穏やかな生活

NICUを閉じて、宿直をしなくなってからもう半年近く経過している。早いものだと思う。時間はほっておくとどんどん過ぎ去ってしまう。過ぎ去るのを眺めているうち、そのとき何を考えていたかがすっかり記憶から抜け去ってゆく。記録だけはしておくものなのだろう。

生活は穏やかになった。定時を待ちかねるように帰宅する。赴任した当時は就業規則において何時が終業なのかも知らなかったくらいなのに。
ほとんど施設内に住んでいるのも同然の、自転車を出したり施錠したりしている暇に歩いたほうが早いような近距離通勤である。帰宅してもまだ夕方のニュースすら始まっていない。就労支援施設に通う息子もまだ帰宅していない。
夕食までもしばらく時間がある。Duolingoでイタリア語を練習する。還暦近くなった頭に、新しい言語が入るものなのかどうか試すつもりで始めたのだが、意外に入るものだなと思う。いぶかしく思うのは、まだ頭がとても若かった中学生の3年間で英語を習得したときよりも、速いペースで習得できているような気がすることだ。あのころにDuolingoがあれば、あるいはせめてこのスマホという道具があればと思う。

朝起きられるようになったのは当然として、夜に眠くなるようになったのが予想外だった。毎晩10時頃になると眠くなる。疲れているが目がさえているということがなくなった。12時までなど到底起きていられない。これは睡眠のリズムが改善したということなのか、それとも将来のための努力を諦めたということなのか、よく分からない。昔はなんだか、一日終えてなお成果が足りないような、将来のために医療でも哲学でもとにかく文書を読んでおかねばならないような、そんな気がして、夜が更けるにつれ焦燥感がドライブしていた。今も知らないことは多いが、それはそれとして寝るときは寝るようになった。

毎食後の食器洗浄を行うようにもなった。妻は洗い物が心底嫌いであるという。私は昔から水遊びが好きで、感覚統合療法みたいに食器洗いでリラックスしている。
とはいえ、種を明かせば自動食器洗浄機を修繕して小物の大半を任せている。これは優れた発明品だと思う。夫婦と息子の家族3人分の1回の食事で使う食器の、半分以上はこれで洗える。妻が食器道楽で買ってくる変な形の食器がなければ全部入るのだがとも思う。と言って、自宅での食事まで学校給食や職員食堂みたいな味気ない食器になるのは、私も御免である。
小物を全て手洗いしているとそのうち面倒になるのだが、大半を食器洗浄機が洗ってくれれば、食洗機に入らない鍋やボウルの類を洗うだけで済む。お手伝いというのは有り難いものだといまさら教訓にする。外来でも子どもたちにお手伝いをするよう言わねばと思う。
朝は忙しいものだと思い込んでいたが、3人分の食器を下洗いして食洗機に入れて5分で済む。朝から食器洗いをして出勤する生活など、宿直をやっているうちは想像もできなかった。思いつきさえしなかったのだけれど、仮に他から提案されていたとしても、仕事に対する冒瀆だとさえ当時の自分なら思ったことだろう。

昔は宿直明けも全日勤務だったのが、週休を調整して午後なりと休めるようにし、コロナ禍以降の最近のことではあるが宿直明けは全日の特別有給休暇にしていた。週5日の平日勤務のうち1日を特別有給休暇で潰し他の半日を週休で潰すと、いったい日中はいつ働いているんだろうという感もあった。最近はその特別有給休暇がなくなったぶん、昼間はみっちり働いているような気もする。常勤医も減ったので週末の日直も隔週くらいのペースで回ってくる。週2回は夜診をやるのにしばらく残業する。それを込みにしても、以前よりも穏やかな、色々な歯車がきちんと噛み合って円滑に回る生活をしている。

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