地味な普段着でママチャリに乗ったおばちゃんがきれいに手信号を出してロードの私の目の前を左折していった。負けたと思った。
投稿者: yamakaw
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狼に囲まれたことはあるかと娘に訊かれた
娘に、国語の宿題の一環として、いままで狼に囲まれるような経験をしたことがあるかと聞かれた。いきなり突拍子もないことを聞くものだと驚いて、文脈が分からないと答えようもないと言ったら、宿題のプリントを見せてくれた。その文章に曰く、「大草原の小さな家」のお父さんが血相を変えて帰ってきたので、どうしたのかと家族が訊いたら、狼に囲まれたが這々の体で帰ってきたとのこと。そういう家族の苦難を知れば家族としてのあり方も色々と変わるだろうが、君たちのお父さんも家庭の外ではそういう狼に囲まれるような体験をしているのではないか、それを知れば君たちの家族の中での態度も自ずから変わるのではないかと問いかけてあった。
そういう例文を貼り付けたプリントで娘の国語担当の先生が問うには、そう訊いたらご家族がどう答えるか予想して書きなさいとあった。娘の予想では「重症の赤ちゃんが生まれたときなどそういう気分になる」と答えるだろうと記入してあった。次の設問が最後の設問だったのだが、その予想をした上でじっさいに訊いてみて、なんと答えたか書きなさいというものだった。
娘が予想していた私の回答は、まさに、当初私がそう答えてすまそうかと思ったそのものずばりの回答だった。わが娘ながら親の考えることをそこまで見透かすかと空恐ろしくもあった。ただ、そう答えて済ますのは何だか底が浅くて面白くないようにも思った。
そもそも男が門を出たら7人の敵がいるとかなんとか、うそぶいてみれば格好良くもあろうが、しかしそれは本当のところだろうかと思った。少なくとも自分にはそう多くの敵はいないなと思う。周囲を見回しても、非協力的な人とか愚かな人というのはいるけど、敵はない。ごく稀には暴言とか暴力とかに対峙しなければならないこともあるけど、囲まれるというところまではいかない。それに、そういう連中を狼にたとえたら狼に失礼だろう。
娘には、重症児の治療は狼に囲まれるようなというのとはちょっと違うと答えた。何故といって、上手くいかないときに死ぬのは向こうだからねと。それにみんな赤ちゃんが元気になることを願ってるんだから、敵って言うのとはちょっと違うよねと。幸いなことに、お父さんはまだ狼に囲まれるような経験はしたことがないよ。
言わなかったこともある。まだ医療過誤報道の渦中に巻き込まれたことはない云々とは言わなかった。この秋から冬に予想される新型インフルエンザの大流行では熾烈なリソースの奪い合いになるだろうが、そのときには新手の狼も出るだろう、とも言わなかった。狼に囲まれることに例えられるような状況の具体的な例をあれこれ考えてみるに、どうも娘に対してそういう状況に陥ったということを認めるのが気分良くないような状況ばかりである。狼に囲まれるというのは、囲まれた時点で、喰われる喰われないにかかわらずこっちの負けのように思える。 -
大村湾でカヤックに乗る
夏休みを頂いて長崎の実家に帰った。二日間カヤックで遊んでいた。実家の庭で膨らませて、目の前の海に放り込む。庭先が海なのでそういう楽しいことができる。
むろんカヤックなど始めてである。素人が通販でインフレータブルカヤックセット(救命具とパドルとポンプつき)を買って乗るなど無謀もいいところかもしれないが、それでもひっくり返りもせず楽しめた。それほどに故郷の海は穏やかである。
実家は小さな岬のたもとにある。岬の向うからちょっとした川なみの速さで潮が流れているし、その潮や波風にえぐられて岬の突端がちょっとした崖になっているしで、子供の頃は岬の向うに回ってみることができなかった。今回の休暇でこの岬をカヤックで越えることができて、向うはどうなっているのだろうという子供の頃からの疑問がようやく解決できた。三十数年来の胸のつかえがおりたような気がした。
天候にも恵まれた。初日は潮の速さに挫けて、岬の向うへまわる勇気が出なかった。ところが二日目には風が逆になり、岬をめぐる潮の流れがほとんど止まった。幸運だった。たしかに子供の頃の記憶でも、そういう風向きの日があることは覚えているのだけれども、でも珍しいことではあるのだ。
