久々に過去の記事へのコメントを頂きまして考えていました。
追い詰められていたものだと、過去の拙稿を読み返して思います。当時の状況を思い返しても、今と比べれば以前の自分は追い詰められていました。今はそう思い返せるくらいのゆとりができてきたのですが・・・当時からすれば技量的にもまた上達しているはずなのですが、それでも、当時の環境で働ける自信はありません。
当時と今の違いと言えば、まずは病棟の違い、それから医師数の違いです。この5月から新しい病棟が稼働し、NICU認可病床数が6床から9床になりました。たった3床のちがいではありません。認可病床数の違いはすなわち看護スタッフの数の違いです。新しい仕事が入って誰か一人がその仕事を引き受けなければならないというときに、それまで2人が2人分の仕事をしていた場合と、3人が3人分の仕事をしていた場合とを比較して、一人が2人分の仕事を継続するのと、2人が3人分の仕事を継続するという場合とでは大違いというもので。
認可9床になってから、病棟の繁忙が臨界をこえたことがありません。だんだんとお預かりしている赤ちゃんたちの重症度が総和として上がっていき、物理的な繁忙も精神的な緊張も上がっていくと、病棟の空気が、相転移するかのように、ある時点からふっと変わります。いわく言い難いのですが、あ、いま越えたな、と感じる瞬間があるのです。
この相転移が病棟の「室温」何度で生じるのか、病棟の設定や実力に応じてさまざまだと思います。この点を超えると、スタッフに笑顔が減り、アラームが消されるまでの時間が長くなり、赤ちゃんが「一人飲み」をすることが増え、冷凍母乳を持ってこられたご家族が前室に放置されるようになります。私は些細なことで周りに当たるようになり、看護師のため息が多くなります。ご家族も何となくそそくさと病棟を後にされるようになります。そういう時期にお預かりした赤ちゃんが、退院後に「こんなに大きくなりました」というご訪問を下さることは有意に少ないように思われます。
全国の病院で、この相転移を起こしたまま、それが常態となってしまった病棟が数多くあると思います。相転移を生じる前の状態をそもそも知らないという医療スタッフも多いと思います。そういう状態の病棟では、スタッフが心身をすり減らしながら、しかし能率良く仕事に打ち込めているわけではありません。以前の当NICUとて、けっして、良い意味での「力の限り」な仕事ができていた訳ではありません。全力で仕事ができてたら、むしろよっぽど楽だったと思います。依頼される片端から新生児搬送に迎えに行けてたら、紹介される母体搬送を一件も断らずにすんでたら、どんなに楽だったかと思います。
投稿者: yamakaw
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過去の記事に関して
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じーこが ほら おこるよ
サッカーを観るのも4年ごと程度の、代表選手の誰一人として所属チームを知らない私なのですが、しかし月曜夜のオーストラリア戦は観てました。そういや明日は休暇とってるじゃないかとか抜かして。べつに当て込んで休暇とったわけじゃないんですけどね。当て込むならワールド・ベースボール・クラシックのころに休暇とりましたがな(そしてその休暇で免許試験場いけてればと涙)。4番ファースト王の756号の時代に小学生だったんですからね。
オーストラリア戦といえば抑えのウイリアムスにくれぐれも注意とか思ってたら、本当に9回裏2アウトから彼が出てきたような試合経過。でもあのポテンヒットを相手がエラーしたような1点きりで勝ったと称するのもどうかねとは思いました。あんまり格好良くない。
それにしてもあの駒野さんですか、何回センタリング上げても誰にもシュートして貰えなかったあの人、苛められてるんですか?
