娘が「沖縄美ら海水族館」に行きたいと軽口を叩いたら、
息子が言うには
「沖縄には、鉄道が、モノレールしか、ありません」
彼のテツぶりにも筋金が入ってきた。
投稿者: yamakaw
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沖縄旅行がいやな理由
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彼に分からないのは
モジモジ君の日記。みたいな。 – 育児の事、「結局カネの話ではないのか」経由で、北沢かえるの働けば自由になる日記 - 書いて置けよ、わかるようにを読んだ。以下、言い尽くされた感想かもしれないけれども、心覚えとして書き留めておく。
・すくなくとも私の息子(自閉症ですが)には、やっちゃいけないことを教えることは可能なので、「障害児だから『分からない』」と一括りにされると、彼には傍迷惑な話である。この言説が人口に膾炙すると、「障害児」と呼ばれる子供のなかには息子同様に迷惑する人が多いんだろうなと思う。あんまり「障害児だから」という括りはして欲しくないものだと思った。
・あるいは、その場ではもっと具体的に障害の内容を説明されてたのかもしれなくて(相手の心に届く状況だったとは思えないけど)、北沢かえるさんが相手の個人情報のことを考えて詳細を書かれなかっただけかも知れないけれども、でもそうだとしたらそれはそれで息子にとっては迷惑だな。どういう意図にせよテキストは自走するものだし。って、釈迦に説法か。
・うちの息子に関しては、規範を教えることよりも、いったん身につけた規範からの「適切な逸脱」を教えることの方がよほど難しい。たとえばクルマが一台も走ってこない休日の赤信号も彼はぜったい渡らない。同じことをしてあるときは叱られあるときは放置されるとなるとかえって彼には混乱とストレスの元だろうなとも思う。どういう場面にせよやっちゃいけないことをしたら画一的に叱られる方が彼にとっては理想じゃないかと思う。世界の見通しが立つという点で。
・「自分の子なのに、『わからない』って決め付けるなよ」って気持ちもあったな。
という言葉は私にとっては激励的に、有り難く響く言葉である。このお子さんが具体的にどれくらい「わからない」子なのかは知りようがないし、この子の親御さんが無為無策だと責めるつもりは毛頭無いが、しかし、社会性の障害を持つ子の親や関係者の大概は、規範を身につけさせるべくかなりの努力をしているので、この北沢さんの記事を読まれた方々に、「発達障害児の親は子の躾もせず社会に無条件の寛容を要求している」などと思われるようでは大変な誤解である。そういう思い込みで障害者攻撃の波をおこすのは止めて欲しいものだと、関連するあっちこっちのサイトを見て思った。
・北沢さんが気にしておられた、「弟くん」が私も気に掛かる。この子のほうは典型的な「障害者のきょうだい」としての苦境に居るように思われる。彼には相応の配慮が必要だ。
色々書いたけどもやもやして未完成だな。 -
我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します
我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します
逮捕後1年とちょっと経って思うことを、また断章的に。
1.この「無罪を信じ」という一句は、ほとんど冷静冷酷な客観的な観測としての「信じ」なんですがね。同じタイトルで記事をお書きの他のブログの方々とはちょっとニュアンスが違うような気がします。重症な超低出生体重児の保育器の前で、やることをやり尽くしたうえで親御さんに対して「この子の生命力を信じましょう」と申し上げるときの「信じ」とは、ちょっと語用の感じが違います。やっぱり福島地検(の一部の検事さんですか?)やりすぎたと思います。漏れ伝わってくる公判のニュースを拝聴するに、福島地検の姿勢に、民主党が偽メールで失速したときのような危うげさを感じます。おいおい大丈夫かと。いや日本の医療崩壊も心配だけど、それより先に福島県の治安とかこんなんでいいの?と。医師として福島県で勤務するのは縁があれば考えなくもないけど、家族を連れて行くのは嫌だな。
