。強力なプライバシーの感覚。そこに居て良い人物というのは、家庭でもこの婦人の寝室に入ってよい人物なのだろう。私見であるがせいぜい夫くらいではないか。実母や実姉実妹はわからんがそれまでの関係性にもよるだろう。兄弟や父など男性陣は血縁者であっても無理だろう。義母や義父はどうか。新生児の祖父母ではあり、表向きは笑顔で応対していたとしても、褥婦さんの心中はなかなか穏やかではないのではないか。
デイルームなら基本寝室ではなく、おそらく居間でもなく客室なので、褥婦さんにとっても許容範囲は広がるだろうと思う。大きなお世話だろうか。自宅でも寝室には入れたくないが客間でなら応接できるという程度の心理的関係の人ならば、デイルーム面会はそれほどの負荷ではないだろうと思うがどうだろうか。
そりゃあ褥婦さん自身に聞けば早いのだろうけれども、自宅の寝室あるいは産後の病室に入ってこようとする人ほど、入ってくれるなとは直接には言いにくいのではないかと懸念する。それを明言しても後の人間関係が悪化しないなら、そりゃあわが国の女性の幸福のためには幸いなことだけれども、現実問題として日本にフェミニズムや個人主義がそれほど浸透しているだろうか。あるていど病院が杓子定規な存在という汚名を着てでも、褥婦さんのプライバシーを守るほうがよいのではないか。それはインフォームド・コンセントが普及したことになっている現代日本において、パターナリスティックに過ぎる考え方であろうか。その程度にはまだわが国の社会全体がパターナリスティックだと思うのだが。
3.
プライバシーの保護に配慮する一方で、産後早期を孤独に過ごさせることが産後うつの増悪因子になるならそれも心配なことである。出産直後の時間を、たしかそういう存在をドーラと呼ぶはずだが、特別な存在であるところの女性(たぶん男性は無理)と共に、あえて病室で濃密に過ごすことで産後うつなど種々の問題の解決につながるのかどうか。面会を制限することでその有用な可能性を絶っているとしたら、まったくパターナリスティックな弊害であると認めざるを得ない。
たとえば妊婦健診中にも、そのようにして共に過ごしたい特別な関係の人物はあるかと聞いておいて、共に過ごしていただくことが選択肢となるか。なるようならその配慮を個別に行うことに、センター長として反対する意図はない。
しかしいっぽうで、妊婦さんの周囲の人物がそういう質問をしていると知った場合に、何故それを自分に頼まないのかと自薦してくる人物こそ、たいていプライバシーの観点からは真っ先に排除するべき人物であるようにも懸念される。そういう人物に対して妊婦さんは自分では断りにくかろうし、何なら何故そのようなお節介な質問をするのかと病院に恨みのひと言も言いたくなるだろう。
これはそのドーラの有用性の定量的な考察となるだろうので、今後の検討課題ではある。研究はおそらくされているのだろうと思う。このドーラに関する項目は本稿の執筆時点で思いついたことなので私自身の勉強はこれからである。「お姑さんは止めておけ」とかいったTIPSが学問的に成立していればありがたいと思う。

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