• 選択肢

     昨日は近畿新生児研究会という催しがあって、大阪まで出た。

     往路の地下鉄の中吊り広告で、DoCoMo対応のスマホの広告があった。1メーカーから3機種あるらしい。濡れても大丈夫なもの、2画面あるもの、CPUがクアッドコアのもの。

    古代中国の百科事典によると、動物は次のように分類される。
    ・皇帝に属するもの
    ・香に満ちたもの
    ・飼いならされたもの
    ・乳飲み豚
    ・人魚
    ・お話に出てくるもの
    ・放し飼いの犬
    ・この分類体系自体に含まれているもの
    ・逆上したもの
    ・数え切れないもの
    ・ラクダの毛のように細い筆で描かれたもの
    ・その他
    ・いましがた水差しを壊したもの
    ・遠くから蝿のように見えるもの

     参考 外園康智「古代中国の百科事典にある動物分類」http://www.nri.co.jp/opinion/kinyu_itf/2008/pdf/itf20081208.pdf

     俺が選ぶとしたらどれになるのだろうかと思った。迷うところである。防水で2画面あってCPUがクアッドコアスマホがあればiPhoneから乗り換えたかもしれない。しかしどれか一つって、互いに排他的な選択肢なのかこれは。

     この広告は俺にどれを推奨しようとしているのかという肝心のメッセージが伝わってこない。君たちは何が売りたいのか。これが私たちの考えるスマホだという主張はないのか。結局俺は迷うだろう。別にiPhoneでとくに困ってるわけでなし、他にもいろいろ迷うネタに不自由しているわけでなし、迷うことの心理的な負荷が高い割に、迷うこと自体にワクワクするお買い物の喜びは当面この方面にはない。ということで、迷うことのストレスを遮断するべく、その広告を視界から外すこととした。

     研究会自体は実り多いものであった。勉強になった。素直に誉めれば良いことにはあまり言及する熱意が湧かないのが不徳のいたすところではある。

     帰りがけ、iPhone用のイヤホンが欲しいと思って天満橋エディオンに寄った。今はBOSEのIE2を使っているが、密閉型のも一つ欲しいと思う(周囲の雑音をいっさい遮断したいと思うこともあるのです)。試聴コーナーで、ソニーのXBA-20を試聴して驚愕した。素晴らしい音だった。どう素晴らしかったか具体的に述べよなんて難しい課題は振らないで欲しい。とにかく良い音だった。この小さなイヤホンの中にこびとさんのバンドが入ってて生演奏してるんですと言われても信じるレベル*1BOSEのIE2を買ったときには、小生意気にこの小ささでBOSEサウンドではないかと笑うゆとりもあったものだが、今回はもう降参するしかなかった。いやこれがソニーだよと。さいきん落ち目だと評判だけどこういうものを作るんだよあの会社はと。

     でも高い。売値で一万四千円とちょっと。買えない値段ではない。この音ならこの値段に値する。というより音を聞いたらこの値段では安い。技術者は泣いてるんじゃないかとも思う。でもまあ、正直、そのとき財布の中にその現金はなかった。

     というので、隣の売値6千円程度だったかのXBA-10を、未練がましく試聴してみる。こちらも確かに良い音である。良い音なんだけれども、隣のXBA-20を私はうっかり先に聞いてしまっている。先に聞いてしまった耳には、「まあ、良い音なんだけどね」という音に聞こえてしまう。これを買うのは妥協だと思う。安物買いだと思う。やっぱりXBA-20を買いたいと思う。買いたいけれど今は金がない。それで何も買わずに帰る。

