• 久々にロード

    京見峠から杉坂を経て持越峠を越えて帰宅。

    京見峠は京都側からの登り口がよく分からなくて、持越を越えて裏から帰ってくるルートにしかしていなかった。表から登ってみたら意外に登れた。下るときには頭に血が上るくらい前傾姿勢になるんで、とうてい登れはしないと思っていたのだが、峠道は登りより下りの方が急傾斜に感じられるものかもしれない。

    今の私のレベルだとこの峠くらいがちょうど良さそうだ。こんな急な坂はこれ以上登れんと思う、その限界ぎりぎりでしばらく傾斜が緩くなり、足や心臓が多少休んだところでまた次の急坂に取りかかる。絶妙。

    とはいえ茶店の手前でついに足を着いてしまったが。まだまだ貧弱だ。この峠を物足りなく思うほどでないとなかなか花脊は越えられないだろう。

    峠の向こうで有名なハンバーグを食べて、杉阪へ向けて下る。峠を越えるととたんに空気が冷たくなる。杉坂の気温は16℃だと電光掲示板に出ていた。買ったばかりのパールイズミのウインドブレーカーが役に立った。

    持越峠は杉坂側からの登り口がまたよく分からなくて、つい真弓まで行ってしまった。引き返してなにやら事業所脇の細い道を上る。持越を杉坂側から登るのは初めてだった。やはり下るよりは登る方が傾斜が緩く感じられる。そのせいか、雲ヶ畑の集落に出る直前の、13%と表示の出ている付近は実に怖かった。

  • 消費税について

    消費増税で日本崩壊 (ベスト新書)

    消費増税で日本崩壊 (ベスト新書)

    著者によれば消費税は企業間の取引で弱い立場にあるほうが不公正に負担させられ、輸出企業は益税で潤い、正社員の派遣社員化を促進し、滞納率も飛び抜けて高い、とのことで悪税なのだという。

    何か論理の飛躍がありそうな気がする。

    大企業が中小企業の生き血を吸うような不正な取引慣行があるのは、それはそれでそれ自体の問題なのではなかろうか。現状で消費税の税率を上げたら上げた分を中小企業がさらに負担することになると筆者は主張するが、それは消費税の仕組みに内在する避け得ない事項なのだろうか。消費税をとりやめたら大企業は悔い改めて中小企業と真っ当な取引をするようになるのだろうか。

    運用での課題なのではないだろうか。派遣社員化の促進する結果になっていることも、滞納率が高いことも、それはすべて運用の問題ではなかろうか。

    輸出企業の益税については、なるほどと思うのだが。大企業が消費税増税を歓迎するわけですな。益税が問題であるというのは私も賛成だ。本書でなるほどその通りと思ったのはそれだけ。

    各論のレベルで著者があげるいろいろな例も、どうかと思うところが多い。税収に占める消費税の割合がスウェーデンも日本もほぼ同じといわれても、それは日本の消費税が高いからじゃなくてスウェーデン所得税が高いからでしょうよと思う。著者は消費税が中小企業を潰しにかかる税だといって憤っているが、スウェーデンこそ、政策的に中小企業保護なんてまるでしていない国なのに、そのスウェーデンを正しい例として準拠するのは矛盾していると思う。高福祉で失業者の面倒は見るから商売が立ちゆかなくなったら安心してつぶれてくださいね、というのがスウェーデン政府の企業に対するスタンスではなかったか。著者もご存じないわけではなかろうに。

    また、アメリカには国税としての消費税がない。と著者は言うが、それは連邦じゃなくて州のレベルで徴税してるんではないだろうか。私がアメリカからPEDIATRICSとか医学雑誌を買うときにはウエブサイトで税がどうこうと言われるけどね。

    なにより、著者の主張であれあれと思うのが、日本の財政難に関する認識である。お定まりの、累積赤字は900兆円で個人資産が1400兆円だから500兆円くらい景気対策に使っていいんだという、あれ。そりゃあ今年限りで財政の収支が黒字になってりゃいいんだろうけどね。これからも赤字はどんどん積み上がっていくでしょうよ。そしていつかは国債が売れ残る日が来るように思うのですが。緻密に消費税の問題点を指摘しつつ、その点をまるっと無視してるのがアンバランスだと思う。だいいち、個人資産を1400兆円全部国債に突っ込んだら、それこそ、著者が重視する中小企業に融資するお金がなくなるんじゃないだろうか。

  • 吉原の若旦那

    なにさま、日本経済がそんなに悪いんならなんで円が売れるんだ?という混ぜっ返しがよく耳に入るのだが、それって、吉原に長逗留して放蕩する若旦那が、俺が駄目なやつならなんでみんながこんなにちやほやしてくれるんだ?と言ってるようなもので、そりゃあ勘違いでしょうよと。おだてられてむしられているだけだよと。そういうものではないのだろうか。

  • この著者の言うことならまずは聞いてみようと思った

    2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)

