月: 2004年8月

  • 慶次郎縁側日記 NHK

    「許さん」の鬼の形相を久しぶりに観た。今度こそ桃太郎を乗り越えて欲しいものである。

  • 身体を割るとは、と、シンクロをみて思った

    シンクロナイズドスイミングの演技に思うのは、あの競技の目指すところは何かと言うこと。
    特に日本代表の演技には、なにか「優雅さ」っていう観点で物足りないものを感じる。
    日本人形にしても浄瑠璃の流れるような動きではなくて、お茶を運んでくるからくり人形の動きのように見える。
    それがかの競技の目指すところだと言われたら、それでもまあよいかとおもうのだけど。
    内田樹先生のサイトで武道に関して繰り返し論じてあるが、日本代表の演技ももうちょっと細かく割った方が良いのではないかと思った。

    私は最近ずっと「時間を細かく割る」というのが武道的な効果に結びつくという仮説について考えているところなのであるが、昨日は多田先生の口から、まさにその同じことばが出てきて一驚を喫した。
     
    先生は「冴え」と言われた。
    何百分の一秒という時間に身体をどう動かすかという精密な稽古をしないと技の「冴え」は出ない。
    どれほど長い時間つらい稽古を重ねても、それだけでは技は「冴え」てこない。
    強い動き、速い動きと「冴えた」動きは違う。
    「相手が百分の一秒の間に動く動きを、こっちは一万分の一秒の尺度で見ているんだから、どんなに速くたって、遅いよ」
    と多田先生はおっしゃられた。
    問題は物理的な時間量のことではない。主観的な時間のことである。
    主観的な時間というのは、「どれだけ持続したか」ではなく、「どれだけ細分化されたか」によって遅速の差が生じるものなのである。
     

    演目が「阿波踊り」ねえ。阿波踊りが格好悪いというつもりはないですよ。でもねえ・・・受けるのかな阿波踊りが。「ドラえもん」じゃあダメなのかな。「ゴジラ」は?「ドラゴンボール」ならどうなのだろう。なんで「阿波踊り」?選択眼が体育会系を抜け出切れてないのかな。

  • 有名サイトからのトラックバック

    なんと前回の投稿にスミルノフ教授からトラックバック頂きました。おお。
    麻酔科という語を教授はお見逃しにならなかったようで。狙った訳じゃないですけどね。
    おかげさまで訪問者数が過去最高値を更新中です。まだ昼過ぎなのに。さすが教授。
    「歯科医の医学生」のかたは日記の読者が急に増えて驚いているだろなと思ってましたが
    我が身にも同じ事が起きるとは。

    (さらに…)

  • 頑張っている医学生が居ますよ

    歯医者の医学生日記(趣味含む)
    凄く頑張っておられます。歯科医として訪問診療しつつ医学部で学んで居られます。
    今は麻酔科の臨床実習中。
    僕が学部生の時はここまで充実した臨床実習はしてなかった。
    この人が優秀だと言うだけではなさそう。提供される実習の濃さが違う。
    システムがどんどん進化しているんだ。
    うかうかしていると、後進の若い医者たちはとんでもない完成度で世に出てくるぞ。

  • 積極的な治療を望まなかった外国籍の家族

    ネオネイタルケア2004年8月号の特集は「NICU最前線:ファミリーケアの実際」というもの。その1番目に載った論文が、「積極的な治療を望まなかった外国籍の家族 言葉の壁を越えることはできるのか 川畑咲子・大森意索(東京都立墨東病院)」であった。
    日本滞在中の中国人ご夫婦が重度の先天性神経筋疾患をもって生まれてきた赤ちゃんに積極的治療(気管内挿管とか)を拒否された事例、インド人ご夫婦が23週の超未熟児で脳室内出血や気胸を起こし心身障害必発の赤ちゃんに対する治療継続を再三拒否された事例、この2例を紹介して、文化に関する彼我の差を報告しておられる。

    (さらに…)