2.正直、K先生の将来よりも担当検事さんの将来のほうがよほど心配(つうかお気の毒)なんですがね。うっかりするとこれが検事としての最後のお仕事になられるんではないかと。今後は医療訴訟専門の弁護士として福島の地で新たな出発をなさるんかもしれんけどそれはそれで御苦労されるだろうな。検察内部には、彼に対して、「我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の有罪を信じ支援します」みたいな賛同はあるんですかね。鈴木宗男さんや佐藤優さんを逮捕起訴したときのような、「国策として絶対有罪にしてやるぞ」みたいな意気込みっつうか必然性っつうか、検察一体としての意思っつうか、どこまで強いんだろう。報道にはそんな雰囲気がまるで感じられないんですが。私が希望的観測過ぎるんですか?そりゃあまあ彼らも組織防衛はしなけりゃならんだろうし、身内の勇み足にもそれなりフォローは入れるんだろうけど、でもうっかり控訴審なんかになってしまったら高等検察庁の検事さんは内心迷惑この上ない思いをされるんだろうなと思う。それもまたお気の毒。
3.こういう例外的存在な検事さんのために医療業界が司法全体を敵に回すような愚は避けたいもんだと思います。で、最近「元検弁護士のつぶやき」をじっと読んでいます。やっぱり法曹にも人物があるなあと、希望が持てます。もちろん、たいへん勉強になります。
4.タイトルの「我々は・・・」のフレーズですが、むろん賛同します。だけど前述の如くにニュアンスの違いはありますし、たぶん腰砕けのもとになってご迷惑だろうと思いますから、提起された先へのトラックバックはしません。後になってこのフレーズをgoogleとかで検索されたときに、末尾のほうにでもちょこっと顔を出せるくらいのロングテールな微力さが、私の身の丈相応かなくらいに思って、フレーズだけパクらせて頂きました。 -
健康診断
夜勤とか当直とかしているから、ひんぱんに健康診断がある。職場はとうぜん病院だから自前で健康診断をする。労働衛生の管理を雇用者に従属したスタッフがやるのって、何だか、監査が独立していない決算みたいなものじゃないかと思えるんですがね。制度としてそれでいいんですかね。
制度のことはともかくも、健康診断で大丈夫だったら勤務が続けられる。だめだったらどうなるんだろうと時々考える。NICU当直ができなくなった新生児科医をうちの病院は雇っておいてくれるだろうか。たぶん雇う余裕は無いんだろうなと思う。総枠は決まってるし、そしたら当直ができない人の分まで誰かが余計に泊まることになるし。
健康診断と言われるたびに、むかし観た仮面ライダー(シリーズのどれか)の1シーンを思い出す。悪の組織の下っ端サイボーグ(アリコマンダー?とか言ったか)がメンテを受けるシーンである。サイボーグ達がずらっと並んで寝かせられていて、怪しげな老科学者の回診を待っている。足元に老科学者が廻ってくると、サイボーグが頭を起こして「先生、廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する。老科学者は容赦なく、「廃棄」と毛筆で大書された半紙を彼の胸にべたっと貼り付けていく。サイボーグは絶望してがっくりと頭を落とす。
このシーンをテレビで見たときは、こいつら喋れるんだ、と驚いた。子供心に多少は可哀想にも思った。今となっては私自身が、「廃棄処分だけは止めて下さい」と懇願する立場になっているわけで、なんだか物悲しい。
