某所でNICUでの「看護師教育」について論じられていたので。直接議論に加わってもよかったのだろうけども、まあ、覚え書き程度以上の意見も根拠も持ち合わせていないので、傍流でつぶやくだけにしておく。
ちなみに私は看護師に関してはたいへん恵まれているので、ありがたく感謝しつつおおいに自慢させていただく。およそ積極果敢さにおいて私のNICUの看護師たちを超える看護師はよそのNICUにはそうそう居ないと思う。それはエドモンド・ハミルトン著の「スターウルフ」シリーズにおける地球の立ち位置に似ている。豊かな資源に恵まれた他の惑星とは違って「人間」しか資源のない地球。そのためにいろいろな分野で優秀な人材(いや、この熟語はほんらい人財と書くべきだ)が銀河系の各地へ出て行っている。私のNICUにも資源はない。規模は小さいし、財源にゆとりもないし、医師を確保することにすら汲々としている。小児外科も心臓血管外科もない。うちから看護師のガッツが抜けたら平凡なNICUでしかなくなってしまう。

さすらいのスターウルフ (ハヤカワ文庫 SF 1 スターウルフ・シリーズ 1)
- 作者: エドモンド・ハミルトン,野田昌宏
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1970/08/31
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私のNICUは常に京都で最後まで外部に空床を開けているNICUだ。最後の1床はつねにうちが開けている。それは私たちの仕事が暇だからではない。完全に否定はしないけど、それだけではないと思う。ガッツの要素が常にある。とことん空床を開けるのがうちの役割だと、看護師の指導層が認識している。*1
「教育」というとなんだか偉そうに聞こえる。指導者口調の人って自分が一人前であることを前提にしてるから、指導者口調になった時点で自動的に成長が止まることになっている。自分はもう成長しなくていいという態度の人をどういうふうに見習えば成長の糧になるんだか、私にはよく分からない。
もうひとつ、指導者口調の人って基本的に無責任だから、自分の担当の仕事を「指導」してもらうのってあんまり気分が楽にならない。むろん責任を問われない仕事には充実感も成長もなかろうと思うが、しかしあまりに指導者口調を徹底されると、なんであなたの判断の結果の責任まで実行者の私に負わせるんだという憤慨が湧いてくる。
だからもう教育とか指導とかあんまり言わない方がいいと思う。というか、彼らを育てるべき下段の人とかお荷物とか思ってはいけないと思う。新しい人には新しい人にしか果たせない役割があって、彼らがいてこそうちの熟練層のガッツが保たれてるんじゃないかと思う。
もっとも耐性の強い共同体とは、「成員中のもっとも弱いもの」を育て、癒し、支援することを目的とする共同体である。
そういう共同体がいちばんタフで、いちばんパフォーマンスが高い。
これは私の経験的確信である。
それゆえ、組織はそのパフォーマンスを上げようと思ったら、成員中に「非力なもの」を意図的に組み込み、それを全員が育て、癒し、支援するという力動的なかたちで編成されるべきなのである。
以前、先生のもとで働いていた看護師です。私が働いていた頃も、先輩後輩、とても素晴らし看護師でした。私はというと、できの悪い迷惑ばかりかけていた看護師でしたが、、、、。先生にも本当にお世話になりました。ありがとうございました。私は今は看護師として働いていませんが、違うかたちで、子育て支援に関わる仕事を始めました。NICU での経験、先生や先輩から教わったことを生かしながら、自分なりにできることを頑張っていこうと思います。突然のコメント、失礼しました、、、。
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