翌日は日本中が落ち込んでるかのような報道ぶりでした。機関車トーマスにさえも日本の敗戦を悼む歌が放送されたりしまして。じーこが ほら 怒るよ
いきなり くる
ちょうしのって やってると ばちがあたるま、歌われているごとく、「おちこまないで・・・じーこは怒るものさ」ということなんでしょうね。
NICUにも今のジーコジャパンより手酷い病状から立ち直って帰る子は何人もあります。
頑張りましょう。せめてサッカーボールよりも軽い未熟児たちが頑張るくらいには、ね。 -
「誤診列島」と三枚摺り
誤診列島―ニッポンの医師はなぜミスを犯すのか
中野 次郎 / 集英社
ISBN : 4087474275
スコア選択: ※
医療問題を扱っておられる弁護士さんがブログで激賞しておられたので一読した。この弁護士さんは文体に関して私よりも寛容であられるようだというのが第1印象。語り口は読むに耐えない。真面目な話題は真面目に話すものだと思う。編集者は何をしてたんだろう。語り口が全てだと喝破した構造主義者は誰だったか。でもまあ著者の人格を腐したところでその著書の誤謬を指摘したことにはならない。上品な私はこの問題をこれ以上は追求しない。
本書を通じて、「ニッポンではこうだと聞く。じっさい私が教えた医学生はこうだった。翻ってアメリカではこういう制度になっている。じっさい私が若い頃はこうだった。(だからアメリカの医療はすばらしい。ニッポンはダメだ)」という論調であった。じっさい、この人が伝聞された「ニッポン」と呼ばれる地域の医療情勢は悲惨だ。いったいこのニッポンという地域は地球の何処にあるんだろう。近寄りたくないものだ。私は日本国で医師をしてて本当に良かった。でもアメリカでも、そんな素晴らしい医療を行えてる国から漏れ伝わる悲惨な状況ってのはどうなのよと思うけど。
むろん、本書のニッポン医療批判を、われわれ日本国の医師も、他山の石として参考にするべき点は多々ある。特に、アメリカの開業医は病院に患者を入院させた後も自分が主治医として治療を続行するというが、この制度が医療の水準を維持するのに一役買っているという。この点が最も興味深かった。病院もどの開業医からでも引き受けるというのではなく、ある一定水準の診療能力を持った開業医と認めない限り入院特権を与えない。どこの病院に入院特権を持ってるってのが開業医のステータスなんだそうだ。
リスクマネージメントな面もある。病院としては、ヤブな開業医のヘボい外来診療のツケを払わされてはたまらない。開業医もまた、自分の患者を入院させた病院で事故を起こされては堪らない。互いに外部の眼で監視することになる。実際に何かあったら、その責任の所在を明らかにしないと自分に火の粉が降り掛かるのだし。
ようは「三枚摺り」なんだよな、これ。完璧な平面を作る方法ってやつ。平面を作るには素材をすり合わせて凹凸を取り除けばよいのだが、二枚ですり合わせると片方が凹・他方が凸の曲面になるかもしれない。でも素材を3枚用意して、どの二枚を選択してすり合わせてもきれいにすり合うように加工したら、そのすり合わされた平面は完全な平面になる。 -
仮免許をとってきた
今日は一日お休みを頂いて運転免許センターまで行ってきた。京都では京都市内もずいぶん南の方の運転免許センターまで行かなければ免許の更新もままならない。なんで所轄の警察署で更新ができないのかよく分からないけれど、免許の更新なんてけっこう大手を振って休みをとれる良い理由だし、3年に1回くらいそれで休むのも悪くはないと思う。まあ、免許の期限内になら、だけど。
いったん長岡京市まで出て阪急バスに乗るほどの、京都市の南のはずれである。阪急長岡天神からのバスは40分ごとにしか出ていない。でも京阪中書島からも似たり寄ったりだったような記憶がある。
今回は免許の有効期限を過ぎて6ヶ月以上1年以内だから、技能試験と学科試験を免除で仮免許が貰える。講習もないから、視力と色覚の検査だけで終わる。全行程1時間ほど。
受付の女性が親切でよかった。どうしてもこっちの落ち度なもので、いいトシして内心ちょっとびくびくしていた。偉そうな態度をとられたりしたら応えたかもしれない。まあ受付の人にしてみれば毎日毎日こんなふうな失効手続きの受付をやってるんだし日常なことなんだろうけれども。でも私らも病院ではこんな風なんだろうかと思いましたね。患者さんってけっこうびくびくしてるんでしょうね。そういえば大病院に赤ちゃんを搬送するときなんて、私ら紹介もとスタッフもけっこうびくびくしますからね。大病院の研修医に尊大な態度とられたりすると、けっこう鬱屈した怒りとか恨みとか内攻させてしまいます。
