NICUの廃止が決まった

当院のNICUの廃止が決まった。今年9月末で終了する。関連施設へ通知のうえで、病院ウエブサイトにも公開する段階となった。ここで個人的に論じてももはや守秘義務違反ということはないだろう。

直接の原因はNICU入院数の低下と、それにともなう減収であった。NICU入院数の低下はこの数年実感していた。昔は空床を捻出するのに苦労していたものだったが、いつしか満床のほうが珍しくなった。NICU認可病床を9床から6床に減らしてもなお埋まらなかった。在院する赤ちゃんが1~2名だけで、勤務する看護師のほうが多いということも珍しくなくなっていた。

入院数が低下すれば診療報酬も減るのは無論のことだが、加えて京都府からの補助金が減り、本年はついにゼロ回答となった。入院数の減少で、地域医療にたいする貢献が少なくなったと見なされたのだろう。もう不要と公的に宣告されたような気がして、懐具合に痛い以上に、精神的に痛かった。

しかし私情を排すれば、行政の宣告も理不尽とは言えないと、私も理解している。

背景には少子化の急激な進行がある。京都府下では2016年を境に、出生数の減少のしかたが急激になった。2016年の京都市の出生数は11323人。2024年は7346人であった。複利で計算すれば年平均6.47%の減少率となる。2006年の出生数は11993人なので、同年から2016年まで10年間の減少率は年平均0.57%であった。この点については、過去にもグラフつきで記事を書いたのでご参照いただきたい。

「市場」と言えば医療にこの言葉を使うのは不適切な気もするがご勘弁願いたい。市場全体の規模が過去8年間、年率6.47%で縮小を続けている。それ以前の減少率0.57%からある年を境に突然10倍以上の減少率となった。最近の減少率の値自体も、変化の急激さも、経済の目で見れば血相の変わるような非常事態なのではないだろうか。

地域の出生数が減少すれば、NICU入院を必要とする赤ちゃんの数も必然的に減少する。行政が政策的に整備しようとするNICU病床数の目標も減少する。国の政策として地域のNICU病床数の整備目標が、出生1000当たり3床と定められている。2024年の京都市内の出生数を1000分の3すれば22床である。病床数だけで論じるなら、当地の総合周産期母子医療センター三施設のうち二つもあれば充足可能である。

実際、府下の周産期母子医療センター各施設の空床情報をみていても、連日ほぼ全ての施設で空床有りの表示となっている。もはや新生児救急症例の入院先が府下に一つも得られない夜は過去のものとなった。府の周産期医療政策担当者もまた当然にこの計算をして、この認識に至っていることだろう。その結果が、当院への本年度の補助金ゼロ回答なのだろう。経営難の地域周産期母子医療センターを、救済することに政策的な根拠は見いだせない、ということだろう。

当院NICUは京都府下ではじめての認可施設として、府の周産期死亡率が全国最悪の水準であったころに発足したNICUであった。行く場のない赤ちゃんたちを見るに見かねて始まったNICUであるからには、もうそのような赤ちゃんはいなくなったというのは、活動を終了するのに唯一の正当な理由ではあろう。他の理由で活動終了するのなら悔しさもあろうが、歴史的使命を終えての退場ということなら、じたばたせず粛々と退くのがよかろうと思う。

思ってはいるのだが。

じたばたせず粛々と、とは言え、やはり医師6年目で当院に赴任して以来勤務を続けてきたNICUである。廃止にさいして、喪失感というものもあるはずである。

はずであると他人事のように述べるのは、今のところそれを実感として感じないからである。医師になって32年のうちの27年間を費やしたNICUを、しかも定年まであと10年を割っているこの時期に閉じることになったのに、その喪失を実感しないというのは異常なことだ。我が事ながらかなり危険な状態なのではないかと危惧している。

しかしいずれNICU廃止の過程が具体化するなかで、その喪失感も否応なしにおそってくるのだろう。適切な身構えがない状態でそれが実際におそってきたら、人生の終わり近くになって再起困難な衝撃をうけることになるのではないか。ここはまだ頭が平静なうちに、NICUを失うということについて真剣に考えておいたほうがよいと思う。第一には自分のためであるが、人生の終わりで大きな喪失に遭遇するのは何も私ひとりに限った経験ではあるまい。書き記しておけばいかほどか、誰かのためになれるかもしれない。陰鬱な内容かもしれないが、しばらくこのブログで、読者諸賢にはお付き合いいただきたいと思う。

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