カテゴリー: 新生児医療

  • 震災復興支援の新生児蘇生法講習会を考えています

    さきの投稿にコメントをいただいて、当地(京都です)できることはないかとあらためて考えました。で、「震災復興支援新生児蘇生法講習会」を開催するのはどうだろうと考えつきました。

    これまで数回、院内のスタッフを相手に無料の講習会を行ってきましたが、今後は公募をかけて、有料の講習会を行います。むろん義援金に充当するのが目的です。

    おそらく、東北や関東から当地を含め西方へ避難してこられる妊産婦のかたは多くなるだろうと予測します。不慣れな土地で、すこしでも安心してお産に臨んでいただけるよう、新生児蘇生法普及に拍車をかけたいと考えます。まあ、象の尻をノミが蹴飛ばすほどの、ささやかな拍車でしょうが。

    まだ何もしないうちから手柄顔してブログに書くのも何だと思いますが、私よりも経験を積んだインストラクターの方々にぜひご賛同をいただいて、各々の施設で講習会を活発に開催しましょうと呼びかけたいと思います。多くの人数をこなさねばなりません。私一人が少々手柄を立ててからなどと思っているうちに時機を逸してしまうことを恐れます。

    それも、このさい、思い切って公募をかけて行きましょう。施設内にインストラクター資格を持った人間がいて、非公募の講習会を開いてスタッフ教育ができる施設は限られると思います。多くの妊産婦さんが避難して来られると、非公募の講習会には縁がないような規模の施設にもいっそうの活躍を願わねばなりません。公募でいきましょう。

  • 新生児蘇生法指導マニュアル2010年版

    実はすでに2010年版のが発売されている。蘇生法のウェブサイトには書いてないけど。
    スライドがまだなので苦労する。

  • 新生児蘇生法の講習会をやってみた

    新生児蘇生法の講習会をやってみた。専門コースと一次コースを各1回。現時点での感想。

    一度目はしどろもどろだったが、二度目はかなり様になったかと思う。でもあとで指導中の写真を見ると(ちゃんと講習会をやった証拠に学会に提出しなければならない)シナリオ演習などマニュアル首っ引きなのが見て取れて、なんじゃこりゃと思った。

    それはそうだがこの講習会は画期的だと思う。いや、私の指導法がじゃなく、学会の組み立てたブログラムが、だがね。従来の蘇生法講習会は座学とスライドだけだった。やってみるったって、看護師に人形相手の気管挿管なんかやらせてみたりして、なんじゃそりゃと思っていた。この周産期新生児医学会の公認講習会では、講習を受ける人全員に予習が前提で、講義の前にプレテスト、講義のあとには基本的手技練習にくわえシナリオ演習とポストテストがつく。台本通りのシナリオ演習でも、じっさいに自分の頭と手を使ってやってみるってのは、座学の受け身オンリーとは、使用する脳の部位すら異なる。

    このシナリオ演習は、武道の型稽古みたいなものなんだろうと思う。私は武道はたしなんだことがないのでよく分からんが。流儀や術派ごとに、言い伝えられた型があって、どの型をどのレベルでこなしたら段位は何段とか、免許皆伝とか。同じ型でも稽古をやればやるほどに、その型に込められた先人の知恵みたいなものの理解が進んで上達したりとか。他所の見学とか他流試合とか就職試験とかでも、型をいくつか演舞して見せたら腕前が知れたりとか。

    現代的には、その施設の代表的な医者に、何番の型というのをやらせてみてyoutubeとかニコニコ動画とかに発表すれば、だいたいその施設の程度が知れたりとか。学会の学術集会とかオフ会とかで演武会をやるとか。真剣勝負は別だとか寝言を言う向きもあるかもしれんが(私など真っ先に言いそうだな)しかし一度負けたらそれで引退の真剣勝負を何回もやれる人間はそうそう居ないし、それよりは毎日毎晩の型稽古を詰んだ人間の方が腕は上だろうよとも思うし。

    とりあえず、これで当院の小児科・産科医師のほぼ全員が専門コースのプロバイダ資格を取ったはずだ。あとは今年中に、周産期病棟の看護師全員に一次コースのプロバイダ資格を取らせるのを目標にする。すべての分娩にこのプロバイダ資格をもったスタッフが立ち会える態勢をなんとか作り上げる。って、今まではどうだったんだよとのお叱りはあるかも知れないが。

