本日朝のNHK「おはよう日本」で8時ちょっと前、小児救急の危機なる特集が流れた。ストーリーとして、
1.初期診療が遅れ後障害の残った症例の呈示
2.担当医の「もうちょっと早く治療できてたら」という言質
3.限られたリソースで重症者を迅速に診療しなければならないという問題提起
4.成育医療センターで行われている「トリアージ」の紹介
こういう起承転結であった。
特集の着眼点としては、まずまず合格点であろう。人を増やせったって今日明日すぐに増やせるわけでなし、初期段階で重症度を判定して重症者から診ていく「トリアージ」は今後は必須のものとなろう。それを指摘したということで、この特集を制作した意図は正しいと思った。
しかし特集の具体的な内容にはおおいに疑問を持った。最初に登場した症例の疾患はインフルエンザ脳症なのだ。40分かけて二次救急に搬送されたが、「けいれんを止めるばかりでインフルエンザという診断に至らず」、2時間後に隣の町の高次救急の病院へ搬送されたとのこと。その2時間がなければもうすこし予後が良かったのではないかという、ご両親のお言葉があった。
決してこのご両親をあげつらう意図はない。その意図はないのだが、しかし、その2時間を急いで何かを行っていたら後の障害が軽減されていたかというと、はなはだ疑問と申し上げざるを得ない。インフルエンザ脳症ってのはおそろしい病気だ。発症時点ですでにカタストロフィックな疾患だ。こういう特集で、トリアージして早めに対処すれば後が良くなる典型例だと取り上げられるような生やさしい疾患じゃないと、私は思っていたのだが。
二次救急病院段階での対処はそんなにまずかったか? まずけいれんを止めた。正解だ。そのうえで、もしも意識障害が続いていたら、状況に応じて気道確保など行ってできるだけ状態を安定させ、原因の究明にはいる。それは意識障害の救急対応の一般的なセオリーだが、そこでインフルエンザ脳症という診断が得られていたとして、この2時間のうちに行えば予後が良くなるようなインフルエンザ脳症に特異的な治療法がなにかあるかというと、私は存じ上げない。
しかし、ストーリー第2段階で、この二次病院から紹介をうけた高次病院(熊谷という土地の西隣にある自治体にある病院だ)の、この子の診療に当ったという女医さんが、もう少し診療が早かったら予後が現状よりも良かった・・・可能性があります(けっこう付け足し的に間をおいて)と明言された。いったい何をすれば?初診から2時間の内に行えば予後の良くなるようなインフルエンザ脳症の特異的治療っていったい何?とこの女医さんにはぜひ伺いたいものだと思った。私もまたけっしてリソースの充実しているとは言えない二次病院で小児科救急をやってる人間ですからね。ぜひお伺いしたい。こんな全国放送の特集で、いかにも手落ちと言わんばかりの指摘を受けるような、そこまで言うほどなら熊谷周辺ではよほど常識的な治療法なんだろうけど、京都の私は存じ上げない。何をしたら良かったの?
そもそも2時間って遅かったの? この二次病院で果敢にこの症例を引き受けた先生はどうやら小児科医ではなかったようなのだが。患者さんのご自宅から緊急走行で半径40分以内に引き受ける医療機関が存在しなかったような症例を、果敢にお引き受けになったわけだ。ひょっとしたらこの症例に専念できなかったかもしれない、多忙さが過酷を極めるのが常の二次病院でさ。けいれんを止めるしかしなかった、ってNHKの人はこともなげにおっしゃったけど、40分かけて搬送して病院に到着時にはまだけいれんしてたんだ。そんなものすごいけいれん重積を止めただけでも大したものだ。それから搬送に耐える状況まで2時間でもってった訳だろ? 2時間もって言うけど、現場だとあっという間だよ。私はこの二次病院は大したものだと思う。特集では、こんな半端なすかたん病院に運んだのが時間の無駄だって言わんばかりの扱われようだったが。紹介をうけた医者にさえ遅いと言われてしまったが。
しかし画面に出た略地図だと患者さんのご自宅からこの二次病院より最終的に落ち着いた高次病院のほうが距離的には近そうだったけどな。他所を悪く言うならなんで最初から自分のところで診ない?
