幻 想 の 断 片など拝読して、娘のことを考える。
2歳上に自閉症の兄が居ますなんて境遇で「お嫁さん」を志向しても辛いだろうなと思う。家事育児は女性の天職などという思想の男は、この義兄の存在だけでもう逃げ出すに決まっている。逃げない奴が居たとしても、逃げなかったことを恩に着せられるのは業腹なものだろうと思う。
兄のことはさておいても、バカな他人に「誰に喰わせて頂いてると思ってるんだ?」などと言われる屈辱は味わわせたくないものだ。食い扶持を稼ぐスキルは身につけさせておきたいと思う。内田先生の著書にも似たような記載があったが(村上龍さんの引用だったか?)「バカな他人にこき使われずに済むこと」ってのはけっこう重要だと思う。
人間の芯は我が娘ながらよく出来ている。4歳の時だったか兄と私と三人で公園に行った折、奇声を上げてうろつく兄に知らない子が「あれお兄さんか?どうしたの?」と聞かれ、とっさに「私はお兄ちゃんが大好きだもの」と切り返した子である。こんな凄い子の人格を育てるなんて偉そうなことは私には言う資格はない。光栄にも父親の顔させて頂いてますってものだ。天才の後輩にいちおう学校図書館の本の借り方とか生協食堂での飯の食い方とかの手順を教えておく凡庸な先輩ってとこだね私は。矯めずに見守りたいものだと思う。
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南北アメリカ大陸からの麻疹根絶の経過
麻疹は理論的には根絶可能な疾患である。発疹が特徴的で診断に困らない。ウイルスの血清型が1種類だけである。宿主はヒトだけで動物に感染しないし媒介動物もない。不顕性感染も長期の潜伏もない。その他もろもろ。既に根絶された痘瘡と同様の条件がずらりと揃っている。強力な効果を持つワクチンもある。
麻疹を根絶した地域もある。
http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm5050a2.htm#fig1 を参照してほしい。南北アメリカ大陸から麻疹が駆逐された経過である。1990年には25万件あった麻疹の症例数が、2001年には423件である。25万件の発生数のあった1990年当時の、乳児の麻疹ワクチン接種率は80%である。この折れ線が上昇するにつれ棒グラフの症例数が激減している。
WHOは麻疹根絶のためには95%を確保せよと言う。20人中18人接種ずみとして19人目が接種するかどうかに分岐点があるのである。独裁国家の翼賛選挙の投票率並みの、かなりシビアな数字である。でも、それを実現するほど努力した地域があるのである。麻疹が根絶可能だと立証したのである。偉大な成果だと思う。カート・ヴォネガットは20世紀最大の発明はAlcohlics Annymousであると述べているが、この麻疹根絶もけっこう良い線いってるのではないか。
その譬えは正しくない
弐式沿岸警備日誌改の記事は全く正鵠を居ており、拝読して頭が下がる思いである。社交辞令ぬきにそう思います。最終段の、WEBの多様性を擁護する下りはとくにその通りです。説得力を持った記事を書くことが有用とのご指摘は反省させられます。
「殺人者」云々は私は本当にそう思ってるわけですが、やはりこの表現を医者として使うことが妥当ではないとの批判を他サイトで頂いたことなど考えると、やっぱり麻疹に対する認識は私と世間とでは乖離が大きいようです。(死亡率1000分の1+急性脳炎発症率1000分の1の疾患を他者に伝染させて、その他者が死んでしまったら、やっぱり未必の故意のからむ殺人だと思うのですがね。過失致死にとどまるのでしょうか。と、これはトラックバック先の記事と直接は関係ない話でした。)その認識の話から根気よくやっていかなければならないのでしょう。後進に教えられました。
