入院数急増

連続して入院があり、9床中8床の入院となった。たくさんの空床をアイドリングしておくのも苦しいけど、かといって規模を縮小してしまったら窮地に陥っていたなと思った。こういうときのためにも、なんとか9床を維持していかないといけない。

たとえば規模を縮小して9床を6床にしていたら(3の倍数にするのが制度上効率が良いので)、この2日で2人は院外へ新生児搬送に出さなければならなかった。今は京都じゅうのNICUが空床をあけてるんで、たぶん京都市内でなんとか確保できたと思うが、常にそうとはかぎらない。中小規模のNICUが乱立する京都の事情では、意外に病床のリソースは全体としても貧困なので、1人は何とかなっても2人目はちょっと難しくなるし、3人目がもし出たら市外や府外に搬送となる可能性も出てくる。

でも維持すると言っても、診療報酬だけで運営する私立病院で、空床を開けておく負担はきつい。それは公的病院の役割なのではないかとも思う。あるいは周産期母子医療センターに対する国や地方自治体が、財政的な補助で空床を買うかたちになるのかもしれない。

あるいは、いっそ民間からNICUの病床にスポンサーをつけてはどうかとも思ったりする。保育器の脇腹に京都の老舗企業のロゴが入ってて、「この保育器は・・・の提供で維持されています」みたいな。

入院数が増えない

NICUの入院数が増えない。9床あるうち7〜8床くらい埋まってて、受け入れ余地が1〜2床くらいってあたりが、まあ理想的なところかと思うのだが、このところ4床前後の入院数である。半分以上空いている。

低出生体重児など母体搬送からの入院数はそれなりに維持されているように思うのだが、正期産児の新生児搬送入院が伸び悩んでいる。たまに来る子も、数日の入院でさっさと帰る軽症の子ばかりである。

京都府が出しているNICU空床状況表をみると、どの施設も軒並み空床を出してきていて、京都一円でNICUに空床が余ってきている模様。赤ちゃんたちが、我々に縁なく、健康に過ごしていられると言うことなら、それは幸せなことである。文句を言う筋合いはない。

しかし少子化の影響が予想外に早く現れているとしたら、座視してはいられないことかもしれない。統計的な数字にはまだ現れていないはずなのだが。

何にしても、現時点では京都の新生児医療は供給過剰だ。日本中探しても京都くらいじゃないか。そんなこと言ってるの。

EPSON EP-804Aの無線LAN接続がうまくいかない件に関して

バッファローのAirStationを介したEPSON EP-804Aの接続がうまく行かない件、最終的にはAirStationの「プライバシーセパレータ」を「使用しない」にするとうまく行きます。

http://www.ah-2.com/2011/12/01/epson_wlan_unconnectable.html: プリンタが無線LANでつながらない(プリンタ・PCの両方が無線の場合接続できない) « AH-2 が参考になりました。ありがとうございます。

生じていた問題点は、EP-804AとAirStation(WHR-G301N)のあいだの接続はAOSSで確立できるのに、おなじ無線LAN上にあるパソコンから検索をかけてもEP-804Aを検出できないというもの。

解決法は上記引用のサイトにあるとおりなのですが、WHR-G301Nの設定画面ではプライバシーセパレーターの設定は「無線設定」→「拡張(11n/g/b)」にありますとだけ付記しておきます。

娘と2人で半日潰したのでメモ。ええ、楽しかったですよ。

2013/03/03誤字訂正 

一日に3人救命して翌日

この夏も閑古鳥が鳴くのかなと思っていたら、1日に3件の重症入院。それも緊急帝王切開の立ち会い中に2例目の緊急帝王切開が決まり、その立ち会いをやっているさなかに3人目の心音が落ち、と重複しつつ連続。

いまうちのNICUは熟練度で言えばおそらく全国有数であろうってくらいになってる。専門医クラスの新生児科医3人に、循環器1人、ICD1人。新生児科医は言うに及ばず、他の医師もつぎつぎに分娩立ち会いにはいり、赤ちゃんを蘇生する。この人数いなければ昨日の3人のうち1人以上は死んでたなとも思う。ありがたいことだ。

俺たちは今日3人の命を救ったんだな、とふと思う帰り道。充実感をごほうびと思うくらいは許されるんじゃないかと思った。

琵琶湖畔まで

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 日曜日に終日救急外来をやったので、代休を頂いた。つうかシフト組みしてるの自分なんで、自分で組み込んだんだが。ロードバイクで琵琶湖まで行ってきた。途中越から琵琶湖大橋を渡って北上。米原で12時になったので折り返し。

