
- 作者: テッサ・モーリス=鈴木,大川正彦
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2000/07/18
- メディア: 単行本
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アイヌは独自の農業や漁労の体系を持っていたが、松前藩や明治政府の支配以降、農業を知らない未開の狩猟社会として認知された。アイヌを狩猟に特化させたのは、松前藩以南の内地の経済的な都合に加え、支配を政治的に根拠づけるためには彼らを未開の民族と位置づけた方がよいという都合もあった。その結果として、アイヌの長い歴史や伝統は故意に忘れ去られた。忘れ去られた後になってみれば、もともと存在しなかったのか忘却されたのか、忘却が自然の成り行きだったのか故意だったのか、それすら問題ではなくなった。シンプルにそれは不在となった。
今の私の勤務先は、京都では初めて認可を得たNICUである。しかしそれすら平成6年だったか、私が医師免許を得るよりは後だった。学部生の時にも私はこの近所に下宿しており、夏休みに病院実習と称して1週間ほどこの病院に来てみたことはあるのだ。そのときはNICUなどなかった。その後に赴任した前代のNICU部長が作り上げたのが、今の勤務先のNICUである。彼はそれまで勤務していた大阪の病院からNICUのノウハウを一式持ち込んで、看護師らをトレーニングして、京都初の認可NICUを立ち上げ、全国最低レベルだった京都の新生児死亡率を中位くらいにまでは引きずりあげた。
決してその業績を否定するつもりではないが、しかしこの物語は北海道で言えば明治以降に内地から移住した人々の物語だ。別の物語、アイヌの忘却された伝統にあたる物語もある。いまのNICUが立ち上がる以前にも、ちがった形での新生児医療が行われていた。当時を知るはずの老先生は笑って黙したまま多くを語らない。残っているのは古い人工呼吸器と医療辞書だけ。
その時代のことが語られないのは、前部長の奮闘に水をささないためか、たんに時間がたったためなのか。しかし語られなくなったものは忘却される。故意なのか否かは問わず。存在したものが無くなったのではなく、もともと無かったものとして歴史が語り直される。京都初のNICUというのが今のNICUスタッフを支えるドミナントストーリーである。そのストーリーを忘れては、なんで京都の隅っこにある小規模病院が分際にあわないNICUを動かしているのかが分からなくなるんじゃないかと思う。分からなくなったら、たぶん病院の経営陣には、NICUを動かし続ける動機がなくなるだろうと思う。そしたら私は失業だ。それは寂しいことだ。