カテゴリー: 新生児医療

  • 下っ端仕事

    医者の仕事というのは不思議なもので下っ端ほど重要な仕事をすることになっている、と、月末や月初めの書類仕事をしながら思った。こういう管理業務なんて下手打っても仲間内のひんしゅくを買うくらいですむ。はんこの位置が違うって、だから何?書類の提出先を間違えたっていっても、総務も人事も同じ部屋で仕事してるでしょうよ。まわしてくれりゃあいいじゃないよ。

    下っ端仕事は病棟仕事だし、病棟で下手打ったら患者さんが危ないよね。院長室で下手打っても病院が危ないくらいですむけどさ。管理業務こそ究極の下っ端仕事なんじゃないかな。初期研修医はまず院長理事長の仕事から始めて、だんだん熟達するにつれ患者さんの臨床に深く関わるってのはどうだろうね。

  • ロールズ的「無知のヴエール」を用いた新生児生命倫理はどうだろう

    ロールズ―正義の原理 (現代思想の冒険者たち)

    ロールズ―正義の原理 (現代思想の冒険者たち)

    重症新生児の治療中止をめぐる倫理的考察は主に、「いかに決定するか」の手続きを巡ってなされてきた。決定の内容については個々人の信念や直感に任されている。功利主義の枠組みを出ていない。したがって現状では、「正しい手続きに基づいた誤った判断」がなされうるのではないかと危惧する。

    ロールズは「無知のヴェール」という仮定を提案している。自分がその社会においてどの地位に(政治的とか経済的とか)出生するのか分からないという仮定のもとで、それでも同意可能な社会のルールを追求するというものである。本人は思考実験として提案したものだろうが、その設定どおりの事態が、新生児医療の臨床では日常的に生じている。どのような身体で/どのような家庭に/どのような社会に出生するのかが分からないと仮定した際に、どのように処遇されると取り決められた社会になら、生まれてくることに合意できるだろうか。

  • 新生児専門医受験、ついでにジャパンカップ観戦

    10月の22日と23日、東京で新生児専門医の試験を受けてきた。医師免許をとって、小児科専門医をとって、新生児専門医。入門、初段、二段、という見当だろうと思う。もうこれ以上はいいかなと思うのだが、たぶん、「・・・指導医」というのが今度はでてくるんだろう。敵がインフレーションしている。少年ジャンプの連載漫画に登場できそうだ。

    ペーパーテストは10年以上もやってるんだから淡々と問1から解いて全問正解で当たり前だろうと思ったのだが、意外に手応えがあった。これから受験される方々には、「二番目」に注意しろと忠告しておきたい。「・・・において最も多いものは何か」というのが小児科専門医レベルの出題であるときに「・・・において最多のものから二つ挙げよ」というのが新生児専門医の出題である。

    長年やってる新生児科医のあいだでも議論が分かれるんじゃないかねと思う設問もあった。うっかり過去問なんて出回ったら大騒ぎになるんじゃないかな。しかし誰の意見も同じになるような定説ばっかりじゃあ小児科専門医一般ていどの出題にしかならんだろうし、仕方のないことではあろう。

    受験会場は東京大学だった。試験のあった建物のすぐそばに三四郎池というのがあった。もちろん見物に行った。なんとなく宝ヶ池みたいな池かと思っていたが、意外に深い窪地の底にあった。排水に一工夫ないと水があふれるんじゃないかと思った。

    二日目の口頭試問が午前10時には終わった。有り難く当地の休日を堪能させていただこうと、宇都宮までいってジャパンカップを観戦してきた。田野町交差点をちょっと過ぎたところの、周回路が下りきって登りに入るあたり。交通規制が始まってからだと一番見に行きやすい地点だと見当をつけた。

    バッソの走りを生で観れた。当初は集団の前のほうで水なんか飲んでのんびりしていたが、レースも後半になるとかなり気合いを入れて走っていた。まあ、新生児専門医を受けに来た甲斐があったってものだ。