せいぜい私が動いたのは、海沿いに歩くことができれば1時間足らずで移動可能な距離ではあった。本格的なカヤック乗りの人にはお笑いぐさな小冒険なのだろうけど、楽しかった。
こういう楽しい休暇も若手が増えてNICUを留守にできる期間が長くなったからこそである。その点、感謝至極である。もうすこしお土産も奮発するべきだったかもしれない。 -
コンタドール君の行く末が心配
NHK-BSでツール・ド・フランスの特集番組があった。サイクルロードレースのルールや基本的な戦術に関して、簡潔ながら的を射た解説がなされていた。リアルタイムで観戦していたときには腑に落ちなかったことも、なるほどそういうことだったのかと納得できて、見応えのある番組だった。
番組の大きな柱として、アスタナのアルベルト・コンタドールとランス・アームストロングの確執が取り上げられていた。当初はチーム内で疎外されていたコンタドールが、山岳ステージで実力を発揮しチームの尊敬を勝ち得て、ツール後半ではチーム唯一のエースとしてじゅうぶんなアシスト陣の協力を得つつ2度目の総合優勝を手にした、というストーリーであった。
実情をそれほど大きく外れてはいないストーリーだと私も思う。ただこの語りかただと暗にランスが卑怯な悪者とほのめかされているようで、釈然としない。ランスも当初は自分が総合優勝する気でツールに挑んだのだろう。でもそれはコンタドールの足を引っ張って引きずり下ろそうというような下世話なお話ではなく、シンプルに自分のほうがコンタドールよりも走れると思っていたのだろうし、そのほうがアスタナというチームにとっても良い成績につながると心底思っていたのだろう。ランスにとって自分よりも走れる存在があるということ自体がそもそも想像しにくかったというバイアスも、まあ、あるんだろうけれど。
加えて、緒戦のコンタドールは、ランスの目から見れば、自分がアシストするべきエースというにはどうにも頼りなかったのではないだろうか。あるいはアスタナの他の選手達にとっても。エースというのは、こういう過酷なレースであればなおのこと、チーム上層部がこいつがエースだと言ったからエースになれるというものではなく、チームのみんなの心のそこからの納得を得てはじめてエースになるのだと思う。
番組では、問題がが顕在化したのは第3ステージだったと伝えている。マルセイユを出発して地中海沿岸を走るコースの終わり近く、最強のスプリンターMark “EXPRESS” Cavendishを擁するチーム・コロンビア・ハイロードが強力な横風のなか速度をどんどん上げた結果、選手の集団がおおきく分断された。ランスはその状況に素早く対応し、大きく遅れる前に先頭集団に追いついた。その時点の総合1位でマイヨ・ジョーヌを着ていたカンチェラーラもしかり。またアスタナのアシスト達も(まあ他チームならエースクラスの実力者揃いなんだけど)遅れることはなかった。ただコンタドールだけが、後方集団にひとり取り残された。アスタナの選手達は、ランスも他の選手も誰一人として、コンタドールを前方に引っ張り上げるアシスト仕事をしようとしなかった。
サイクルロードレースでは、同一集団でゴールした選手は同一タイムとして扱われる。錯綜するゴール前での無用な争いと事故を防ぐためのルールである。同一集団でゴールすれば総合成績は変動しないから、追突や落車の危険を冒してまでライバルの前に出る必要はない。逆に、総合優勝を狙うならその時点での総合1位の選手と同一集団でゴールすることが絶対条件である。21ステージ3500kmを走り抜いてさえ秒単位の差しかつかないような勝負では、たった1ステージでも総合一位からタイム差を広げられるような失態を演じては致命傷となりかねない。
第3ステージでコンタドールがやらかしたのはそのような失態だった。モナコから3日目、まだ勝負が始まったばかりのこの時点でマイヨ・ジョーヌに置いて行かれるか?その時点までなら、アスタナの選手達もまだどちらをエースとして遇するか迷っていたかもしれない。しかしあの横風の中で、アスタナの選手達にはコンタドールに対する失望が広がったのではなかろうか。こいつはアホかと。当然ついてくるものとばかり思っていたら何をしとるんだと。こんな迂闊な奴がマイヨ・ジョーヌ獲れるのかと。アシスト達とはいえツールに出るような選手である。しかも他チームならいざ知らずアスタナのアシストである。彼らに、このアホは俺らの自己犠牲に値するのかという自問自答をさせてしまったのなら、その時点でエース失格である。