  • オーストラリアに負けてるじゃないか こら

    オリンピックの野球は準決勝で日本がオーストラリアに負けているじゃないか。
    予選リーグで負けたときは何かの余興かと思ったんですけどね。まさか決勝トーナメントでも負けるとは思いませんでした。ほんとに強かったんですねオーストラリアは。日本は嘗めてかかってませんでしたかね。私は嘗めてましたね。勝つものと決めてかかって観戦しなかったし。
    ウイリアムスって怖いピッチャーだったんだなあ、とため息が出る。予選リーグでのオーストラリア戦は観てたんですが、ピッチャーがウイリアムスって聞いておいおい俺はどっちを応援すりゃいいんだって思いましたね。まあ他で沢山勝ってるしって、関西圏にはオーストラリアを応援した人もけっこう居たんじゃないかな。
    予選リーグに限ればですよ。阪神からは中継ぎの安藤さんも出てるんだし。
    こんな凄い抑えを擁してて何でそんなに不甲斐ないんだ?帰ってみればチームは最下位目指して沈降中。安藤と苦笑いってとこでしょうね。阪神2軍は快進撃中。阪神の選手って一軍以外では凄く強くなるような事情があるのでしょうか。

  • 当直中

    平穏。
    ほんとは忙しかったはずなんだけどな。ちょっと寂しい。
    亡くなった子の退院レポートを書いて一区切り。
    発達外来で参照するってこともなし、簡潔に。
    入院カルテが一過性多呼吸の4日間入院の子のカルテ並みに薄い。
    やっぱ超未熟児のカルテは重量が本人の体重を超えてなんぼだね。
    ライフログに挙げてある「赤ちゃんの死を前にして」をこういうときは読む。
    俺ってお定まりで分かりやすい医者だなと少し自嘲する。
    この本は、凄い語弊のある言い方をすれば、「赤ちゃんの死の取り扱いマニュアル」である。
    赤ちゃんの死に対応するマニュアルがある時代。
    良い時代だ。皮肉じゃないよ。
    そりゃマニュアルに縛られてちゃ一流選手にはなれないさ。でもマニュアル読んでなきゃボール投げてくるのが一塁手だか投手だかってのも分からない。撃ったら1塁方向へ走るのかバックネットをよじ登るのかの区別もたぶんわからない。撃つ前から、そもそもバッターボックスが識別できるかどうかも分からない。バット持って構えたら、君そこは3塁コーチボックスだよなんて言われたりして。あるいは、君それは卓球のラケットだよって言われたりして。その場で言ってくれる誰かが居たらまだ良い。あれー何か変だなーなんてとぼけた事を言っているうちに試合が終わって自分1人間抜け扱いになっているってのは願い下げだ。思い切りバットを強振したらそこは観客席で、お客さんの頭蓋骨陥没の責任を負う羽目になるなんてアホなことになったらなお厭だ。
    このマニュアルについて論じれば、必読書である。一読後に、今までこれを読まないままNICUに居たのかと背筋が寒くなるほどの書物である。値段に0が一つ増えてても黙って買って読め。0二つ増えてたら黙ってなくてもよいから、それでも読め。そういう書物。
    分野が分野だけに、これはエビデンス云々というよりも物語医療の範疇に入る書物である。物語医療には、いつ覆されるか分からん危うさは常に付きまとう。「母性本能」という語がいまどういう扱われかたをしているか考えてみると良い。でも現時点ではこの書物は必読。あとでこれを否定するにせよ肯定するにせよ、この分野にはこれしかないのだから、読まないと始まらない。スタートラインの本である。

