先だって挿管がうまく決まらなかった若い先生が、今度は理想的な角度で喉頭展開して、上手に気管内挿管を成功させた。いまの路線を外れない限り彼女はもう大丈夫。奥の深い手技だから今後もいろいろ壁にぶつかることはあるだろうけれど、乗り越えてゆけるはず。まずはよかった。
あれから挿管練習用のゴム人形やら使ってあれこれと話してみてはいた。その通りにやって頂けたようで嬉しかった。
若い先生に気管内挿管のコツを教えて上達させたということを、自分の研修成果とカウントしてもよさそうにも思うし、あんまり手柄顔をしてもはしたないようにも思えるし。
例えばの話、イチロー氏に関して、「俺が彼にバッティングのコツを教えたんだ」と吹聴している人は百人を下るまい。イチロー氏本人はその中の誰にも教わった記憶はないだろうけれど。そういうものだ。
それはしかし、研修成果を定量的にカウントして一定量蓄積したら云々などという「専門医」や「指導医」みたいな発想と、上品さにおいてどっこいの行為だと思う。若い医師がひとり低出生体重児の気管内挿管のコツをつかんだという、どこに出しても素晴らしい話からすると遥かに低レベルで、卑近なおはなしだ。
かのナザレの大工はパン一切れ魚一匹で5千人からの腹を満たした。若先生も気管内挿管1回で百人くらいの『指導医』の腹を満たすことは可能なのかもね。