羽幌炭鉱のきれいな引き際について

NICUの入院数が減って、もう仕舞い時かなと思ったら、思い出したように超体出生体重児の入院があったりして、まだ最終でもないのかなと思うなど。

BS朝日の旅番組で、羽幌炭鉱の廃墟探訪をやっていた。鉄道廃線跡の愛好家には有名なホッパーの遺構とか、小学校の円形体育館とか、まだ新しそうに見える集合住宅の遺構とか、興味深く拝見した。

基本的に旅番組なのだが、炭鉱の歴史も簡単に紹介された。いわく昭和15年開業の比較的新しい炭鉱で、設備が良いので効率も良く、鉱員1人当たりの出炭量は全国でもトップクラスだったとのこと。煙の少ない良質の石炭で人気も高く、昭和36年には年間100万トンの出炭量に達したが、石油に押されて昭和45年には閉山にいたったのだそうだ。それでも閉山の決断が早かったので従業員にそれなりの手当を渡すことができたのだと紹介していた。旅番組にしては上手に要約された紹介だった。手練れが作った番組だったのだろう。

この羽幌炭鉱閉山の顛末には、きれいな引き際だと感心した。最盛期を迎えてから10年も経たないうちに閉山とは、つるべ落としの感もある仕舞いかただが、後のエネルギー産業の歴史を考えれば操業を続けていてもいずれジリ貧に終わったに違いないと思った。鉱員の皆さんにはそれなりの手当もできたんだから上々だろう。俺も仕舞いはこうあるべきかとも思った。森のなかの遺構がなにか神々しく見えた。

しかしこれは歴史を批判する番組じゃ無くってきほん旅番組なんだから、より美しく言葉を選んでつくられた物語なのかもしれない。さきほど、たとえば「大きな街があった羽幌炭砿(羽幌炭鉱)」を拝見したのだが、閉山に至った大きな要因は閉山するという流言飛語だったという。人口の推移も詳細に紹介してあったが、昭和45年の最後の年になって5ヶ月のうちに1万人もが去っている。この炭鉱の年間出炭量の最高を記録した年からたった2年でのことだという。それなりの手当をしたというより、会社としては制度を見なおす暇もなくあれよあれよという間に人が居なくなって立ち往生してしまったというのが真相かも知れない。

それでも無理をして引き留めているうちに資金繰りがまずくなって給与も退職金も払えなくなってしまうよりは、去った人たちにとっては良かったのだろう。会社にとって従業員をだいじにするというのは最大の美名だと、昨今の時勢を鑑みて思うところではあり、炭鉱としても晩節を汚さずに済んだと言えるのではないかと思う。他人ごとのように勝手を申し上げて恐縮ではあるが。

私にとって他人ごとでないのはむろんうちのNICUのことで、もうだめだ廃業だとトップの私自身がこうやってブログでこぼしていては流言飛語対策もなにもあったものじゃない。よくみんな一斉に逃げ出さないものだと変な感心をする。いや超低出生体重児が減った減ったとカンファレンスで言い過ぎた挙げ句に医者の数が減って困ってるんじゃないのと言われたら確かにその通りではある。とはいえ石炭が売れないとなれば他に道はない炭鉱とは違って、この土地に子供たちがいるかぎり、私らには何らかの形で小児科医療のやるべき仕事が残る。新生児医療には小児科で大事なすべてのことが詰まっているんだから(多くの人はそれに気づかないだけで)、NICUに通れない道はなく、どんな方面にだって展開してゆける。まだ晩節を考えるには早い。あれこれの愚痴は、いままで超体出生体重児にかまけて怠ってきた仕事があるのではないかと足もとを見なおしているところなのだと、関係諸氏にはご理解を賜りたい。

私たちが何をしたいかじゃない、赤ちゃんが何をして欲しがってるかを考えるんだ、というのがDevelopmental careの真髄でもある。よりにもよってこの方面でちょっと顔を売った過去のある私が、その真髄を忘れるわけにも行かない。

 

 

やっぱりNICUでの育て方を間違うと自閉症になるのかね

3年ほどまえに書いて、なぜかそのまま封印していた文章である。岩倉の国際会議場で小児科学会の学術集会があった年のもののはず。なぜ封印したんだろう。なにかびびったんだろうか。我ながら分からない。でも今なら220円払って市バスで行くことはないな。自転車で行きます。当然。
4月の日本小児科学会学術集会の抄録集をつついていて、下記の記載を見つけた。

