20代の真面目な人ほど損をしている!『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い
仕事ができるかどうかってのは、端的に、その仕事ができるかどうか以外のなにものでもないんじゃないかと、私は思うのだが。各々の仕事に関する具体的な事情を捨て置いて、こういう「態度」論に還元してしまうのは、まあ参考にはなるにしても、本質は突かない。それは日本の企業が終身雇用の正社員で構成されて、なんの業界であれ詰まるところは「サラリーマン」であった、フジ三太郎が何の仕事をしているのかさっぱり分からないけれどそれでもフジ三太郎の姿に大多数の成人男子が自分を重ねて見ることのできた(あるいは、重ねて見ているものだというのが社会的に共有された認識であった)時代の論考のしかたじゃないだろうか。
若い医者に限らず、必死に仕事を覚えようとしている人が、この「仕事ができる人」の態度をとったら、若いくせに何を勘違いして余力を残して仕事に当たってるんだと頭の一つもこづきたくなるだろうと、私は思うが。この「仕事ができる人」は、自分の仕事の上限を見切っていることが前提だから。ここが合格点、合格点のこれくらい上を飛行すれば地上のでこぼこに当たらず高空飛行可能、と、分かってないとこの態度は取れないはず。
医者ってそれが分かるのか?これからの時代には医者に限らず、どの分野でも、これくらいやっとけばいいやってのが分かるものなのか? iPhone4Sはすごい機械だと思うし、満足しておおいに遊ばせて貰っているが、たぶん2年して6くらいが出たら陳腐化して見えるだろう。アップルの仕事にしてそれなのに、いったいNICU仕事においても「これくらい」が果たして分かるものなのか。私には分からない。現在のStates of artがこれくらいと思っても、たぶん1年2年で陳腐化するし。まして仕事の仕方も覚えなければならない程度の若い医者が、医者仕事の「これくらい」が分かるものなのか。分かるような奴は生意気で嫌だな。それにたぶん、いまの時点で分かったような気になってたら、ふと気がつくと同期からはるかに取り残されてるってことになるよ。