    最終周回で新城幸也がアタックを決めていたのも観た。残念なことにあとで追いつかれたらしいが。ついでに宇都宮ブリッツェン栗村修監督がチームカーを運転しておられるのも観た。おおナマ栗村だ。声援してみればよかっただろうか。

  • 使えない医者とは

    どういう医者が使える医者かという論点には諸々あろう。有能さにおいて多様性のある医者が集まったチームが良いチームであるからには。むしろ使えない医者というほうに共通要素は多かろう。他のどのような美点を兼ね備えていても、こういう欠点がある医者は使えないとしか言いようがない、と、そういう要素は確かにある。

    そういう悪徳のなかで私がいちばん嫌うのは「そこにいない医者」だ。病棟にいない医者。外来にいない医者。とにかく、その場にいない医者。

    たまたまその場にいないだけってこともあろうけど、でも、ランダムさだけでは決まらない。必要とされる現場に不思議にいない医者ってのは確かにある。何をしているか知らないけど。逆に、不思議に急場に現れる医者ってのもある。使える医者の代表だ。

    予知能力者でもあるまいし前もってその場にいろなんて無理だと言われるかも知れない。しかし、病状の把握ができてればある程度の見当はつくはずだし、もしもその見当がつくほど勘ばたらきがよくないと自覚しているのなら、せめて、病棟担当のときは病棟を巡回していること、NICU担当のときはNICUにいること。それくらいはできるはずだ。

    その場にいない医者に限って、後から現れて、ああだこうだと後知恵を述べるわけだが。回診が後知恵披露の場になると聞いててうんざりする。述べる医者は偉い医者のつもりでしゃべっているんで、少々痛い。

    まして、それが若い医者だったりしたら、そんな奴どうやって育てろってんだよと臨床研修システムを恨みたくもなる。何かあったら呼んでくれって君は何様だ? わざわざ呼ぶ手間かけてまで仕事をさせて頂けるって思ってるの? 黙って干すよそんな奴。

    これは私が繰り返し使うネタなので聞き飽きた人には恐縮だが、ドラえもんでさえ野比家に常駐していたのだよ。君は四次元ポケットもってるんかい? 呼ばれたらどこでもドアでとんでくるんかい? 手遅れになったらタイムマシンで取り返せるんかい? 

  • メールが使えない人にも

    一般公募で新生児蘇生法の講習会をやっていると、ときおり電話で受講申し込みがある。話の腰を折られると復帰に人一倍の時間がかかるたちなので、外来を中断されるのは人並み以上に困る。ということで開催要項にあるとおりにメールで申し込んでくれるよう頼んでみたところ、メールは使えませんと言われることが再々あった。

    今どきそんな人がまだ居るんだ、と驚いたのだが、考えてみれば年配の助産師さんなんてそんなものかもしれない。でもそういう人にも蘇生法の講習は受けていただかなければならない。そういう類の活動だ。少数の優等生が先鋭的に習得しておればよいこととは違う。

    ウェブで公募してメールで受け付けて、それで網羅できると頭から信じ込んでいたのだが、どうもそれでは草の根ぶりが足りないようだ。

  • NICUにデジタルビデオカメラを買った

     日産式「改善」の講演を拝聴して「動画を使った文字のないマニュアル」というコンセプトが頭に残っていたのか、翌日、新宿から品川に移動する電車の中で、パナソニックのデジタルビデオカメラのポスターが目についた。よい製品だと思った。これほど見栄えのいい嫁さんや娘がいたら俺も血迷って買うかもしれんねと思った。京都に帰ってメーカーサイトを見たら森高千里だった。森高千里モリタカに釣り合う子役だ。やれやれ。敵うわけがないじゃないか。自分だって江口洋介な訳じゃ無し。