たぶんこの女医さんもまた果敢にタミフルを投与しステロイドパルスとガンマグロブリンを行い、あるいは脳低温療法とかまで行って、高次病院の機能の限りを尽くした診療を行ったことだろう。二時間前から行っておればこの子の後障害が軽くなったような素晴らしい治療を。その業績にけちをつけるつもりはない。
しかし前医をこんなふうに腐してはいけない。この女医さんに全国放送でこんなことを言われたら、今後この病院はけっして小児救急を引き受けようとしないだろう。けいれんする子供を乗せて救急車が40分走らねばならないような土地で、必死に状況の崩壊をくいとめている二次病院を、たたきつぶすのは容易ではあろうが軽率に過ぎる。愚かに過ぎる。
周辺には、この高次病院には今後は決して患者さんを紹介するまいと、肝に銘じた医療機関も多かろうと思う。最初から自分たちで診ろよと。トリアージでもなんでもしてと。しかし高次病院に紹介できないと、重症そうな症例を引き受けることは無理だ。一斉に、周囲の医療機関が守りに入る。防衛的に、とことん軽症例しか診なくなる。子供をつんだ救急車なんて全車門前払いだ。この高次病院が一手に引き受けることになろう。一手には診れない? いや、診れるはずだ。今後は白血病も腫瘍も小児外科症例も循環器も内分泌も、紹介患者はがた減りするから、思う存分近隣全体から小児救急をどんどん引き受けて、適切な二時間以内のインフルエンザ脳症治療に邁進すればいいんだ。
投稿者: yamakaw
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後医は名医で後知恵は猿知恵
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どこででも生きてゆけるということ ユーコン漂流
ユーコン漂流 (文春文庫)
野田 知佑 / / 文藝春秋
ISBN : 4167269139
スコア選択: ※※※※
長野へ行く出張の往路で読んだ本。最近、どこででも生きていけるってどういうことだろうと考え直させられることがあって、思い出した。
アラスカの大河をカヤックで下った顛末である。著者はそれほどの冒険でもないと謙遜するが、しかし動物性タンパクを魚釣りで現地調達するなどいろいろとワイルドである。しかし、著者はそれでも旅が終われば日本へ帰る人である。現地には、そこに永住してしまう人もあって、その人々のワイルドさは著者とはたしかにレベルが違うように思われた。(むろん、新幹線や長距離バスのシートでぬくぬくと本を読んでいる私などと著者とはレベルが数段違うのだが)。
その人たちにも子供があって、当然に教育の問題が生じる。むかしは全寮制の学校が主流だったが、それでは家族を離散させてしまう。なんやかやで、通信教育が活用されているとのこと。その下りで紹介されている逸話。レポートを提出するのだが、月に一度、生徒が先生の家にやって来て、てほどきする。
生徒の家というのはどんな山中でも100パーセント川や湖といった水辺の近くにある。
飲み水の確保のためと、山奥に入るのに船外機をつけた大きなボートで「水路」を伝って入るからだ。だから、アラスカでは飛行機にフロートさえつければほとんどどんな所にも行ける。
先生は水上飛行機に乗って生徒の家にやって来て、一日いて勉強のアドバイスを与え、帰っていく。
ある年、アラスカ大学にトップの成績で入学した学生は、一度も学校に行ったことがなく、ずっと通信教育でやってきた人だった。入試問題が日本のように暗記のテストではなく、思考力を見る問題だから、こういうことが起こる。
このことが話題になり、マスコミが彼をインタビューした。
アナウンサーの「山の中でいったいどんな勉強をしていたのですか」という質問に彼は答えた。
「私はただ生活をしていたのです」
