大学で見てきたもの

結局、大学へ行っていちばんよく見えたものは、自分の医者としての現状であり、自院NICUの姿であり。

自転車で行き来できる距離に二つも三つもNICUを設置しても無駄だろうと研修前には思っていたものだが、研修で実際に大学NICUをみてみると、まあ各々に各々の役割があるんだなということが腑に落ちた。うちはうち、大学は大学。まとめればマンパワーも集約できてよろしかろうが、あえてそれを二つにわけて近距離に性格の違うNICUを二つ置くというのも、それはそれで利点があるのかもしれないと思った。

うちがあればこそ、大学は胸を張って「そんなありふれた病気は大学で診る病気じゃない」と言えるわけだし、我々も大学があるから、評価の定まらない先端医療に手を出さないで済む。どっちもこなせるような規模の大きいNICUがあれば、この両者が近距離に並立する現状よりもよい医療が提供できるかというと、今の自分の感想としては、できるかも知れないけれど、実現のためにはよほど意識して、病棟全体が先端医療の慌ただしい雰囲気に巻き込まれないようにしないといけない。

うちの周産期部門を切り離して大学に併合するような大がかりなリストラなんてまず無理なんだから、当面は並立で行くのが最善だ。並立で行くからには、並立していたからこそこんな善いことがありました、みたいなことが幾ばくかでも言えないと世間様に胸を張れないようにも思う。

成熟するまでに長くかかる人はいるけれど

仕事できない人って・・・

大学の短期研修に出るまでは、たいていのことはこなせるつもりでいたのだけれど、実際に取り掛かってみると、ひょっとして俺って仕事できない人なのか?と思わされてしまった。ので、この話は身につまされた。

最近でこそだいぶ抵抗なくあれこれできるようになってきたが、研修開始当初は輸液の指示ひとつ、呼吸器の設定変更一つにもいちいち抵抗を感じた。透明だが粘りっこい油の中でもがいている感じがした。慣れてしまえば、どうして当初はあんなに手間取ったのだろうと思うのだが。ようやくそう思い始めたころには、研修も終わりに近付いている。ほとんど仕事をしないまま。すみません。

むろん、それは私の実力不足が主因ではあろう。どんな輸液製剤であれ一通りそろっていれば中心静脈栄養カクテルくらいさらさらと処方できなければいけない。仕事のいちいちをどれほど迅速的確にできるかがつもりつもって、その摩擦力の総和を常に抵抗として受けることになる。

俺って仕事できなかったっけか?と思っているうち、急変に立ち会うことがあったりして、ばたばたと処置に手を動かしつつ口頭指示も次々出しつつ、ふと、自施設にいるときなみには動けている自分に気がついたりする。たぶん、そういうときにはコンピューターの指示入力がどうのエックス線を撮るときの感光板の扱いがどうのというお作法系の些事がみんなの頭から消し飛んでいて、次に自分が何をするべきかの指示を餓えたように待っているんだろう。油の中にも、ゆっくり動くものに対する抵抗は高いが速く動くものに対する抵抗は低い、なんていう特性をもつものがあったりするんだろうか。

自施設でも、とくに看護師が就職して経験をつんで一人前になっていくところを何世代もみてきた。就職したてのころからきびきびと働いて優秀なベテランになる人もあれば、就職後何年かしないと使えないという大器晩成型の人もあった。就職したてにはきびきび動くけど、小技ばかり覚えて大成しないという人もあった。

むしろ大器晩成型の看護師のほうが、成熟してしまえば深い意味で良い仕事をするように思える。よほど人を選ばないと任せられないような難しい仕事を、選んで任すような看護師の過去を振り返ってみると、だいたい1年目はあんまり目立たなかったか、はっきり使えなかったかだと思う。

送り出しているような引き受けているような

昨夜は遅くまで大学のNICUに残っていた。むろん残業手当は無し。経験こそ最大の報酬、というやつ。

眠いよと言いながら午前中は自院で外来をして、昼過ぎ自転車で大学へ行く。病棟入り口で産科の病棟医長につかまって、NICUに空床はあるかと聞かれた。大学の、ではなくて、私が部長をしているほうの。これから生まれる双胎の行き先がないとのことだったので、自院へ新生児搬送の手配をする。道具立てなんかは常にセットアップ済みだし、来てね、と電話したらそれですむんだが。

果たして俺は搬送を送り出してるんだか引き受けてるんだか、と思いながら分娩に立ち会い、その後の処置を行いつつ(ったって点滴を一本だけだが)迎えを待つ。大学にスタッフをひとり常駐させておけば、ふだんは勉強をさせて頂きながら、新生児搬送の時は仲介ができて、それはそれで便利だなと思った。

大学の夕方のカンファレンスや回診を終え、難しめの点滴のもう一本も終えて、帰宅途中に自院へ寄り、その子らの様子を見てきた。自院の若手が一人のこって、人工呼吸器の設定を考えていた。いずこもうまくまわっている。

彼らはよく働く

大学NICUのスタッフがよく働くのには驚いた。互いの仕事をカバーし合うのにはさらに驚いた。そして我が身を振り返って、今まで俺はチームで働いたことがなかったんだなと、しみじみ思った。

ちょっと油断すると、やり残していた仕事がいつの間にか埋められている。まるで寝ている間に製品が仕上がっていて驚かされている靴職人のような気分である。むろん、目に見えないこびとさんが深夜帯に稼働しているわけではなく、あたりを見回せば身長148cmくらいの緑色のこびとさんをはじめ、たくさんのスタッフが常に何かしている。活気があってよろしい。沈滞した雰囲気がない。

これも最近の大学NICUが上り調子にあると言うことの、ひとつの現れなんだろうと思う。

油断して主導権をとられてしまったことも再々で、そのたびに反省はするのだが、仕事の取りかかりが遅いのだろう、まるで洞調律に支配される心筋細胞のように出遅れ続けている。

なにさま、今まで自分が働いているNICUで他の医師が同時に働いているという経験が、自分にどれほどあったことか。若手がいたこともあるが、小児科外来や一般病棟の仕事もあるので、同時に二人以上がNICUに詰めることの可能な時期などごくわずかであった。先生がもうすこしNICUに居れるような体制にしないと危険ですね、と言い残して去った若手もいた。

働く人間がその場には自分しか居ないという環境で、率先しててきぱき働くような人徳は自分にはなかったとあらためて思う。あったつもりなんだけれどもね。振り返ってみると、どうせ俺しか居ないじゃないかということで、自分のペースでゆっくりやってたってことだろうと思う。刺激伝導系から切り離された心筋が独自のペースで収縮するようなものだ。