  • 送り出す

    来月のシフトを組みながらまた頭を抱える。回らん。

    2年間にわたってがんばってくれた若手を、来月は送り出すことになるわけだが、送り出してしまうとなお回らない。

    しかし彼の成長のためには送り出した方が良いというのも事実だ。2年間うちにいて、新生児によくある病気はひととおり診たはずなので、今はひたすら経験の量を重ねて質に転化させるべき段階に来ている。ということで、いよいよ大きなNICUサイトへ向けて送り出すことになった。そこで今以上に幅広くたくさんの症例*1を診てゆくうち、ふと気づくと現時点よりも一段も二段も上のレベルから全く違った世界が見えているということになるはずだ。

    うちの施設にとっては、あるいは端的に申して私にとっては、出て行かれるのは痛いことだ。でも、痛いと言ってうちの都合で長居をさせようとしても良い結果にはならないだろう。気持ちよく出て行くか、喧嘩別れして出て行くか、無理やり引き留めていやいや仕事を続けさせるかの三択になりそうに思う。それなら気持ちよく送り出す方が良い。

    内田樹先生のご高説にもあるとおり、どうしても欲しいものがある場合に、それを手に入れる唯一の方法は、まず自分からそれを他に贈与することだ。私は内田先生ほどに学識も人生経験も積んでいないが、たぶんこれは本当のことだよなと思う*2。優秀な若手ほど欲しいものは無いとしたら*3、それを手に入れる唯一の方法は、たぶん、うちの優秀な若手を良い時期に他施設へ送り出すことなんだろうと思う。

    逆に、実も蓋もないことを言えば、あの施設へ行ったら延々放してもらえず飼い殺しにされるとかいう評判なんぞ立ってしまったらもう救いようがない。

    *1:赤ちゃんを「症例」と呼ぶことに不快を感じられる読者諸賢もおありかと思い普段は控えています。すみません。

    *2:そうささやくのよ、私のゴーストが。

    *3:もちろん優秀なベテランならさらに大歓迎だけれども奇跡とか天変地異とかは語っても仕方ない。

  • 別に治療を止めろと強制しているわけじゃないんだよ

    重篤な疾患を持つ子供の治療方針決定のあり方の公開フォーラム(2月26日) – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

     朝日新聞の記事が引用してあるわけだが、この記事を書いた朝日新聞の記者さんはガイドラインの内容を多少誤解なさっておられるんじゃないだろうか。今回のガイドラインは終末期医療の具体的内容自体を限定するガイドラインじゃなくて、終末期医療の方針を決める際の「話し合いのしかた」に関するガイドラインなのだと私は認識しているのだが。この記事がほのめかしているよりも一段メタレベルの話なんだけどな。

     だからガイドラインのなかには、この疾患なら救命不要とか、これくらいの重症度なら延命不要とか、そういう実も蓋もないお話は出てこないように思う。思う、というのは、正直なところ一読して新生児医療において先行したガイドラインとどこが違うのか、その差異を見つけ出せなくているので、なんか私も誤読してるんじゃないかという留保をつけての表現。と言いますか、学会の偉い人にポンと肩をたたかれて「君も若いね」と言われるような可能性もちょっと考えてます。そんな二枚舌の学会に居続けるのはごめんだけれども。と言うわけで、以下も私の個人的解釈とご承知いただきたい。

    新生児医療現場の生命倫理―「話し合いのガイドライン」をめぐって

    新生児医療現場の生命倫理―「話し合いのガイドライン」をめぐって

    新生児業界のはこちら。

     避けられない終末の迎え方に関しては、朝日新聞の記事にあるように、延命一辺倒ではないありかたも現実にあるわけなのだが、公的にはそれはないことになっているから、無いものは無いんだっつうことで公式の延命一辺倒になったり、何とはなくなあなあのうちに終末を迎えてしまったりしている。非公式な方針は後ろめたいんで、事前にせよ事後にせよ口に出すのが憚られる。それが証拠に、私自身は自分のNICUでそういうことがあるとか無いとかこの場ではいっさい言わない。読者諸賢には重々ご承知いただきたいが、私はこの場ではあるともないともいっさい言ってませんからね。

     でもそれじゃまずいだろうよと、そんな大事なことはせめてしっかり話し合いをして方針を決めようよということで、その話し合いにはせめてこれくらいの手続きと水準を踏もうよと、提唱したのが今回のガイドラインだ。違いますかね、朝日新聞の大岩ゆり記者さん。ガイドラインをご高覧いただいて(当然読んでますよね、ね!)、新聞記者の目にはどのように解釈できるものなんでしょうかね。

