勝駒 純米吟醸

16日の水曜日に、近所の酒屋で買ってきました。勝駒の純米吟醸。
いやもう他の酒は飲めませんね。どうせ酔っぱらってしまったら一晩潰れるわけですから。それならケチな安い酒で貴重な時間を潰したくはないじゃないですか・・・とか言い訳して大枚はたいて買ってきたんですが。意識があって手を口に運ぶコントロール力が残ってる限りは、舌や胃は幾らでも受け付けましょっていう味です。まあ胃は後でえらい目に遭うんですけどね。芳醇と言えば月並みに過ぎる。ああいう味をなんと表現するんですかね。
潰れるまで飲むなよって言われるかも知れませんがね、何か課題が残ってる夜に、まだあれもこれもしなけりゃならんと気にしつつ自分の判断力がどれだけ残ってるかを計りつつコチョコチョ飲む酒って侘びしくて美味くないじゃないですか。飲むと決めたら後顧の憂い無く飲んで寝る。で、私は外で飲むことは全くありません。常に自宅で。
1升6300円。ネットで見たら4700円くらいの値が付いてるサイトもあるんで(ちなみに完売)高すぎるんじゃないかとも思いましたが、こういう美味しいお酒を美味しい状態で売るというサービスに中間マージンをそれだけ払うのも悪くないです。きっちり遮光して保冷庫で売ってありました。蔵が小さいからそれほど大量生産はしませんよとラベルに明記されている酒が20本くらい並んでましたが、どういう買い付け方をしたんでしょうか。

休日

終日休養。こんな日もある。
昼頃起き出して、録画してあった「モリー先生との火曜日」を観て、読みかけだった「人間の本性を考える」スティーブン・ピンカーを読んで、子供たちと「ラチェット&クランク3」のクォーク・タステイク・マッチをクリアして、書きかけの原稿を書いて、日が暮れました。
モリー先生の言葉にはひとつひとつ胸を突かれる思いでした。内田樹先生の「先生はえらい」を最近読んだこともあって、師という存在について考えていたので。
でもああいうお話に出てくる難病ってことごとくALSだよなと考えてしまうのは、少ない標本数の調査から得られた結論を一般化してしまう悪い考え方でしょうか。
ALSと言えば立岩真也「不動の身体と息する機械」医学書院はようやく手元に届いて、すぐ読むべき本のリストに入ってるんですけど、ちょっと中身をみたところ面白く無さそうな本です。青汁みたいな。「不味い!もう一冊」みたいな。著者の言葉通り、面白くなかろうけれど、ALSの患者さんの人工呼吸を停止するしない云々の議論をするには、せめてこの本を読み通す気骨がないといけません。

ますます陛下を尊敬する

Dead Letter Blog
例えば米長邦夫不敬発言事件などあれこれとあるたびに、私は今上陛下に尊敬の念を強めているし、昭和天皇についても歴史をあれこれ学ぶにつけ、昔思いこんでいたほどの唾棄すべき戦争犯罪人という単純な断罪はできなくなってきた。この Dead Letter Blog さんの記事を拝読するとなお、昭和天皇をご存命のうちに陛下とお呼びしておくべきだったなと思った。この記事を拝読すればそういう気持ちになったが、今まで散々天皇の戦争責任を否定し侵略を美化し靖国参拝を訴えてきたあれこれの記事でそういう気持ちになったことはついぞ無かった。