  • それでも私は患者を治すのだ 自分が生きるために

    不幸になれる権利 あるいは病気になる権利 死ぬ権利
    一昨日に突然母体搬送されてきてその日に出生した22週の超早産の赤ちゃんに、2日間付き添っていました。昨日の午後に大量の肺出血をおこし、この未明に亡くなりました。
    この子の誕生から死まで約37時間のうち、33時間ほどをNICUで共に過ごしました。人の一生を通しで最初から最後まで見届けました。つくづく因業な商売です。
    この子の一生は何だったのだろう。私は問わねばなりません。私は傍観者ではないから。私がこの子を生かすと決めたのですから。分娩に立ち会い、分娩の衝撃で止まりかけたこの子の心臓を動かしたのは私ですから。自分が神だとか人だとか言ってられません。私にはこの子の生に責任があります。
    自分は何のためにこの子を生かしたのだろうと、私は問わねばなりません。集中治療というのは決して痛くも痒くもないものではありません。耐え抜けば良い結果が待っているという前提があってこその母子分離であり気管内挿管であり動脈静脈ラインであり経管栄養です。孤独な保育器の中での集中治療しか経験しない生というのが、果たしてこの子にとって最善の生であったのかどうか、私は問わねばなりません。
    代替案としてどのような生があったか。蘇生を最初から試みないという選択肢があったかもしれません。分娩後、そのままお母様に抱いて頂き、お父様やお兄さんお姉さん(1人ずついらっしゃいました)の見守る中で、ひっそりと数時間、ご家族で静かに過ごして頂くという選択肢があったかもしれません。私もそれなりに悪党ですから、それが刑事事件に発展するようなヘマはしません。それなりの経験を積んだ新生児科医としての私には、蘇生は不可能と判断しましたと証言する権威があるはずです。そもそも、22週というのはそれくらい厳しい週数なのです。
    この子に挿管したとき、長期生存し退院してご両親の元で楽しく暮らせるようになると言う見込みを私はどれくらい持っていたのでしょう。正直申し上げれば、うちのNICUで生き延びた子のうち最も早産の子でさえも24週です。22週はおろか、23週でも生存退院した子はありません。傍観者の立場で冷徹に(幾分かシニカルに)考えるなら私如きが手を出すべき週数ではありませんでした。でも京都のNICUに人工呼吸管理可能な空床を持っていたのは私らだけでした。京都府外へこの母体搬送を送り出すのは無理でした。途中で墜落分娩してそのまま亡くなるのが目に見えていましたから。
    立場上、分娩に立ち会う小児科医は赤ちゃんを生かしに来るのです。母体搬送の紹介元の産科開業医の先生も、赤ちゃんのご両親も、搬送を受けた当院の産科勤務医も、みんな、私が赤ちゃんを生かしに来るものと思っています。それが当然であると思っています。このシステムの流れに乗ってしまうなら、私にとって一番楽なのは、蘇生して全力を挙げて集中治療を施し、結果は赤ちゃんと天に任せるという、まさに今回私らがとった方針でした。
    私に何ができたでしょう?
    ひょっとしたら、分娩前に産科医に断ってちょっとご両親とお話させて頂けたかも知れません。うちの病院のNICUでの在胎週数別での生存率をお話ししたうえで、蘇生を控えるという選択肢があると提案させて頂けたかも知れません。おそらくご両親はそのような選択肢があるとは思いつきさえしておられなかったことでしょう。その選択肢を提示してこそのインフォームド・コンセントというものでしょう。
    しかしそれで私の責任が軽減されるのか?
    それは虫の良すぎる話です。
    ちょうどクリスマスの頃に生まれる予定であったこの子が、いきなりこの夏の暑い盛りに超早産児として生まれてくると、ご両親が予期していたはずがありません。母体搬送の当日まで、今日中に分娩することになるとは思いもつかなかったはずです。
    それに、親として、我が子を蘇生するかしないかの選択を迫られるという状況を、そんな過酷な選択がこの世にあり得るという可能性すら、医療関係者でもない若いご夫婦が今日の今日まで想像すらしたことがあったかどうか。
    あるわけがありません。
    この状況のご両親に、後々までそれが最善だったと納得できるような選択ができるほどに、冷静な判断力や余裕が残っていたわけがありません。そのご両親に、この、いずれを選んでも辛い選択を強いるのが、そして子の生死に責任を取らせるのが、先進的な医療倫理と称する代物なのでしょうか。それは単に私が何も知らないご両親に責任を投げているだけではないでしょうか。
    どのみち、この責任を私が肩から降ろすことはあり得ないのです。私は傲岸に虚勢を張って、自分達は(親御さんも含めて)最善の選択をし最善の医療をこの子に施したとの、物語を語ったつもりです。せめてその物語がご両親を癒やしてほしいと思います。
    研修医時代の師匠が、ワシは大嘘つきやからなあ、と笑っておられた意味が、最近分かってきたように思います。