NICUの児は治療のために過剰で不快なストレスにさらされている・・・近年、早産児の大きな後遺症は減少したが学習障害やADHD、自閉症などの高次脳機能障害が見受けられる。過剰刺激と本来必要な親からの抱っこなどの安心できる優しい刺激を受ける機会が少ないことが、この問題に結びついていることは容易に理解できる。

やっぱりNICUでの育てかたが悪いから未熟児が自閉症になるんですかね。それは「容易に理解できる」ほど自明なことなんですかね。
私もディベロップメンタルケアはそれなりに勉強したつもりだし、この演者が仰りたいことはたいがい想像がつく。でもこうしてベッテルハイムの二番煎じみたいな言説が自分の専門分野から持ち上がってくると、自閉症児の親としては心穏やかではない。
ベッテルハイムは精神分析的な観点から、冷たい親が敵意を持った育て方をするから子供が自閉症という精神疾患を患うのだと力説した。それが一世を風靡してしまったので、一世代前の自閉症児の親はずいぶん辛い思いをなさったと聞く。やがて自閉症は先天的な脳の器質的障害によるものだとされ、親の育て方が悪かったのだというベッテルハイム一派の説が否定されて今に至る。
今度は「育て方が悪くて成長著しい時期の脳に障害を及ぼすから自閉症やADHDなんかが後遺症として現れる」という言説が登場したわけだが。精神分析でないぶん進歩だとは思うけれども、またもや育て方の影響を云々せねばならないには違いない。今度は親としてではなく、NICU医師として。でも私なんぞのように両方兼ねている立場ではなおさらしんどいな。
そしたらNICU退院後の時期にも、育て方が悪かったら自閉症になるんだろうか。だとしたら、親御さんにはとんでもない重荷を背負わせてこどもさんを帰すことになるね。共働きで抱っこの時間が長くは取れなさそうなんですが将来の自閉症につながるんでしょうか、とか、ご心配になられるんじゃないかな。それとも、例えばNICU退院前後の時期に臨界期があって、それ以前のストレスなら自閉症の元になるけどそれ以降なら大丈夫、みたいな話があるんだろうか。それならあんまり「自明」な話でもないやね。
自閉症の病理やそれにまつわる歴史についてきちんと勉強した上で、この演者はここに自閉症を持ち出しているのだろうか。あるいは他のディベロップメンタルケアに関わる人たちも、環境要因で自閉症が生じるという言説の危険さが分かってるだろうか。この言説を不用意に口に出すってね、日本小児科学会の公式ロゴにハーケンクロイツを選定しようと提案するくらいやばいことだと思うんですがね。それなりの覚悟で言わんと。
こういう質問は口演の会場で直接演者にぶつければ良いんだろうけれども、残念ながら学会に参加できる見込みがまるでない。220円で日帰りで行ける場所なんだけれどもね。

勉強会で

新生児関連の勉強会やなんかで、初対面のひとに自己紹介につづいて「ブログ読んでます」とか言われてそれっきり会話が途絶えたりすると、陰で何を書くか分からん嫌な奴という扱いをされたような気がしたりする。まあその通りなんだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。先の論文は勉強になりましたとか言われるような仕事をしていないから、なおよろしくないんだろうとも思う。公式の業績をあげないうちにブログなんか書き出してしまうと、キャリアになにか変な色が決定的についてしまうってことかなとも思う。とにもかくにも、読者諸賢におかれましては、武士の情けってことで、オフラインでこのブログのことに言及したときに私が「返す言葉もない」状況に陥ったとしてもご容赦いただきたく、ご高配の程を。

茶室的NICU

茶室のようなNICU、という着想が頭から離れない。
京都でNICUやってるんだから何か京都らしいコンセプトが打ち出せないかなという邪念もあるんだけど、また茶室なんて実物は見たこともなくて空想だけで(あとはまんがで読んだことだけで)書いてるんだけど。
内部の隅々まで気を配って五感のすべてに訴えるような茶室でもてなすかのように、赤ちゃんや親御さんに接するNICUってのはけっこう行けてるNICUじゃないかなと思う。赤ちゃんの五感すべてに気を配るNICU。光も音も匂いも。
そういうNICUでは配管とか電源とかはごく目立たないように、しかし有るべき位置に配置されているんだろうと思う。空調をはじめとした各種の騒音も最低限に抑えられているし、調光も目を射ず、さりとて見えるべきものはきちんと見える調光がなされているんだろう。赤ちゃんが飲みたいタイミングを外すことなく適度な量の授乳がなされるんだろう。スタッフはあくまでももてなす側として、客を立てて、自分は陰に回るんだろう。その一挙一動がいちいち、作法にのっとった美しい動作になるんだろう。
影響をされやすい人間だなと自嘲しつつ、元ネタをばらして今日はおしまい。