彼のいう「生活」という言葉の重さをアラスカの人間は理解できるので、みんな黙りこんでしまった、という。ちなみにこの月一回の先生はいちいち勉強の内容を教えたりはしていられないので、勉強の仕方をアドバイスしていく、とのこと。それはそれでよいとして、「どこででも生きてゆける」という言葉で私が連想するのは、こういう「生活」ができるという意味での「生きる」ことである。
世界中のどこでも生きていけると公言したときに、その「世界」にあまねくプログラミング仕事やネットや銀行証券屋さらには献本を配達する運送屋がそろってるわけじゃありませんよ、とつっこみを入れられてもうろたえずにすめばいいんだけど。私などとうてい世界中どこでも生きていけるなんて言えない。ライセンスは日本限定だし。日本国内どこだって、とみみっちく幅を狭めてみたところで、日本国内のどの病院にもNICUはおろか一般小児科さえあると決まったわけじゃないよとは、よくわかってるつもりだし。
でも思い切ってしゃべってみたら、いかに自分がしゃべれないかってのも痛感させられるけど、いかにいい加減な英語でも通じるかってのには愕然とさせられる。まあ、自分の免許も子供の命も賭けられるほどの英語力を持ってるなら、ある意味、医者なんてやってる場合じゃないかもしれない。
その自分をさしおいて偉そうに言うなら、自分ががひとりで生きていけるかどうかなんて些末な問題なんだ。いい大人なんだからさ。ほんとうの大人が問題にするべきは、食い扶持を自分で稼ぐとか稼げないとかいう些末なお話じゃなくてね、どういう場所にいても自分は周りの人の幸福に資することができます、とかいう問題じゃないかと思うんだがね。食い扶持を自分で稼げない人間はまわりを不幸にするばかり、という社会なら、社会の方を変えなきゃいけないと思うんだけどね。
ちなみに、本書によるとアラスカで野生に生活する人は外出時も自宅に鍵をかけないんだそうだ。遭難しかかった人が這々の体で自分の家にたどり着いたときに、入り口に鍵がかかっていたばっかりに・・・という状況を避けるためだとのこと。まあ、20年から前の紀行だし、時代は変わっているのかもしれないけれども。 -
勝間先生を猿まねすると脳がフリーズするよというおはなし
効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法
勝間 和代 / / ダイヤモンド社
ISBN : 4478002037
スコア選択: ※※※※
やっぱりネタにして笑った以上は読んでなきゃまずいでしょ、という気持ちはあったのだが、近所の書店にようやく入荷されたので買ってきた。医学書とかアマゾンで買うんですけどね。なんとはなく、本書は買う前に実物を見てみたかった。
実物を見て、買おうと思ったのは、著者勝間和代先生の電脳化ぶりに感銘を受けてである。GPSつきの自転車を駆る著者近影が掲載されているが、タチコマに乗った草薙素子(@攻殻機動隊)を彷彿とさせる。じっさいにマイクロマシン技術をもちいて脳と電子機器を(つまりはネットを)直結する電脳化技術が開発された暁には、まっさきに導入するのはこういう人物なんだろうなと思う。
本書が売れる理由の第一はむろん著者の実生活での実績なんだろう。0番目に著者の文章の明晰さがあるんだろうけど、売れる本としてそれはあまりに当然のことで。それは多くの人に言及されていることだし、いちおう敬意を表して言及しておくが私ごときが深入りすることでもない。
第二の理由は読者のお買い物衝動に火をつけ、しかも正当化してくれるということだと思う。要するに本書はとっても高度な通販カタログなんだ。一流の高価な商品がずらっと並んでいるけれど(レッツノート3台使い回しとか11万円の速読講座とか)、それを推薦する人の実績が凄いから、通販につきもののいかがわしさが感じられない。読むにつけ推薦に応じて買うにつけ、通販につきものの罪悪感がない。文章が明晰だし、著者の実績からして選択眼に疑問の持ちようがなしで、以前からこんなの欲しかったんだよなという急所をピンポイントに突いてくる。初めて見る商品でも「以前からこんなの欲しかった」と思わせられるところなど、内田樹先生が武道の達人に関して述べられるところの「先の先」をとる格好である。我々凡人は勝間先生の魔眼に魅入られるかのように、あらがいようもなく本書に見入り、ふと気がつけば通販サイトに入力するためにクレジットカードの番号を確かめているということになる。
フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)
築山 節 / / 日本放送出版協会
ISBN : 4140881631
スコア選択: ※※※※
勝間先生の本といっしょに買ってきて、続けて読んだ。この手のタイトルには珍しく、けれん味や「と」の雰囲気のない良書だと思った。偏った脳の使い方により、あたかもフリーズしたように思考が止まるという症状をあつかった本である。みょうに指示代名詞がおおくて固有名詞が出なくなるとか、細部にこだわって全体が見えなくなるとか、人の話を聞いてても内容が頭を素通しになってるとか。
自覚するところの多い本で、読んでいて慄然としないでもなかった。なにより、おおいに納得しつつ読んだつもりの本の内容を、こうして読後感を書こうとしてもうまくまとめられないってのはどうなんだ。私の頭もフリーズすることの多いあたまなんだろうか。それとも文章が下手なだけか?どっちも嫌だな。
勝間先生の本と並べて書くのは、単に同じ日に買って読んだというだけではなく、両書に共通点があるように思えたからだが。勝間先生も、ノウハウを求めるばかりで本質を理解しようとしない・自分で工夫しようとしない、と周囲に対して苦言を(ちらっと)呈しておられるが、勝間先生の一連の本をノウハウだけ真似しようとしても、行き着く先は築山先生のおっしゃるところの「フリーズする脳」だろうよと思う。そんな末路を想起させる症例が築山先生の本に載っているのが興味深かった。おそらく、このお二人の理想とするところにはかなりな共通点があると思う。それをお二人以上の明瞭さでここにまとめる筆力がないのが残念だが。読者諸賢の寛恕を請う次第である。
警句的に言えば、勝間先生を猿まねすると脳がフリーズするらしいぞ、という結論。
ほんらい医学書や小児科医療に役立つ本を読んで勉強するべき時間を何を読んで潰しとるのか、というときにつけるタグ「またつまらぬものを読んでしまった」を、両先生への敬意をこめてつけさせていただく。 -
近畿新生児研究会
3月1日に大阪で開かれた近畿新生児研究会へ行ってきた。病棟で急変があったりして病院を出るのが3時過ぎになり、4時半ころ会場に到着した。会場は都島なのに京阪を間違って京橋で降りてしまって地下鉄を遠回りするはめになり、それもまた遅れる原因になった。
慢性肺疾患の演題をほぼすべて聞き損ね、母乳関連の演題をもっぱら拝聴してきた。とくに岡山医療センターの山内先生の講演は、これまで伺った母乳関連の講演の中でも白眉であった。お母さんに対しても赤ちゃんに対しても押しつけがましくないケアがだいじ、と私は教訓を得たのだが理解が浅いだろうか。赤ちゃんは生まれてすぐにお母さんの乳首を匂いを頼りに探して吸い付く力をもっているのだけど、かといってこちらが無理矢理にくわえさせようとしても赤ちゃんは怒るだけ、とか。お母さんイコール聖母と決めうってのケアは良くないよとも。今までの自分のイメージとして、母乳育児を提唱する運動って、清く正しく美しくあることを強制されるお母さんや赤ちゃんに対する「上から目線」のご指導って感じで、なんだか国防婦人会みたいでいやだよねと思いがちだったのだが、認識を新たにした。
ただ(この「ただ」を言うから私はメインストリームに乗れないのだが)、山内先生も仰るところの、日本の母乳育児の伝統が女性の社会参加によって衰退したというのは本当なのだろうかと、そこだけ突っ込んでみたいとは思った。社会学の集まりじゃないんだからと遠慮したのだが。
