• 下っ端を脱して

    ちょこっと出世した。NICU入院の赤ちゃんの主治医を決める立場になった。
    これまでは、自分が引き受けていた赤ちゃんはみんな自分が主治医になるという心づもりで、入院処置をやってカルテを書いていた。それが、昨日入院の赤ちゃんで、初めて、他の医師に引き継ぐことを前提にした入院処置とカルテ書きを経験した。
    大学病院みたいな人数の多い病院で研修してきた多くの医師にとっては、卒後数年で経験することかもしれないけれども、私はちょっと変な研修を経てまして。「たった1人の最下層の下っ端」という経歴が長かったのですよ。
    数時間後に締切を切られた仕事をしている気分だった。特にカルテ記載に手を抜けなかった。主治医の自分が承知してればいいからとこれまでは省略していたような項目まで、今回はきちきちと書いて行く。むしろ普段よりも濃いカルテを書くことになった。それが意外だった。どうせ自分が主治医受け持ちでもないしと、そういう期間限定受け持ちのときは気合いが抜けるものなんじゃないかと、以前は漠然と考えていたのだが。
    ときに仕事を引き継いでみるというのは、かえって仕事の内容を充実させる、よい転機となるのではないかと思った。
    いちおう、管理職としては、当直中に入院の赤ちゃんは、当直明けの人には主治医受け持ちをさせないつもりでいます。重症児を入院させて当直明けも延々重症管理などという、わざわざ過労がらみのヒューマンエラーを呼び込むような真似は自分もしたくないし部下にもさせたくない。なにより、長男が就労するまでは職を失うわけにはいかないんでね。

  • 特別に先生がつきます

    中学校では育成学級で1年から3年まで共通の時間割らしい。各教科の担当教諭がついて各々に個別の課題をやるということだが、数学については息子には特別に教諭をつけてくれるとのこと。分数の計算ができるから、だそうだ。英語は通級でもよいかもしれんとのこと。いちおうアルファベット読めるしローマ字綴りはできるし、公文の英語で英単語もずいぶん覚えているし。視覚優位なんで見ただけで覚えてしまう。
    自閉症なので、どちらかと言えば少人数の個別授業でやっていただくのが良いとはいえ、彼の力を見ていろいろ検討して下さるのはたいへんありがたい。
    ひょっとして一部の大学生よりも数学や英語ができるんじゃないのかと思ったりもして。

  • 入学式

    今度は息子の中学校の入学式だった。当初は参観する予定はなかったのだが、当直がけっこう空いてて残務がなかったので、午前中に休みをもらって中学校まで歩いた。小学校は徒歩5分だが中学校までは30分ちかくかかった。無闇に遠い。この道を毎日歩いて通ったら足腰が強くなることだろう。1人で通えるようになったら、大抵の就労先には通勤できるだろう。朝からしっかり歩くと目も冴えて勉強にもなるだろう。色々と良いことだと思う。

  • 信じたらおしまい

    新院長が就任した。午後は当直明けでオフだったのだが、どんな人だろうと思って夕方の新院長挨拶のイベントへ行ってみた。わざわざ自宅から。とはいえ町内だしそう辛いことでもないのだが。
    挨拶で「医療は医者も患者も『信じたら』おしまいです。一歩引いて見ることが必要です」と仰ったのが印象に残った。べつに医療不信を煽る意図ではなさそうだった。提供する医療に狂信的になったり、闇雲に無批判に信じ込んだりすることなく、自分のやっていることを客観的に見よとの論だった。
    キリスト教病院の院長に就任して「信じるな」もないもんだと思ったが、それはそれ一理あるよなとも思った。わりとクールでクレバーなことを言う院長だ。これで有能なら言うことないが。経営能力はもちろんまだわからない。
    信じることそのものの力がものごとを良い方へ進ませるということもあるよなとも思うので、一概に醒めた目で見るのが宜しいとも言えないとは思うが。新院長ご自身についても、新院長の御言葉を借りるなら、「信じては」いけないんだろうと思った。
    まあ、患者さんって、医者が思ってるほど医療を信じてはいないもんだが。その点では患者さん側のほうが院長の理想により適うのかな。医療の提供側よりも。