へうげもの―TEA FOR UNIVERSE,TEA FOR LIFE (1服) (モーニングKC (1487))

山田 芳裕 / 講談社

主人公が驚愕した千利休の茶室を、私はNICUで実現してみたいのだ。

新生児蘇生法インストラクター講習会を受けてきた

昨日は岩倉の京都国際会館で行われた新生児蘇生法のインストラクター講習会を受講してきた。講習後のテストの採点結果を待っているところだが、まさか落第するほどひどい答案を書いたとは思えないので、おそらくあと一ヶ月もすれば合格通知がいただけるはずだと思っている。その後の手続きを済ませてインストラクター資格をいただいたら、医師や看護師・助産師を対象とした新生児蘇生法の講習会を開催することが可能になる。
そんなことを公言しておいて落ちたらかなり恥ずかしいけど、でもまあNICUを一個預かる立場にあって新生児蘇生法の試験に落ちるようではいかんだろうとも思う。隠してすます問題でもなかろう。

赤ちゃんの10人に一人は分娩後になんらかの処置を要するし、さらにそのうち10人に一人(全体の100人に一人)には本格的な蘇生を行わないと生命や発達に危険が生じる。ある程度は分娩前に予測はつくものだから、すべての分娩に等しく100分の1で心肺蘇生の確率があるとはいわないけれど、でも心肺蘇生の必要が生じる確率が数百分の1とか数千分の1でもあるのなら、やっぱりその場には蘇生術ができる人間が誰か居たほうがいいに決まっていると思う。
蘇生術で一番肝心なことは、適切に開始するということだ。蘇生ったってテレビの「ER」とか少年サンデーの「最上の命医」でやってるようなハードなお話ではない。バッグ&マスク蘇生でだいたい片付く。たまに気管内挿管をする程度である。臍カテ入れてエピネフリン投与なんて私もほとんどやった記憶がない。手技はごく単純なことだ。だから一番肝心で、おそらく一番訓練を要するのは、いまここでこの子に蘇生を開始せねばならんという意思決定なのだと、私は思う。米国の学会が「すべての分娩に新生児の蘇生を開始することのできる要員がすくなくとも一人、専任で立ち会うべきである」(太字筆者)と述べているのも、そういう考え方からだろう。

一人目はためらい悩むものだが

読んだ本をネタにして見てきたようなことを言うのは憚られるべきことではあるのだが。

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

保阪 正康 / 講談社

旧海軍において特攻の口火を切ったとされる大西瀧治郎中将であるが、本書によれば彼はその決断に際して極度に苦悩したという。当時彼が赴任したフィリピンには米軍が迫ってきていたが、日本軍の航空戦力はほとんど残されていなかった。大西は苦悩のあげく、このとき限りのつもりで、爆弾をとりつけた飛行機による体当たり作戦を決断した。
しかし二人目以降の指揮官が、特攻作戦の命令に際して大西ほどに悩んだという記載は本書にはない。淡々とシステマチックに、あたかも特攻作戦の倫理的問題は大西によってクリアされたと言わんばかりの平然さで、つぎつぎと特攻作戦が続行された。
大西はこの一連の特攻作戦に責任をとるかのように、敗戦直後に割腹自殺している。介錯も救命処置も断って、半日苦悶した果てに死去したという。
じゃあ悩んだ大西が偉くて二人目以降のその他大勢が倫理的にスカだったのかというと、死地に赴かされる部下の立場になってみれば、上司がどれだけ悩んだかなど、まあ些細なことだったかも知れない。そもそも手続き的に何をどうすれば特攻作戦が正当な作戦と呼べるようになるのか、私には見当もつかない。作戦に際して市民や法律家や宗教家を招いて倫理委員会を開けば正当化できるのかというと、それもちょっと的外れだろうと思う。
そもそも論を言い出すと問題が拡散していって非生産的になってしまうが、そもそもあの戦争自体がどれほど正当なものなのかにも、議論の余地がおおいにあると思うし。