     それにしても、森高千里は年を取らないのかね。V型変異体質じゃなかろうね。

     買おうかと思ってNICUでメーカーサイトを見て、そばにいた一年目の看護師に、4色あるうちどれがいいと聞いてみたら、ベリーピンクがいいと答えられて頭を抱えた。この4色から寄りによってそれを選ぶか。彼我の美意識の断絶は思っていた以上のようだ。購入申請には色は指定しなかった。購買課長は無難に白を選んできた。

    f:id:childdoc:20110915172505j:image:w360:left
     三脚をつけてみた。SLIK 三脚 コンパクト II 旅行用三脚 214824をアマゾンでカタログ買い。バーサーカーみたいなフォルムがなかなか良い。これを良いという私とベリーピンクが良いという看護師にはたぶん相互理解は不可能なんだろう。まあよい。相互の尊敬さえあれば仕事はできる。

     それにしても、手頃な小型三脚を選んだつもりなのだが、微妙に保育器の高さに届かなかった。後ろにある白いビグ・ザムみたいなのが保育器。これでは保育器のなかが撮影できない。またカタログ買いの銭失いの悪癖が出たかと思った。

     三脚の買い直し。サンワサプライ マルチクランプポッド DG-CAM16を性懲りもなくアマゾンに発注。つけてみたらこうなった。バーサーカー2号。いっそうかわいらしい。

    f:id:childdoc:20110916120312j:image:w360

     こういうことができる。しがみついているのは保育器に輸液ポンプを取り付けるためのポールである。
    f:id:childdoc:20110916120848j:image:w360

     保育器内外で行われる作業をほぼ完璧に撮影できる。なかなかよい。

  • それじゃ今回のプロジェクトから降りるのかというと

    人が変わる、組織が変わる! 日産式「改善」という戦略 (講談社+α新書)

    人が変わる、組織が変わる! 日産式「改善」という戦略 (講談社+α新書)

     この改善という考え方そのものはまあよろしいと思うんだ。200年300年たって、日産というメーカーが潰れるなり発展解消するなりして後ろ盾がなくなっても*1古典としてこの考え方自体が残ってるかどうかは怪しいけれども。多分に15世紀ヨーロッパの”mement mori”とか、16世紀末日本の「わび」「さび」みたいな、当時の社会的背景を前提とした考え方として、20世紀末から21世紀初頭の日本に「改善」という概念がありましたってことになるんだろうけれど。「おたく」とか「萌え」とかと並列で。

     でも日産という背景があると、その背景の影響を直接受ける人には、この考え方は生臭いだろうなとも思う。「限りないお客様との同期」って親会社に言われた子会社はどうすればいいんだ。おたがい、お客様っていったら自動車の購入者ってのが建前だろうけれど、本音のところ、子会社にとってのお客様ってのは親会社だろうに。その暗黙の了解の元で「限りないお客様との同期」っていうご指導が親会社のコンサル部局から入ってきたらだ、子会社の経営陣としては、親会社として君ら子会社に際限なく要求するよって宣言されたに等しいんじゃないかと思うが。ゴーンの辞書に満足という言葉はないってなもんで。

     まあ俺らNICUには日産の親会社がどうあろうと子会社ほどには影響を受けない。それどころかいまうちの病院で使ってる救急車は日産の製品なので、俺らのほうがお客様だ。日産の支配からはわりと自由な立場にある。ありがたく本書など拝読して、改善の参考とさせていただけば良い。*2

     参考にするにも知恵は要るだろうと思う。引き写しではまずい。ラインの上手からまずいものが流れてきたらラインを止めます、って、クルマの工場ならそれもいいが、NICUなんてそもそも問題がある赤ちゃんしか引き受けないわけで。

     そこに何らかの改善式検討を加えるとしたら、その赤ちゃんの抱えた問題が想定の範囲内でなければならない。所定の類型におさまってくれてないといけない。

     なんだかずいぶん粗雑な話のようにも思える。診療ってのはもうちょっと個別化されたものではないのか。とは言いながら、現状の診療だって、いわゆる臨床経験の実際のところは、いかに手元のその「類型」を細やかに準備してるかってことに過ぎないんじゃないかとも思える。このさいその類型の手の内を公開してみようというのも、試みられていいことではある。自分自身にすら明瞭ではなかったりするし。