仮免許を貰って、その足で最寄りの自動車教習所へ行って、仮免再入の手続きをしてくる。路上教習を受け直すことにした。それなりに時間はかかるけれども、8年ほども全く運転をしていない私には、「飛び込み」受験で免許が取れる自信が全くない。運転してたころも3年間ほど田舎道を週末ドライバーしてただけだし。縦列駐車もできなければ(縦列作るほど混み合ってなかったんです。そもそも路上駐車もしたことないですね)、坂道発進も覚束無い。その一方で研修医の頃は救命救急での交通外傷とか、小児科になってからも交通外傷後のリハビリの子とか、いろいろ世間の皆様がご覧にならないような自動車交通の裏面を拝見してきましたし。まあ運転なんて生涯しなくて済むなら済むに越したことはないんですけど、いつ何どき自動車通勤を余儀なくされる僻地へ赴任することになるか分かったもんじゃないし。なんやかやでお金を注ぎ込んできっちり練習をすることにしました。ただしAT限定。定額の割り増し料金を先払いして、検定に落ちても補習代とか再検定代とかがかからない安心パックにしておく。30代以上はAT限定じゃないとこの安心パックは使えないんだそうだ。しばらくは左足が戸惑うんだろうな。
いや、お金はいいんですよ。どうせ私の懐だし。今さら路上教習なんてそんな暇あるんかいというのが最大の難問なんですね。仮免許の期限は12月12日。あと半年。 -
マンパワー
11日から日直・当直。そろそろ人も増えてきたことだし休日の日直と当直は分けられんかねとも思うがそれは部内で検討するとして。重症の子もそれなりに安定してきてたし頭痛がするしで11日の昼間は当直室で寝たり起きたりしていた。ばらばらと外来があって夜も呼ばれたが、深夜帯にほとんど外来受診がなかったのが楽だった。
12日朝はそのまま月曜の通常勤務。外来を始めようとしていると、突然部長から呼び出しがあって緊急帝王切開立ち会いに入れと言われる。怠け者の私は例によって、何でNICU担当も病棟処置担当も飛び越えて俺なんだよと反射的に思ったが、部長からの情報によるととんでもない急激な状況で秒単位の進行だから、誰が入るべきのなんのと御託を並べてる暇もない。直ちにNICUへ帰り、搬送用保育器をコンセントから切り離して手術室へ直行する。
腰椎麻酔もそこそこに帝王切開が開始される。お母さんだいぶ痛かったんじゃないかな。私も蘇生一式を準備する。帝王切開が決まってすぐにラジアントウォーマーも電源が入れられていたはずなのだが、処置台もじゅうぶん温まらぬうちに赤ちゃんが出てくる。速い速い。すぐに元気に産声を上げてくれた。良かった。気管内挿管は当然のこと、心マッサージも要るかもしれんと思っていたが、羊水を拭きあげるだけで済んだ。
多分に、この緊急帝王切開ができるかどうかが、この子の運命の分かれ目だったと思う。早剥だと思ったときに産科医に取れる選択肢がどれだけあるかということなのだが。どこの産科でも今回のように緊急帝切を決心してから10分20分での娩出ができるものなのかどうか、私はあまり他所での勤務経験がないからよく分からない。
そのままがさがさと外来を済ませ、午後はNICUに入る。若手が500gの超未熟児に動脈ラインと静脈ライン(経皮中心静脈)を1本ずつきれいに一発ずつで決める。動脈のほうは私でも入りそうだったが、静脈は私ではちょっと怪しいかと思っていたから彼女が決めてくれて良かった。PIカテーテルに付属の静脈穿刺針は先端のカットがエレガントでないので私は苦手。
この処置は私は補助に回る。処置の補助は最近になってやり始めた。昔は若手の育成なんて知った事じゃないとばかり、立ち会えるかぎりの処置は自分でやってきてたから。でも処置は補助に回ってはじめて見える事もある。動脈は助手側から見る方がよほどよく見えるし(強力な光源で手首を透かして見ると動脈がスジ状に浮き上がって見えます)。針の進路が皮一枚分ずれてるよなんてことも、かえって助手側からのほうがよく見える。他人ごと気分で傍目八目なのも多分に良い方に影響しているのだろうと思う。でも助手のやりやすさ・やりにくさというのも、主役が誰かによって多いに違う。初心者に近い人を指導しながら助手するってのは難しい。私のような非定型発達の人間にはさらに難しい。今回は若手がきっちり分かってる水準だったから補助の手も入れやすかった。そりゃまあ超未熟児なんだしそういう水準の人間にしか触らせないですけどね。
なんだかんだと遅くまで勤務。日曜朝から36時間。 -
夜のお仕事
昨夜は入院中の赤ちゃんが寝ないと開始できない作業がひとつあって、夜更けまで居残った。居残ったついでに前回の記事を書いたわけだが、その間にひとつでもふたつでも文献読むもんだよな勤勉な人は、とは思う。