  • 彼らは勝手に死んだのらしい

    新しい日本史の教科書では、沖縄戦での集団自決は軍が命じたものではなくなったらしい。日本軍による集団自決の強要や命令があったかどうかは明らかではないんだそうだ。
    むろんこの書き換えも政府が強制したものではない。政府は検定意見をつけただけである。たぶん、旧日本軍も命令したり強制したりしたんじゃなくて、生き延びたり捕虜になったりすることに対する否定的意見を述べただけなのだろう。文部科学省と同じように。そして出版社が節を曲げたのと共通した心境で、沖縄の人たちも自主的に集団「自決」なさったのだろう。そう、自分で決めたのだよ彼らは。
    それにしても旧軍もずいぶんと迷惑な人たちを周りに取り巻かせていたものだね。軍があずかり知らぬ経緯で集まってきた従軍慰安婦とか、勝手に集団自殺する民間人とか。ずいぶん間抜けた話だ。邪悪と言われるか間抜けと言われるかどっちか選べと言われて、人はどちらを選ぶものなんだろうか。「美しい国」では、先達が邪悪だというより間抜けだというほうが倫理に叶うことらしいが。
    で、こういう教科書を与えておいて、こどもたちにどう「責任」という概念を教えるつもりなんだ?

  • 汚れっちまった悲しみに

    来月分からNICU当直表を私が組んでいる。
    自分でやってみるとなかなか大変な仕事だ。同僚を過労死に追い込む片棒を担がされているような気がする。今までさんざん過労に文句を言ってきた、その過去の自分のぼやいた文句がそのまんま今の自分に返ってきているような気がする。
    ついに自分もある一線を越えて、医療崩壊の被害者から加害者側へ踏み出してしまったような気にもなっている。

  • 君は静止衛星を知っているか

    研修医が「静止衛星」とは何かを知らなかった。常識だろそんなもんと思っていたので驚いて、助産師さんに聞いてみたが、やはり知らなかった。帰って妻に聞いてみたがぼんやりとしか答えられなかった(空に止まってるんだよね、とか何とか)。娘も知らなかった(まだ小学生だけど)。
    彼女らの名誉のために明記しておけば研修医は熱心に勉強する子だし助産師さんはNICUの主力だ。小児科的には静止衛星を知らないからって何ら不足を言われる筋合いではないのだが。
    部屋に引っ込んでbogusnewsを見たら実に久々に櫻井よしこさんに当たってしまった。単に私の巡り合わせが悪かっただけかも知れない。

