• EPSON EP-804Aの無線LAN接続がうまくいかない件に関して

    バッファローのAirStationを介したEPSON EP-804Aの接続がうまく行かない件、最終的にはAirStationの「プライバシーセパレータ」を「使用しない」にするとうまく行きます。

    http://www.ah-2.com/2011/12/01/epson_wlan_unconnectable.html: プリンタが無線LANでつながらない(プリンタ・PCの両方が無線の場合接続できない) « AH-2 が参考になりました。ありがとうございます。

    生じていた問題点は、EP-804AとAirStation(WHR-G301N)のあいだの接続はAOSSで確立できるのに、おなじ無線LAN上にあるパソコンから検索をかけてもEP-804Aを検出できないというもの。

    解決法は上記引用のサイトにあるとおりなのですが、WHR-G301Nの設定画面ではプライバシーセパレーターの設定は「無線設定」→「拡張(11n/g/b)」にありますとだけ付記しておきます。

    娘と2人で半日潰したのでメモ。ええ、楽しかったですよ。

    2013/03/03誤字訂正 

  • 一日に3人救命して翌日

    この夏も閑古鳥が鳴くのかなと思っていたら、1日に3件の重症入院。それも緊急帝王切開の立ち会い中に2例目の緊急帝王切開が決まり、その立ち会いをやっているさなかに3人目の心音が落ち、と重複しつつ連続。

    いまうちのNICUは熟練度で言えばおそらく全国有数であろうってくらいになってる。専門医クラスの新生児科医3人に、循環器1人、ICD1人。新生児科医は言うに及ばず、他の医師もつぎつぎに分娩立ち会いにはいり、赤ちゃんを蘇生する。この人数いなければ昨日の3人のうち1人以上は死んでたなとも思う。ありがたいことだ。

    俺たちは今日3人の命を救ったんだな、とふと思う帰り道。充実感をごほうびと思うくらいは許されるんじゃないかと思った。

  • 琵琶湖畔まで

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     日曜日に終日救急外来をやったので、代休を頂いた。つうかシフト組みしてるの自分なんで、自分で組み込んだんだが。ロードバイクで琵琶湖まで行ってきた。途中越から琵琶湖大橋を渡って北上。米原で12時になったので折り返し。

     あわよくば北湖一周をねらっていたことは白状しよう。琵琶湖大橋から北湖一周するとして、折り返すより一周した方が早いポイントってどの当たりだろう。賤ヶ岳あたりかと思っていたが、さすがに長浜より手前じゃなかろう。

     1日で150キロ以上走ったのは初めてだし、しばらくサイコン壊していて走行距離が計れなかった頃もたぶん100km以上走ったことはないはずなんで、今回の走行距離は自分にしては上出来なはずなんだが、北湖一周できなかったというがっかり感があって、なんか達成感がない。

     最初から身の程を知って、草津あたりをゴールに設定して、有名な猫でも見てくることを目標にしていれば、もっと達成感も味わえたのかもしれない。やったことは同じのはずなのに、損をしたような気がする。

     サイクルロードレースの中継で、山道で苦労するカヴェンディッシュ君に、へたれーとか馬鹿にしたようなこと言ってたけど、彼はこの距離をあのでかい体で走った最後にスプリントやってるんだな。改めて、すごいものだと思った。

  • 父親の世話にならないというこだわり

     なにかひどく信頼を失うようなことをしてしまったのか、あるいは単に中高生はそうしたものであるのか、よく分からないが、長男のいまのこだわりが「父親の世話にならない」というもの。テーブルの上の箸をとってわたすだけで激昂するので、もう何もさわらないことにしている。

     しかし自閉症の不思議なところで、自分が父親の世話をするのはいっこうに構わないらしい。相変わらず朝は新聞を持って起こしに来てくれるし、おやつは分けてくれるし、「水分補給は?」とかいって牛乳やウーロン茶もついでくれるし。

     こういう行動は世間的には「問題行動」ではなくて「親孝行」というのだと思うので、まあ自立の動機づけの一助にでもなってくれればいいかなと思う。

  • うちでいちばんきちんと生活しているのはじつは息子だったりする

     最近は自室を整頓しはじめた。おもちゃのストックをどんどん捨てている。「トイストーリー3」の影響らしい。もう大学だからおもちゃでは遊ばないんだ云々と言っている。

     部屋が恐ろしく片付いていると、妻が感心している。私も妻も、ついでに娘も、片付けが苦手な性分なので、自宅でいちばん片付いているのは自閉症児の自室ということになる。これからの彼の自立を考えれば、自室を整理整頓できるのは良いことなのだろう。

     大学と言えばまあ、世間を探せば彼の学力でも行ける大学はあるんだろうと思う。でもたぶん、そういう大学に行くことが彼の在学中あるいは卒業後の人生を豊かにするということはないだろう。就労をめざす方針である。