昔から日本の女性はおおいに働いていたはずだがね。私の田舎でも周りはみんな農業だったけど昼間に家にいるお母さんって誰もいなかったけれどもね。都会でも似たり寄ったりじゃなかったのかな。まあ田畑や職場に連れて行って哺乳するというのもありだったのだろうが、さあ、そこで行われていた母乳育児が正しいやり方だったろうか、山羊の乳を足してたとかいう話も聞いたことがあるし。三食とも米飯味噌汁漬け物なんて時代の母乳がそんな理想的な組成だったのかねとも思うし。
なにさま、そんな正しい母乳育児が行われていたはずの時代の、あの悲惨な乳幼児死亡率はなんだったのかねとも思うわけで。完璧な母乳育児をみんながやっててあれじゃあ母乳ってあんまり大したことないんじゃないか? 母乳がいったん見放され人工乳が全盛となっていった時代をふりかえっても、けっしてその時代の人々が浅慮であったと決めつけることはできないと思うんだが。その時代にはその時代のやむにやまれぬ思いがあったのだろうし。そりゃまあ反省と軌道修正は決して悪い事じゃないんだが、先人に対して礼を欠かないようには気をつけるべきなんじゃないかな。 -
息子と電車を眺める休日
今日はオフ。日直当直でも自宅待機番でもない終日の休みは月に2回あればよいほうであるから貴重である。それでも担当患者の回診に行ってしまうあたりが根性なしだが。
木製のテーブルの上で使っているとノートパソコンが熱暴走するので、何か冷やす手段をと思って京都駅前のビックカメラへ行き、あれこれ物色して、放熱素材の敷き板みたいなものを買ってきた。「冷えピタ」みたいなもんかなと思う。
電気屋にいったら音響機器の売り場にも行ってみることにしている。DENONの小さめな5万円くらいのスピーカーがジャズをならしていたが、よい音であった。よい機器の音は聞いているだけで幸せになる。息子が値札をみて「値段が高いぞ」とつぶやいて不安げにする。よほど親父の浪費癖が心配らしい。買わんよと言ってやる。ただ内心、たしかにこの値段なら買えるなと思ったのは事実である。
わざわざ四条寺町ではなくて京都駅まで行くのは、ビックカメラからの帰路に京都駅舎の西端の大階段を登って線路をながめるのが目的である。京都駅を西へ出て行く線路が、神戸線(東海道線ですな)・新幹線・近鉄線・嵯峨野山陰線とまとめて一望できるので息子にはお気に入りのスポットになっている。長大なコンテナ列車なんかが通ったらたいへん喜ぶ。昼間は滅多に通らないけれど。
私もたしかにテツではあるが、秘境駅やら廃線跡やらの系統であるから、ちょっと趣味が違っていて退屈である。つきあっているあいだの暇つぶしに本を読んでいた。こういうときにいっしょに喜んでやるふりをしたりされたりするのが定型発達の親子なんだろうなと思う。息子はそれをあまり他にもとめる風でもなく、単に自分が好きなものを味わってそれだけでシンプルに幸せそうにするので、私もあんまり慣れないご機嫌取りはせず、楽をさせてもらった。小難しい社交を求めてこないぶん、私にとって、息子は一緒にいて凄く楽な人である。まあ、はた目に見たらあんな風に「言葉かけ」の足りない親父だから息子が自閉症になるんだなんて見えたことだろうと思う。
眠れる人の島 (創元SF文庫)
エドモンド・ハミルトン / / 東京創元社
ISBN : 4488637043
そのときに読んでいた本。ハミルトンってこういう作品もかいてたんだな。 -
私のATOKでは「はっしん」といえば発疹ですが
発信力―頭のいい人のサバイバル術 (文春新書 (556))
樋口 裕一 / / 文芸春秋
日本の周産期医療関係者は、本邦の新生児学は世界一だと思っている。自分がそう思っているのに世界がそう評価してくれないのは自分たちの発信が足りないためだと思っている。ふつう、そういういう時は自分は自分で思うほどには凄くないんだと考えるものだがと、わが業界ながら書いてて多少は情けないが、私自身もじつは本邦の新生児医療は世界一だと思って疑わない口なので他人様に後ろ指をさすことは憚られる。