     帰ったあとも未練がましく、ソニーのウェブサイトを見たりする。XBA-20の上にはXBA-30があり、その上さらにXBA-40があるらしい。その上にはたぶん大豪院邪鬼との対戦が待ってるんだろう。20であれだと30、40はどうなるんだよと思う。中に収まっている重要な部品の数が次第に増えるらしくて、ナンバリングが上がるほどに成りが大きく太くなっていくんで、やっぱり20くらいが見た目にはいいなとも思う。思うけど40とか試聴したら考えが変わるかもしれんと思う。でも40の値段ならさらに思い切ればゼンハイザーのHD700とか手が届くんじゃないかとも思う。やっぱり迷う。迷うので先送りする。

     たとえばXBA-20しか選択肢が提示されなかったら、私は購入に踏み切っていたかもしれない。いやクレジットカードくらいは持ってるんでね。これがソニー好みですと、一点突破を試みられたら、買ってたんじゃないかと思う。IE2しか売らないBOSEとか、iPhoneしか売らないアップルとかのように。4点から選べる幸せにはもう皆さん疲れてるんじゃないか。とくに一見さん相手には、これが当店当社の商品ですと、一点推しで出したほうが売れるんじゃないか。XBA-40とかHD800とかいった代物は、客の気質や背景を熟知した亭主が、お客様には特別なものがございますと、こっそり裏手から取り出してくる一品ものという位置づけでいいんじゃないか。

     

     

    *1:ATOKはこびとって入力して小人と変換しないぞ。かたくなに。なんて政治的に正しいかな漢字変換だ。

  • パナレーサー リブモ 試乗

    昨日交換したタイヤの乗り心地を確かめるべく、今日は試乗してみた。

    MAXXISのDetonator foldableからの換装だが、detonatorの「コーッ」とかすかな音をたてて軽やかに走る感じではなく、ちょっともっさりした感じがした。路面をしっかりグリップしている感じは強かったが、detonatorの新品はどうだったか記憶が薄れている。換装直前のdetonatorと較べたらたしかにグリップはしっかりしているが、それはもう3年たった古タイヤと較べたら当然だろうとも思う。

    なんだか採用を変更したことを後悔しているような書きようになったが、今後空気圧を変えてみたらなにかまた違った感想を持つかもしれない。タイヤの剛性が高いので多少低めの空気圧でクッションを効かせるとよろしいみたいなレビューも見たし。

  • クロスバイクのタイヤ交換

     もう3年ほど使ったことになるのか、街乗りに使っているクロスバイクのタイヤがそうとうひび割れてきたので交換。頑丈でパンクしにくいとの評のあるものにしてみた。これまでは軽さ重視でマキシスのデトネイターフォルダブルを使っていたが、この自転車を使って往診に出るようになって、道中でのパンクを忌避しなければならない度合いが高くなった。
     
     古いタイヤとチューブを外したら、ゴムの材質が変化したのか、タイヤ内面とチューブ外面が互いにべったりくっついていた。何にしてもそろそろ替え時だったなとは思った。

     ビードが固くてなかなかリムに入らんというレビューを多く目にしたが、そうでもないやなと私は思った。こんなもんじゃないかな。手のひら側にゴムの滑り止めがついた軍手をして作業するので、握る力が効率よく伝わるのかもしれないが。

     慣れない作業で時間も取られたし、今日は行くところもないしで、試し乗りは明日以降。

    Panaracer(パナレーサー) リブモPT [W/O 700x28] RiBMo Protex F728PS-RB-B

    Panaracer(パナレーサー) リブモPT [W/O 700×28] RiBMo Protex F728PS-RB-B

     

  • 普通の人々

    普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊

    普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊

    • 作者: クリストファー・R.ブラウニング,Christopher R. Browning,谷喬夫
    • 出版社/メーカー: 筑摩書房
    • 発売日: 1997/12
    • メディア: 単行本
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     ナチが政権を取る前の時代を知っている、ということはナチのもの以外の価値観を知っている面々が、ポーランドの占領地でのユダヤ人虐殺を命じられる。最初こそ心理的におおきな抵抗を感じるが、そのうち積極的に作戦に参加するようになる。ユダヤ人が住む街や村へとつぜん押しかけ、非常線を引き、ユダヤ人を市場などにかり集め、近くの森などへ連行し、射殺する。歩けない者はその場で射殺する。ユダヤ人の隠れ家を掃討し、発見次第射殺する。諸々。