むろん、そんなアホでもそいつしかいなければ、アシスト達も後退してコンタドールを取り囲み、護送するかのようにメイン集団まで引っ張り上げていただろう。やれやれとため息をつきながらでも。しかしランスがいる。年齢的限界にさしかかりつつも、かつてツール7連覇の実績のある人だ。今回もきっちり状況を読み切って、勝とうとする選手ならぜったい居なければいけない場所にきちんと居る。やっぱりこの人だよなと、アシストはみんな思っただろう。
あるいは、そこまで厳しく見放してはいなかったのかもしれない。ああもう焦れったい若造だなと呆れ顔くらいで済んでいたかもしれない。そこで反省しておれ、ゴール後のミーティングでこってりお灸を据えてやるからと、年長のアシスト達には暗黙の了解ができあがったのかもしれない。色々と叱るポイントはある。メイン集団を風よけにボサーッと後方を走ってなかったか?その先でコースが直角に曲がってるって分かってたか?曲がった後はこの向かい風が横風になると予想してたか?云々。他にもある。貴様ジロの第3ステージの顛末を観てたか?Cavendishが集団落車に巻き込まれて取り残されペタッキに負けたろ?ちょうど今日のお前さんと同じ負け方だったろ?とか。
コンタドール君にしてみれば、本来のエースである自分をアシストせずみんなで先に行ってしまったのは不当だと思うのが自然である。ランスが横やりを入れてくるからチームがおかしくなってしまったのだと思うことだろう。それは自然だと思う。そして、エースの座が危うくなったのは自らの未熟さが招いた自業自得という側面もあるということは認めたがらないだろう。それも自然だと思う。ただここで自然というのはそれが正しいというのではなく、未熟者の行動としては自然だという事だ。コンタドール君が、チームの方針として俺がエースということに決まってるんだから他の面々はランスも含めて俺のアシストをするのが当然だと思ってしまう程度の未熟者だとしたら、そうやって他責的になるのが自然なことだ。
コンタドールは今期限りでアスタナを去る。来年からヴィノクロフとかいうドーピング野郎がエース気取りで復帰してくるので、アスタナの今の主力選手はほとんどが今期で去る。名監督ブリュイネール氏もランスの新チームに移る。コンタドール君も、アスタナに残る意義も義理も全くない。来年からどこで走るのかは未定らしいが、しかし彼が移籍先のアシストたちの信頼を得られるかどうか、どうにも心許ないような気がする。サストレールとかあだ名されたりしなければいいんだけれど。
ランスもそういうことを言ってるんじゃないかなと思う。彼のツイッターから。Seeing these comments from AC. If I were him I’d drop this drivel and start thanking his team. w/o them, he doesn’t win.
hey pistolero, there is no “i” in “team”. what did i say in March? Lots to learn. Restated.
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それもお仕事
入院する子の一人一人にカルテを書く。外来から入院するときには病歴も身体所見も外来カルテと入院カルテに書く。カルテ表紙に病歴を文章で記入したあと病歴要約なる欄にもほぼ同じ内容を書く。入院診療計画書と薬剤指導依頼箋と褥瘡予防計画書を書く。食事箋や付き添い許可書も書く。もしも新生児搬送で迎えに行ったら病院救急車使用願いと搬送経過記録と搬送実績報告も書く。輸液計画書も書く。養育医療意見書も書く。ときには血液製剤の使用同意書も書く。超音波検査の記録も書く。
忙しさにももうすこし充実した形態があるんじゃなかろうかと思う。書類を書くことに充実感を覚えるようなら医者とは違う分野に進むものだ。 -
ディルーカにCERA陽性だそうだ
ジロ・デ・イタリアで総合2位にかがやいたダニーロ・ディルーカの、ジロ期間中に採取された血液サンプルから、禁止薬物CERAが検出されたとの報道がなされた。