南北アメリカ大陸からの麻疹根絶の経過

麻疹は理論的には根絶可能な疾患である。発疹が特徴的で診断に困らない。ウイルスの血清型が1種類だけである。宿主はヒトだけで動物に感染しないし媒介動物もない。不顕性感染も長期の潜伏もない。その他もろもろ。既に根絶された痘瘡と同様の条件がずらりと揃っている。強力な効果を持つワクチンもある。
麻疹を根絶した地域もある。
http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm5050a2.htm#fig1 を参照してほしい。南北アメリカ大陸から麻疹が駆逐された経過である。1990年には25万件あった麻疹の症例数が、2001年には423件である。25万件の発生数のあった1990年当時の、乳児の麻疹ワクチン接種率は80%である。この折れ線が上昇するにつれ棒グラフの症例数が激減している。
WHOは麻疹根絶のためには95%を確保せよと言う。20人中18人接種ずみとして19人目が接種するかどうかに分岐点があるのである。独裁国家の翼賛選挙の投票率並みの、かなりシビアな数字である。でも、それを実現するほど努力した地域があるのである。麻疹が根絶可能だと立証したのである。偉大な成果だと思う。カート・ヴォネガットは20世紀最大の発明はAlcohlics Annymousであると述べているが、この麻疹根絶もけっこう良い線いってるのではないか。

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殺人者という語は

我が子を殺人者にしない
麻疹による死亡者、大多数は0~4歳、中でも0~1歳に集中するのだが、この死亡者の数だけ、その子たちに麻疹を伝染させた人が居るということだ。麻疹は伝染病である。決して穏便な事実ではない。直視したくないことかもしれない。しかし、事実ではある。
ただ、派手な言葉を使ってぶち挙げておいて今さらこんな事を言うのは逃げている印象を与えるかも知れないが、その伝染させた人たちを責めるのは私の主意ではない。殺人者という言葉自体にその責める響きがこもるという点で、この表現は確かに拙いと思う。我が心の善くて殺さぬにはあらず。既に自分を責めているか、自分から伝染した人が亡くなったことを今は知らずにいるけれど知れば自分を責めることになるか、どちらかであるに違いない人を、得意顔して指弾するようなことはしたくない。だから今後私はオンラインでもオフラインでもこの件に関してこの言葉はつかわないつもりである。
麻疹ワクチンを接種することが社会に対する責任だとの考えは変わらない。
家族は社会の端緒である。もしも麻疹脳炎で障害を遺した弟に日々接する兄が、この麻疹を弟にうつしたのが自分だと知ったら、どれほど苦悩するか。この兄を責める人は誰も居るまい。しかし誰に責められなくともこの兄は生涯この事実を背負って生きていく。人間の心には生来その程度には気高い倫理性が備わっていると私は思う。(ついでながら、うつした相手が肉親ではなくとも、肉親ではないからと知らぬふりができるほど子どもは非倫理的にはできていないと、私は思う。)いたずらにそういう重荷を子どもに負わせまいという配慮もまた、社会責任の範疇に含まれることではないだろうか。
人間の心はその荷を降ろしたくても降ろせないように出来ているというのが性善説の根拠である。降ろせない荷物だったらせめてその一端を共に担おうと言うのが、ナザレのイエスの言葉である。

その譬えは正しくない

弐式沿岸警備日誌改の記事は全く正鵠を居ており、拝読して頭が下がる思いである。社交辞令ぬきにそう思います。最終段の、WEBの多様性を擁護する下りはとくにその通りです。説得力を持った記事を書くことが有用とのご指摘は反省させられます。
「殺人者」云々は私は本当にそう思ってるわけですが、やはりこの表現を医者として使うことが妥当ではないとの批判を他サイトで頂いたことなど考えると、やっぱり麻疹に対する認識は私と世間とでは乖離が大きいようです。(死亡率1000分の1+急性脳炎発症率1000分の1の疾患を他者に伝染させて、その他者が死んでしまったら、やっぱり未必の故意のからむ殺人だと思うのですがね。過失致死にとどまるのでしょうか。と、これはトラックバック先の記事と直接は関係ない話でした。)その認識の話から根気よくやっていかなければならないのでしょう。後進に教えられました。

