カテゴリー: 新生児医療

  • 病児保育 夜間保育

    毎年この時期は看護師の年度末の退職者で気が重い。人生足別離サヨナラダケガ人生ダとうそぶいてみても空しいばかりで。

     喫緊の課題は夜間保育と病児保育だろう。寿退職はめでたいんじゃなくて、結婚したら働き続けられないという職場の欠陥の現れだ。結婚しても子どもができても働き続けられる環境を整えないと次の段階へは進めない。今は子どもを育てつつタフにNICU仕事をしてみせる先輩の姿がなくて、後続が続かない。

     それにしても病児保育は入れ食い確実な沃野だろうのに、供給がほとんど無いのはどういうわけだろう。現状の勉強からしないといけないな。
     

     

  • やればできるじゃないかということ

    最近あんまりブログを書いていないんだけれども、なんで動機が薄れたのかと考えてみた。卑近なことを言えばiPhoneフェイスブックで遊ぶのに忙しいからなのだろうけれど、自分の言うことが職場で通るようになってブログで鬱憤を晴らす必要性が薄れたってこともある。

    なにさま、今は思うことがどんどん実現している感じがする。病棟で重度心身障害児の呼吸管理もできるよう態勢を整えよと院長から命じられたり、外来に臨床心理士を雇用できたり、NICUではグラフィックモニタ付きの人工呼吸器がデフォルトになったり。追い風。追い風のスピードに負けずに走るのが精一杯って感じ。

    以前は何をしても向かい風だった。というか、空気のなかにいる感じがしなかった。粘性抵抗の強い液体のなかにどっぷり漬けられて、どちらに動こうにも動けない感じ。終日、「なぜそれができないか」の言い訳を作るのが仕事だった感じ。

    でも部長の肩書きを得て、まあ部下のいない「担当部長」でも部長名義でいちおうの稟議は書けるしってんで、あれこれ動いてみたら、できないはずだった臨床心理士の招聘もできたし、買えないはずだった高嶺の花の人工呼吸器が意外に簡単に手に入ったし。じゃあ今までできない言い訳をしていたのは何だったんだよと思う。手を抜いていただけかよ結局のところ、といういらだちや申し訳なさも当然あるが、それ以前に、言い訳に使った手間暇や心理的負担の方が、実現に使ったコストよりもよっぽど大きかったじゃねえかという、憤慨というか。ひどく人生を無駄にした感があるというか。

    そしてその言い訳は自分に対しても言い訳として効いていたんだなと思う。できないことと諦めたことにして、勉強を怠っていた。人工呼吸器ひとつにしても、買ってしばらくは性能を生かしきれていなかった。グラフィックモニタ付きの人工呼吸器が欲しくてたまらないんだったら、手には入ったら即刻使えるくらいにグラフィックの読み方を勉強しておくべきじゃなかったかという反省がある。

  • それはもう因果としか申し上げようがございません

     新生児蘇生法のインストラクター資格を持っている人のうち、実際に講習会を開いた人は2割程度とか。講習会の需要がないわけじゃなくて、受講希望者が私のお粗末な講習会にも関西はおろか中部北陸からもおいでになる。

     それじゃいかんだろうと学会も問題視してて、インストラクター養成の講習会をさらに増やし、内容も濃くして自信をつけさせて、開催へのハードルを下げようとしている。学会の皆様の労を多とするところである。

     ただまあ、それで画期的に状況が改善するかどうか。

     ようするに、蘇生法インストラクター資格も、個人の資格のひとつとして取った人が大半だろうし。小児科専門医とか、新生児専門医とか、医学博士とか、そのほかもろもろの資格一般の一つとして。個人の属性として。あるいは、施設の属性として。専門医が一人くらいは出てないと研修施設として認めませんよ、みたいなことを学会からほのめかされると弱小施設は辛いんだ。

     専門医の資格をとらせる。国内国外に留学させ研鑽させる。個々のNICUの人的リソースを充実させる。そういう活動はたしかにしっかり行われるべきものなんだけれども、だったら、資格の一つとして蘇生法インストラクターも持っておこうという風潮はその延長だってことも覚悟して見据えておくべきなんじゃないかと。

     まあ、講習会の開催率の低さってのは、いまの学会のありかたの因果応報ってやつじゃないかと。

     

  • iPadは買ってくれなかった

     周産期医療の質向上に関わる多施設共同研究に参加しているのだが、参加施設への研究費の配分としてまとまった金額を頂いた。現金ではない。金額を指定されて、この金額で欲しいものを申請せよということだった。ただし消耗品に限るとのこと。文房具とか事務用品とか、書籍とか。申請したものを研究本部が買って、こちらへ送ってくれるのだそうだ。