     当初は指揮官自らが動揺を隠せず、部下にも、耐えられない者は申し出れば参加しなくて良いと告げたりする。じっさい、虐殺の命令を拒否したからといって厳罰にってことはなかったらしい。単に他の仕事を割り当てられただけだったんだと。あるいいはできませんと申し出るほどの思い切りがなくても、なんか適当にごまかしたり、もうダメだと離脱したりする者もあったけど黙認されてたとのこと。でもそういう忌避を貫くのはしだいに少数派になっていく。

     虐殺は親衛隊だけの仕事だろうと漠然と思っていたのだが、抹殺するべき人数が多すぎて、親衛隊だけでは手が足りなかったとのこと。もう若くなくて最前線に送るには老兵に過ぎる世代を徴収して、占領地でのユダヤ人虐殺に充ててるんだけど、その世代はナチ以前のドイツも知ってる世代である。ナチ以前の世間知もあって、招集以前には職業にも就いてて、その職業もべつにナチの支持層でもなくて、そんな中年世代。

     なんだかなあ。ちょうど俺世代じゃないかと思う。俺は拒否できるかな。招集されて行った先で、実はずいぶん辛い仕事でこれから民間人を女子供含めて皆殺しにするんだが、それがどうにも嫌でダメだという人は申し出れば良いよと指揮官に言われる。指揮官自身もずいぶん辛そうにしている。そこで一歩踏み出して、俺抜けますと言えるかどうか。

     

  • 1日休めば2日目が欲しくなる

    月に1日でいいから休みたいとか思ってて、その休みが過ぎてサザエさん時間帯になると、ああ週休2日って憧れるよなあとか、思ってしまう。でもたぶん土日と休みがとれたら(ってのはうちの病院に勤めてる限りは土曜半ドンなんで無理なんだが)、こんどは毎週末に休みが欲しいなあとか思うんだろう。世間には働く日数が1日減ったら収入が1日分減って困るような立場の人もあるというのに。

    でもまあ派遣の人に申し訳ないから土日も返上して働けってのは違うとも思う。

  • そこに僕らは居合わせた

    そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

    そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

      迫害というのは、やりたくない行為を嫌々やらされるうちにだんだん抵抗がなくなるものだと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。普段は良識に阻まれて実行しようとしないこと、実行を考えることさえ下劣な行為とはばかられるようなことが、欲望のままにできるようになることらしい。ユダヤ人の経営する商店で無理矢理につけで買って踏み倒すとか、連行されたユダヤ人一家の住居に上がり込んで略奪したりとか、連行される直前に一家が摂ろうとしていた昼食を子どもたちと揃って食べたりとか。気高さがみじんも感じられない。

     本書を読んで、ユダヤ人を迫害した記憶が語られないのは、民族差別に荷担したことを恥じる等といった形而上的な理由ばかりではなく、こういう、行為自体の具体的な下劣さ自体が、あまりに語るに落ちるからではないかとも思った。迫害とか差別とかを実行するってのは、自分の本性からかけ離れた行為を強制されることではないんだ。心の底ではやりたいと思ってることに対する歯止めが外されて、自分の本性をむき出しにされるってことなんだ。制約を外されていそいそと欲望に従う、そこで露わになる姿こそが本性なんだ。