  • ご出産おめでとうございます。

    「萌える」ナース とは?
    超未熟児の分娩は緊急のことが多いです。ちょっと出血したかな?と思って産科を受診したらその足でNICUのある病院へ送り込まれ当日中に緊急帝王切開になるというのが、よくあるコース。お母さんも予定外ならお父さんもなお予定外。仕事先にいきなり連絡があって「奥さんが産科に入院していまから緊急帝王切開です。」なんて言われた日には驚愕でしょうね。おいおい今日産科に行くって言ってたか?ってなものでしょうね。
    数年前うちのNICUで緊急帝王切開で26週898gの超未熟児が出生した折、まだ驚きから覚めやらぬままにNICUに入室されたお父さんに、開口一番、「ご出産おめでとうございます」と挨拶したナースがおりました。超未熟児の入室直後の常で、人工呼吸器を調整してサーファクタント使って静脈ライン2本(末梢と中心と)と動脈ラインを確保して、と、準夜の大忙しの時間帯に私と彼女で奮闘して、彼女もへろへろに疲れていました。
    後々まで、お父さんはそのときの感動を語っておられました。お父さんにとって、この赤ちゃんがこの瞬間に我が子になり、降って湧いた災難の源ではなくなったということでした。この子の病状はこの後も難渋を極め、今も歩くときにはすこし足を引きずりますが、元気に育っています。

  • うちの病院はもうダメなんじゃないだろうか

    生まれたての超未熟児を夜通し診ていた当直明けの早朝、困り果てた感じの当直看護師さんから電話が入った。「大人の患者さんなんですけど・・・・」救急へ行ってみたら男性が発汗だらだらで寝ておられた。うちの病院の改装工事の作業中に倒れられた作業員の方だと言うことだった。
    看護師曰く「内科当直医が引き継ぎ時間前に帰っちゃったんです。」
    はあ?と絶句しながらも、いかにもしんどそうな作業員の方や心配げな同僚の方たちの前では、その糞医者の舐めた態度に悪態をつくわけにもいかず、いかにも私が救急担当医ですって顔をして診察にかかった。バイタルサインを確かめて、それから何するんだっけ・・・ここまで本格的な成人救急を診るのは何年ぶりだろう。血糖が70だし正常だね、と考え初めて我に返る。成人で70はそりゃ汗の一つもかくわな。70が正常なのは新生児だわ。ああだこうだと時間を稼いでいるうちに、知らせを受けて急いで駆けつけてきてくれた外科の日直医に引き継ぐことができて、なんとか病院の面目は保った。
    それにしても・・・当直の上がりの時間を待たず引き継ぎも無しに帰るなんて、そんないい加減な医者に一般当直を任せなければならないほどうちの病院は逼迫した状況にあるのだろうか。当直看護師はできた人で、非常勤の先生ですからと庇っておられたが、非常勤だろうが研修医だろうが関係ない。当直したら後任者に引き継ぎをするのが責任じゃないか。
    なにより患者さんにご迷惑をかけた。俺たちはこんなヘボ病院のために京都の暑い夏の盛りに汗水流して(おそらくは患者さんは熱射病だった)しんどい工事をやっているのかと見せつけられたら仕事の気力も萎えるのではないか。やってられないですよね。
    まあ、そんな糞医者の診療能力なんてたかが知れているし、NICUからたまに出てくるだけの私よりヘボかもしれんけどさ。