  • 夜間救急をやってない病院には予防接種すらさせませんという保健師

    NICUに入院していた子の退院に際し、地元の保健師を交えてのカンファレンスが行われた。べつに障碍をのこして帰るわけじゃなし、在宅医療や介護が必要な状況でもない、普通に育ててもらえばよい子たちなんだけれどもねと、開催意義がたしょう疑問ではあった。誰が言い出したことだったんだか。

    地元の市立病院が近所だと知っていたので、予防接種はその病院に頼みますと言ったら、保健師が、その病院は小児科の夜間救急をやっていないから他の病院にしてくださいと言いだした。高速道路つかって30分ほどの、隣市の病院へ行くようにしろという。

    なんで予防接種に夜間救急が要るの?と聞いたが要領を得ない。何かあったらモゴモゴモゴモゴと口ごもるばかり。平日日中に完結する日常の診療すら地元の市立病院に任せない保健指導って何なのと思う。それならもう市立病院要らないじゃないか。ついでに言うなら君ら保健師も要らないよ。夜間も動いてくれる救急隊の隊員をよこしてくれりゃあいい。

  • 大飯原発の再稼働に関して

    大飯原発の再稼働が議論になっていると、ニュースで再々報じられている。そして私も再々、娘に、父さんは再稼働に賛成なの反対なのと聞かれる。正直、白黒つけた回答をしかねて困っている。

    節電をすればだいじょうぶ電力は足りると言われても、そういう事情だから節電のために未熟児の人工呼吸器を5時間ほど止めてくださいと言われると困る。人工呼吸器なんて消費電力はそう多くなかろうしバッテリーでなんとかと言われたとしてもだ、加温加湿槽がとんでもなく電気喰いなんで、たぶんあれはバッテリーではどうにもならん。試すつもりにもなかなかなれない。

    別に多少貧乏になったっていいじゃないかと仰る反原発の人におかれては、明らかにあるいは言外に、別に産業用の電力なんてカットして製品がたしょう傷んだところで原発再稼働の悪に比べればどうってことないと仰っておられるように思うのだが、ひとときの停電で取り返しがつかなくなる「製品」のなかに、人工呼吸器に依存している未熟児達もぜひ含んで考えて頂きたいと私は思う。

    とはいいながら。人工呼吸器が止まるとおおごとだし大飯再稼働賛成と、娘に断言するのも躊躇される。

    全くの原発停止も極端だし、全面再稼働も極端だし、その「中を取って」最低限ぼちぼち稼働させながら次第に自然エネルギーと置き換えていくってのが、中庸の徳ってもんでいいんではないかと、そういう考えも安易なような気がする。中庸がいちばん低リスクだなんていう定量は誰もしていない。たとえばの話、安全のために立地をよく考えて最新型の原発を作るという選択肢と、いまある古い原発をとりあえず再稼働するのと、どちらがよい選択なのか。おそらく最新型の原発を新しくという考えは、全面再稼働よりもさらに右翼側の、とことんの極端と位置づけられるだろう。しかしそれは、一見して中庸の、古い原発再稼働よりも、危険な考え方なんだろうか。

    それとまあ卑近な話で恐縮なんだが、多少貧しくなってもいいやな原発は全廃だと仰っておられる向きがあんまり強くなると、なんだか仕事せんでも何となくどこかに生活費を請求できる人たちがどんどん発言力を増していって、額に汗して働く人が働いてすみません勘弁してくださいとその人らに謝ったあげく、これで勘弁してくださいと所得税やら年金保険料やら頭を下げつつ差し出すようなことになってしまっているようで、いまひとつこう、虫が好かない。

  • やっぱり喧嘩見物は下品だったと反省

    主体性は教えられるか (筑摩選書)

    主体性は教えられるか (筑摩選書)

     山形浩生さんが酷評して著者が反論していたので読んでみた。

    岩田健太郎『主体性は教えられるか』:主張はわかるが無内容。 – 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Formerly supported by WindowsLiveJournal

    山形浩生という方から僕の「主体性は教えられるか」に対する書評(?)に対するしぶしぶのコメント – 楽園はこちら側

     読後感は、山形さんの評にあるとおり、

    うるせえ。

     この一言に尽きた。何か言いかけては半分否定し、また何か言いかけては言い訳しで、どんどん水ぶくれしていく。位相をずらして重ね合わせたら消滅するんじゃないか。読んでて内容を云々する以前に語り口にまず苛立つ。

     著者が信奉する内田樹先生も、ラカンについて言及された折、語り口が重要であると仰っておられるが、著者は読んでないんだろうか。

     あるいは芸として韜晦したり逡巡したりして見せてるんだろうか。内田もときにやるからね。でも著者のは芸としてはしつこすぎる。「シムラー!後ろ!後ろ!」ははじめだけでいい。

     それでも内容に関して言及すると、著者はまず、優秀ではあるが主体性のない研修医の指導に苦慮した経験を述べる。それを枕に、本書の大半を費やして、現状の教育では主体性は育てられないと述べる。本邦の教育は一般的に主体性を育てるものではない、医学部学生や研修医の教育も、指導医講習も例外ではないと、縷々問題を指摘する。そしてなでしこジャパンを主体性の手本と賞賛する。佐々木監督が選手に理不尽でつらい練習を課したこと、選手達に自分の頭で考えるよう要求し答えを教えなかったことがよかったのだそうだ。