     たしかこの小児科学会版のガイドラインでも、新生児のと同じく、冒頭に、話し合いに際してはまず子どもの利益を最優先に考えましょうと明記してあったはず。病院の入院期間が長くなるからとか、介護の負担が大変だからとか、そういう諸事情を第一に考えてないかと各々しっかり自省しましょうよと。各々の大人の事情は置いといて、まずこの子の利益を最優先に考えたらどうするべきなんだろうと、それを話し合って考えていきましょうというのが今回のガイドライン基本的な精神じゃないかと私は解釈したのだが。その精神に基づいてしっかり話し合いをするさいには、せめてこれくらいの手順・水準の話し合いをせにゃならんよと、むしろ安易な延命中止には歯止めを掛ける可能性すらあるガイドラインだと思うのだがね。

     とはいえそういう話をする段になると、やっぱり家族に署名を求めるのは辛くて、というか家族の前で説明しながら紙に内容をかいてゆくのさえ、冷酷な事実を突きつける形になるんでやっぱり辛くて、その点では朝日新聞の記事に書かれた豊島先生のコメントに私もおおいに同感なのだけれども・・・・おっと私自身にそういう経験があるとか無いとかこの場では一切申し上げてませんよ・・・記事中の豊島先生のコメントを「迷う家族に書面を突きつけて治療中止の同意署名を取るのは辛い」という意味に取るとしたらそれは誤解です。そうとしか取れないような記事になってるんで、朝日新聞の大岩記者らがガイドラインを誤読したうえで豊島先生のコメントも誤読に沿った構成をしたんだなあと私は思ってるんだがね。

     そりゃそうと実名ブログってすごいよね、と豊島先生のブログを拝読して思った。このブログも読む人が読めば私が誰かは分かるんだろうし、分からない人には分からない方がいいですという小心さで書いている訳なんだけれども。たまに勤務先や上司やの悪口を書いたりするから、読まされる方もこれは誰が誰のことを書いているのかと公式には特定できない形をとったほうが宜しかろうという思惑もあって。でも知った人が知った分野で実名で書いてるとやっぱり迫力が違うなと思う。むろん業績も違うんだけれどもね。

  • NICU退院後の子にはfacebookのアカウントを持たせるとか

    NICU退院後のフォローアップに関して、これからのやり方をあれこれ考えている。あくまでも思考の練習問題。

    facebookって私も活用できてはいないから、例としてあげただけなんだけれども。容量制限無しの母子手帳がオンラインにあって、NICU退院サマリーとか日々の様子とか書き込めて、普段はfacebook従来の活用法でいいんだろうけど特別な権限のある人には特別な領域まで閲覧できるようになっている、というのは不可能なんだろうか。児童相談所の人なら強制閲覧もできたりとか。

    国や自治体に要望したり学会で作ったりしても、建造物にしてもネットワークにしてもどうせしょぼいものしかできやしない。どうしてもお上の力を借りたければ「私のしごと館」の廃墟でも活用することを考えてみればいい。あそこを京都の発達フォローセンターにしたとして、誰が喜んで通うんだ?

  • 国になにをさせるかではなく

    長野のフォーラムでは、昨夏の学会主催若手キャンプで若手がチームを組んで競作した提言の、優秀作が発表された。

    なんかこう、みんなマジメだねと思った。そんなマジメに学会上層部の言いたいことを斟酌しなくてもいいんじゃないか?と突っ込んでみたかった。まだ若いのにね。きみら腹話術の人形でも預言者ダニエル*1でもないんだろ?

    たとえばの話、フォローアップでのドロップアウトをふせぐ方策としてフォローアップ外来に受診したら1000円キャッシュバックとかいう発想をする人はなかったんだろうか。あるいは、そもそも何だって極低出生体重児のフォローで将来のメタボまで気にせにゃならんと言って、メタボから致命的な健康障害を引き起こすリスクと数十年間メタボを気にして過ごすどんより感とを比較考量するとか。あるいは、ハイハイしている写真をとって年賀状ちょうだいねとか。それで痙性対麻痺のかなりよいスクリーニングになりそうな気がするんだが。

    俺もあんまり発想が豊かな方ではないな。

    学会の偉い人の言いたいことってのを斟酌しすぎると、結局のところ「国に何をさせる」っていう話にしか行き着かないような気がする。あるいはその亜型として、「社会に何をさせる」「社会に何を訴える」云々となる。どんな着想もその形式にすべて落とし込まれていくようで、せっかくの未来ある若手を香川くんだりにまで集めて何をつまらぬ型にはめてるんだかと思う。それは今の学会上層部がいわゆる「団塊の世代」であることの致命的な結果なんだろうけれども。