思い出しても見なさい。大学受験の時、あなたの親は何て祈っていたんだろうか。おそらく「うちの子が受かりますように」と思わない親はいないだろう。合格枠がある以上「うちの子が受かる」と「うち以外の子供が落ちる」は表裏一体のことなのだが、一方「世の中に受験失敗の悲しみを味わう子供が出ませんように」「うちのアホな子供より本当に優秀な人間がこの大学に受かって世のため人のためにになりますように」と祈る親御さんはほとんどいないだろう。親ってそういうもんだ。
この譬えだけは外してます。親心の解説としては当たってるけど、大学入試の競争で互いを蹴落とそうとする時のロジックで予防接種を考えることを肯定しているかと思います。もしもその大学が、「該当年度の受験者全体の成績をもって合格ラインを決定する」システムであったらどうでしょう。それも受験者の成績が良ければ合格ライン点数の絶対値が下がる方向で。今年はみんな凄く出来るから合格ラインを引き下げて全員合格だ!とか、今年はみんな成績悪いから受験者3万人いるけど満点とった3人しか入れねえよ!とかのラインの引き方をするとしたらどうでしょう。親心としては、みんな頑張ってくれと我が子以外の子も応援するのではないでしょうか。むしろ予防接種に関してはそのようなものだと思いますが。
我が子を殺人者にしない
ちりんのblog
予防接種についての記事、おおむね賛成。
とくに麻疹の予防接種をわが子に受けさせるのは、我が子を麻疹に罹患させないためではない。
それは2番目の目的である。勘違いしてはいけない。
1番目の目的は、「我が子を殺人者にしないこと」である。
我が子が他人様の子を殺してしまうことがないようにというのが、麻疹ワクチンの本来の目的であると、私は考えている。
我が子に拳銃やバタフライナイフを持たせないのと同様、我が子に麻疹ウイルスを持たせてはいけないと思う。世の中には通り魔も居るし丸腰では危険だと、我が子が学校に拳銃持参で行くのを黙認する親があろうか。
何遍も繰り返しているような気がするが、「はしか」は死ぬ病気である。
麻疹で死んだ子がいれば、その子に麻疹をうつして殺した人があるのである。
ついでに、このリンク元の子育てエッセイは、自分では医者や製薬企業やなんか全く相手にしない態度を誇示しておいて、後で付け加えた注釈では専門家に聞けとのこと。どういう「専門家」を想定しておられるのかをこそ尋ねてみたい気もする。
昭和天皇はA級戦犯の靖国合祀に反対されておられた由
Dead Letter Blog
かつては陛下も参拝しておられたが、陛下のご意向に逆らうA級戦犯の合祀以降は参拝されなくなった由。そういう事情であったのかと、驚いたが、しかしおおいにあり得る話だとも思った。
世界一ウイルスが嫌いな男の偉業
途上国の予防接種支援に770億円 ビル・ゲイツ氏財団
ちょっと前のニュースですが。ウイルスでは苦労なさっておられますしねなどと皮肉ってはいけません。どうせ金持ちの税金逃れだろとか言うのも不当です。その770億円はマイクロソフトに貫流されるひも付き援助だろっていう話も(たぶん)無いと思います。一介の皮肉屋としては
「この支援は、過去に行った投資の中で最良と確信している」
ってのはお言葉どおりだと思いますってくらいは言わせて貰ったりしますがね。
率直に、素晴らしい偉業だと思います。
身内の不始末に対する責任と謝罪
やはり私にも責任があるように思えるを敷衍します。
今回の記事に関しては、他のブログへの批判の意図はありません。くれぐれもその点だけはご留意の上で以下の文章をお読み頂きたいと思います。
私は、医者の立場でブログを書いているという共通点をもって、この女医さんを「身内」だと思っています。少なからず愚痴を書いている者として、また自分の狭量さを自覚している者として、身内としてもかなり近い位置にいるのではないかと思います。少なくとも、私がこの女医さんに関して全くの「他者」の立場から言及することには、些かの厚顔さ下品さを自覚し、羞恥の念を覚えざるを得ません。「お天道様が許さない」という抵抗感があります。
やはり私にも責任があるように思える
遅ればせながら、患者さんを中傷した医師ブログについてに以下のメッセージを追加させてください。
