昔の貧困は桁が違う

日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

5巻まで読了した。

昔の貧困は桁が違うなと思った。貧乏も度が過ぎるとここまでくるのかと、自分の想像力の貧困さをむしろ思い知らされる気がした。

もともと1960年ころ書かれた書物なので、いまから50年前のものだ。その時代ならではの限界もある。自身が批判しているはずの差別意識を無意識に引きずっているような記載も随所に見られる。たいがいそういう箇所は面白くなくて、淡々と取材した事実を述べてある箇所のほうが興味深く読めたのだが、だいたいその筆致は宮本常一のそれだったように思う。

1960年当時にはまだこの貧しさが国民の多くに記憶されていたのだろうと思う。であればこそ貧乏人は麦を食えと言った云々で首相が退陣に追い込まれたり、ちょっと後になって出てきた田中角栄日本列島改造論など唱えてみるみる人気を伸ばしたりしたんだろうと思う。それは平等意識が根付いたとか経済成長がいよいよ国民に自信を与えたとかいった前向きな意識から出たことではなく、まだ記憶に生々しい貧しい生活だけはこりごりだという、怨念のようなものなんだろうと思う。

せっかく積み立てられてきた年金の基金を田中の時代に賦課方式に変更して後先を考えない大盤振る舞いを始めたときも、当時の人はとりあえずその日を生きるという発想から抜け出せなかったんだろうと思う。後に残す財産なんて、当時の大多数の人の発想にはなかったんだろうし、先祖代々の借金なんて当たり前のことだったのだろうし。子孫なんて子孫自身で何とかしろよということだったのだろう。ましてようやく遠のき始めた貧困がまたぶり返してきて賦課方式の年金が行き詰まる時代が来るなんて、考えるだに恐ろしいかったのだろう。いや、たぶん全くそういうことは考えなかった。精神分析で言うところの「抑圧」というやつだ。

そういう、今とは違う昔ならではの事情もあるということは、記憶しておいた方がよいような気がした。

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