投稿者: yamakaw

  • 新生児搬送中の事故は労災じゃないのか

    新生児科医のメーリングリストでは先般の事故の話題で盛り上がっているが、どうやら新生児搬送中の事故が労災扱いになるかどうか微妙な病院というのもあるらしい。
    恐れ入ったものである。そういう病院の管理者は、新生児搬送は新生児科医が職務を放棄して遊びに行っているものと考えているらしい。
    労災の適用がされないような用件で勤務時間内なり当直帯なりの拘束時間に医師が病院を離れているのなら、管理者としては黙認せず処罰するべきなのじゃないだろうか。労災ってそういうもんじゃないんですか?私が世間知らずなだけか?仕事してて健康を害したら須く労災なのだと思っていたのだが。甘いんですか?
    小児救急外来で徹夜しての過労死も、職務上の過労とは認められなかった過去がある。最近は見直されているといわれるが。つまり、当直ならほんの軽作業しかしていないはずだ(だって労働基準法にはしっかりそう書いてあるから):それなら当直で過労にはならないはずだ、との論理で。世間にはいろいろと小児科医の理解を超えた事があると見える。

  • そういうものか

    妻が「これどうするの?捨てるの?」と出してきてくれた「週刊医学界新聞」を、気まぐれに開封してみたら、春日武彦先生がこういう事をお書きであった。
    カスガ先生の答えのない悩み相談室
    そういうものかもしれないな、と思う。世間の通念への、かなり強烈なアンチテーゼ。

  • 責任 レヴィナス的な

    S.Y.’s Blogを拝読して、内田先生のエントリーを思い出した。「内田樹の研究室」の最近のエントリー「忙しい週末」で、内田先生は最近の40代を評して、

    彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。
    そのような与件そのものを維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。
    だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることをつねとされていて、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないということである。

    このように書いておられる。まだ30代の私自身にも耳に痛いご指摘ではある。
    shy1221さんの記事を拝読して、産科医師の不足という事態に対して妊婦さんやその夫君に「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」と自省されることがどれほどあるのだろうかと考えた。例えばshy1221さんがご引用になった報道記事内で怒っておられる妊婦さんには、そのような発想があったのだろうか。この報道記事で見る限りには、ご自身を無垢無責任の立場に置いておられるようだが、産科にせよ小児科にせよ患者さんがご発言なさる際にご自身をそのような立場に擬することが多ければ多いほどに、診療が世知辛くなり「やってられねーよ畜生」という呟きが多くなるようにも思う。
    実際、産科の仕事は大変だと思う。新生児科医なんてお産トラブルのレスキューで喰ってるようなヤクザな仕事をしていると、お産なんて恐いことをよくもまあ平然と世の人々は行っておられるものだと思うことがある。恐い面ばかり沢山見てますからね。こんな恐いことを一件一件のりきっていく仕事を、上手くいって当たり前の仕事だと単純に思いこまれるのはかなりしんどいと思う。
    この報道記事での産科の先生方が実際に「やってられねーよ」でお辞めになったのか、それとも他の事情があるのかは、知りようもないのだけれども。

  • 新生児搬送中の救急車が事故にあった

    愛知県で、新生児を搬送中の救急車に側面から他の車が衝突したとのこと。緊急の搬送で赤信号の交差点に進入した救急車に、青信号側の車が突っ込んでいったという。新生児医療のメーリングリストに情報が流れた。赤ちゃんは無事だったとのことだが、新生児科医が重傷を負って入院中であるとの由。明日は我が身だ。
    新生児搬送中は保育器に向かい合って、進行方向とは横向きに座っている。搬送元から出発前に、搬送中にあれこれ処置しなくて済むように最大限の始末をすませておくのだが、それでもシートベルトをしっかり締めて座っていられるほどのゆとりはない。何もしなくて済むのならもともと同乗してる意味が無いじゃないか。
    緊急搬送中は赤信号でも車を止めることはない。いちおう徐行はするし交差点への進入など要所要所でモーターサイレンをひときわ大きく鳴らすが(「ピーポーピーポー」の最中に「ウー」とか挟むやつ)、基本的に停車はしない。いやもう停車するほどのゆとりがあるなら緊急の走行ではなくて鈍行で行くこともありますよ。信号もきっちり守って。ゆとりがないから世間様にご迷惑と知りつつも緊急走行してるんで。はい。
    車を運転する皆様には、青信号の交差点でも耳を澄ませてほしい。重さ1トン以上の鉄のかたまりを時速数十キロメートルで走らせているのだということの意味をかみしめて運転してほしい。基本的に、お気楽な作業ではないはずなのだ。感覚を研ぎ澄ませてほしい。そんな無茶な要求だろうか、90デシベルからの音量のある救急車のサイレンを聞き逃すなというのは。
    ちなみに救急車に乗っていると、素人の運転する軽自動車のほうが、プロの運転する4トンのトラックよりも、よほど鈍重で、回避に手間を食わされる。