    2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)

    1冊1000円もしない本にてんこもりに専門的な概念が詰め込まれていている。しかし決して衒学的ではなく、読んでいると著者がまっすぐ私の顔をみて語っているような気になる。言う内容は難しいがこの人の言うことならとりあえず耳を傾ける価値があると思った。

    著者は1974年生まれで、だいたい私の弟妹世代なのだが、そういう若い世代なら、財政難や世代間格差の不利益を自ら被る立場にある。いい加減なことを言っては専門家としての信用を失うばかりか、生活者としても身銭を切って責任をとる羽目になる。そういう当事者感も感じられるように思った。

    それにしても内容はやはり難解なのだが。まあ、財政再建やら経済立て直しやら世代間格差の是正やら、そう簡単なお話でもないだろう。適切な難解さだと思う。難しい問題は、せめて難しい問題なのだというコンセンサスだけは得ておかないと、どんどんポピュリズムに堕していく。

  • 鯨肉って好きですか?

    捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間

    捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間

    本書によれば

    • 江戸時代までの日本の伝統的な捕鯨と、明治期以降のノルウェー式を導入して以降の捕鯨はまったく別物。伝統的捕鯨をやってた面々が移行したというわけでもなくて、まったく別系統の捕鯨である。
    • この新しく始められた捕鯨には漁民からの反対運動もあり、なかには焼き討ちにまで発展した事例もあった。鯨の解体処理で発生する多量の血液などが海に垂れ流され海産物にダメージを与えるという点に加え、もとより鯨をエビスとして信仰の対象にしていた土地もあったため。
    • 明治期以降、第二次大戦前後までの日本の捕鯨も、主目的は輸出用の鯨油の採取であった。鯨肉は副産物であって、その消費は日本の伝統というより捕鯨会社による啓蒙によって明治期以降に広まった(とはいっても西日本に限定的にだが)ものである。
    • 大戦中の畜産の壊滅により鯨肉も一時的には消費が増えたが、やがて畜産の回復により鯨肉は歓迎されなくなり、安価に学校給食に回されるものとなった。

    そのほか色々。いったい捕鯨が日本の伝統文化ってのはどこから出た話なんだろう。今まで常識と思ってたんだが。裏付けのないことを信じ込んでただけか?

    子どもの頃は鯨肉もたまに実家の食卓にのったが、噛み切りにくく飲み込みにくく、あんまり楽しみにする食材でもなかった。ちなみに実家は長崎県なので江戸時代から捕鯨が盛んな地方ではあるのだけれど。

    でも鯨油しかとらない欧米の捕鯨と比べて、日本人は肉なども残さずありがたく頂くから善いのだとも聞いていたのだが、本書によれば、日本も遅れて参加したってだけで、鯨油主体の捕鯨に違いはなかったようだ。食べることで生命を頂くのに鯨も鶏も牛も変わらないという見方もあるようだが、それを言うなら四つ足の肉を全般に食べなかったのが日本の伝統なんだよな。

    資源量も減少しているし、鯨油の需要も少なくなったしで、欧米各国が斜陽産業に見切りを付けてさっさと手を引く中で、日本だけがずるずると手を引き損ねたというのが真相なのではないかと、本書を読んで思った。むろん戦後の食糧供給が危機的だった頃には鯨肉の供給も意義あることだったろうし、その時代に頂いた鯨肉には感謝しなければならないと思う。そのぶん撤退時期が遅くなるのはやむを得なかったかも知れない。でも、その後の捕鯨は、もう採算の取れなくなった産業を無理筋で温存しているだけなのではないか。中央官庁のその担当部署のメンツや存続も賭かってる、という臭いがぷんぷんする。

    しかし捕鯨をやめようとも、さらっとは言いかねる。鯨が賢い動物だから捕鯨をしてはいけないというのはむかつく主張だ。そんな主観的で反証不可能な主張をされても、同意か不同意かではなくて屈服か反抗かの選択しかありえない。そんな主張さえなければ、もう採算も合わんし需要もないし南氷洋捕鯨はもともと日本の伝統文化ってわけでもないしというので、円満な撤退の筋道もあろうにと思う。今の構図では、屈辱を伴わない撤退があり得ないことになっている。

    まあ何様、シーシェパードの乱暴な諸君に勝ちどきをあげさせるくらいなら好きでもない鯨肉も食ったろうじゃないかとさえ思う。

  • exciteブログの広告の消し方

    firefoxadblock plus というアドオンを入れたら広告が消える。消えると言うより見えなくなるだけだが。livedoor wiki に入る広告(ページの前後に入るからexciteよりさらにうるさい)も見えなくなる。読むだけならそれで結構すっきりするが、自分が発信する側になるとそれだけでは済まないので、やっぱり片手落ちかも。

    (追記:「Japanese General Filter」を追加する必要があります。)