なんとも。
しかし大会期間中にCERAを使用、ねえ。何だか信じられないような気がする。重要なステージの前日に使用したようにCYCLINGTIME.comの記事には伝えられているが、注射して翌日にいきなり血液が濃くなって成績も良くなるというくらいに迅速に利くものなのかね。ようするにEPOなんだし、そんなに迅速に良く効くならNICUで未熟児貧血の対策にこれほど苦労はないように思うのだがね。もうちょっとゆっくり利くものじゃないかと思うがね。たとえばジロに先立つ数週間とか数ヶ月とかの検体で陽性といわれたら、ああジロに備えてのことかと納得もいくのだが。
むろん私はドーピングに専門的な知識があるわけじゃないし、ふだんEPOを合法的な治療目的で多少は他の科よりもよく使っているという立場からの推測に過ぎないが。
ディルーカ自身は使用を否定している。私も濡れ衣であって欲しいと思う。今年のジロで見せた彼の執念には敬服した。それに震災に見舞われた故郷を勇気づけようという彼の意思には、場所こそ違え震災に遭った者のひとりとしておおいに感動したものだった。
もし彼がクロとなれば、これでジロ・デ・イタリアは2年続けて総合2位の選手がドーピングで処罰されることになる。昨年の総合2位リッカルド・リッコに引き続いてディルーカも失格、となると、ジロ・デ・イタリア自体の値打ちがかなり下がるような気がする。 -
マイヨジョーヌ本命
ツール・ド・フランス第15ステージ。ついにコンタドール君はマイヨ・ジョーヌ獲得。アルプスに入る本格的な山岳ステージの開始なんですが、なんぼなんでももうマイヨ・ジョーヌを獲得してそれなりに働かんとね。
ゴールのときに例のピストルを撃つマネはしたけど、「バーン」と言ってませんでしたね。今までははっきり口が動いていましたが。ちょっと表情が照れていましたね。昔の自分の子供っぽさを恨みに思っているんでしょうね。
そのわりに表彰台でのガッツポーズの繰り返しはしつこいくらいで、まさに「ガッツポーズ」というアナクロニックな呼称がふさわしい行為でしたが。よほどマイヨ・ジョーヌが欲しかったのでしょう。たぶん本人はいつでも獲れるぜと何ステージも前から苛立たしく思っていたんでしょうけど、ランスやブリュイネールが、まだ早いとか今マイヨ・ジョーヌ獲るとアシストが大変な思いをしなければならんとかいって自重させてたんでしょう。
まあ、あとはちゃんと要所要所でバナナを喰ってさえいれば総合優勝は確実でしょう。
ツール観てない大多数の読者諸賢にはどうでもよい話題ですが。 -
ビンディングペダルの練習
当直明けて帰宅。小雨に晴れ間が見えたのでロードバイクを持って出て、自宅前の路地で発進・停止の練習。靴底とペダルが貼り付く「ビンディングペダル」の着脱に習熟することが本旨である。片足をペダルにはめて発進し、もう片足もはめて2~3回回す。それから片足を外してサドルの前方へ降りながらブレーキをかけ、停止すると同時に足を地面に着く。その発進・停止を延々繰り返す。
とくに停止が難しい。ハーフクリップにはだいぶ慣れているが、ビンディングは一段階外れにくい。停止する前に意識して外しておかなければならない。ママチャリのように車輪の回転がとまったときに傾いた方の足を地面に着こうと構えていると、足をペダルにとられたまま転倒することになる。立ちごけというらしい。
いちおう両足とも練習したが、私の場合は左足をペダルに付けたままにして右足を脱着する方が簡単なような気がする。しかも私が立ちごけしそうになるときは、だいたいビンディングを付けたままの足のほうへ倒れそうになる。なんやかやで右足を脱着するよう心がける方がよいのかなと思っている。とりあえず車道のほうへは倒れたくないので。
スポーツに人生への教訓を求めるのは野暮の極みだというのは承知の上だが、練習しながら以下のようなことを考えた。
ウチダ先生のブログで習い事に関する論考を読んでなるほどと思った記憶がある。曰く、人間、失敗するときはその人に特有の失敗の仕方をする。たとえ習い事であれ、失敗のパターンというのは、いかにもその人がしそうな失敗であるという。仕事でそうそう失敗というのは許されないが、習い事で失敗するのは自分の失敗のしかたを精査するという点で役に立つ。
