愚かものの迷惑さ
不遜な話だが初めて今上陛下を心から陛下とお呼びしたい気持ちになった。天皇と聞けば砂を掛けるのが正しいリベラルのあり方だと思っていたが、この人が君主なら天皇制という立憲君主制も悪くない。
不遜はまあこの日記をお読み頂ければ、私を慎み深い人間だと思う読者はまずあるまいと思うし、押し通させて以下の発言をお許し頂きたい。
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愚かものの迷惑さ
強制でないことが望ましい 陛下、園遊会で異例の発言
たぶんこの教育委員は今後「自主的に国旗を掲げ国家を斉唱するよう」ますます奮起して各学校に圧力を掛けるのだろうなと思った。コミュニケーション能力なさそうだし、たぶんそれが御意に適うことだとナイーブに思いこんじゃってるのだろうな。そして陛下のお墨付きを得たとばかりに強制に走るんだろうなと思った。
普通、このようなお言葉を頂いたら、「ほどほどに止めておきなさいよ」という警告だと受け止めるものだと思うが。
暗澹とする。
この話題続けます。
双子は同時に帰る
もう一つ気になったのは、双胎の1人はまず確実にNICU入院だとして(もともとその子がそれ以上悪くならないための帝王切開だから)、もう1人をどうするかと言うこと。
二人ともお母さんの手元に置いて帰れるのが一番よい(帝王切開を推奨した産科医の面目は少々傷が付くかも知れないけれど。でも思いのほか元気でしたと言われて腹を立てる親御さんがあろうか)。でも、どうしてもNICUに連れてこなければならないのなら、二人揃ってお連れしたいものだと思った。
元気な1人をお母さんの手元に残して弱い1人を引き離しNICU入院というのでは、後でその弱い方に虐待のリスクが増す。
選択肢の多様さとタフな交渉
従うしかないのか
しばらく頭が空っぽになったような実感があって、空になったところへ色々と本を読んで詰め込んでいました。ようやく、何か書けそうなところまで溜まってきました。書く材料とか資料とかの取材目的ばかりではなく、思念の塊みたいなものが頭の中にアモルファスに煮凝って膨れあがってくるのを待つ感じの、読書の日々を送ってました。(仕事もしてましたよ)。
で、思うに、
結局のところ、医療の安全性とか資源の最大有効活用とかを追求するのって、世間一般には金科玉条じゃないんだなと思うようになりました。医療を職業としない市民の皆様にとっては、そこそこ大事だと思う幾つかの事項の一つであって、アプリオリに大事にされて当然というほどの金科玉条ではない。
コメントにするには文字数が多すぎるとサーバに叱られた
従うしかないのかに対するコメントに対して返事です。まずOctさまとスミさまへ。
従うしかないのか
文句を言うなと言われてもに対して頂いたコメントへの返事です。長いので投稿にしました。
文句を言うなと言われても
「都合」とはあまりに酷い言われようである。 続き
その後に述べられている一連のコメントは、私には、「医療側に問題があるのだからつべこべ言わず利用者の言うとおりに黙って診てろ」と言われているように感じられる。「日本の賃金形態にまで言及されているようですが」という捨て台詞には、侮蔑されていると感じる。
こんなことを言われて黙っていては、医療者がブログを書く意味が無くなるように思う。
「都合」とはあまりに酷い言われようである。
一晩考えてみたのだが、やはりこれは申し上げておくべきではないかと思う。
昨日のコメントで、Octさんが「都合」という言葉を使われたことが、釈然としない。
「都合」という語は、相手ではなく自分の利害を優先して物事を決定する態度を暗に批難するときに使う語である。
不妊治療に関わる温度差(3)
不妊治療に関わる温度差(1)
Octさんに、不妊治療を受ける患者さんを不当に責めているとのご批判を頂いたので補足する。一番最初の「ふたごふたご・・」の文章で患者さんを不当に責めていると言われたら内心では心外なのでコメントを書いたが、「不妊治療に関する温度差(1)では確かに患者さんを責めているように、私でも読む。これはいけない。
不妊治療に関わる温度差(2)
不妊治療に関わる温度差(1)続き
一旦まとまったものを公表して、それを自分で読みながら思うに、私は患者さんを揶揄する表現を用いたことは反省しているが、不妊治療を受ける患者さんと同じ温度を共有はしない。確信的に、私は冷めている。
この「温度」が時として、患者さんに、
「高いお金を払うのだから未熟児なんか要らない」と言わしめることがあると聞き及ぶ。
ごく一握りの患者さんなのだと信じたい。
人の親になる立場の人にこのような言葉を吐かしめる熱狂とは、私は敢えて距離を置く。
この言葉には不妊治療に対する熱意は十分に感じられる。
この悲壮な覚悟をされるほどの金額を実際にご負担になったのだろうとも察する。
しかし、何かが欠けているようにも思う。
一方で、
冷めていると言うことと、相手を尊敬しないと言うこととは大いに異なる。
路線の違う他者を尊敬しないのは私の宗とするところではない。
敢えて否定する相手にも、尊敬を込めて、否定の言葉を贈りたい。