  • 経腸栄養剤の固形化

    PEGで胃瘻を作った子に、経腸栄養剤の固形化を試みている。
    開始後ほどなく嘔吐が減り、胃瘻周囲からの漏出も減り、それまで泥状便で便秘がちだったのが有形便を自力排便できるようになった。投与の手間も、液状のラコールだと2時間かけて滴下していたものが、30分ほどで終了するようになった。1日3回ないし4回の経腸栄養を行うのでこの時間差は大きい。もうイルリガートルには戻れませんね。
    短所としては投与にある程度の握力が必要と言うことで、私や付き添いのお母さんには少々辛い。担当看護師はもともとテニスガールだったらしく平然と投与できているらしいが。容器の問題である。大口径のカテーテルチップのシリンジを用いれば力は少なくて済むが経費が馬鹿にならない(ゆくゆくは在宅に持ち込まねばならないし)。今はドレッシングボトルを用いている。なにかケーキの調理などでどろどろした材料を押し出すような道具があればよいのだが。今後の検討課題。
    調理は栄養科に頼んだら管理栄養士さんが直々に調理してくれて、1日分の固形化栄養剤をまとめて病棟に上げてくれる。冷蔵しておき、投与時に常温に戻して注入する。最初は、私が持ち込んだ資料だけではどうしても固まりませんがと仰って困惑気味だったが、リンク先の蟹江先生の資料通りにまず私が自宅の台所で作ってみて、こんな風にと固まったのを栄養科にレシピとともに持ち込んだところ、さすがはプロで、朝から持ち込んで昼には安定供給が開始された。
    大病院だとこういう作業を栄養科が気安く引き受けてくれることはないのだろうなと思う。ああだこうだと理由を付けて断られることになるのだろう。恐らくは当院の規模が、職員全体の顔が見える程度に程良く小さいというのが幸いだったのだろうと思う。もとより小児科の私の顔をホスピスの面々すら知っている位だし(ついでに私が如何に偏屈であるかと言うことも知れ渡っているかも知れないが)。

  • ライターかマッチか持ってませんか

    夜間に手ずからグラム染色をする必要に迫られた。火炎固定をしようにも検査室に火の元がない。細菌検査を外注したときにガスバーナーも始末したらしい。深夜の病院で火を探して歩くはめになった。当直の事務員さんも、夜間救急の順番待ちの患者さんもお持ちでなかった。当直の放射線技師はたまたま非喫煙者だった。看護師にはけっこう喫煙者が多いのだが、深夜勤務の病棟に持ち込んできている強者はなかった。結局はホスピスに入院中の患者さんからライターを拝借した。詰め所にたばことセットで預かってあったもの。
    ちなみにグラム染色というのは細菌検査の基本。

  • 物語という方法

    幻 想 の 断 片のMari先生の推薦で「小児救急 「悲しみの家族たち」の物語」を読んでいる。
    良書である。Mari先生御言及の如く、読者諸賢には本書をお読み頂くことを切に希う。本書が世に問われてしまった以上、今後は、本書を読まないで小児救急を語っても単なる思いつきに過ぎず、説得力を持ち得ないのではないかと思う。
    本書があくまで「物語」であることが、本書が良書である所以である。過労の末に自死した小児科医の遺族病院をたらい回しになって亡くなった子のご両親、誤診や手違いが重なって亡くなった子のお母さん、小児救急の体制改善に取り組む小児科学会理事の中澤誠先生と、4組の人々の物語が語られる。中澤先生に関連して、日本小児科学会の構想や、先進的な態勢で小児救急に取り組んでいる藤沢市民病院や徳島赤十字病院の事も語られるのだが、いずれにせよ筆者は物語るのみである。正当化も断罪もしない。彼の描写する家族の姿は清く正しく美しいものではなく、父や子の死に苦しみ葛藤する人々のそれである。例えば自死した父をひとたびは恨んだ娘を筆者は蔑まないが、しかしその恨む気持ちを物語から省くこともない。病院をたらい回しにあった子にしても、ご両親の段取りの仕方は決して満点をつけられるものではないのだが(この子に関して「たらい回し」という語を使うのは病院に対して酷なのではないかという気さえしないではないのだが)、その受診の経過を経過のとおりに記述してある。理想的な段取りで受診した親子とたらい回しにあった親子をキメラにして「悲劇の主人公:Aさん(仮名・32歳)」を捏造するようなマネはしない。
    総説や論文では語り得ないことを、物語は語り得る。ただ論文なら要約を読めば把握できるが、物語を要約すると物語の本質は抜け落ちてしまう。敢えてその形式を選んだために、本書に安易な結論は出ない。複雑な問題はその全体像を複雑なありようのままに記載され、結論のないままに提示される。あとは読者の側に「つまるところ何が言いたいんだ」という底の浅い質問を自制できる程度の知性があれば、この方法は小児救急の現状を語るのに極めて有効な方法である。
    著者の鈴木敦秋という方の名前は知らなかったが、読売新聞社ウエブサイトの「医療」で彼の名前を検索してみると署名記事に多数ヒットした。中には以前に唸らされた記事も多かった。
    些末なことを2点。3色ボールペンで読むときは緑で傍線を引く項目ですが。
    「小児救急のありがたさって、子育ての時期が終わると忘れてしまうんです」という言葉に胸を突かれた。そういう視点は持ったことがなかった。指摘されてみれば当たり前の事ではあるが、しかし、世の親御さんには、我が子の成人式に際して「この子が赤ん坊のとき真夜中の病院に走ったなあ」と感慨にふけることがあったら、その病院で我が子を診察したその小児科医が今日その日もまだ救急当直をやっているかもしれないってことに思いを致して欲しいものだと思った。そもそも成人式ってだいたい休日だし。
    中澤先生は京都にお生まれになって諫早で育った由。私とはちょうど逆。まあ、どうでもいいけど。