老朽化に伴う廃棄の危惧に加えて、今じゃすっかり医療機関はショッカー並みの悪の組織みたいに扱われているし、いつなんどき正義の味方が乗り込んできて私をバイクで跳ね飛ばしたりライダーキックで蹴り飛ばしたり診療中に逮捕したりするか分かったものじゃないという危惧もある。所詮は下っ端のアリコマンダーだしなあ。白衣を着てるからシロアリコマンダーとでも自称するべきだろうか。ちょっとはしぶとくはびこれそうな気がする。
以下蛇足ながら高校のころを思い出す。吹奏楽部の楽器庫で、先輩がふと思い出したように「なんでショッカーは世界征服なんて言いながら幼稚園児を襲ってばっかり居るんだ?」と言った。当時の私には斬新な視点であったからおおいに驚いた。言われてみればせこい作戦だと思って大笑いした。しかし、いざ小児科医となり父親となってみると、サイボーグが幼稚園児を襲うってのは高校生が考えるよりもかなり恐ろしい事態であるように思える。我々2人の高校生はショッカーよりも浅慮であったようだ。ちなみに、この先輩ものちに医学部へ進まれたのだが、お互いショッカーの一員となろうとは、当時はまったく考えていなかった(と思う。たぶん。医学部かショッカーかと聞かれたらショッカーと答えそうな剽げた先輩ではあった)。
空床は0-0です。すみません。綱渡りしてます。 -
五月のガザ
五月のガザ
押原 譲 / / 講談社
ISBN : 4062136198
フリーランスのカメラマンが取材した、ガザ地区の状況報告である。
イスラエル兵に右目を撃ち抜かれた13歳の少年の写真があった。まさに病院に運び込まれたところである。著者が取材の初日に撮った写真である。右目が血まみれの暗い穴になっている。正確な狙撃である。目を撃ち抜いたからには、狙撃兵は照準器越しに彼の顔を捉えていたはずだ。
いったい、子供の顔を直視して、その目を撃ち抜くというのは、正気の人間にやれることなのだろうか。暴徒に混乱しての乱射じゃないのだ。狙撃なのだ。冷静に、確信して、やっていることだ。非戦闘員を相手に。こどもを相手に。先日行った動物園の近くまで来たとき、向こうから男の子が紙筒を抱えて歩いてくるのに出くわした。持っているのは「殉教者ポスター」らしい。広げて見せてもらった。そこにはまだあどけないが聡明そうな少女、いや幼女の写真が大きく刷られ、そして次のように書かれていた。
「パレスチナ・イスラム聖戦団は告げる
彼女は三歳を迎えた年に天国に入った
ラワン・マハマッド・アブ・ザイード
2004年5月22日、彼女は何の罪もなく殺された」
男の子はポスターを僕たちに見せてくれている間も写真をとる間も微動だにしない。ふつうならここでニコニコのVサインだ。僕と目を合わそうともせず、固い表情でじっと彼方を見つめているだけなのだ。
何かを感じたムハンマッドが横から何か言った。そして彼は小さくうなずいた。こちらがメモし終わると男の子はそのポスターをまた丸めて小脇に抱え、何事もなかったかのように立ち去った。終始無言だった。その後ろ姿を目で追いながら、ムハンマッドが「彼女は彼の妹だ」と僕に告げた。せめて、彼女が流れ弾に当たって死んだと思いたい(しかし後で聞いたらやはり狙撃だった)。 (本書151ページより引用)3歳の幼女が狙撃されて殺され、兄がその子の写真を外国の報道カメラマンに見せに来る。それだけでも十分に理不尽この上ない話なのに、この本を読むまで私が全くそのことを知らなかった、想像だにしなかったってのはどういうことだ。一国の正規兵が占領地で子供を狙撃していると、それが本邦では全く報道されてなかったってのはどういうことだ。理不尽に上限はないってことか。
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今年のインフルエンザシーズン開始
日曜日の日当直。外来でインフルエンザの患者さんが突然増えた。
毎冬まだシーズンの始まる前は、今年は流行しないのかな等と甘っちょろいことを考える。特に今年は、第一号の患者さんを拝見してから「シーズン開始」まで長かった。今年こそはインフルエンザに煩わされずに済むんじゃないかと半ばまじめに期待したのだが、やはり甘かったようだ。
