よい日

iPhone-2017.05.18-10.28.24.397訪問診療の日によく晴れると、それだけでこの世界も捨てたものではないという気分になれる。カート・ヴォネガットが言うように、天の誰かさんはこの世界を気に入ってもらいたがっているんだという気がする。こういう日々の幸せを幸せと思うことと、信仰とはわりと近いところにある概念なんじゃないかとも思う。

天気がよいので途中で自転車を止めて、休憩がてら先刻の診療のメモをつくる。病院に帰って思いだし思いだし書くよりもさっさとメモを作っておく方が、カルテ記載の効率もあがるので、これはけっしてさぼっているわけではないと強弁する。

NICUに閉じこもって新生児ばかり診ながらたまに病院と自宅のある町内を出るのは新生児搬送で救急車に乗っていくときばかりみたいな生活をしていた頃は、こういう世界のささやかな美しさにとんと意識が向かなかった。肉体は思考と魂の飛翔を妨げる制約因子程度にしか評価していなかった。それが何の弾みにか良い自転車を買い、それに乗って訪問診療をするようになった。訪問先の重症児たちはみな、障害の重い肉体がほんとうに魂を閉じ込める殻でしかないような子たちばかりなのだけれど、彼らを診る主治医の私のほうはかえって自転車を走らせる肉体の快楽とか、晴れた春の日の陽光と新緑の美しさとか、なんのかのと世界って美しいものだったと思い出した。何年ぶりのことか。

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NICUに閉じこもっていればこそ、重症の子供たちについて、この重い障害を抱えてこれからの生涯をおくることの意義がどれほどあるのかとか、あのころは正直考えていたのだが、ただこの5月の京都の陽光が美しいものであること、それだけでもその意義とやらには十分ではないかとも今は思う。

訪問診療にかんしては、まずお前自身のために行けと、天の誰かさんの采配なのかもしれない。重い障害をかかえた3人の子供たちのためもむろんあるのだろうけど、まあそう鹿爪らしいことは言うだけ無粋だまずはお前のために行けと。あのとき何故に急に自転車を買うつもりになったのか、たしかどこかの自転車屋の店先でSCHWINNのマウンテンバイクをみてその美しさに後光がさして見えたのがきっかけだったのだけど(そのわりにGIANTのクロスバイクを買ったけども)、あの辺りから既に招かれていたことだったのかもしれない。

そのうえで長崎の海辺の廃村から京都へ出てきて、医者になって場末のNICUに来て、あれこれの苦労もあっての帰着地点が、現在の、3人の在宅医療の重症児たちの診療であったとしたら、まあそれはそれで御心というものだろう。といって別にこれまでのあれこれが今に至るための犠牲というわけでもなく、「神は歴史の終点におられるのではなく、歴史によりそって居られるのだ」ということなんだろうと思う。これは誰の言葉だったか。松田道雄先生が講演で紹介された言葉なのだが、出典を忘れてしまった。

過去の書き物について

むかし同じタイトル「こどものおいしゃさん日記」で書いていたexciteブログとはてなの旧稿について、このWordPressに無事移行しました。

頂いたコメントは移動できていない模様です。コメントを下さった皆様には申し訳ありません。

エキサイトブログとはてなについては今後更新する予定はありません。

息子の近況

このところ息子について書かなかった。もう成人した彼についてあれこれ書くのは、いくら私が親だとはいえ、一人前の大人に対してすることではないような気がしていた。

彼は精神発達遅滞を伴う典型的な自閉症である。特別支援学校の高等部を卒業後、福祉就労して日々通勤している。距離は遠いがバスや電車を乗り継げるのでかえって嬉しい様子である。毎朝うちで一番はやく起きて、コーヒーを淹れ、新聞を取ってきて私の寝室に投げ入れていく。ゴミの日には家中のゴミをまとめてゴミ捨て場に出す。古新聞や雑誌はいつのまにかくくってある。飲み終えた牛乳パックは分解され水洗いされてある。自室や廊下にはまめに掃除機がかかっている。

一日働いての帰り道、暑い日には鴨川で涼んでくる。節分には縁日で面を買ってくる。公文の日には小学生たちに混じって一人うんうんうなっている。給金が出るとレゴブロックのキットを買ってくる。読み古したきかんしゃトーマスの図鑑を見せては十年一日の同じ駄洒落を言う。父親がビールを飲んだ夜には自分も飲んで赤くなる。長期休みになると長崎の両家の祖父母宅へ一人旅する。淡々と彼の日々が過ぎていく。