  • 卒業式と分娩立ち会い

    先日、息子の小学校の卒業式があって出席してきた。半日だけ休みをもらった。午後から極低出生体重児が双胎で分娩の予定であったから、全日の休みは無理だった。
    息子は無事に壇上へ上がって卒業証書をもらって降りてきた。証書を折りたたみはしないかと冷や冷やしたが無事だった。本人は淡々としたもので、「卒業」ということに関して特別な感慨がなんらかあったのかどうか、よく分からなかった。おそらく、単に小学校へ行く最後の日だという事実認識があるばかりで、最後だからどうだという意義付けはとくにないのだろうと思った。散々お世話になった幼稚園の担任(ちなみにすごい美人)に数年ぶりに出会ったときも、彼女が当時と同じ腕時計をしているかどうかしか感心がなかった人だし。
    式の最中もなんとなく午後の分娩が気になっていた。校長先生やPTA会長が訓辞で生命の大切さとか云々されたが、具体的な生き死にのかかる予定を午後に控えていると、命が大切な理由というのを力説する必然性が今ひとつぴんと来なかった。震災の年の2月に神戸から京都に出てきた折に、ここは何故にこんなに平穏なんだと戸惑ったことを思い出した。
    仮にも1000gあるんだから生きるの死ぬの大袈裟なことを言わず淡々と救えよと、仰られたらもう返す言葉もないのだけれど、でも12年したら今日の子らも卒業式に出てるんだよなと思うと、その連続性がちょっと意外な発見であるような気がした。
    保護者代表謝辞というのを読む役割を仰せつかっていた。妻がPTAの仕事で卒業対策委員とやらをやってて(特殊学級で生徒数少ないからやたらと役をこなさねばならない)、学校のことは妻に任せきりでなにもしてなかった罪滅ぼしにと思って引き受けてみた。人選の苦労なと多少は減るだろうし。
    せっかく特殊学級の保護者が読むんだからと、障害のある子なのに全くいじめを受けることもなく過ごせたことを強調した。時節柄、来賓のあいだでは小学校の先生達の株が上がったんじゃないかと思う。
    実際、この6年間、学校でのいじめを問題にすることは全くなかった。長女に言わせれば、妹としては「見てるこっちがむかつく」ことが無いわけでもなかったらしいのだが、言葉の当てこすりは当人まったく理解できないんで、いじめとしてカウントするほどでもなかろうと思った。
    自分の息子が平穏に過ごせたから良かったというばかりではなく、障害をもった友人をいじめない6年間の生活というのは、他のこどもたちにとっても、またとなく貴重な経験であったと思う。弱みをもった人間はいじめられるしかないんだという認識を人生の初期に刷り込まれると、後々の生き方がかなり貧困でナイーブなものに限局されてしまいそうな気がする。親しくしていただいて、級友達には感謝至極なのだが、そう言う意味ではうちの息子もけっして一方的に恩を受けてばかりというわけではなかったと思う。

  • 知らないうちに静脈留置針の銘柄が変わっていた

    私のあずかり知らぬところで、勤め先が採用する静脈留置針の銘柄が、テルモの「サーフローフラッシュ」からBDの「インサイト」へと変更されていた。ある日突然、それまでの銘柄のストックが底をついて、見たことのない銘柄が出てきた。いまさら駆け出し研修医でもあるまいし、針が違うから点滴がうまく行かないなんて口に出すのも沽券に関わる。平然と新しい針を使ってはいるが、さすがに、手と目を慣らすのに、少々時間がかかった。
    「俺はそんなこと聞いてなかった」といういちゃもんは大嫌いで、そんなことをいう奴が居るから無用の会議がぞろぞろ増えて迷惑なんだと常々思ってるんだけれども、今回ばかりは私もそれを言いたくなった。小児科医それも新生児科の私としては、点滴がうまく行くかどうかは死活問題なんですけどね。いや私以上に、未熟児達にとって、文字通りの死活問題なんですがね。
    うちは民間病院だし点滴はもっぱら看護師さんの仕事だからと、看護部で変更が決定されたんだそうだ。そのわりには、使いやすい針になったという喜びの声を看護師さんから聞くことがないんだが。たぶん、点滴などという些事から解放される程度に出世なさった偉い人が決めたことなんだろうな。看護部以外にも、サーフローフラッシュよりもインサイトのほうが納入価が安いとかいうような浅知恵の働く背広な人も絡んでるんだろうな。昨今のご時世では白衣よりも背広ばかりが強くなるのはやむを得ないが、しかし静脈留置針の変更を、背広が事務仕事に使うボールペンを変更するのと一緒にして欲しくはないんだけどな。
    慣れてしまうとインサイトの材質もけっこう私好みだったりして、それはそれですこし悔しい。けっしてBD社の製品に不足がある訳じゃない。インサイトからサーフローに変更になったとしても、たぶん私はぶうぶう言うんだろう。

  • 小児科にとっての2007年問題とは

    団塊の世代の方々がお孫さんをつれて小児科に来られることが増えるのだろうなと、ふと思った。