     なんだかなあと思った。これって世間様に胸張って申し上げられるお金ですかとちょっと聞いてみたかった。おそらく年度末の予算消化だろうとは想像がついた。街角のあちこちでアスファルトを掘ったり埋めたりしているのと同類の支出。新生児搬送でその舗装の継ぎ目に赤ちゃんをがたがた揺らされながら救急車を走らせているのだが、その予算消化の片棒担ぎに成り下がったような気がした。要るものは買う、要らないものは買わない、どうしても要るものが買えなければ金を工面する、頂いた金が余れば返す、真っ当なお金の使い方ってのはそういうものだろうと、私は思っていたから、余った金の使い道を探して無理に使い切ろうとするようなこの通知が、なんだか後ろ暗いものに思えた。

     でも聞いてみられたりしたら、聞かれた方はきょとんとするんだろうな。今に始まったことじゃなかろう。単年度予算の研究費を運用しておられる研究者の皆様なら、その何が悪いんだと仰ることだろう。あいにくと不勉強な私はそういうお金に触る機会がこれまでなかった。ぶしつけなのはご寛恕頂きたい。

     通知のメールを読んで、何とはなく嫌な気分がして、INBOXに放置していたんだが、そんなきれい事言って俺たちが使わなかったらどこか別口で消化されるんだろうとも思った。それに俺たちが参加している以外にも世の中には多くの研究があって、たいていは単年度予算で、年度末には文房具を買っているのだろうと思った。俺たちばかりじゃないし、俺たちが止めたって日本国の支出の削減にどれほども寄与しない。こうして堕落するんだなと、ちょっと思った。

     思いつつ、それならiPadなんて買ってみたらどうだろうとも思った。金額は、iPadを4枚買ってお釣りが来るくらいだった。要るものは身銭を切らねばならぬとして、こういうお金は、身銭を切るほどの必然性は無いけどあったら飛躍的にステージが上がるもの、に使うべきなのだろうと思った。予想外の敵を倒してボーナスポイントをたくさん手に入れてダメージ限界突破の武器を買うみたいな。iPadはたぶんNICUに1枚あるだけじゃ機能を十分に発揮できないんだろうが、4枚を連携させたらいろいろ面白いんじゃないかと。まあ具体的な内容は若い者が考えるわな。

     で、申請してみた。iPad4枚。みごとに却下された。コンピューターですからいけませんと。そのメールを見ながら、いやコンピューターって消耗品でしょ?と、文房具でしょ?と、事務用品でしょ?と、ちょっと言い返してみようかとも思ってみた。2年前に買ったiPadに資産価値ってあるの? 医学書並みに腐るの速いでしょうよ。でも、そんなことを言われても向こうの担当者が困るだけなのも推測はつくのでやめた。ちょっと書きかけたメールを削除して、あらためて、文房具らしい品目をいろいろ考えた。

     結局のところは看護師達が熱心に書いている面会ノート用に、超高級の多色サインペン、ファーバーカステルのピットアーティストペンビッグブラシ48色とか、その他諸々の、それこそ身銭を切ってはなかなか買わないものを願い出てみた。折角の面会ノートにかすれたペンを使われても貧乏くさくて赤ちゃんの人生の始まりにけちがつきそうだし。

     科学技術立国なんたら理系離れがどうたらと、我が国の将来を案じる声もあるし、財政規律の立て直しなんて議論も真っ盛りだけど、年度末にあちこちで文房具はいいけどコンピューターは駄目ですなんて話をしているようじゃ、無駄の削減も科学技術の進歩もどっちも半端で共倒れだよなあ。

     

     
     

  • うちの小児科もけっこう良いチームじゃないかと思う

     仕事じまいの日からNICUの入院が立て込み、そこへ恒例の年末年始小児救急の繁忙が重なって、結局年内は休み無く出勤している。

     仕事じまいの日に早産双胎の帝王切開を二つ連続でやると産科から言われたときには頭が真っ白になった。NICUのベテランに、おい予定のに加えてもう一組双胎だって言ってるよと言ったら、全く動じず「分かりました」と承知して、点滴の準備は何、人工呼吸器は何を何台どの設定でと確認のあと、2件の帝王切開立ち会いに参加する看護師までできぱき手配された。まったくうちのNICUは部長の私が小心者で頼りない分を看護師の度胸で補っているのだなあと思った。