日本未熟児新生児学会

来月の当直を組むときにはとうぜん、来月末におこわなわれる「日本未熟児新生児学会学術集会」にひとり派遣することも考えなくてはならなかったわけだが。
今回の未熟児新生児学会のテーマは「子どもたちに無限の可能性を与える新生児医療を目指して」ということで、まあ、さようかと、インフルエンザで病欠するまではだが、NICUの面談室に貼られたポスターを日々ながめていた。
なんか気張ったテーマだなと思わなくもなかった。無限の可能性ねえ。医療ってそんなたいそうなもんか?と意地悪く問うてみたくはある。せいぜい、「子どもたちの足をひっぱらない新生児医療を目指して」くらいがほどよいところじゃあないかと思う。場末のあんまりぱっとしない私のNICUではその程度しかできないとか、iPS細胞@山中教授も新造細胞@東博士も実用化してない現代の医学ではその程度しかだめだとか、そんな限定じゃなくて、まあ未来永劫、医学ってのはその程度に心得ておいたほうが宜しいんじゃないでしょうかと、そんな気が、私にはする。
無限の可能性、というと、現代で言えばドーピング、将来的にはなんだか義体化とか電脳化@攻殻機動隊とか、イマジノス細胞@ノヴァ教授とか、そっちのほうに向いていきそうな気がする。そりゃまあ失われた腕の代わりに高性能の義手をつけるのは私も「あり」だと思う。でもそこにサイコガンを仕込むのは「なし」だ。
まあ、新造細胞やサイコガンは専門誌も読まんとSFまんがとか映画とかばっかり観てる私の邪念かもしれんし、あんまり言うと板橋会長を腐しているようで誤解を招くかも知れないが、まあ真面目な話、こういう文脈で言われるところの「無限の可能性」って言葉には、なにか嫌な臭いがするんだ。強く正しく清潔ではあるけれど、なんとなく嫌な臭い、根源のところでなにか違ってる、なにか生分解性の悪いものが混じった臭いがする。
「いのちの輝き」という語にも同系統の臭いがした。
たぶん、だけど、板橋先生が子どもたちのために希求しておられる何らかのものごとを、後進の我々がわずかなりとも実現するべく求めて進むべき先は、この「無限の可能性」という概念が指し示す方向ではないように思える。

サウンドレベルメーターは意外に安く、NICUは意外にうるさい。

サウンドレベルメーター(騒音計)GS-04 デジタル騒音計 音測定器

この機種だったか、看護師さんたちが看護研究をしたおりに買い込んできたものがNICUに置いてある。高価なカテゴリーの機械かと思っていたら意外に安いので驚いた。予算執行の障害がすくない私立病院の常なのか安いおもちゃはわりと簡単に買って貰える。
しかしNICUのなかでこの機械を使ってみると、自分の耳には静粛に感じられるNICUもじつは意外にうるさい。なかなか50dBを下回らない。誰かがSpO2なりHRなりのアラームを鳴らし始めると、いちおう最小レベルの音量に設定してある筈なのに、いっきに60dBに達してしまう。
むろん夜間である(なんぼ部長バカ一代な私でも昼間にそんなことして遊んでいるわけにはいかない)。ということはNICUの赤ちゃんたちは常時50dB以上の騒音に晒されていることになる。「騒音に係る環境基準について」を参照するとどうにもよろしくない。やっぱりこれはAAを満足して当然というのが世間様のご期待であろうが、Cすら満足に満たせていない。
ちなみに(むろんカラの保育器で試しましたよ)保育器の手窓をぱあんと勢いよく閉めたらメーターの表示がかるーく70dBを越えた。アトムの2100Gだからわりと新世代の保育器なんだがね。赤ちゃんの耳元で突発する70dBの騒音。無神経に保育器の手窓を開け閉てしてたらそれだけで赤ちゃんの耳を潰しそうだ。手窓はそっと閉めろ。昔から口うるさく言い伝えられてきたNICUでのお行儀作法の重要事項ではあるが、むべなるかな。