 あわよくば北湖一周をねらっていたことは白状しよう。琵琶湖大橋から北湖一周するとして、折り返すより一周した方が早いポイントってどの当たりだろう。賤ヶ岳あたりかと思っていたが、さすがに長浜より手前じゃなかろう。

 1日で150キロ以上走ったのは初めてだし、しばらくサイコン壊していて走行距離が計れなかった頃もたぶん100km以上走ったことはないはずなんで、今回の走行距離は自分にしては上出来なはずなんだが、北湖一周できなかったというがっかり感があって、なんか達成感がない。

 最初から身の程を知って、草津あたりをゴールに設定して、有名な猫でも見てくることを目標にしていれば、もっと達成感も味わえたのかもしれない。やったことは同じのはずなのに、損をしたような気がする。

 サイクルロードレースの中継で、山道で苦労するカヴェンディッシュ君に、へたれーとか馬鹿にしたようなこと言ってたけど、彼はこの距離をあのでかい体で走った最後にスプリントやってるんだな。改めて、すごいものだと思った。

父親の世話にならないというこだわり

 なにかひどく信頼を失うようなことをしてしまったのか、あるいは単に中高生はそうしたものであるのか、よく分からないが、長男のいまのこだわりが「父親の世話にならない」というもの。テーブルの上の箸をとってわたすだけで激昂するので、もう何もさわらないことにしている。

 しかし自閉症の不思議なところで、自分が父親の世話をするのはいっこうに構わないらしい。相変わらず朝は新聞を持って起こしに来てくれるし、おやつは分けてくれるし、「水分補給は?」とかいって牛乳やウーロン茶もついでくれるし。

 こういう行動は世間的には「問題行動」ではなくて「親孝行」というのだと思うので、まあ自立の動機づけの一助にでもなってくれればいいかなと思う。

うちでいちばんきちんと生活しているのはじつは息子だったりする

 最近は自室を整頓しはじめた。おもちゃのストックをどんどん捨てている。「トイストーリー3」の影響らしい。もう大学だからおもちゃでは遊ばないんだ云々と言っている。

 部屋が恐ろしく片付いていると、妻が感心している。私も妻も、ついでに娘も、片付けが苦手な性分なので、自宅でいちばん片付いているのは自閉症児の自室ということになる。これからの彼の自立を考えれば、自室を整理整頓できるのは良いことなのだろう。

 大学と言えばまあ、世間を探せば彼の学力でも行ける大学はあるんだろうと思う。でもたぶん、そういう大学に行くことが彼の在学中あるいは卒業後の人生を豊かにするということはないだろう。就労をめざす方針である。

夜間救急をやってない病院には予防接種すらさせませんという保健師

NICUに入院していた子の退院に際し、地元の保健師を交えてのカンファレンスが行われた。べつに障碍をのこして帰るわけじゃなし、在宅医療や介護が必要な状況でもない、普通に育ててもらえばよい子たちなんだけれどもねと、開催意義がたしょう疑問ではあった。誰が言い出したことだったんだか。

地元の市立病院が近所だと知っていたので、予防接種はその病院に頼みますと言ったら、保健師が、その病院は小児科の夜間救急をやっていないから他の病院にしてくださいと言いだした。高速道路つかって30分ほどの、隣市の病院へ行くようにしろという。

なんで予防接種に夜間救急が要るの?と聞いたが要領を得ない。何かあったらモゴモゴモゴモゴと口ごもるばかり。平日日中に完結する日常の診療すら地元の市立病院に任せない保健指導って何なのと思う。それならもう市立病院要らないじゃないか。ついでに言うなら君ら保健師も要らないよ。夜間も動いてくれる救急隊の隊員をよこしてくれりゃあいい。

大飯原発の再稼働に関して

大飯原発の再稼働が議論になっていると、ニュースで再々報じられている。そして私も再々、娘に、父さんは再稼働に賛成なの反対なのと聞かれる。正直、白黒つけた回答をしかねて困っている。

節電をすればだいじょうぶ電力は足りると言われても、そういう事情だから節電のために未熟児の人工呼吸器を5時間ほど止めてくださいと言われると困る。人工呼吸器なんて消費電力はそう多くなかろうしバッテリーでなんとかと言われたとしてもだ、加温加湿槽がとんでもなく電気喰いなんで、たぶんあれはバッテリーではどうにもならん。試すつもりにもなかなかなれない。

