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  • 積極的な治療を望まなかった外国籍の家族

    ネオネイタルケア2004年8月号の特集は「NICU最前線:ファミリーケアの実際」というもの。その1番目に載った論文が、「積極的な治療を望まなかった外国籍の家族 言葉の壁を越えることはできるのか 川畑咲子・大森意索(東京都立墨東病院)」であった。
    日本滞在中の中国人ご夫婦が重度の先天性神経筋疾患をもって生まれてきた赤ちゃんに積極的治療(気管内挿管とか)を拒否された事例、インド人ご夫婦が23週の超未熟児で脳室内出血や気胸を起こし心身障害必発の赤ちゃんに対する治療継続を再三拒否された事例、この2例を紹介して、文化に関する彼我の差を報告しておられる。

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  • 開院おめでとうございます・・・新生児集中治療室から

    エキブロ総合病院ほんとにできました。
    exciteにブログを作っておられる医療関係者を集めたブログが本格的に動き始めています。物事がうまく動き始める現場を見ているのは幸せな気分です。医療関係者のブログへのリンク集は便利さも格別です。あろうことか不肖「こども」のおいしゃさんである私でさえ有り難くもお誘いを頂きました。目に留めて頂くのは嬉しいことです。
    仕事の不満をぐちぐちとウエブ日記やブログに綴る私のような小僧など相手にしない方が物事は上手く行くとは思うのですが・・・開設についての感想を書かせて頂きます。滑り出し前に書かれるといきなり腰が砕けるような内容ですが、これだけ順調に出発された後ならば私が少々水を差したところで動きが止まる事は無いでしょう。物理には慣性の法則というものもありますし。

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  • 妊娠中絶に関して

    あちこちのブログを読ませていただくうち妊娠中絶に関して論じておられる牧師さんのサイトを拝見しました(トラックバックすればいいんでしょうけど、トラックバックURLが正しくないとかいってサーバが受け付けてくれませんのでリンク)。普段心の底にわだかまっている問題に関しては、不思議に吸い寄せられるようにその問題を扱うサイトに行き着きます。
    我が心の善くて殺さぬにはあらず、を座右の銘としています。中絶を選ぶ当事者のモラルを問題にするのは現時点では有効な解決策ではありません。単純に中絶を禁止したらどうなるかはルーマニアという国に惨憺たる実例があります。
    単純規制はもっとも愚な対策です。堕胎しなくてもすむシステム作りってのが不可欠です。中絶の大半が経済的理由をもって行われている現在、解決策のもっとも有効な道は「お金をかけること」じゃないかなと思います。

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  • 「まだ人間じゃない」P.K.ディック ハヤカワ文庫SF

    近未来のカリフォルニア。妊娠中絶に関する法律が改定を重ねて、12歳まではまだ人間じゃないってことになっていて、両親がこの子は要らないと言ったら行政のトラックが連れに来るってお話。30日間養親が現れないか待って、引き取り手がなければ殺してしまいます。
    檻付きのトラックが音楽をならしながら街を走り、申し出のあった子供を捕らえていきます。子供たちは次に連れて行かれるのは自分じゃないかと怯え、連れて行かれた友人について語り合い、トラックを襲撃する空想も語り合います。夕刻になっても、ひょっとして今日こそあのトラックが自分を待って居るんじゃないかと怯えて帰る足がのろくなります。
    ちなみに、12歳までの子供が人間じゃないのは、代数ができないからだそうです。
    こんなくそったれな国とはおさらばだと、主人公の少年の父親はカナダへの移住を口にするのですが、経済的な理由から二の足を踏んでいます。行きたいねえ、といいながら結局は行かないってことが分かってる、というまるで進歩のない結末。
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    P.K.ディックが書き続けたのは、こういう八方ふさがりの状況に置かれた、あまり立派ではない男たち(敢えて言えばクズ野郎)の姿です。たぶんにディック本人がクズ野郎だったんです。生涯に5回の結婚離婚を繰り返し、薬物を濫用し、プロットの破綻したSFを次から次に書き続けた男です。
    作品の有名どころでは、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」これはリドリー・スコット監督の名作「ブレードランナー」の原作となりました。「トータル・リコール」の原作になったタイトルはなんだったかな。新潮文庫の「模造記憶」にでてたんだけど。最近も何か彼の作品が映画化されてましたね。
    自分の見ている現実が本物なのか?という仮想現実がらみの設定をよくするので、最近バーチャルリアリティという言葉の発音をビジネスオヤジやマスコミ心理学者が憶えた時節から急に注目を集め始めた作家ですが、彼が書いてたのはそんな高尚なお話ではなくて、クソったれた状況でなんにも出来ずにぐずぐずしているクズ男たちの姿です。
    要するに君や僕みたいな人の痛いところを突きまくってあるのね。どれを読んでも自分のことを書いてあるような気がしましてね。げんなりしながら読み続けています。

  • 知恵を使った仕事をする

    金曜日は午前中は一般病棟回診と処置・救急の担当。午後が一般外来。
    一般病棟に入院中の腸炎の子は今日も渋り腹で不機嫌だ。しかしカルテの検温表をみたら昨日は昼食夕食とも主食10割副食3~5割を食べたと記録されている。この数字は今朝の病状からして納得できない。そんなに食べられた訳がない。
    付き添いのお母さんに直接確認したら、お子さんが全然食べなかったのでお母さんが食べてしまったとのことだった。
    食事の摂取量を記録する際には、食後に下膳カートに集まった食器をみて、食べ残しの分量から食べた分量を推定する。いちばん手っ取り早い方法ではあるのだが、小児患者相手にはこうして間違いの元になる。
    世の中のお母さんはこどもの残飯を自分の胃袋に始末することが多いよとは若い未婚の看護師たちの一般的な発想のうちには無いことかもしれない。でもね、カルテを書くときには患者さんの顔を思い浮かべるものだよ。いくら、うちは混合病棟だし自分達は小児看護の専門じゃないとは思っていてもさ、この子が飯を全部平らげられる状態かどうか位は考えなきゃ。思いつきさえすれば、ちょっとお母さんに聞いてみれば解決じゃないか。
    数字一つ書くのにも考えて書かなきゃということは時にあります。外来でも、0歳9ヶ月の子の体重をカルテに17kgと書いてきた看護師がありました。そりゃ3~4歳の体重じゃないかと思って確認したら、予診表にお母さんが体重を記載した数字が判読しにくくて縦棒が7の数字の本体から分離して見えたと言うことでした。まあ、体重はこまめに実測しなければとは思います。申告された体重を転記する場合でも、はたして1歳にもならん乳児の体重が17kgもあるものかどうかは考えなきゃいけません。本来7kgの子に17kgと思って処方を書いたらけっこう辛いことになります。まあ、処方書く前には診察もするわけで、目の前の乳児の体重が17kgですとカルテに書いてあったときにそれを丸飲みして17kgの処方を書くようでは医師の素養も疑われますが。