     双胎の早産児(極低出生体重児内外)2件の帝王切開、つまり計4人入院のどたばたを、小児科のほぼ全員が居残って加勢してくれた。明けて年末休業期間の救急も、外来担当の一人だけではなく、ボランティア(いや、もちろん時間外手当は出しますよ)で加勢がついて、けっきょく午前中の患者さんの多い時間帯を3診で乗り切っていた。翌日も、今日もまた。

     けっこう良いチームなんだよなと思った。医者も看護師も。

     そしてまた、午前中に患者さんがごった返すと言うことは、どうせ休業中なんだし何時でも良いだろと横着に構えず、きちっと午前中の時間帯においでになっていると言うことなので、この付近の子供たちや親御さんまで含めて、当院小児科はよいチームなのだと思う。

     感謝しつつ、もうすぐ本年の私の仕事が終わる。皆様良いお年を。

  • 君の名は

     新規入院はたいてい生まれた当日なので、赤ちゃんに名前はまずついていない。入院後の急場を乗り越えた頃に、赤ちゃんの名前が決まる。

     よい名前と感心することもあり、残念だと思うこともあり。ときには、この子の将来を制約するのはNICUでの経過じゃなくてこの名前なんじゃないかと思うこともあり。

     名前を考える際に、赤ちゃんを抱いた夫婦の写真入りで「○○で〜す」と書かれた年賀状とかSNSサイトとか、そういう場面ばかり想像してるんじゃないかと思うこともある。この子がこの名前を書いた履歴書を手元に持った担当者との面接にのぞむ入試の場面とか、この名前を書いた名刺を取引先に渡してよろしくお願いしますとお辞儀をしている場面とか、この名前が入った名札をつけて部下を叱っている場面とか、多少は想像してみるべきなんじゃないだろうか。

     名前で人を差別するのは、それは単純に悪いことだろうけれども、それでも名前は当人に関して、「そういう名前をつける親御さん」に育てられた子であるという事実を、端的に語る。それを一顧だにするなと相手に求めるのも無理すじじゃないかと思う。

     とかいうことを以前から考えていたのだが、しばらくそういう赤ちゃんがおられず今なら「うちの子のことか?」云々の余計な紛糾を呼ばずにすみそうなので、世に問う次第である。

     ちなみに妻に言ってみたら、たしかにAKB48でも売れてる子は堅実な名前の子が多いよねと言われた。そうなんですか?

  • 震災復興祈念ポン・デ・ライオン

    f:id:childdoc:20111215125629j:image:w360

     震災復興支援と称して新生児蘇生法講習会を行い、受講料を義援金に拠出している。

     短いコースが3時間、長いコースが5時間の長丁場なので、途中の休憩時間にミスドのドーナツを出している。

     そのポイントがたまったので、引き替えてもらった。震災復興祈念ポン・デ・ライオンである。

     ほどよく甘くて血糖が上がるので、私も受講生も機嫌が良くなるし、気分も一新するし、集中力が上がるし、なにかとありがたい。

  • 京都府だってほんとうはレスパイト入院なんて受け入れて欲しくないのだろう

    在宅で介護にご苦労されている重症のこどもたちを、短期なりともレスパイト入院していただこうとしているわけだが、その一環として病状を「診療情報提供書」に書けと言われた。ふだん自分が診ている子の場合だと、自分で自分宛に紹介状を書くことになる。やれやれと思いつつ、その馬鹿馬鹿しい書類を書いたところ、該当病名で身障1級だという記載が抜けているから書き足すようにとのご指導を受けた。

    午後の発達外来で、フォロー中の子を診察室から送り出して、頭をひねりながらカルテ記載をまとめていたところへ、医療ソーシャルワーカーがその書類を持ってきて、これこれだからいつでもいいので書き直せと言った。

    ひさびさに切れた。

    在宅人工呼吸と胃瘻だけじゃ足りんのかと怒鳴った。

    こんなに無尽蔵に怒りが湧くのは何年ぶりだろうと思った。「身障1級です。上記のごとく身障1級です」と備考欄に大書した。ここに書いてあるケア内容を読んで、その子の重症度や介護の苦労が想像できないような阿呆が京都府のレスパイト事業を牛耳ってるのかと思った。そんな奴の給料まで障害者医療の予算から出てて、その障害者医療が国庫を圧迫するってんで税と一体改革だなんて言われてるのかと思った。大書する手が震えた。

    自分の患者を自分相手に紹介状を書くってだけで十分に馬鹿馬鹿しいのに。俺が俺宛に書く書類だ。俺がそれを読んで、なるほどこの子は身障1級だったのか知らなかったなあとでも言うと思ってるのか。