就労先ではよく働いているそうだ。新幹線の線路に近い施設でときおり揺れるのだが、それも鉄道マニアの彼には嬉しいことらしい。仕事はとあるハウスメーカーのサッシ窓の部品を揃え小箱に入れる作業と聞いた。彼はかけ算ができるので作業の見通しが早いとのこと。対して彼の難点は、なまじ図面を一目で見て取れるものだから、説明を聞かずに手を着けようとすることだとのこと。

たぶん彼の進路としてはいちばん幸運なところを得たのだと思う。それについてはひとえに妻の功績だ。彼の育児においては、いかに彼に分からせ納得させるかの一点に集中したと妻は言う。納得しさえすれば彼は手を抜かないから、彼に分かるようにとことん理詰めに説明したと。けっきょくTEACCHも目的はそこなんだろうと、父としても小児科医としても思う。

うまそうに食べるということ

 

  両親の再婚でとつぜん姉妹となった二人の、妹のほうは料理が得意で、姉のほうは妹がつくったものを実にうまそうに食べる。ちなみに上の表紙絵で奥のセーラー服の子が妹、手前のいかにも天真爛漫そうなのが姉。

 この姉の食うところを読んでいると、この二人が互いに全く知らない間柄でとつぜん同居を始め、互いに理解をふかめていく過程において、妹の料理の上手さと同じくらいに、姉の食べっぷりの良さが貢献しているように思える。うまそうに食うというのは人徳なのだなと思う。腹さえ減ってて作り手が上手ければ誰だってできるだろうそんなもんと思っていたが、それは違うようだ。作り手がどれほど上手に料理しても、食べる人間がつまらない食べ方をしたら、その料理は片手落ちのまま、未完成なままなんだ。

 俺はもうおっさんだし、世の中の人間関係には波風があるというのはわかっているつもりだ。だけれどもこの二人の物語はひたすらうまいものを作っては食う話に終始してもらいたいと思う。俺はこの子らがニコニコと料理を作って食べる話を読み続けたい。もうすぐ3巻が出るらしくて楽しみだ。

インフルエンザワクチンを全員に接種するのは無理

個別接種でまかなおうとしてもインフルエンザワクチンを小児全員に接種するのは無理という話をする。

当地、京都市左京区なのだが、小児人口は各年だいたい1200人内外である。インフルエンザワクチンを1歳から12歳までの1200人×12年に年2回、13歳から15歳の1200人×3年に年1回接種するとする。合計32400回の接種が必要になる。

ワクチン外来を効率よく回すとしても、小児科外来での個別接種では1回3時間の外来で50人接種できれば上々である。小児科医1人が午前午後かかって1日で100人接種するとする。1週では500人になる。1ヶ月を4週とすれば2000人だ。

インフルエンザワクチンはシーズンものだ。当地では1月に流行が始まる。11月と12月の2ヶ月で接種を済ませなければならない。8週と考えて小児科医1人で4000人。合計32400回の接種とすれば、2ヶ月まるまるインフルエンザワクチンを接種し続けることに専従する小児科医が京都市左京区には8人必要になる。

これはおそらく左京区の小児科開業医が全員で取り組まなければならない人数である。非現実的な話だ。個別接種で希望者がと言っている限り、当地の小児にインフルエンザワクチンを広く行き渡らせるのは無理なことだ。

 

三顧の礼

当直が立て込んだり残業が続いたりしてだんだん気持ちが疲れてくると、なんとなく投げやりな気持ちが膨らんできて、なんかもういいやこの状況がプチッと終わりにならないかなとか、後先の考えのない破滅願望が浮かんできたりする。

そうやっていまの仕事をリセットして、どこかもっと場末の小さな小児科でひっそり地味な臨床を続けている自分を想像したりする。でもそこはそれ往生際の悪い自分のこととて、そこへもう一度新生児をやらないかと誰かが持ちかけてくるという想像もしてしまうのが浅ましいところである。

たとえば諸葛亮を迎えにきた劉備玄徳みたいなお話が自分にも起きないかみたいな。あるいはもっと凡庸なお話の類型として、なんとなく熱意を失ったロートルの俺がぼんやりと日々を送っているところへ、熱意に溢れた若手がやってきて、彼に担がれほだされてもういちど最前線に、とか。

しかし多くの場合、むろんプチッと自分でスイッチを切るのは可能なんだけれども、そうやってスイッチを切って惰性の航行にはいったところで、現実にはもういちどエンジンをかけてくれるような若い奴が現れるなんてことはまずあり得ない。老いるまで惰性で日銭を稼いで、稼げなくなったら忘れられたままひっそり消えていくんだ。