タミフルと異常行動の関連が報道されてから、処方前にはいちおう言及することにした。異常行動の確率がかなり少ないこともあって、大半の親御さんは処方をご希望になるが、なかにはそれならばと処方を断られる親御さんもある。今シーズンはタミフル無しを選択される親御さんがじわっと増えたような気もする。タミフルを飲むか飲まないかは、それぞれの子の年齢とか基礎体力とか基礎疾患の有無に基づいての個別の判断でいいように思う。大抵の子はアセトアミノフェンさえあれば乗り切れるようにも思える。一方で、たとえタミフルが症状改善を早めるのはたった1~2日であるとはいえ、看病する立場になればその1~2日がたいそう有り難いということもあろう。
日本は世界に冠たるタミフル大消費国である。それを非常識で国辱的な話のように言う向きもあるが、しかしインフルエンザの発症後48時間以内に受診できる医療環境があればこそ、しかもこの高価な薬を処方できる国民皆保険があってこその話なのだから、諸外国に比べて多いというだけで全面的に悪く言うのは、それこそ自虐的なものの見方だと思う(注)。特に受診の迅速さに関して言うならば、「発症後あまりに早期だと迅速検査に偽陰性が多くなる」ということが実用上の問題となりうるのは本邦特有の贅沢な悩みとさえ言えよう。このタミフル大消費の適切さを論じるのは、タミフルの投与が、患者さん1人1人に対して、あるいは集団に対して公衆衛生的に、どれほどの費用対効果があるのかを論じた上でのことだろう(費用というのは金銭のみならず副作用とかも含めて)。
新薬登場時によくある話なのかもしれないが、タミフル登場後しばらくは、「タミフルを飲まないとインフルエンザは治らない」という誤解が蔓延した。救急外来はまさに狂奔とも言うべき状況で、小松左京「復活の日」をリドリー・スコットが映画化したような有様だった。メリット・デメリットを比較する余地が生じてきたという点で、タミフルもようやく普通の薬になりつつあるように思える。H5N1の新型インフルエンザがヒトに流行するようになった時には、また状況が変わるのだろうけれども。 -
安倍さんには組織を率いた経験がない
bewaad institute@kasumigasekiの2007年2月4日記事より引用。
安倍総理は、ただひとつのポストを除いて閣僚経験のなきまま総理の座につきました。ということは、トップとして組織を率いた経験がないということになります。
なるほどそういう見方もあるのかと思って引用。今まで組織のトップに立ったことがない人、として安倍晋三氏の政治姿勢を見ると、なんだか妙に納得がいくような気もする。元記事の、官房長官の人選が失敗だったという件に留まらず、彼にまつわる違和感を言い表すのに、「今まで組織のトップに立った経験がないのにいきなり総理大臣になっちゃった男」というのはかなりしっくり来る。
元記事によれば、安倍さんが経験した「ただひとつのポスト」というのは官房長官だが、それはあくまで官邸のナンバーツーであるから、官房長官の経験は、トップとして自らを支える人間はどういう人間でなければならないか、ということを知るにはあまり役立たないといえましょう。
ということになるのだそうだ。加えて、安倍さんが官房長官をやってた時期ってのは小泉首相の威光でなんでも片づいた時期だからあんまり苦労はしなかったろうと。官房副長官をやってたときに福田さんの仕事ぶりをきちんと見ておけばよかったのにとか。
霞ヶ関や下関という土地では閣僚になる以外にトップとして組織を率いる経験が積めないものなのか、私にはよくわからない。閣僚以外には組織のトップの経験がつめないと官僚のかたに言われるとなんかカチンと来るものがあるんだけれどもね。でもWikipediaとかで安倍晋三氏の経歴を見ると、たしかに組織のトップに立ったといえる経歴がないなあ。自民党幹事長ってのは、やっぱり上に総裁が居るんだからトップじゃないんだろうな。 -
大臣はどのような機械をお考えで?