  • がき大将を目指さない

    手元に文献がないのであやふやな記憶かもしれない。バージョンがたくさんある作品ではあるし。なにさま、自分の記憶によれば、のび太が将来の夢を聞かれて「がき大将」と答えるエピソードがあったはず。

    どういう手配でか、大人になったのび太が近所の子供たちをあつめて「がき大将」として振る舞うようになったが、その姿を陰から見ていた子供ののび太が、そのあまりのみっともなさに耐えきれず、大人ののび太を叱りつけてやめさせるという落ちだった。私の記憶では、ですが。あるいは他のエピソードと入れ子になっているかも。でもまあ、そういう話があったと言うことにしてください。

    さて。

    うちのNICUの今後を、どういう方針を目指していくのかと考えた際に、今の理想を元に考える将来像ってのは、ひょっとして「がき大将」なのではないかと思ったりしている。

    今の時点で羽振りの良い他施設を見て、ああなりたいなと思うのは、ジャイアンをうらやましく思うのび太と根が同じだったりしないかと。

    どうあっても、今の高額な費用のかかる医療制度が、このまま維持できる訳がないと思う。どこかで大幅な再編があるんだろうとは思う。

    その大幅な再編が大規模施設への集約という形をとるかどうかは分からないが。私見では、大規模施設への集約というのは、大和を沈められた旧海軍が大和よりもでかい戦艦を作ろうともくろむような話だと思うのだが。

    旧軍の話を始めると止まらないから本題に戻ると、よりよい形の新生児医療と、そこから続く小児医療を目指したいし、よい形の医療ができあがった際にそこに自分の率いる施設を参加させていたいと思う。

    しかしそれは子供の集団がさらによい子の集団を目指す訳ではなく、子供はいずれか大人にならなければならず、今の医療も今のままでは継続不可能なのであって、いずれかの時点で質的な変容を迫られることになろう。

    その後の自分たちの姿が、現在の時点における羽振りの良い姿の模倣にとどまっていては、たぶんそれは「がき大将」的な姿なのであって、もしその姿を今の自分がみたらかなり恥ずかしく思うだろう。

    しかし今の自分の想像力には、のび太が将来の夢を聞かれたときほどにも、成長したNICUの理想像というのが描き難い。それではいけないのだけれど。

    まあ、自分のことを差し置いて他の批判をすれば、今さら「がき大将」的な振る舞いをしている隣国があるよね、とか思う。おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの。現代はそういう振る舞いが適切な時代ではなくなったのに。あるいは本当に跡継ぎ息子を「大将」と呼んじゃったりする国もあって、実は馬鹿にされてるんじゃないかと跡継ぎの彼も考えてみた方がいいんじゃないかと思ったりする。

  • 3ステップで象を冷蔵庫に入れる方法

    3つのステップで象を冷蔵庫に入れる方法を述べよ、という問題を、どこかで聞いた。

    解答は
    1.冷蔵庫のドアを開ける。
    2.象を冷蔵庫に入れる。
    3.冷蔵庫のドアを閉める。

    なのだそうだ。

    スモールステップに分けたのではなく前後に枝葉末節なステップを付け加えただけじゃないか、とか、まじめに反論すれば色々と言いたいこともできそうだけど、言うだけ野暮なような気もする。なあんだ、と言って笑って済ますのが正しい態度なのだろうと思う。

    でも医療なんてこんな話ばっかりだ。象を冷蔵庫に入れよという難問にさいして、冷蔵庫のドアを開ける手配ばっかりしているような。コーディネーターばかりが増えて。引き受け手のない緊急母体搬送症例とか、NICU長期入院の重症児とかの対策として、冷蔵庫のドアの開け方の工夫ばっかりされているような気がするんだが。

  • 世代間格差のこと

    年金やなんかで世代間格差が大きい云々。親の世代よりも自分は将来貰える金が少ないという。不当なのかなと何となく思っていたけれど、でも、そうは言っても俺も親に仕送りなんてしてないしなあと思い至る。

    もしも親の世代の年金が相応の額でなければ、私は自分の両親と妻の両親とを扶養しなければならなくなる。空恐ろしくなるくらいに扶養家族が増えてしまう。とうていやっていけそうにないような気がする。

    それを言えば親孝行を世間の皆様に肩代わりしていただいてるような気がしてくる。世代間格差を攻撃する資格は自分にはないような気がする。というか、世代間格差で自分はまだ得をする側に居るような気がする。

    確実に損をするのは私の息子や娘の世代以降だよなあ。彼らのことを考えないと。

  • てめえらそれでも男か

    コンピュータ将棋、初勝利 女流王将を下す 情報処理学会「あから」 – ITmedia News

    あえて言おう。
    得体の知れない相手と対戦するのにまず女を出すなんて、てめえらそれでも男か?
    負けたのは女流だもんねとか言ってれば体面が保てるとでも思ってるのか?
    ふつう、そういうのは敵前逃亡っていうんだ。
    いい度胸だ、たあ、いったいどの口から出た台詞だ?