     本当にそのこだわった類型は、区別するだけの効能があるのか?とか考えてみるのもまた良いことではある。別に治療方針に違いがあるわけでなしと言えるような些細な違いでしかないこともあろう。

     しかしながら、そういう違いもまた、いずれ新たな病態生理の切り口とか治療法とか見つかってきたら、大きな違いになるかもしれない。そう思うと、実用上の差を生まない違いを無視してしまうのは、将来の進歩の芽を摘むことになるのかもしれない。

    *1:伊那谷の「かんてんぱぱ」は残るだろうと思ってるけど

    *2:むろん我々とて理念的なお客様と事実上のお客様とが乖離しているという構造的問題は抱えているけれども。我々の事実上のお客様は医療保険の保険者であり支払基金なんだから。

  • 日産式の改善

    日産式改善戦略をみんなで学ぶ – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

     この講演も拝聴した。

     なんだかなあ、とこう言うものを素直に受け止めきれず、斜に構えてしまう狭量さが、引用元の記事をお書きの先生と私との格差となっているのだろうと思えた。年齢はほとんど同じはずなんだがね。どこで道を間違えたものやら。

     はじめて日産がいまどういうやりかたで自動車をつくっているのか知ったのだが、すべてのことが定刻通りにうまくいく(全てですよ)ことが前提での生産方式だった。うまくいってれば実に良いやりかたなのだが、トラブルひとつでとたんに最低になる。こりゃあありふれた直下型一発で簡単に止まるわと思った。東北関東大震災を待つまでもない。

     緩衝とか冗長性とかどうやって確保するんだろう。

     このやり方の陰で、ずいぶん多くの下請け孫請けが泣いてるんだろうな。想像に過ぎないだろうか。システムの冗長性は下請け孫請けにしわ寄せされてるんじゃないかと思えた。壊れるときにはそこが壊れることになっているポイントを親から引き受けさせられる下請け孫請けの立場って辛いよなとか、まあ、なんかこう、場末から中央の日の当たる場所を見る視線特有のひねくれ方で拝聴していた次第だった。

     

  • それでけっきょく東京へはなにをしに行っていたのかというと

    NICUデータベース会議の報告 – がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ – Yahoo!ブログ

    東京に行ったのは地勢の評価じゃなくて、この会と翌日の説明会に参加するためであった。それ書いとかないと。

    この研究にはけっこう期待している。改善の主体があくまで参加施設側にあるのがよい。君のところは傍目にはこう見えているよというプロファイルなどは研究本部から提示されるらしいが、それをうけて自分がどう変わるかは参加施設側の問題とされる。

    「金があったらこういうことができる」「人がいたらこういうことができる」と金や人がない施設が無い物ねだりをして嘆息する研究じゃなくて、金がない人が足りない俺たちのような施設が、金がない人が足りない現状の中でそれでもどう足掻いて上を目指すのかという研究だ。発想が潔くて小気味よい。金も人もない俺たちもここは一肌脱ごうじゃないかと思った*1

    こっちの主体性がまず求められる研究に参加表明しておいて、まだ実際に参加できるかも、参加できたとして介入施設と対照施設のどっちに割り付けられるかも、わからんうちから本部に要望ってのもどうかとは思うが、要望として、できるだけオープンソースであってほしいと願っている。

    NICUレベルでの「カイゼン」運動は初めてだが、病院全体の規模でなら、「カイゼン」を指導すると称する狐猿は当院にも何回もやってきた。奴らはみんな手の内を明かさなかった。それは商売としては当然なんだろうけれども、でも凡庸だ。お仕着せの知識は講演が終わった隅から忘れられていったし、奴らに払った銭が生きた銭の使い道だったとはとうてい思えなかった。

