それでけっきょく東京へはなにをしに行っていたのかというと

NICUデータベース会議の報告 – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

東京に行ったのは地勢の評価じゃなくて、この会と翌日の説明会に参加するためであった。それ書いとかないと。

この研究にはけっこう期待している。改善の主体があくまで参加施設側にあるのがよい。君のところは傍目にはこう見えているよというプロファイルなどは研究本部から提示されるらしいが、それをうけて自分がどう変わるかは参加施設側の問題とされる。

「金があったらこういうことができる」「人がいたらこういうことができる」と金や人がない施設が無い物ねだりをして嘆息する研究じゃなくて、金がない人が足りない俺たちのような施設が、金がない人が足りない現状の中でそれでもどう足掻いて上を目指すのかという研究だ。発想が潔くて小気味よい。金も人もない俺たちもここは一肌脱ごうじゃないかと思った*1

こっちの主体性がまず求められる研究に参加表明しておいて、まだ実際に参加できるかも、参加できたとして介入施設と対照施設のどっちに割り付けられるかも、わからんうちから本部に要望ってのもどうかとは思うが、要望として、できるだけオープンソースであってほしいと願っている。

NICUレベルでの「カイゼン」運動は初めてだが、病院全体の規模でなら、「カイゼン」を指導すると称する狐猿は当院にも何回もやってきた。奴らはみんな手の内を明かさなかった。それは商売としては当然なんだろうけれども、でも凡庸だ。お仕着せの知識は講演が終わった隅から忘れられていったし、奴らに払った銭が生きた銭の使い道だったとはとうてい思えなかった。

この研究では介入施設も本部も、どのような現状にどのような介入が行われているか、可能な限りオープンにして欲しいと思う。うちが介入施設に選ばれたらそうするつもりだ。ここに書くとは限らないけれども*2。その内容が対照施設にも知れて、対照施設でも同じようなカイゼンをやってしまったら、研究全体の結果に有意差が出ないんじゃないかとか、そういうみみっちい発想はなしで願いたいと思う。対照施設も死にものぐるいでカイゼンを目指す。その自己流のカイゼンに比べて、それでも介入のあった施設のほうが極低出生体重児の予後が良くなるんだと、示せてはじめて介入の成果と言えるんじゃないだろうか。

*1:というかまあ、こういう理屈は後付けなんで、実のところはこの研究についてのあらましを業界内のメーリングリストでちょろっと読んで参加を即決したんだが。決めた後で詳細を検討した。なんかそういう事ばっかりして私は今の位置にいるんで、自分のそういう嗅覚は大事にしている。確かに場末のNICUではあるけれど、私の若さで「自分のNICUを持ってる」新生児科医が日本に何人いるだろうとも、密かに思っている。

*2:読者諸賢にはたいへん申し訳ないが、カイゼンの経過報告ってのは現状を晒さねばならず、恥をさらすにも晒せる範囲ってものがあるので。でも、ここに書けないということへの問題意識は持ち続けたいと思う。

それでけっきょく東京へはなにをしに行っていたのかというと” への1件のフィードバック

  1. こんな研究会があるのですね。この研究によって、NICU全体が良くなっていくのであれば、お世話になる(なった)側としては心強いです。「お金がなくても人がいなくても、できることはあるはず」というのは、どの業界でも同じだと信じています。

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