今回問題とされたブログや報道をご覧になった皆様へ
医師の立場で医療に関するブログを書かせていただいている者の一人として、問題のブログに関して責任を感じます。申し訳なく思います。勝手な願いとは存じますが、せめて、御近くの医師に対する信頼が今回のことをきっかけに損なわれることがなければ、幸甚でございます。
震災10年
震災から10年。朝から報道は震災一色。どんよりと気分が重かった。
あの地震の後、2月3月の状況を思い起こすにつけても、まだ新潟は被災地まっただ中なんだろうなと思う。インド洋沿岸のみなさんがどうしておられるか想像するのも恐い。
昭和30年頃の日本人はみんな戦争のことをちょうど今の私が震災のことを思い出すような生々しさで記憶していたのだろうか。であれば戦争を記憶している人々は私のかねてからの想像よりも長い期間にわたって生々しく戦争の記憶をお持ちになってこられたことなのだと思う。かつて私は歴史の本を読んではいとも簡単に戦争犯罪云々言っちゃってたけど、あの災害の中に駆け出しの医師として居たお前にも亡くなった方々六千人あまりの中の幾ばくかに責任があるのではないかと言われたら、あの時の無力感が未だ冷めやらず引きずり続けている私にはあまりに痛い。開き直って俺の何が悪かったと反論する事は私にはできない。只、そう言う事を問える君はおそらく私よりも背負うものが軽いね羨ましいものだねと、俯いて嘆息するのみだろう。
日常とは紙に描いた書き割りである。その紙が何かの拍子にうっかり破れてしまったら、その向こうに広がる空間には日常の風景が書き込まれているとは限らない。慌ててその紙を貼り付けて繕ったとて、破れ目の跡は残るものだし、破れ目から垣間見た非日常の世界が脳裏を去ることはない。(その破れ目から放り出されて日常へ帰る事が極めて困難になった子供たちがインド洋沿岸諸国には数多いと聞き、なお心が痛む)。
一度でもその向こう側を見てしまうと、自分の周囲の日常がそれまで信じていたよりも脆弱で危ういものに感じられてくる。その日常に対する虚無感と愛惜と、二つながらの感情を抱くことになる。自分のあり方にかかわらず当たり前に存続すると思っていた世界が、実は非力な自分ですら必死に参加して支えておかないと破綻しはじめるような有限の世界だったと気付かされる。
NICUに赤ちゃんを預けることになった親御さんたちは皆それぞれの家族の震災を生き延びようとされておられるところなのだろうと思う。ただそういう家族規模のマイクロ震災は発生していると言うことすら周囲には気付かれにくい。私らNICUをニッチとしている人間は、恒久的な災害現場で永遠に続く復興活動をやってるようなものなのだろうけど、自分達にとっては日常としか思えぬ場所がご家族にはまるで非日常の現場なのだと、それも祝祭的な場ではなく災害現場なのだと、忘れぬようにしたいものだと思う。
あの日私は神戸にいた。私のよりどころの一つである。
今さらですが
悪臭漂ってるのは事実ですから
今さらですが、廊下に悪臭が四六時中しているという訳ではありません。読み返してみて、何だか24時間延々と便臭がしているような書きようだなと思いましたので、それではうちの病院の評判を不当に下げるだけだから付け加えます。マッチポンプで恐縮です。
むろん、たまにだから良いよねって話にはならんとおもいます。院長室から院長の大便の臭いが漏れ出てくるってことは無いわけですし(もしもそんなことがあったら、少なくとも、たまにだから良いよねって考える人間は誰もありません)。
研修医に成り立てのころは、小児科病棟に漂う蓄尿からの尿臭に驚きました。1ヶ月くらいで慣れましたが、それは感受性が鈍っただけでしょう。病院に慣れない人の鼻は私の鼻よりもこの手の病院特有の悪臭に鋭敏なはずです。ひょっとしたら、四六時中じゃないと考えるのは私の鼻の甘さかもしれません。鼻が鈍ってない人が嗅いだら四六時中なのかもしれません。それを自戒しておかないと、油断につながってしまいます。