私の失敗のパターンはと考えてみる。おそらく、撤収のための余力を残していないというのが私の失敗のパターンである。ついもう少しもう少しと粘ってしまう。粘れなくなるまで粘って、停止せざるを得なくなってから停止する。たぶんそれは良い方向へ働くこともあるのだろう。学生時代には、とくに高校まではわりと学業の成績が良かったほうなんだけど、勉強にしても試験にしても体力や時間のゆるすぎりぎりまで粘っていたのが大きかったんじゃないかと思う。しかしそれはくたびれ果てたらそのまま寝るなり答案を提出するなりすればよい状況でこそ最善の結果を生む行動方針であって、停止・撤収する過程にもそれなりの労力を要する状況ではときに破滅的な結果につながる。先だって日吉ダムまで行ったときも、帰りの行程を考えずダム湖畔で時間を使ってしまって、帰りはあやうく知らない道を夜間走行するはめになるところだった。
ビンディングを外して止まるということが苦手なのも、スケールは小さいけれど、同じつながりではないかと思う。今までの自分の習性として、止まる寸前までは走ることを考えている。走れなくなったら止まればいいのだと。ロードバイクではそうではなくて、止まる手前のある地点・ある時点から、止めることを意思して止めてゆくことが必要になる。まあ一連の手順を慣れて記憶したらそう大層なことではなくなるんだろうけれども。
いずれNICU施設の集約化が始まる。中小規模の施設は刈り込まれ、大規模施設だけが生き残れる時代が来る。よほど地理的に広い範囲をカバーしなければならないのならともかく、今の京都府南部をカバーするのにいまの施設数は要らない(もちろん病床数は足りないんだけど)。今の施設をすべて生き残らせることと、周産期医療全体のクラッシュを防ぐことと、どちらを優先すると聞かれて迷うほど厚生労働省も新生児学会上層部も馬鹿じゃない。ここは日本なのだから、「自主的な撤退」を指導するというかたちで、刈り込みの波が来るんだろうと思う。それと同時に診療報酬の体系が、大規模施設ほど経営的に楽になり小規模だとどう足掻いても赤字になるように巧妙に変化していくだろうと思う。そして地域医療を計画する地方公共団体の部署が、小規模施設の撤退を遺憾ながらと口だけ言いつつ許可し、撤退した施設の病床数だけ大規模施設に拡大を許可する。そういうかたちで、集約化が水上艦と潜水艦とで攻め込んでくるんだろうと思う。
どこかの時点で、うちのNICUの撤収も考えなければならなくなるんだろうなと思う。総病床数が200に満たない病院のたった9床のNICUには、日赤や大学や徳洲会のNICUを吸収して生き残るという道はとうていなさそうに思える。
今の自分のマインドセットのままでNICUを運営していくなら、何らかの事情で停止を余儀なくされるまでは猪突猛進していくんだろうけれど、それだと停止するときのクラッシュが大きくなる。衝突か立ちごけか。止まった後は撤収しなければならないが、余力を持って明るいうちに家に帰り着けるか、あるいは闇夜の知らない山道を車のヘッドライトに怯えながら走り続けることになるのか。
その始末の付け方次第で、頑張って前進している今の仕事に対する後世の評価も異なってくるんだろうと思う。まあ後世の評価はいま気にしても仕方ないかもしれんが、しかし停止・撤収に際して私に許容できる負担といえば病院の赤字くらいだ。病院上層部とは意見が違うかも知れないけれどね。私は赤ちゃんを殺したくないし、若手医師や看護師にバンザイアタックを命じたくもない。そういう華々しいクラッシュを迎える前に、明確な意思と計画をもってNICUを撤収したいものだと思う。
たぶん私はNICU部長として壮大なチキンレースを戦っているんだろう。あんまり早く撤収にかかったら臆病者だと言われるし、クラッシュするのは愚か者だ。臆病者と愚か者の割合を最適化するくらいのタイミングで撤収にかかるべきなのだろう。 -
マンパワーの確保は喫緊の課題であるが
12日から14日まで周産期新生児学会に行ってきた。昨年度までは当直にくたびれ果ててあんまり行く気も起こらなかったのだが、若手が増えた本年度はさすがにさぼる理由がなくなった。自転車に乗っていたいからというのは理由にならない。いまちょっとSPDの着脱を練習していて新しい局面なんだがね。
名古屋まで新幹線なら40分ほどで行けるというのには驚いた。なんと京阪で大阪淀屋橋まで出るよりも早いぞ。値段は10倍だけど。早朝に京都を出て教育講演の開始に余裕で間に合った。通勤だってできるんじゃないかな。