今後はどんどん発信しようと、今回の学会でも、是非にも海外で英文で発表しようよという檄が何回も飛んだ。その檄の「とってつけたような」さまは産経新聞社説を彷彿とさせた。
学会が終わって名古屋駅の本屋で発信についての本が目に付いたので買った。新書版だが名古屋京都間ののぞみで読んでしまえてなお時間が余るくらいだから、読みやすいと評価するべきなのか内容が薄いと言うべきなのか。小論文指導の有名人らしいから前者の評価でよいのだろう。この人の主催する作文の通信教育には娘もなにやら書いて送っているようだから、この人が外れだと私も金をどぶに捨てているようで業腹だ。
いろいろ指摘がある中で、「自分のことを棚に上げる」のが正しい態度だという記載になるほどと思った。何だかそれは下品な態度だと思ってたんですけどね。でも自分のことはとりあえず棚に上げないと議論が始まらないと著者は言う。そのとおりなんだろうな。考えてみれば発信なんてそう上品な行為ではない。
だから後書きで著者が、ほんとは自分もそんな下品な押し出しは嫌いなんだよと述べた下りを読んでほっとしたような気分になった。天の岩戸以来、こっちはこっちでおもしろおかしくやってるから見たい奴は見に来いというのが日本伝統の正しいありかたのはずなのだ。 -
長野の印象
長野県のような地理は初めて経験した。世界の縁が山岳として明瞭に区切られ、内部の凹地に世界が広がっている。盆地なのは京都も同じだが、長野は世界の果てまで霞むこともなくくっきりと見えるというのが違う。周囲の山岳の規模や峻厳さも桁違いだ。下界と同じなのは重力だけといった観のある、独立した世界。背景雑音も小さい。規模こそ違えスペースコロニーを想起した。
旅行の行く先でも朝はNHKのニュースを見ることにしている。まったくの物見遊山で旅行した記憶はほとんどなくて、朝はちゃんと起きて会場へ出向かねばならぬ学会出張ばっかりだから、朝の行事進行はあるていど日常のパターンを踏襲しなければならない。その点、NHKのおはよう日本は全国共通のニュースと地元のお話が決まったパターンで出てくるので、見知らぬ土地でも安心である。
とくに天気予報を見ると、その土地の広がりや人の活動範囲がだいだいどれくらいと考えられているかが分るような気がして興味深いのだが、長野では長野県一県で完結していた。北部中部南部の三分割。他には名古屋と東京が紹介されただけであった。こんなにシンプルな天気予報を他で見た記憶がない。静岡も新潟も富山も山梨も、隣県の情報はまったく無し。京都大阪など釜山や上海同様に無視されていた。長野ではそういうものなのだろうか。ちなみに京都では同じ枠で和歌山や徳島まで天気予報しますが。
しかし長野を中心に見た地図には刮目した。長野から東南へ下れば東京、南西へ下れば名古屋である。今まで長野という土地には、海沿いに広がる文明から取り残された辺境「テリトリー」、いわば日本の「残り」であるという印象を持っていたが、実際に来てみると、隔絶した地形とあいまって、こここそが日本の隠れた中心にある別世界という気分になってくる。夢見がちな青少年に、ここに秘密基地を作って天皇を移せば米軍ともう一戦できそうだという幻想を抱かせたのも、あながち無理ではない。危険な土地だと思う。周りの山も厳粛なくらい高く見えて、敵の爆撃機はあの3倍も高いところを余裕で飛べるんだよという事実のほうの厳粛さを、つい忘れそうになる。 -
学会で長野県まで行ってきました
2月20日から22日まで、長野県で行われた新生児関連の学会に出席した。運営も内容も、通常の学会よりも手作り感が強い会だった。