諸葛亮劉備玄徳が迎えに来なければ埋もれたままで人生を終えたのだろうし(劉備玄徳以外の人物が迎えに来たって埋もれたままの人生とそう変わらなかっただろうし)、彼はそれでも淡々と人生を終えたんだろうと思う。そこで足掻こうとするのは私のような足掻いたところでどうってことない小物なんだろう。

そこで嫌味を言えば、たまにお前ほんとに医者かと聞きたくなるような悲惨な著書を世に問う医者、そういう天下に通じる大道を外れて不遇の身になりながら諦めもできない、かといって誰も三顧の礼をとってくれない、そのまま消えることも再び燃え上がることもできない半端なエネルギーのなせるわざかもしれないなと思う。見苦しい、けれど我が身に通じるような気もして無碍に切り捨てることもしがたい、痛々しい感じ。それなりに認知がゆがんでいて、まだ天下を目指していたころには見向きもしなかったようないんちき臭い嘘に自分で騙されてしまって。

撤退戦

 超低出生体重児の入院数が少ないまま年をこした。新年度からは医師数が減ることになった。今後の自分の仕事は撤退戦の指揮ということなんだろうな。

 総病床数が200にも満たない小さな私立病院が、当地ではまったく手つかずだったNICU医療を手がけて、医療的には多くの赤ちゃんをお世話できたし、商売的にはまったく手つかずの市場に一番乗りで濡れ手に粟の収益があがった。たしかこういう状況をブルーオーシャンと呼ぶのだよね。

 しかしその後、「なんだああやればいいんだ」とばかりに大規模病院がつぎつぎNICUに参入してきた。当地に一個もなかったNICU認可病床が、今では厚生労働省の目標とする出生1000あたり3床を上回るほどまで充足された。となると、どうしても、小児外科も心臓血管外科もいつだって緊急手術できます的な、うちでは病院の総合的な体力としてとうてい追いつけない大施設に、主流を奪われる形となった*1

 「お医者様」水準の世間智しか備えない身で、他の業種の商売にはむろん疎いから根拠のない想像だけでこれから先を語るが、おそらく私らがここまでやってきたことはたぶん「ベンチャービジネス」だったのだろうと思う。であれば、他の大規模施設が台頭してきた時点で部門ごと売却して病院には投資した資本の回収を、俺ら職員は新たな雇用先をというのが、いわゆるベンチャービジネスの王道だったのだろうと思う。我々の業界でそのような部門のリストラが可能なのかどうかはよくわからんが。

 主流ではなくても地域周産期母子医療センターとして、地道な周産期医療を着実に継続するというのが次善の策ではあった。しかし少子化の進行が予想よりも早かった。不妊治療における多胎妊娠の抑制や新生児蘇生法の普及など、産科医療の進歩も手伝って、極低出生体重児も新生児仮死も入院症例ががくっと減った。これは世間的には大変に良いことだ。しかし他人様のトラブルをメシの種にする不浄な職業としては、メシのタネが減るというのは、喜ぶにしても手放しではいけない。何らかの対策が必要となる。

 えげつない言い方で多くの読者諸賢にはご飯が不味くなるかもしれず恐縮ながら、もはやうちの施設にとって新生児医療はブルーオーシャンではない。他分野以上に人件費を喰う(3対1看護ですよ。小児科医24時間専従ですよ。)部門ブルーオーシャンではなくなったときに、それでも今まで通りにNICU医療を看板に押し通していくのが良いことなのかどうか。儲からなくなったらベンチャービジネスなんてやってる場合じゃないのではないか。本業の、小児科一般の地域医療の需要にきちんと応えているかどうか足下をしっかり見なおす時機ではないか*2。小児科地域医療の一部門としての周産期新生児医療はなくてはならない部門だが、そこに傾注するあまり他の分野が手薄になってはいないか。新生児専門医以外の面々が傍流に居るような気分を味わってはいないか。そのあたりを見なおす時機なのだろうと思う。

 その当たりを見なおして、ブルーオーシャンを見限って地道な方針に立ち返った場合、傍目には先代が立ち上げたNICUを寂れさせた凡庸な後継者っていうふうに見えるんだろうとも思う。まあ悪名は覚悟しておかんといかん。

 

*1:私自身はうちのNICUの創生期の数年を、先代部長と2人でつくった若手の医師が他施設に去るときに(それは長年のご希望の最先端施設への転勤だったから栄転である)その替わりとして赴任してきて、そのうちに部長職も引き継いで、絶頂期からだんだん日が陰る様子をここまで見てきた。まあ個人的には、「売り家と唐様で書く三代目」じゃなかろうかとの批判は甘受せざるを得ないとは思っている。

*2:あえて時機と書く。