     凡庸な結論だ。

     例によって凡庸、とあえて言おう。たぶん凡庸なんだろうなと思って自腹を切るのは控えてたんだが、うっかり山形さんとの喧嘩を見物に出てしまって罰が当たった。やっぱり他人の喧嘩を見物するのは下品なことだよなと思い知った。著者の感染症に関する論考は文句なく面白いと思う。でも、教育や哲学思想を語るととたんに浅くなる。いいかげん、「医学教育会の内田樹」になろうとするのは止めたらいいと思う。そう成り仰せたところであんまり苦労するほどの甲斐もないように思うし、だいいち、このままでは「感染症科の香山リカ」への道をまっしぐらに墜ちていっているだけだし。
     

     

  • 30年前の人工呼吸器

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     新旧2セット保有している新生児搬送用の保育器の、古い方につけている人工呼吸器。
     見ての通りの旧型である。吸気圧と呼気圧、吸気時間と呼気時間を各々設定する。換気回数を設定なんて甘っちょろいことは言わない。吸気時間が0.5秒で呼気時間が1.5秒なら換気回数は30回だ。投与酸素濃度も、空気と酸素の流量を各々調整して設定する。%表示で酸素投与が設定できるような軟派な機械ではない。

     電気回路はいっさいない。圧搾空気自体が動力源である。人工呼吸器の電気はもっぱら警報回路に使うものである。ゼクリスト100Bだってそうだった。

     ということはだ。この機械には警報なんて上品なものはついていない。監視している目と耳と勘だけが頼りの機械だ。搬送中は赤ちゃんの様子から目を離さないんで、何とかなるけど、NICUでこの呼吸器で人工呼吸管理を続けるかと聞かれると躊躇する。とても保育器を離れる気になれない。

     昨今の人工呼吸器は呼吸器回路の内圧が0まで落ちたら必ずアラームが鳴るように求められている。どこから?厚生労働省からだよ。もちろん。だから警報というもの自体が備わっていないこんな機械は、いまとなってはそうおおっぴらに使えるものではない。

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     裏面に「56.11」と刻印したテープが貼ってあるのは、56年11月ってことだろうか。1956年ってことはあるまい(当時は新生児用の陽圧式人工呼吸器なんて概念そのものがなかったはず)。昭和56年11月ってことだろう。昭和56年は1981年。この年に新品で買ったってことか、あるいはどこか他所の病院から貰って自前の備品にしたってことか。よくわからん。昭和56年11月は私は中学生になったばかりのはずだ。30年前。ピンクレディー解散。薬師丸ひろ子デビュー。「ルビーの指輪」ヒット。So you don’t have to worry, worry.

     で、40年前の何を検査して60年まで使って大丈夫ってことにするんだって?と唐突に聞いてみる。

     人工呼吸器に警報装置がついていなかった時代、それをよしとする程度の安全思想であった時代の、何を検査したらあと20年使えるんだって? と聞いてみる。材質がいろいろ傷んでるかもしれない云々もあるけど、そもそもの設計思想の段階で、大丈夫なわけ? と聞いてみる。当時はよかったろう。この人工呼吸器だって当時は最新だよ。呼気圧を0まで落としちゃいけないっていうことは分かってる製品だし。でも、今さらこの人工呼吸器は、とても普段使いに運用することはできない。怖くて。

     原子力発電業界の皆さんは、怖くないのかな。

  • 正規雇用じゃなくて派遣を雇うのはほんとうにお得なんだろうかと思ったこと

    負荷試験やるんで早出して、9時からは外来。

    私の診察ブースの隣が準備ブースになってて、予診票の受け渡しやら、体温や体重やといった基本的データの入力やら行っているのだけれども、今日はそこに詰める事務員さんがまったく初心者で、看護師があれやこれやと指導する声が漏れ聞こえていた。

    外来を進めつつ、漏れ聞こえる声を聞きつつ、こうやって事務員さんを派遣でまかなおうってのは、病院として、ひょっとして損をしているんではないかと思った。

    なにさま、こうやって指導を続けることで、配置された事務員さんに加え、看護師さんも指導でそうとう手が取られていた。二人分の人件費が空転したように思える。

    それで今後何とかなるんだか、よく分からない。小児科外来の業務は多彩だ。とりあえず次の山は週末の予防接種外来か。数十人を間違いなく切り回さなければならない。

    でも事務員さんは、色々苦労して仕事を覚えて、ようやっと円滑に進められるようになったあたりで、交替になる。どういう事情でそういうことになってるんだかよく分からない。私がよく理解できない方面での利害関係か何かで、派遣でおいでの事務員さんが小児科外来の業務に熟達しては困る事情があるんだろう。

    でも、小児科外来で最初に患者さんの対応をする事務員が、あんまり素人くさい愚鈍な対応をしては、病院の得にはならないような気がする。むしろ損だろう。切り詰めることができた人件費で補って足りるほどの小さな損失なのか、私には分からない。