運営にはやや内輪受け的な風合いが鼻についた。その方面の趣向はいかりや長介と加藤茶と志村けんが極めてしまってますし、と言いたかった。会頭が開口一番客席に向かって「おおっす!」とか言いそうな雰囲気。さすがに「駄目だこりゃ」とは言わないだろうけど。
いや決してローレベルとは申しませんよ。ザ・ドリフターズの壁に素人が挑もうなんてのは凄い挑戦です。でもなあ、演じる者は自分のネタに自分で笑ってはいけない、というのは喜劇の鉄則だと思うんだが。遵守されてなかったですね。それにみんないかりや長介と志村けんの立ち位置に立ちたがるんだよね。それも鼻についたのかな。高木ブーの位置にあえて立つ人がいないとあの芸風は全体のバランスがとれないんだよね。
しかし内容的にはさすがなもので、論じられる内容は自分の興味の核心をいちいち突いてきた。運営の中心になっている医師たちが、総花的な美しさなど無視して、自分たち自身の知りたいことだけを盛り込んだという、手作りの良さが発揮された観のある学会であった。「伽藍とバザール」において論じられる類の良さを感じた。
会場も宿も大町という土地の市民会館と温泉宿だった。風景のよいところだった。雪をかぶった山が遠くに見えたが、あんまり明瞭に見えるので距離感が多少くるった。海抜3メートルくらいかの海岸で育った私には空気が多少薄いような気もした。味のよい空気ではあった。ジャンクフードに倦んだ頃合いに冷たい真水を飲んだような気分がした。陽光の質も違うように思った。長崎の夏の陽光は相撲取りの突っ張りのように圧倒的な量感で上から叩き伏せてくるが、この土地の冬の光は空手家の一撃のように鋭く突き抜けてゆく。
エンディングで「風呂入れよ!」と加藤茶に言われたわけではないが、雪の中の露天風呂というのに初めて入った。髪に雪が積もり、おそらく一部は凍ったのだろう、なんだかしゃりしゃりする感じがした。それを野趣というのか野蛮というのかよくわからない。まあ何事も経験だろうとは思う。一度二度なら楽しみのうちだ。住んでみようとはなかなか思わない。私には水が自然界に固体で存在できるような土地での生活など耐え難い。まして自分の身体が氷結するなど論外だ。
この学会は毎年この時期にこの土地で行われているのだが(なんで2月に長野なんだよ)、数百人の団体が2泊3日でやってきて学会をし宿泊していくので、地元にとっては経済的にかなり大きなイベントになっているらしかった。至る所に歓迎ののぼりが立ち、懇親会には市長さんが挨拶に来ていた。政治家のスピーチというのを初めて聞いた。歓迎のメッセージを送って地元の紹介をしてと、通り一遍なような熱の籠もったような内容ではあった。どうせ詰まらんことを言うのだろうと高をくくっていたが、聞かされてみると上手いものだなと感心させられた。やっぱりああいうのは市役所に一人二人くらい作文の上手い人がいるのでしょうかね。
そのスピーチに、例によって、市民病院の内科医が二人辞めて困っているから誰か赴任してくれないかという話も出た。いやここに居る医者はほぼ全員が小児科ですしと思ったけれど、さすがにそんな残酷な突っ込みを面と向かってする人は居なかったようだ。私は数百人の背後で末席に謙遜していたから詳細はわからない。
ただ市長さんが仰らなかったこととして、日本の周産期医療の発展に当市がいささかなりともお役に立てているようで光栄ですとか仰ってみればよかったかもと思った。そういう無形の貢献をしているのだよという誇りを持っていただいていいのじゃないか、いや願い出てでもそういう誇りを持っていただくべきなのではないかと、京都府民の私は思うのであった。
そういうことは言わぬが花なのでしょうかね。いや、当地の北の方には、優れた研修システムをもってたくさんの優れた医師を輩出していた市民病院内科を、なんで一自治体がそこまで云々と言って潰した愚かな自治体がありましてね。今はみごとに地域医療が崩壊して喘いでますけど。金の卵を産む鵞鳥の、腹の中にはもっと大量の金が入ってるんだろうと思って殺して開腹してみたという愚かさの上をいく、えさ代がもったいなくて餓死させた、というお粗末きわまる愚かさ。他所の市ではあるけれど、府民として忸怩たる思い、というのが無いこともなくて。 -