 思い出しても見なさい。大学受験の時、あなたの親は何て祈っていたんだろうか。おそらく「うちの子が受かりますように」と思わない親はいないだろう。合格枠がある以上「うちの子が受かる」と「うち以外の子供が落ちる」は表裏一体のことなのだが、一方「世の中に受験失敗の悲しみを味わう子供が出ませんように」「うちのアホな子供より本当に優秀な人間がこの大学に受かって世のため人のためにになりますように」と祈る親御さんはほとんどいないだろう。親ってそういうもんだ。

この譬えだけは外してます。親心の解説としては当たってるけど、大学入試の競争で互いを蹴落とそうとする時のロジックで予防接種を考えることを肯定しているかと思います。もしもその大学が、「該当年度の受験者全体の成績をもって合格ラインを決定する」システムであったらどうでしょう。それも受験者の成績が良ければ合格ライン点数の絶対値が下がる方向で。今年はみんな凄く出来るから合格ラインを引き下げて全員合格だ!とか、今年はみんな成績悪いから受験者3万人いるけど満点とった3人しか入れねえよ!とかのラインの引き方をするとしたらどうでしょう。親心としては、みんな頑張ってくれと我が子以外の子も応援するのではないでしょうか。むしろ予防接種に関してはそのようなものだと思いますが。

FZ20が届いた

FZ20が届いた。明日NICUに持って行ってみるつもり。
うちのNICUでは赤ちゃん一人一人に面会ノートと称するアルバムを作って、写真を貼ったり親御さんや看護師が書き込んだりしている。B6版のカードとバインダーでブログやってるようなもの。保育器に一人一冊ぶら下げてある。
そのアルバムに写真を貼りたいのだが、NICUのデジカメが最近故障してしまった。撮るにはとれるがパソコンに取り込めないから印刷ができない。仕方なくチェキを使っているがランニングコストが高いこと高いこと。
新しいデジカメには、薄暗いNICUで赤ちゃんを驚かさないようにフラッシュを出来るだけOFFにして撮りたいので、シャッタースピードや絞りがこっちで設定できるものが欲しかった。保育器の透明な壁越しに撮りたくもあるのでピントがマニュアルで合わせられることも必要である。赤ちゃんをバックに壁のキズを鮮明に撮影しても仕方ない。三脚を立てては邪魔なので手持ち撮影でも手振れしない機能が欲しい。あれやこれやでFZ20を奮発した。ウェブサイトの情報では一応の条件を満たしているはずだ。
今日届いた機体を弄ってみた第1印象は、良くできた機械だということ。
しかし、付属ソフトには呆れた。インストール時に使用許諾書を読むと、パソコン1台にしかインストールするなと言う。そんなものか?自分の携帯機とNICUの据え置き機と、両方にインストールしておきたいんだけどな。じゃんじゃん出先の至る所にインストールしまくって我が社のカメラで写真撮りまくって下さいってのが商売のありかたじゃあないかと思うが。主人公はカメラだろうに。

我が子を殺人者にしない

ちりんのblog
予防接種についての記事、おおむね賛成。
とくに麻疹の予防接種をわが子に受けさせるのは、我が子を麻疹に罹患させないためではない。
それは2番目の目的である。勘違いしてはいけない。
1番目の目的は、「我が子を殺人者にしないこと」である。
我が子が他人様の子を殺してしまうことがないようにというのが、麻疹ワクチンの本来の目的であると、私は考えている。
我が子に拳銃やバタフライナイフを持たせないのと同様、我が子に麻疹ウイルスを持たせてはいけないと思う。世の中には通り魔も居るし丸腰では危険だと、我が子が学校に拳銃持参で行くのを黙認する親があろうか。
何遍も繰り返しているような気がするが、「はしか」は死ぬ病気である。
麻疹で死んだ子がいれば、その子に麻疹をうつして殺した人があるのである。
ついでに、このリンク元の子育てエッセイは、自分では医者や製薬企業やなんか全く相手にしない態度を誇示しておいて、後で付け加えた注釈では専門家に聞けとのこと。どういう「専門家」を想定しておられるのかをこそ尋ねてみたい気もする。