喫緊の課題としてマンパワーの確保について熱心に語られていた。今年度はうちも人数が増えたのだが、そうそうバブルは続かないというのが世の常だし、マンパワーの確保は過去の話題とはなかなか申せない。かしこまって拝聴してきた。
とはいえその語り方にはいかにも十年一日という感があった。上手くいっている施設や地域の先生が成功体験を語り、事情通の先生がこれからの見通しを語る。地域振興シンポとか称して商工会の青年部がシャッター商店街の店主を集めてIT社長や経済評論家に講演をさせるような図式であった。催し自体としては晴れやかだし開催者の意気は軒昂なんだろうが、聞いてるほうの明日からの仕事につながる訳じゃない。
そのなかで救いがあったのが米国でnurse practitionerとしてご活躍のかたの講演であった。米国ではNICU仕事の多くを、特別に訓練を受けた看護師であるNPの資格をもつスタッフが行う。新生児搬送も、中心静脈カテーテルの挿入も、胸腔穿刺も。じゃあ医者は何もすることがなくなるんじゃないかと日本医師会の諸兄はたいへんにご心配だろうが、じっさいにはその心配はないそうで、なぜなら60床のNICUを医師一人NP一人で診ていたりするんで仕事が尽きることはないのだそうだ。安心して医師法を改正していただきたい。
60床のNICUなんてあったらたとえば京都にはそれ一つで足りるんじゃないか。いまの京都のNICU認可病床数は総計でも50は越えないはず。それを小分けにちまちまとあっちこっちの病院にばらまいてあるから、NICU当直として京都全体で毎晩すくなくとも5人は泊まっていなければならない。それを医師一人NP一人で済ませられたら夢のようだ。マンパワーなんて全然足りるじゃないか。私などむしろ能力不足な余剰人員としてリストラに遭わないように注意しないといけないくらいだ。まあそこまでラジカルな施設の統合なんてぜったい無理だし、そもそも京大と府医大の系列を統合するなんてemacsとXEmacsの開発を統合するくらい難しいことだからね。でも京都のNICUの当直は大半がNPで間に合うんじゃないかと思う。
米国でNPの教育が始まってから制度的に認められるまで11年かかったということだし、本邦ではその前に医師法の改正をしなければならんから(医業を医者以外もしていいよということにしないといけない)、もうちょっと時間もかかるだろうけれども、でも医学部の定員を増やしてから使い物になる医者の人数が増え出すまでにも十数年はかかるのだから、いまさら拙速に走ってもつまらない。腰を据えてラジカルな改革をやらんとね。 -
ロードバイク初挑戦・初落車
病膏肓に入るということか、ロードバイクを買った。クロモリの105。コンパクトクランク。ホイールはなんだか安価なものになってしまった。高価なほど硬くなります、それに最初は壊すものですし、ということだった。練習をしてから良いのをつけるようにねと暗に言われているんだろうという解釈をした。
昨日の日曜は調子に乗って朽木まで走った。いつのまにやら開店していたローソンで(ちなみにこんな繁盛しているコンビニをはじめて見た)弁当を買って昼食にしたあと、そのまま素直に引き返せばよいものを、調子に乗って山へ入った。能家から小入谷越を越えて、安曇川の本流よりもひとすじ西側の谷を南下し、久多から東に折れて367号線にもどった。
久多からの下り道で、急なカーブを曲がり損ね、カーブの外側に積もった砂に滑って転んだ。でもうっかり転倒し損ねてガードレールに突っ込んでいたら、そのまま崖下に転落していたかもしれず、転べてよかったと思う。
右手の手背と肘・膝をすりむいた。出血はたいしたことがなかったが砂粒が傷にめり込んで往生した。でもここで応急処置ができないようでは職業柄なさけないので、とりあえず洗浄することにした。たまたま水筒には途中で買ったサントリーの「ダカラ」が入っていたが、傷にしみて痛かった。成分のカリウムが痛さを増す原因かなと思った。それで文句を言われてもサントリーは戸惑うばかりだろうけれど。
ダカラってナトリウムが入っていないのな。はじめて知った。病児の経口補液にするには不適切だ。外来でダカラのペットボトル抱えた親子には用心しよう。
帰って傷の処置を終えて一息ついたところで、息子に「泣かんかったか」と聞かれた。やれやれ。