    加えて言うなら、国でも社会でもよいが、なにか他者がこれをやってくれたら現状が良い方へ一変する、みたいな幻想は全共闘あたりで懲り果てようよとも思う。革命じゃ物事はよくならんよ。農夫が「提言」をやっとるうちはヒバリの母さんも引っ越す気にはならないものだ。自分で麦刈りをし始めないとね。

    あと、これだけは私もマジメに言うけど、他人様の子の成長を云々するフォローアップ外来について「満足していますか」と問われて「満足しています」なんてマジメに答えるほど増長してはいかんと思うよ。

    *1:預言者ダニエルというのは王様から「変な夢を見たので適切に夢占いをしろ。できなければ殺す。ただし夢の具体的な内容は忘れてしまった。」などという無理筋な命令を受けた人。他にもライオンでいっぱいの洞窟に放り込まれたりとか、いろいろと気の毒な扱いを受けている。

  • 長野へ行ってきた

    長野県で開催された新生児関連のフォーラムに参加してきた。

    専門のイベント屋さんが関与しない、医療者と企業との手作りが売りの会だった。ご苦労を頂いた皆様に深謝しつつ、ありがたく勉強させて頂いた。

    しかし新幹線・中央本線大糸線でテツの旅を満喫した勢いかもしれないが、有り難く勉強しつつも、こういう会のあり方には、愛好者が動態保存するSLの保存鉄道じみた印象をぬぐえないなと思った。運行に当たる皆様のご尽力には深謝しつつ、乗って到達する先の見晴らしの良さには感激しつつ、それでもなお、これは蒸気機関車だよなと思った。

    エネルギー効率が悪く、小回りがきかない。走らせる前には長時間かけて湯沸かししなければならないし、走らせる間も石炭の投入具合にまで気を遣わないと出力が得られない。運用しておられる方々のご苦労のありがたさを否定する意図はないが、しかし、そこまでしなければならないシステムをそこまでして運用しておられるというところに、保存鉄道の運行に苦労しておられる愛好家の方々に対するのと同様の印象をもってしまうこともまた、正直なところである。

    業界を前進させるあり方として、こうした学術集会という蒸気機関車的な方法を主眼とするのは、多少まだるっこしいような気がした。それじゃあ代案として何かできるのか?と聞かれても辛いんだけれども、いったいそう聞かれたときに、どういうあり方を理想として目指すのか、蒸気機関車を脱却して目指す先のシステムは、メタファーとして何に例えられるものなのか、そこから考えるところかなと思った。

  • お願いする人される人

    IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

    IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

    非常勤で応援にきてくださった京大の先生が、外来に忘れて行かれたので、拝借して読了した。*1

    感染症は古来からの問題だけど現在でも重要な分野である。新生児をやってれば特にそうだし、重度心身障害医療に縁があればまたそうだし、この二つを逃げ出して小児科広く浅くになってもなお感染症はついてくる。これはもうお釈迦様の手の上を逃げられない孫悟空みたいなものだ。

    しかし本書を読んで、いろんな意味で「違うな」と思ったのだが、それは感染症科の皆様と、自分ら、まあ場末のNICUの新生児科なんだけど専業では食いかねて小児科一般外来と兼業してます*2という立場との、スタンスの違いによるものだろうか。

    感染症科の皆様の、困った主治医のヘルプコールに応じてさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていくスタンス、古くは月光仮面ウルトラマン、近くは「ののちゃん」に呼ばれてやってくるワンマンマン*3のようなスタンス。あるいは感染症の診療がつたない主治医困ったその他おおぜいのヘルプコールがあったりなかったりしてやはりさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていったり行かなかったりするスタンス。常駐がそれ以前と比べて状況を改善しているかどうかは世界各地に駐留する米軍にも似て多少複雑な問題である。けっきょくフセインを退治たことはイラクの人々を幸せにしたのだろうか。

    いずれにしても彼らは「お願いされて」現れ「支援する」形で問題に関与するヒーローである。それは本書の、「感染症のプロ」とかカリスマとかが教えるという、タイトルや構成にも現れている。お呼びがかかった先生はアマゾンどっと混むでも感染症関係にずらずらと名前の挙がるカリスマであり、本書には「カリスマ先生、みなさんはどうしてそんなに格好いいんですか?」という趣旨の個人的質問がたくさんついている。