歩けば数分で自宅には帰れるのだが、いちど帰って寛いでしまうと再び出てくるのが物憂い。どうせ赤ちゃんのことだし小一時間も待てば寝るだろうと高をくくって医局で待っていたら意外にも夜更かしされてしまった。
まだ娘が幼稚園児だった頃、自宅へ帰って玄関のドアを開け、娘が喜んで駆け寄ってきてやれやれと思ったまさにその瞬間にポケットベルが鳴り出して、娘の号泣を背中に聞きながらまた病院へ引き返したことがあった。娘は忘れているだろうが私はいまだにトラウマになっている。 -
身銭を切る
これに対して、出産医療の継続を要望する同婦人会のメンバーらはこの日、市役所を訪れて、市民や市外に住む同病院利用者から集めた署名簿を提出。板井会長は「出産は緊急性が高く、時には母子の生命にかかわる事態もある。市内唯一の産婦人科の存続は全市民の願いです」と訴えた。
先日からどうもこの署名に関する記事が心に引っかかっている。
眠い時に不用意に読んで刷り込まれただけかも知れないけれども。
その由縁をあれこれ考えてみる。婦人会の方々に対して他意はないつもりである。というか、こういう時の他意というものが卑しいものだとは重々心得ているつもりである。
この署名活動に籠められた熱意は無論尊いものだ。けっして粗末にしてはならないと思う。無関心に放置されるよりは遙かに良い。関心を形にして頂いただけでも、この署名活動は有り難いと思う。
ただ、その要求は実現不可能だということだけが、この署名活動の問題点である。
この署名活動の価値を毀損する欠点は、実にその一点だけである。その欠点故に、2万人分もの熱意も、誰かの「前向きに検討致します」という台詞に突き当たって雲散霧消することになる。
実際に記事はそういう結末で終わっている。市長はやがて「最大限努力は致しましたが」と言い、院長は「医師の確保には努めましたが」と言い、産科はこのまま閉鎖されることになる。実現不可能な要求であるから、市長も院長も、放置したまま事実上の却下扱いにするのに、それほど後ろめたくも感じないだろうと思う。
そう読めるのは私が捻くれてるだけですか?
年間分娩数120の施設に産科常勤医2人というのは、現状では維持不可能な態勢である。この施設規模は何とも半端なのだ。平均すれば3日に一人の分娩である。産後5~6日で退院とすれば、病棟には2~3人の赤ちゃんしかいない。閑散としている。この施設を維持できるマンパワーは、さすがの神大も擁してはいないだろう。産科医師を常勤で2人派遣というのは、どんなに大きな医局であっても、「たった2人」と言えるほど些細なことではない。この2人の医者を喉から手が出るほど欲しがっている施設が山ほどあるだろうし、そういう施設の産科医が置かれている状況の過酷さは想像するだに余りある。
安全かつ便利なお産という要求は正当な要求である。如何に過疎地であれ、お産は身近な施設で安全に行われて当然であると、周産期関連の仕事をしている私も、そう思います。でも正当な要求でも、実現されるべき要求でも、必ずしも容易に実現できるとは限らないわけで。必要なのは声高な要求ではなくて、有能でタフな交渉ではないかと思います。
婦人会の皆様は要求ではなくて交渉をなさるお覚悟が必要でした。何かを、意図的に、捨てるお覚悟を示されるべきでした。便利さを捨てて安全を希求するか、安全を捨てて便利さを希求するか。いや、そんな二者択一のお目出度い単純さではいけませんね。どれくらい便利さを捨て安全を求めるか、あるいはその裏でどれくらい安全に限度をつけて便利さを求めるか、その落としどころを探ろうとなさるべきでした。
あるいは、安全も便利さも最大限にと求めるならば、経済的な安価さを捨てなければならない。直接には多大な費用負担の覚悟を。さらには、金の力に物を言わせて近隣の地域から産科医を強引に引き抜くという汚れ仕事への批難を、覚悟しなければなりませんでした。
現状維持が不可能になった時に、可能にするために何を捨てるか、それを具体的に表明されるべきでした。いや、「何を」はこのさい重要ではないかも知れません。何かを捨てる覚悟があるという決意そのものの表明のほうが、重要なのかもしれません。
それが当事者としての責任というものだと私は思います。恐らくは、捨てることにしたものによる直接の痛みに加えて、何を捨てるかによって婦人会内部でも大きく対立されるであろう、その対立の痛みもまた、当事者の責任としてお引き受けになるべきでした。