戦前の少年犯罪
戦前の少年犯罪
管賀 江留郎 / / 築地書館
ISBN : 4806713554
昭和元年から20年までの時期に発生した少年犯罪について、当時の新聞から事例を集めたものである。本書によると当時は今以上に未成年者による殺人が多い。それも貧困によるものとは限らない。かぎらないどころか、徴兵前の10代は働き口も多く金銭には困っていなかったとのことである。戦前には性犯罪も多いし虐めも校内暴力も学級崩壊も多い。なのに戦前の親の甘さや放任ぶりは目に余る。自分ではしつけの一つもできないくせに学校の先生を責めたてるモンスター親も戦前からあるものらしい。まあ学校の先生も小学校の修学旅行で生徒を強姦したりしてるから似たり寄ったり。引用されている新聞記事は、このペースで猟奇的事件が続いていたらサカキバラ事件も影が薄れるかもしれんとさえ思える。加えて、旧制高校の学生という、特権意識丸出しに治外法権状態で犯罪行為を繰り返した史上最低の連中がいないだけ、現代はマシかも。
なにしろ、読んでたいへん勉強になった。昔の日本の子育ては折り目正しくて立派だったが現代の親も子もダメだ云々の世迷い言に悩まされたことのある人なら、是非にも読むべきであると思う。というか本書で横っ面をひっぱたいてやりたい奴の顔が一人二人と浮かばない聖人君子ってあるんだろうか。私の領域でも、さすがに戦前の新生児学が今より優れていた等とは言われないが、一般小児科ではむかつくことも多い。とくに小児心身医学の方面に、現代の子育てが悪いから云々と客観的事実と偏見とがごっちゃになったような教科書を書く大家があって始末に悪い。今後はそういう大家の言も相対化して聞くことができるから、自分の診療に一本強い芯を通せそうで嬉しい。感謝感謝。
著者はべつに現代の子供たちにシンパシーがあってこういう書物を著したわけではなく、ちょっと昔の新聞に目を通す程度の調査をすればすぐにも分ることに関して、まったく調べもせず無根拠なことを言いたい放題にする言説がまかり通っているという現状に対しての問題意識が執筆動機だとのこと。その学問的不誠実に我慢ならないのか、著者はそうとう怒っている。怒りぶりからすると、やっぱり現代の少年に対するシンパシーも、著者の言葉に反して実際は相当にあると見える。現代の少年たちに対してさんざん投げつけられる紋切り型の攻撃表現をそのまま使って戦前の少年を腐してあるから、結果として文章表現がかなり攻撃的である。はっきり申し上げて品がない。それは意図してなされていることなのだから、それも芸のうちと、読者がその背景を斟酌して読む必要はあると思う。
本書が世に問われた以上は、これまでの自身の言動を恥じて、今後は多少なりとも口を慎むべき面々が、犯罪○○学とか教育○○学とか精神医学とか推理小説家とかといった分野を中心に多々あると、私も思う。ただそういう面々がほんとうに慎むかどうか。せいぜい、「自分を棚に上げて若者を腐す人たち」とか「無根拠に若者を腐す人くささない人」とか「頭のいい人の若者こきおろし術」とかといった便乗本を平然とした態度で書くのが落ちだと思う。本書はたしかに優れた著作だが、本書によって彼らに一矢報いることができると著者がもしも考えていたとしたら、厚顔無恥という悪徳に関して、私などよりも多少楽観的であるように思われる。 -
小浜温泉は何をしているのか
米大統領選の本命オバマ氏を日本の小浜市が応援しているというお話。いったい長崎県雲仙市の小浜温泉はなにをしておるのか。しっかり出遅れているではないか。彼の地を選挙区とする久間章生代議士が、県民の猛反発を覚悟で原爆仕方なかった発言までして米国にしっぽを振って見せたというのに。
やっぱり民主党の代表選びに噛むのはまずいのだろうか。