    馬鹿馬鹿しいことを深刻な顔をして実行する滑稽さが、なんだか宮下あきらの漫画みたいだ。なんだか九九の唱和をさせられた挙げ句に、声が小さいと怒鳴られて黒板を竹刀でたたかれたような気分だ。

  • レスパイトの病名付けに苦労する

     外来で拝見している脳性麻痺のこどもたちのレスパイト入院を手配するのに病名で苦労している。京都府からは「厚生労働科学研究難治性疾患克服研究事業対象疾患一覧」なる表がまわってきていて、この表にある病名ならレスパイト入院の助成を認めますよと言われた。しかしその表に「低酸素性虚血性脳症」とか「脳性麻痺」とかいう文言はない。彼らの主病名が無いと、なんとなく京都府は分娩時仮死後の脳性麻痺の子にレスパイト入院の必要を認めていないと言われているようで遺憾である。「ターナー症候群」はあるんだけれどもね。いったいターナー症候群ってだけでレスパイト入院が必要なほどの病状になるんですかねと京都府には聞いてみたい。

     レスパイト入院の費用対効果は障碍の重篤さや、それによる介護の必要度の軽重で決まるんじゃないかと思うのだがどうだろう。問題にするべきは原疾患の難病ぶり如何ではなくて*1障害者手帳の1級相当で、ほかにたとえば在宅人工呼吸してますとか経管栄養依存ですとかいった個別の状況も加味して、といった事項なのではないか。

     まあ向こうがそう言うならそれはそれで仕方ないと、低酸素性虚血性脳症は「重症・難治性急性脳症」の一つですとか、ウエスト症候群を合併している子には「年齢依存性てんかん性脳症」がありますとか、解釈レベルでいろいろと考えた書類を書いている。たぶん受け取る側も事情は分かると思うので助成はおりるはずである。いや、認められなきゃ本当に大げんかですよ。でもまあ、なんとなくそういう抜け道を考えるのは制度の本筋ではないような気がする。本筋じゃないやり方を続けているといつか行き詰まる。

     本件については今後の改善が必要である。協議する機会があればいいんだけどな。

    *1:低酸素性虚血性脳症の病態が難病として研究する価値がないほど単純なものなのかどうかに関しては、それはそれで言いたいことも色々あるが。

  • 引き継ぐときにはつまらないものですがと言う

     NICU部長を拝命して数年経つ。最初はほんとうに名ばかりの管理職だったが、最近は病院経営のお話にもときどき混ぜていただいている。

     むろん今の自分に経営の才覚や知識があるわけではない。だいたいは末席に謙遜して、院長達が病院改革の話をするのを拝聴しているばかりではある。そればかりであっても意外に充実感がある。彼らの姿は、少しでもよい病院を後進に残そうと奮闘しているように見える。引き継ぐ世代としては嬉しいことである。しぜん、前のめりに聞くことになる。

     こういう充実感はNICUを引き継いだころはあまり感じなかった。当時のNICUはあまり変革志向のない部署だった。施設全体としては現状維持が最善最適ということが暗黙の了解であった。改善の余地があるとすればそれは各人の臨床的資質の向上であるということになっていた。

     そういうふうに組織の改善を属人的要素としっかりリンクされると、改善すなわち前任者の否定ということになる。前NICU部長とか、過去に働いてくれた医師や看護師や、あるいは過去の自分自身まで含めて否定することになる。それがいやで改善を渋り、現状こそ最善と、まだ開設して20年とたたない施設が老舗のふりをしていた。京都では応仁の乱以前に発足していないと老舗とは言えないのに。

     後の世代にも進歩を続けさせるためには、自らを完成形として引き継がせてはいけないのだろう。これでよいと言って渡しては後進の手足を縛ることになる。自ら否定しつつ改善の動きを沿えて渡すことが必要なのだろう。これでは駄目なのだ、駄目なものを背負わせて済まない、せめてこういう改善をしてきた、そう言って低姿勢に引き渡すべきなのだろうと思う。むろん内心ではこの組織の仕事は存続させるべき仕事だと確信していても、それでも、これほど完成したものを引き継げて嬉しかろうと、○○アズナンバーワンと言わんばかりに引き継いでは、その時点で停滞が始まるのだろう。どこかの国の政治経済みたいに。

     これは良いものだと言われて引き継いだものはあまり嬉しくなく、まだ駄目だといって改革に奮闘しているものを引き継ごうとしている方が嬉しいというのは、いささか逆説的ではあるが、釣れた魚かまだの魚かという違いだけとは限らず、多少なりとも普遍的なことではないかと思うので、こうして記しておく。