むろん、婦人会の方々とて周産期医療の経済を分析する専門家でもあるまいし、婦人会の方々がそういう具体的な議論をなさっても、必ずしも正確なものにはならないだろうと思います。大事なのは、医療の利用者である皆様もまた、何をいかほど捨て何をいかほど守るかという交渉の席につくお覚悟があるということを、示されることだろうと思います。 -
帝王切開3連
午前中は外来、午後から3連続の帝王切開立ち会い。生まれた3人が3人ともNICU入院。そんなヘボい蘇生をやったわけじゃないと思うんだけどな。
赤ちゃんをNICUに連れて入って、採血と点滴を一気にすませて、当座の指示を出して云々とやってたら次のお母さんのオペ出し時間になってしまう。
引っ越し前の旧NICUなら1時間ごとに3人の入院なんて、スタッフはみんなパニックだったろうが、今日は赤ちゃんを送り込むすみから片端、看護師が次から次に出てきて保育器に取り付いていった。こんな人数が何処にいたのかと思うほど。淡々と処置が進んだ。NICU9床となると懐が深くなるものだと思った。 -
人数が多いと寝られる
6月5日月曜は午前中外来・午後NICU詰めのあとそのまま当直に入る。この入り際に搬送がまず一件。
午後4時は日勤準夜の変わり目でそれなりに忙しいにもかかわらず、搬送依頼の多い時間帯である。産科の先生が午前中の外来診療の後、午後2時とか3時とかの「オペ出し」で帝王切開を始めて、午後3時とか4時とかに出生した赤ちゃんになにか支障があった場合が、ちょうどこの時間帯の搬送になる。
重症の子がいるからNICUからなかなか出られない。延々処置を直接続けてるという訳でもなくて、座ってるだけと言えば言えるのだが、それでもNICUに居るか居ないかで多いに違う。状況把握にはなるし、看護師たちの安心感もたぶん違うだろうし。重症の子を放り出したまま医師が誰も居ないでは、それはもう誰が安心できるかというもので。
それでも眠さには耐えられずちょっと仮眠ねと当直室に引き揚げた30分後にまたも搬送依頼。新しく迎え入れた赤ちゃんの処置でそのまま夜が明けた。火曜日。
朝の回診がようやく始まって申し送りを済ませる。部長にせがんだら意外にもOKが出て、午前9時から11時まで当直室で寝る。2時間でも寝たら完全徹夜とは疲労感が全然違う。むろん完全回復には至らないが、それでも「たたかう」コマンドを使うくらいのゆとりができる。「まほう」は無理だろうけれども。パーティがたくさんいたら「せんとうふのう」寸前の人を引っ込めることが可能になる。回復後また復帰できるから結局は喪失が少ない。
そのまま定時までこんどは働く。火曜日には非常勤の当直医が来てくれる。関東地方の、医療レベルの高さとスタッフの強烈な個性とでつとに有名なNICUで修業された先生である。ゲストを囲んでの症例検討会みたいな回診になる。部長たち偉い人が引き揚げた後も(毎週火曜は部長は部長でなにか偉い人の会議があるらしい)、あれこれと語っている間に時間が経つ。時間が経つと、前回の採血から時間が経ったといって次の血液ガス採血をする。なんやかやとNICUから足抜けするのに時間がかかる。帰って8時。寝たのが10時過ぎ。
7日水曜。午前5時に急変で呼び出し。落ち着けて6時半いったん帰宅して朝食。7時半再出勤。水曜は午後オフだぜと、そればっかり考えて働いていると、外来で、超未熟児フォローにお出でのお母さんから、先生疲れておられますかと言われる。いやもう当直が二日残るようになりましてねと申しあげる。昔は1日で回復してたもんですけどね。同世代のスポーツ選手が軒並み引退してて残ってるのは桑田・清原くらいですよねとか。ほんとは私のほうが1学年下なんだけど。 -
赤ちゃんを迷惑なものと見ていないか
私はもう一〇年前だったが、マルタ島の街角で子供がたちがわーっとベビーカーを囲んでいた光景を思い出す。沖縄でもそうだった。赤ちゃんがいるーとかいうだけで子供が集まってくる光景。あの光景のないところに出生率向上はないと思う(とか言ってマルタは少子化だったりして、知らんが)。
この最後の一段落に大賛成である。法律とか行政の施策とかとは別次元に、社会がこどもたちをどう見ているかという「雰囲気」的なものの影響も大きいと思う。赤ちゃんを喜ばしい存在と見ているかどうか。ガキなんて五月蠅くて迷惑なもんだけど「当たった」お家はそれも社会のためだと思って我慢してねというような発想の施策では、いくら少子化対策やったって実効上がらないと思います。
ちなみにうちの病院は外来待合いで小児科から子どもが溢れてこないようにと内科が植木でバリケード作っちゃいました。当院では子どもは迷惑もの扱いです。恥ずかしくて情けなくてそれを見るたび涙が出そうです。新館が建った折にその植木をお祝いにと下さった京都市内諸処の病院他の皆様には申し訳なくて仕方ありません。