  • 嬉しさが滲み出ておられますね

    JR福知山線の脱線事故は、当日の午後に医局のうわさ話で知った。割と近くで大きな事故ですねと語る奴らの顔が興奮に輝いていた。実に嬉しそうだった。こいつらが現場に居合わせたところで、とっさにやることは救助活動よりもまず記念写真撮影なんだろうな。
    帰ってから見たテレビでは、JR西日本の社長が、犠牲者の遺体を安置してある体育館を訪れていた。入り口で多くの取材記者に取り囲まれて前進できなくなっていた。取材陣から怒号が飛んでいた。社長が遺族に会うことをすら妨害してでも社長を罵倒することが彼らの正義であるかに見えた。取材対象とコミュニケーションを成立させて有益な情報を得ようとする意思はかなり薄そうだった。それでも、随分と楽しそうだった。
    我知らず溢れる喜びの表情に、この面々の品性の程度が垣間見えた。
    妻は息子に事故報道を見せないようにしていた。事故現場など破壊系の映像は頭から離れなくなるらしく、見せると当面は壊れちゃった壊れちゃったと繰り返しつぶやき続ける。「壊れちゃったね」と確認を求められるのも頻回に及ぶと周囲もうんざりしてくるのだが、本人も、反芻して楽しんでいるのではなく、映像に取り憑かれて苦痛を感じているらしい。面倒くさい性分ではある。しかし、卑しくはない。

  • 当直は暇だった

    天気予報によれば昨日来西日本には大雨に注意が必要だったらしい。京都ではそれほどの雨ではなかったような気がするが。しかし夜間当直の時間帯は救急の来院がとても少なかった。お出でになる子も、こりゃあ待てんわと納得させられる子ばかりだった。待てそうな病状の子なら夜間に雨中をつれ回さないという常識が現代日本の平均値以上に機能しているのだろうと思う。非常勤で応援にきてくれるかつての級友が口をそろえて「君のところは客層が良いよ」と褒めてくれ、呼べば嫌がらずやってきてくれると言うのも、我々の人徳ではなく、当院の患者さんたちの人徳の成果なのだろうと思う。
    無論、待てない病状と言うものもある。雨天がきっかけで発作を起こす喘息の子もある。喘鳴で眠れぬまま朝を迎えるよりは一歩救急へ足を運んでいただいて発作を納めてから親子共々寝るという、そういう救急の利用は「あり」だと思う。
    NICUのハミングIIが動かしてみると駆動音に異常な音調が混じるようになった。危なくて赤ちゃんの人工呼吸器としてはとても使用できず、廃棄稟議書を書かねばならんなと思っている。最近はVばかり使ってIIはお蔵入りしていたのだが、Vはまったくトラブルなしに稼働しているのにIIのほうがつぶれたと言うことは、機械は使わないのが一番痛むということなのだろう。IIはもうメーカーでもメンテナンスサービスを停止しているから再生の道はない。振り返って、あんまり使いこなせてなかったなと思う。もともとHFOって苦手なんだ。今一つ赤ちゃんの呼吸状態が直感的に把握できないんだよね。加えてIIは機械として未完成な部分があって、気道内圧も設定値と実測値が微妙に違ったりして調整操作も繁雑だった。

  • 怒りの吐き散らし

    システムの問題とかさあ、社会の現状に言及してないとかさあ、ホントに問題の中隔になってる困った人たちはこんなブログ読んでないだろうとかさあ、盛り上がったけど。
    彼女はね、「疲れた」と仰ってるの。分かんない?
    徹夜明けにはね、小児救急の現状分析と広報を系統立って論じましょうなんて悲壮な使命感に溢れた気持ちにはなれないの。分かんない?
    一言、ね、「ありがとうございます、先生もお疲れ様です」って言えないかな。
    まずはそこからだと思うんだけど。