    この研究では介入施設も本部も、どのような現状にどのような介入が行われているか、可能な限りオープンにして欲しいと思う。うちが介入施設に選ばれたらそうするつもりだ。ここに書くとは限らないけれども*2。その内容が対照施設にも知れて、対照施設でも同じようなカイゼンをやってしまったら、研究全体の結果に有意差が出ないんじゃないかとか、そういうみみっちい発想はなしで願いたいと思う。対照施設も死にものぐるいでカイゼンを目指す。その自己流のカイゼンに比べて、それでも介入のあった施設のほうが極低出生体重児の予後が良くなるんだと、示せてはじめて介入の成果と言えるんじゃないだろうか。

    *1:というかまあ、こういう理屈は後付けなんで、実のところはこの研究についてのあらましを業界内のメーリングリストでちょろっと読んで参加を即決したんだが。決めた後で詳細を検討した。なんかそういう事ばっかりして私は今の位置にいるんで、自分のそういう嗅覚は大事にしている。確かに場末のNICUではあるけれど、私の若さで「自分のNICUを持ってる」新生児科医が日本に何人いるだろうとも、密かに思っている。

    *2:読者諸賢にはたいへん申し訳ないが、カイゼンの経過報告ってのは現状を晒さねばならず、恥をさらすにも晒せる範囲ってものがあるので。でも、ここに書けないということへの問題意識は持ち続けたいと思う。

  • 震災復興支援の新生児蘇生法講習会は一段落

    震災復興支援の新生児蘇生法講習会と称して、一次コースと専門コースを月1回ずつ開催して半年になる。これまで170人あまりに受講して頂き、受講料の総額が120万円を超えた。全額を義援金に出している。たぶん今月末で義援金は140万円になるはず。

    日本周産期新生児医学会から、新品の講習会キットを3セット無料で貸してもらっていた。普通に頼めば1回3万5千円のキットである。それを1回の講習会に2キット使った。講習会はつごう12回になるから、あわせて84万円を只にしてもらったことになる。なんのことはない、120万円あまりの義援金のうち84万円は学会から出たことになる。なんだか俺一人頑張ってたような気分になってたけど、銭勘定をしてみると謙虚にならざるを得ないなと思った。

    謙虚と言えばだ、うちみたいなマンパワー不足の病院で、毎月4回か5回かの土曜の午後のうち2回、私はこの講習会に専念していたわけだが、そのあいだの病棟業務を黙って負担してくれた同僚があり、講習会の補助に休日を返上してくれた若手がある。病院の事務からも、受講者から集金したり銀行に振り込んだりといったお金に関わる業務や、会場設営や、その他もろもろを負担してくださった方がある。多くの人にお世話になった。*1

    今度、学会が自前の講習会(インストラクター養成用の特別なもの)を充実させるとのことで、そのキットをいよいよ返却することになった。大事に使ったつもりではあるが、それでも元は新品だったキットがかなり傷んだことは否定できない。返ってきたものを開封したらうんざりされるだろうなと思う。賠償しろと言われたらかなわんなとも思う。いくらかでも今回の受講料を懐に入れてたんならそのうちから賠償もあろうかと思うが*2、全額被災地に行ってるんだからということで勘弁して頂きたいなとも思う。この期に及んで往生際が悪いだろうか。

    今後は自前の機材で講習会を行うとなると、2ブースぶんの機材の調達はきついなと思う。当面は規模を縮小せざるを得ない。とはいえ、ここで講習会を止めてしまっては半端だなと思う。まだ復興なんて手もついてないのに復興支援と銘打った活動のほうを先に止められたりしたら現地もがっかりだろう。私自身、阪神・淡路大震災被災したときは、2月に神戸から京都に出たとき、地震を過去形で語る人に出会ってずいぶん驚いたものだった。

    *1:身内のことではあるが、腹が減っては集中力が落ちるし不機嫌になるし、それで未熟な講習会のあらが目立ってもかなわないので、毎回、妻や娘にドーナツを受講生とインストラクターのぶん差し入れさせた。彼女たちにも感謝。

    *2:私の懐に入ったのはプライスレスな経験を別にすればミスタードーナツのポイントくらいだよ。