     お前たちはユダヤ人が逮捕され連行されるのを黙ってみていただろうと糾弾されても、仕方がないじゃないか俺たちだって弱い一般市民だったし何ができたって言うんだと、反論もできよう。その反論には一定の説得力があると私は思う。でもそれなら、俺たちには見ているしかなかったという悔恨の念をもって、記憶を語ることもできるんだろう。しかし、お前達は逮捕されたユダヤ人の家に上がり込んで、食卓のまだ熱いシチューを自分の子供たちに喰わせて機嫌良くなるような奴らだと言われたら、言われた方は恥じ入るしかないし、そういうことをしたという記憶はとうてい語り得ないだろうと思う。救いようがないと私も思う。悪人正機といって法然親鸞が念仏を広めたのはこういう種類の悪を念頭に置いてのことかもしれんとも思う。

     著者の意図するところを汲んだ感想ではないだろうが。

     

  • あと3日で2月は終わる

     あと3日で2月は終わるので、今日は午前中の外来を済ませて午後は延々と来月のシフト組み。組んでも組んでも次の月が来て、次のシフト組みになる。砂上の楼閣。シーシュポスの神話。

  • 息子の舞台はこれが最後らしくて

     特別支援学校の課外活動でやってる和太鼓の舞台が、卒業前なんで今日が最終らしい。山科まで舞台をのぞきに行ってみたら、ソロなんかとってて以外にやるなと思った。そういえば俺も高校の吹奏楽部では課題曲に2小節だけソロがあったな。親子で似たようなことをやってるんだなと思った。

     舞台は障碍児教育の流れじゃなくて、地域のいろんな演芸活動の合同発表会の一演目みたいな様子だった。落語で長屋の面々が長唄やったりする伝統の延長なんだろうかと思った。さすが都はいろいろと文化活動も盛んなんだな。

  • 学校へ行く意味・休む意味

     不登校をめぐって、教育制度の変革や就学進学の率の変化など歴史的経過を主に論じている。いろんな歴史を知らないまっさらな頭の子供が不登校について考えるにはよい本だろうと思う。「なんだってこんなことになってしまったのか」系の本。「それでけっきょくどうなってるのか」の話はあまり書いてない。まあ、それはまだ本当のところ分からないんだからしかたない。

  • The Silver Sword

    Oxford Bookworms Library 4 Silver Sword 3rd

    Oxford Bookworms Library 4 Silver Sword 3rd

     じっくりYL3台でとどめて英語多読を重ねてそろそろ90万語ほどになる。だいぶ英語と意識せず文意が頭に流れ込んでくるようになった。

     本書は割と重い内容だった。第二次世界大戦中のワルシャワに住んでいた姉弟3人が、ドイツ軍に連行され生き別れになった両親と再会するべくスイスへ旅するというもの。彼らの両親がスイスで待っているかもしれないという情報をもたらした孤児とともに、4人で旅の苦労を重ねる。日々の食料の苦労はもちろん、姉弟の男の子は呼吸器疾患(たぶん結核)持ってて最後にはほとんど歩けなくなってるし。ポーランド難民は本国へ送還するのが連合軍の方針らしく、捕まらないようにしなければならないし。パスポートも査証もない子供たちがスイスに入国できるのかどうかもわからんし。

     もともと児童書なんだろうと思う。困難な状況なんだけど基本的にハッピーエンド。だけれども、旅程で農作業を手伝ってしばらく食わしてもらったドイツ人農家の老夫婦の、二人の息子が二人ともドイツ軍の兵士として戦死してたりする。双方の重い事情と和解。それでも老夫婦は子供たちの行程を手助けするし、役人も彼らがポーランド難民だと知ってるんだけど「いいか、ポーランド難民は本国に送還しなければならん。ついては明日の昼ごろ連行に来る。明日来るからな。明日だからな。逃げるんじゃないぞ。ぜったい逃げんじゃねえぞ」みたいに、要するに今夜のうちに逃げろと言外に言い置いて去ったりする。

     こういう、状況は苦境だけど基本的に世間は善意で動くから諦めるなという物語をたくさん聞かされて育った子供はタフに育つだろうなと思う。魔法で救われたり秘められた希少な才能が突然開花したりするような物語よりは、よほど。