別に多少貧乏になったっていいじゃないかと仰る反原発の人におかれては、明らかにあるいは言外に、別に産業用の電力なんてカットして製品がたしょう傷んだところで原発再稼働の悪に比べればどうってことないと仰っておられるように思うのだが、ひとときの停電で取り返しがつかなくなる「製品」のなかに、人工呼吸器に依存している未熟児達もぜひ含んで考えて頂きたいと私は思う。

とはいいながら。人工呼吸器が止まるとおおごとだし大飯再稼働賛成と、娘に断言するのも躊躇される。

全くの原発停止も極端だし、全面再稼働も極端だし、その「中を取って」最低限ぼちぼち稼働させながら次第に自然エネルギーと置き換えていくってのが、中庸の徳ってもんでいいんではないかと、そういう考えも安易なような気がする。中庸がいちばん低リスクだなんていう定量は誰もしていない。たとえばの話、安全のために立地をよく考えて最新型の原発を作るという選択肢と、いまある古い原発をとりあえず再稼働するのと、どちらがよい選択なのか。おそらく最新型の原発を新しくという考えは、全面再稼働よりもさらに右翼側の、とことんの極端と位置づけられるだろう。しかしそれは、一見して中庸の、古い原発再稼働よりも、危険な考え方なんだろうか。

それとまあ卑近な話で恐縮なんだが、多少貧しくなってもいいやな原発は全廃だと仰っておられる向きがあんまり強くなると、なんだか仕事せんでも何となくどこかに生活費を請求できる人たちがどんどん発言力を増していって、額に汗して働く人が働いてすみません勘弁してくださいとその人らに謝ったあげく、これで勘弁してくださいと所得税やら年金保険料やら頭を下げつつ差し出すようなことになってしまっているようで、いまひとつこう、虫が好かない。

やっぱり喧嘩見物は下品だったと反省

主体性は教えられるか (筑摩選書)

主体性は教えられるか (筑摩選書)

 山形浩生さんが酷評して著者が反論していたので読んでみた。

岩田健太郎『主体性は教えられるか』:主張はわかるが無内容。 – 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Formerly supported by WindowsLiveJournal

山形浩生という方から僕の「主体性は教えられるか」に対する書評(?)に対するしぶしぶのコメント – 楽園はこちら側

 読後感は、山形さんの評にあるとおり、

うるせえ。

 この一言に尽きた。何か言いかけては半分否定し、また何か言いかけては言い訳しで、どんどん水ぶくれしていく。位相をずらして重ね合わせたら消滅するんじゃないか。読んでて内容を云々する以前に語り口にまず苛立つ。

 著者が信奉する内田樹先生も、ラカンについて言及された折、語り口が重要であると仰っておられるが、著者は読んでないんだろうか。

 あるいは芸として韜晦したり逡巡したりして見せてるんだろうか。内田もときにやるからね。でも著者のは芸としてはしつこすぎる。「シムラー!後ろ!後ろ!」ははじめだけでいい。

 それでも内容に関して言及すると、著者はまず、優秀ではあるが主体性のない研修医の指導に苦慮した経験を述べる。それを枕に、本書の大半を費やして、現状の教育では主体性は育てられないと述べる。本邦の教育は一般的に主体性を育てるものではない、医学部学生や研修医の教育も、指導医講習も例外ではないと、縷々問題を指摘する。そしてなでしこジャパンを主体性の手本と賞賛する。佐々木監督が選手に理不尽でつらい練習を課したこと、選手達に自分の頭で考えるよう要求し答えを教えなかったことがよかったのだそうだ。

 凡庸な結論だ。

 例によって凡庸、とあえて言おう。たぶん凡庸なんだろうなと思って自腹を切るのは控えてたんだが、うっかり山形さんとの喧嘩を見物に出てしまって罰が当たった。やっぱり他人の喧嘩を見物するのは下品なことだよなと思い知った。著者の感染症に関する論考は文句なく面白いと思う。でも、教育や哲学思想を語るととたんに浅くなる。いいかげん、「医学教育会の内田樹」になろうとするのは止めたらいいと思う。そう成り仰せたところであんまり苦労するほどの甲斐もないように思うし、だいいち、このままでは「感染症科の香山リカ」への道をまっしぐらに墜ちていっているだけだし。