柳沢厚生労働相が女性を機械・装置に喩えた一件。ときおり報道される老人の姿がだんだん小さくなってるような気がする。体重落ちてるだろうなと思う。ちょっと気の毒になってきた。続投もならず辞任もならずとなると、体調を崩したとかいう幕の引き方になるのかもしれんけども。あんまり本格的に体調を崩される前に、なんとか身の置き所を見つけてほしいもんだと思う。
喜び勇んで審議拒否している野党諸氏の、普段はあんまり仲が良さそうでもない面々が寄り集まっている姿も報じられた。彼らの品性もまただんだんと落ちているように思える。他者の決定的な弱みを握ったときの得意げな目笑ってのは、傍目には下卑ててよろしくない。宮崎県の新知事が意外なさわやかさ・ひたむきさで仕事に取り組んでいる姿が連日報道されることもあって、なおのこと、彼らが対照的に卑屈に見えてくる。
それにしても、いったい何故にこの老人はこんな余計なことを言ったのだろう。報道される発言の文脈で、こういう比喩をなぜ使わなければならなかったのかが全く分からない。人倫やポリティカル・コレクトネス云々に言及するまでもなく、純粋に作文の技術レベルで、この比喩は全く蛇足であったと、私には思える。
しかしわざわざ失敬を謝りながらもこの比喩を使ったんだから、柳沢氏にとってはこの比喩は必然的なものだったんだろう。彼にとっての必然性ってどのようなものだったのだろうか。私にはそれが引っ掛かっている。機械装置の比喩について、この数日ああだこうだとつつき回して考えている。
彼は機械・装置と口に出しながら、いったい具体的にどのような機械・装置を想像していたのだろうか。むろん何らかの生産に用いられる機械なんだろうけれども、全台数と稼働率のかけ算で生産高が決まるような機械である。なんだかずいぶん単純な機械のような気がする。顧客のニーズに合わせて知恵を絞って多種多様な製品を作るんじゃなくて、単一の製品で膨大な量を生産して市場を席巻することを狙うような類の機械。その製品は品質を買われて高価に売れるというより、どちらかと言えばダンピング輸出むきの製品のような気がする。生産する機械装置そのものもまた、製品と同じく、単純単一で個別性に欠けるような。いや、乏しい歴史の知識をもとに勝手な想像をしてますけどね、彼の発言の報道に接して、私の頭に浮かんだ機械ってのが、女工哀史時代の製糸工場でしてね。
いやもう赤ちゃんってそういう大量生産・ダンピング輸出向きの製品とは違いますし。子育てにかかる金銭的負担だけでも、現代のトヨタや日産のクルマ以上ですし。子ども1人大学まで出すお金だとフェラーリ買えるんと違いますか。いったい柳沢氏はフェラーリの工場へ行く機会があったとして、生産ラインの数は決まってるから稼働率を上げることで生産台数を増やすんだ!とかまじめに言いますかね。いやフェラーリの工場がかの名車群をどんなふうに生産してるんだか私は知らないんですけれどもさ。ただまあ、そんな檄を飛ばされても、職人さんら、「はあ?」と目が点になるだけではないかというのは、そう外れた想像でもないと思いますがね。いやフェラーリのクルマってそういうもんと違いますし、と彼らは言うでしょうね。
私もまた、子どもってそういうものとは違いますし、と言いたいですね。もちろんフェラーリのクルマよりもさらに高次元な存在ですしね。なおのこと。
それとも、ひょっとして元大蔵官僚の柳沢氏には、具体的なイメージなど無かったのかもしれない。彼の念頭にあったのは、書類に記載された「子供製造機」の台数と稼働率の、文字と数字だけだったのかもしれない。その子供製造機にも個別の顔があり人格があり生活があるなどということは思いつかなかったのかもしれない。金融担当大臣当時に日本の銀行は健全そのものだと言ったそうだし、今でもホワイトカラーエグゼンプションを強力に推進してると言うし、書類の上が世界の全てな人なのかも。そういうバーチャルリアリティの弊害を一掃することは安倍内閣の教育改革の重要な目標だったように、私は思っていたのだが。思い違いか? -
市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗
市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗
李 啓充 / / 医学書院
ISBN : 4260127284
本書には、市場原理がアメリカの医療をいかにダメにしたかが、克明に解説されている。株式会社が病院チェーン経営に参入したら何をするか、民間の医療保険会社はコスト削減しか考えず、ベンチャー企業と営利的に結びついた研究者がルールを無視し、その他諸々。
中でも、私にとっていままで全くの盲点であったのが、「負担の逆進性」の問題である。米国では負担が二重に逆進的になっているという。健康保険の自己負担分は、企業内での地位が高くなるほど安くなる。そうやって有能な人材をスカウトするネタにするんだと。重役クラスでは自己負担なしが普通だそうだ。出世するほど収入も増えるのはむこうでも同じなんだろうから、してみれば収入が増えるほどに健康保険の自己負担は減るということになる。
加えて、医療費負担の逆進性というのがある。財力のない人ほど(無保険の人ほど)、ひとたび病気になった場合に、医師や病院から高い医療費を請求されるのである。というのも、市場原理の下では大口顧客ほど価格交渉力が強いのが当たり前なので、保険会社が医師や病院と交渉して大幅な値引きを迫ることができるのに対し、無保険患者の場合は「誰も交渉してくれる人がいない」ので、「定価」で医療費を請求されるからである。しかも、病院が決める「定価」がリーズナブルなものであればまだましなのだが、医師や病院が、どこかの国の悪徳酒場と変わらないような「法外」な料金をふっかけることが常態となっているから、無保険者にとってはたまったものではない。
なるほどそういうことになるのかと、目を開かれた思いである。どうも寡聞を恥じてばかりいるブログでよろしくないが。
要するに日本の医療に市場原理を導入してビジネスチャンス云々と生臭いことをいっている面々は、そんなことをしたら医療がめちゃくちゃになるなんて全然心配しなくて良いのである。そういう「勝ち組」な彼らは、出来高払いで医療内容に制限なし(とうぜん保険料は馬鹿高い)の金持ち用医療保険に加入する。その保険料は会社が支払うから自己負担はなし。
勝ち組じゃない私たちは医療内容制限付き(あんまり高い医療行為には保険がおりません)の廉価版医療保険に加入する。あるいは、購入できる医療保険がない。廉価版ったって勝ち組な面々とは違って自己負担分を支払わなければならず懐が実際に痛む。無保険だと痛むどころじゃ済まない。しかも、勝ち組の人らの医療保険会社が私らのよりも交渉力がタフだったりしたら、彼らの医療費を値引きした分が、我々の医療費に上乗せ請求されることになるのだ。 -
事故機を事後にシリーズの1号機と命名する
Remembering Apollo 1
1 月27日はアポロ1号の事故があった日だそうだ。地上で訓練中であったアポロ1号に火災が発生し、3人の宇宙飛行士が犠牲になった。
このNASAの写真に付された解説ではじめて知ったのだが、もともとこのミッションはAS-204と呼ばれていたそうだ。犠牲となった宇宙飛行士の未亡人たちの求めにより、この、ついに宇宙空間に到達しなかったミッションをアポロ1号と命名し、以降のアポロ計画の飛行は2号以下に連番されることになった、とのこと。
犠牲を追悼するのに適切な方法だと思う。こういう痛ましい事故に際して、関係者の心理には、忘れてしまいたいという願望が強く働くものだ。これは例外的な事例なのだからと、系列外の特別な呼称を振り当てるとかして、計画のその後の進行においてはなるだけ想起したり言及したりしないで済むようにしておこうとするものだ。まして国家の威信をかけて「60年代のうちに人類を月へ」などとぶち上げた大計画である。事故機をその1号と呼ぶことにするってのは勇気が要ることだと思う。そりゃあまあ勇気が無くては月への有人飛行などできるものではないにせよ。
我々は病棟で亡くなる全ての赤ちゃんに対して、彼らを追悼するのに、NASAの面々に比肩するガッツをもって追悼できているだろうか。自分たちの力の及ばなさを痛感させられたあとであっても。
Wikipediaを参照すると、彼らはこの事故の原因を子細に究明し、公開しているようだ。
