大学の短期研修に出るまでは、たいていのことはこなせるつもりでいたのだけれど、実際に取り掛かってみると、ひょっとして俺って仕事できない人なのか?と思わされてしまった。ので、この話は身につまされた。
最近でこそだいぶ抵抗なくあれこれできるようになってきたが、研修開始当初は輸液の指示ひとつ、呼吸器の設定変更一つにもいちいち抵抗を感じた。透明だが粘りっこい油の中でもがいている感じがした。慣れてしまえば、どうして当初はあんなに手間取ったのだろうと思うのだが。ようやくそう思い始めたころには、研修も終わりに近付いている。ほとんど仕事をしないまま。すみません。
むろん、それは私の実力不足が主因ではあろう。どんな輸液製剤であれ一通りそろっていれば中心静脈栄養カクテルくらいさらさらと処方できなければいけない。仕事のいちいちをどれほど迅速的確にできるかがつもりつもって、その摩擦力の総和を常に抵抗として受けることになる。
俺って仕事できなかったっけか?と思っているうち、急変に立ち会うことがあったりして、ばたばたと処置に手を動かしつつ口頭指示も次々出しつつ、ふと、自施設にいるときなみには動けている自分に気がついたりする。たぶん、そういうときにはコンピューターの指示入力がどうのエックス線を撮るときの感光板の扱いがどうのというお作法系の些事がみんなの頭から消し飛んでいて、次に自分が何をするべきかの指示を餓えたように待っているんだろう。油の中にも、ゆっくり動くものに対する抵抗は高いが速く動くものに対する抵抗は低い、なんていう特性をもつものがあったりするんだろうか。
自施設でも、とくに看護師が就職して経験をつんで一人前になっていくところを何世代もみてきた。就職したてのころからきびきびと働いて優秀なベテランになる人もあれば、就職後何年かしないと使えないという大器晩成型の人もあった。就職したてにはきびきび動くけど、小技ばかり覚えて大成しないという人もあった。
むしろ大器晩成型の看護師のほうが、成熟してしまえば深い意味で良い仕事をするように思える。よほど人を選ばないと任せられないような難しい仕事を、選んで任すような看護師の過去を振り返ってみると、だいたい1年目はあんまり目立たなかったか、はっきり使えなかったかだと思う。