    カリスマ、ってそりゃあエビデンスレベルとして「専門家委員会や権威者の意見」ていうやつだろうよと、君らはそれを推奨するのかい?と、小声でちょっと突っ込んでみたりもする。

    感染症科に注目が集まってるのは、感染症科の診療や研究レベルの高さとはまた別次元で、こういうカリスマ的な格好良さが、若い人や軽薄な人を誘蛾灯みたいに引きつけてるんじゃないかと、まあ狷介な邪推なんだろうけど、思ったりもする。

    新生児科にこういう格好良さはないなあと思う。新生児科は他科にコンサルトを出しこそすれ、出されることはまずない。新生児科の診療は全身管理抜きにはあり得ないので、新生児科が診る患者は全て新生児科が主治医の患者である。紹介された時点で患者の身柄と主たる責任は新生児科に移る。移してもらえなきゃ専門科としては着手すら困難である。自分たちに責任を移してもらって、その後は自分たちからあちこちに「お願いする」のが新生児科の基本スタンスである。

    その点において、新生児科は究極的なプライマリケア医の集団である。集中治療のできるプライマリケア*4。だからプライマリケアの泥臭さは宿命的に抜けることがない。ヒエラルキーとして他科に頭を下げても下げられることはない。

    従って、本書にあるような、他科の医師と合わないときはどうしたらいいんでしょうか、みたいな質問がなされ、最終責任は主治医にとらせればよろしいという答えがなされることは、新生児科には存在し得ない質疑応答だと思う。お願いする側の立場としては、先方にこの子を救う技量があると思えば、先方との相性など二の次である。というか人間性
    の悪い医師には患者も協力者も集まらず経験が積めないから医師として大成することもまず無いんで、人間性に優れた名医を各科そろえてネットワークを作ることは意外に簡単である。こっちの頭を下げて子どもが救えるなら頭なんぞいくらでも下げる。取るに足りない相手にははなから縁を作らない。医者の仲が険悪になるときと言うのは、つまらない理由であることもあるが、多くは相手の診療内容に信頼が置けないってことが最大の理由だから、わざわざそんな相手にものを頼む道理はない。

    新生児科には感染症科の華麗さはない。院内や業界内から感謝されることもあんまりない。もっぱら、この子のためにお願いしますと頭を下げる立場にある。我々に、この子のためにお願いしますと心から頭を下げてくださるのは親御さんだけだとも思う。まあ、それはそれでよいとも思う。

    *1:彼らよりは高いお給料を頂いてるんだから買って読めよというご批判はなしで願います。大学ではオンラインで各種医学雑誌がほぼ無制限に読み放題と知って以来、自分の給料が高いとはあんまり思えなくなってきました。

    *2:そのうち農林水産省から戸別所得補償が来るんじゃないかな

    *3:ライバル新聞社のトップに風貌などがよく似ている

    *4:開業後の成功率は新生児科医はかなり高いんだそうだ。

  • 新生児蘇生法2010年アップデート

    12月5日は当直明け。新生児蘇生法の2010年アップデートの講習会を受講するため阪大病院へ行った。

    救急車以外の交通手段で行くのは初めてである。救急車で行くときには高速からの分岐がややこしくてなかなかスムーズにたどり着けない。万博記念公園のあたりで理学部か工学部あたりが変な実験をして時空を曲げてやしないかという気がする。太陽の塔が妙に曲がって見えるのもそのせいだろう。

    阪急とモノレールを使ったら迷いようもなく阪大病院に到着した。会場を確認してもあと1時間以上ある。食堂で昼食をとり、髪が伸びていたので院内の床屋で散髪もした。さすがに手早い。病院内で散髪まですませようという面々がそうそう暇人なわけがないから当然ではあろう。散髪が終わったあたりでちょうど受付時間になった。

    今回の講習は実技なし試験無しの講義のみで、2005年版との差分の説明を受けた。迅速な換気の確立を最優先にすることは変わりなかったが、酸素投与については使いすぎないことを強調するようになった。それもあって酸素飽和度(SpO2)のモニターを行うことがほぼ必須となった。総じて、余計な枝葉が落ちて、より本質的になったなという印象を受けた。

    今後は分娩時仮死が生じうるすべての施設で酸素飽和度計が必須になる。その設備投資が助産所なんかにはつらいんじゃないかと会場から質問があった。「それくらい買え!」という回答をオブラートに包むのに講師が苦労していた。