早期からの経静脈的アミノ酸投与

超低出生体重児では、脳室内出血とか慢性肺疾患とか動脈管開存症とかいった合併症がそれほど重篤でなくても、なんとはなく体重増加が悪い。出生予定の時期に体重2500gを越えている子は珍しかった。それが普通だと以前は思っていた。子宮外では自分で呼吸し消化しなければならない。胎盤・臍帯という極めて高度の呼吸・栄養装置を切り離され未熟な肺と腸を未熟な脳がコントロールして自律しなければならない以上、ある程度の歩留まりは避けられないと思っていた。
解決策はコロンブスの卵的に簡単なところにあった。出生当日からの積極的な経静脈的アミノ酸投与である。胎内で臍帯経由で母体から入る潤沢な供給には及ばないにしても、せめて体組織を維持するために必要な1日体重kgあたり1gのアミノ酸を、出生後も絶やさず投与して飢餓期間を作らないようにするというやりかたである。
以前はブドウ糖液で輸液を開始し、日齢2から母乳投与開始、母乳が進まない子には生後1週間をめどに経静脈栄養開始が原則で、アミノ酸も早くても生後5日くらいからの投与となっていた。まだ尿量も出ない不安定な時期からアミノ酸を投与することが代謝に悪影響を与えるのではないかということが、早期からのアミノ酸投与をためらう理由であった。他施設には、糖などのカロリー源を十分に与えない状態でアミノ酸を与えても結局は熱源として消費されるばかりで身にならないと、早期からのアミノ酸投与をしかりつけるお年寄りもあったと聞きおよぶ。
しかし出生当日からアミノ酸を実際に与えてみても、以前に心配していたようなコントロールのつかない代謝性アシドーシスなど生じなかった。生後1週たって浮腫が抜けたあとも、昔のように小乗仏教の修行僧のようなひからびた痩せかたをすることはなくなった。そういう風にいったん痩せるのが当たり前と思っていたので、超低出生体重児たちがみずみずしいままに体重増加に転じることに驚かされた。
それより驚いたのは、その後の体重増加も改善したことだ。だいたいその日の体重の1~2%増加を目標とするのだが(体重800gの子なら1日体重増加が8ないし16g)、慢性期の栄養管理は以前と方針の変化はないのにぐりぐりと体重が増える。あたかも体重増加のモードが胎児期から変更なく続いているとでも言うかのように。これまで当然と思っていた超低出生体重児の緩慢な体重増加は、けっして必然的なものではなく、出生後に数日間の飢餓期間をおかれたために身体の栄養管理モードが変化した結果の、人為的なものだったようなのだ。
ようなのだ、というのは、生理的条件の超低出生体重児というものが原理的に存在し得ないため検証のしようがないのだ。健康上の問題がなければもともと子宮内に居た人々なのである。何らかの事情があって外へ出てきた人々であり、外へ出たということ自体が彼らに無視できない影響を与えている。その何らかの事情あるいは影響がどこまで不可避なものなのか。今の時点で不可避と思っているようなことがじつは避けられることなのではないか。健康モデルが想定できない状況でそれはどうやったら知ることができるだろう。
あるいは避けるべき事なのかどうか。こうして体重増加を維持することが、急激に発達中の脳を守ることにつながるのではないかというのが現在の新生児業界の主流的な考え方であるが、ひょっとしてこの子たちが成人して以降、いわゆるメタボリックシンドロームに悩まされることにはならないのか。多少肥満しても発達の良い方が幸せだろうという考え方を言う人もある。私もその意見にどちらかと言えば賛成なほうなのだが、しかし肥満ながら発達がよいぞ学校の成績も優秀だぞと言って過剰に働いたあげくに若くして心筋梗塞で過労死してしまうということになっては詰まらないと思う。畢竟詰まる詰まらないは一人だけで決まることじゃなくてその時の社会のあり方とかも影響するんだろうと思う。ただこの子らの一生に関して棺を覆って事を定めるとするなら、自分が現役の間には結論は出そうにもない。
こんな単純なことで、みたいな書き方になったけど、中心静脈栄養云々には出生体重500gとか600gとかの子にダブルルーメンで中心静脈が確保できての話なんだからそれなりに技術は必要なのだよ。臍静脈使うにしてもそうたやすいことじゃないし。私はできるだけ末梢静脈からPIカテーテルで確保する方針で居るのだが。腹臥位にしやすいし。
しかし、この方式が良いと分ってみると、これまでこの方式を用いなかった子たちには申し訳なく思う。その時々での最善を尽くしているつもりではいるのだが、進歩の速い分野ではその最善の具体的内容がどんどん変化する。2年前3年前の最善でNICU時期を過ごした2歳児3歳児を発達外来で健診させていただきながら、今ならどうしただろうと思うことはある。そう軽々しく試行錯誤のできる分野でもないんだから目新しいものにつぎつぎ飛びつくのも憚られるしと、この子らの時期に導入をためらったことに内心で言い訳をしてみる。仕方がなかったと思ってみる。思ってはみても、この子らの成長に手柄顔をする気分にはなれない。むしろこちらが救われる思いをさせていただいている。
俺が指導して発達が改善したのだと公然と語れる先生方がうらやましい。多少、いい気なものだと思わないでもない。
空床は重症2軽症2。ちょっと暇なので閑居にしてろくなことを考えない。